第五話 鬼ごっこと影(前)

「――――さて、馬鹿者共。そんなに余裕があるのならこの案件はお前達に任せるとしよう。」


脳天に重い拳骨を喰らい、涙目で頭を押さえて蹲っているオレと燎に意を介した様子すらない識田課長が涼しい顔でホッチキスで止められた資料を差し出してくる。


「~~~……。」


ズキズキと痛む脳天を押さえながら立ち上がり資料を受けとると、同じく復活したらしい燎もまたオレの横に立ち資料を覗き込んできた。


……うーー……。


当たり前に肩が触れる位置にさっきの事もあって少し気まずさを覚えて燎を見上げる。

涼しい顔で資料へと視線を落としている彼に、気にしてるのはオレだけかよ、と少しだけ憮然としながらペラリと表紙をめくった次の瞬間。


そこに添付された画像からぶわっと溢れてきた噎せ返るほどの匂いに思わず鼻を覆う。


――!! 何でっ!?


「千影、大丈夫か?」


同じように画像を一目見てこれでもかと眉間に皺を寄せた燎の固い声音が耳を打ち、肩をぐいっと抱き寄せられると同時に資料を取り上げられた。

こくこくと頷いて自由になった方の手で燎の服を握りしめる。


資料に添付されていたのはごく平凡な画像だった。


電柱が等間隔に並び、ブロック塀や住宅に囲まれた車二台がギリギリすれ違える幅のまさに閑静な住宅街という言葉がピッタリな場所の中の一本道。

気になるのは一番手前の電柱に設置された『特別警戒実地中』の立看板くらいだけど、それ以外は特に気になる事はない。


でも……。


さらに強くなる匂いに眉を寄せていると課長が小さく息をついた。


「さすがだな夢前。一目見ただけでその反応か。火坂、お前はどうだ。」


その言葉に資料を睨み付けるように見つめ嫌そうに顔をしかめた燎が口を開く。


「……俺の目から見て被害者は六人。弄ぶように嬲り殺しにされています。しかも彼らが何かしたとかではなく、ただその場にいたからといった理由で。凶器は恐らく鋭利な刃物でしょうか。」


「――その通りだ。……夢前。」


「……オレには数とか凶器とかは分かりません。だけど、この画像からは尋常じゃないくらい『負の感情』を感じます。多分、燎……火坂が言ったように被害者達は何の罪もなく殺されてます。被害者達の嘆きや悲しみ、痛み、恐怖、絶望。何よりも『死にたくない』っていう思い、それに混じって酷く歪んだ愉悦と狂喜に染まった現世のものではない者の匂いも微かに。」


燎に続きそう答えれば、課長が満足そうに口の端をつり上げた。


「さすがうちの花形だな。それは今現世で騒ぎになっている連続通り魔殺人の現場の画像だ。被害者は火坂が言うように生者六人。その犯人は夢前の言葉通り現世のものではない。また被害者達の致命傷はその刃物で喉や心臓を切り裂かれたものだが、それ以外の至る箇所にも同じ刃物で切り付けられたような傷がある事を考えると、恐らく亡者は生者が死を迎えるまで弄んだのだろう。――猫が獲物を戯れに嬲り殺すように。」


課長の言葉があの画像から伝わってきた被害者達の恐怖や無念の思いと混じりあいツキリ、と胸に走る痛みに拳を握りしめる。


……止めなくちゃ、こんな事これ以上起こさせちゃいけない。


「――いいか! 現世のものでない者が現世を生きる者に手をかける事は決してあってはならない大罪だ。速やかにその原因を取り除き、トラブルを解決しろ。それが現世万取締課の役目だ!!」


「「はいっ!!」」


一度だけ大きく息を付き、鋭い目付きでオレ達を見据えた課長の檄に燎と二人で姿勢を正す。


「また、今回の亡者の残忍さ、そして被害者の数を考えるとすでに悪霊化している可能性の方が強い。万一の際は、捕縛から討伐へ切り替える事を許可する。ついては、『生者除けの札』を忘れずに持っていくように。――以上だ。 夢前、火坂!! 行ってこい!!」


「「はい! 行ってきます!!」」






***






普段あの世に属している存在は、現世の生者の目には映らないようになっている。

それでも稀にいる所謂「霊感」とか「見鬼」という第六感が優れていたり直感が鋭い生者にはその姿が見えたりもするらしいけど。

じゃあオレ達はどうなのかというと、現世における人外によるトラブル解決という取締課の性質上、生者を装い行動する事も多々あるため、一般の生者達にもその姿は彼らと何ら変わりなく見えている。


そのために取締課の職員は人型って決まりがあるし。


で、服装はこの前のアオサカみたく闇に紛れられる時間帯で人目に付かない場所なら取締課の制服のまんまで動くけど、今回みたいに人目があるような場所では、それなりに周囲に溶け込めるよう変装していく事になっている。


「……よし、っと。こんなものかな?」


電柱に縦十二センチ、横六センチくらいの長方形型の和紙に何かぐにゃぐにゃした記号や文字が書かれた『生者除けの札』を貼り付けると、オレ達の中で一番センスがある千尋さんプロデュースによる紺のデニムシャツに白の襟ぐりが大きく開いたVネックのインナー、カーキ―色のカーゴパンツと言った井出達でタブレットを操作している燎へと声をかける。

ちなみにこの札は冥府庁の技術開発部が制作したもので、オレ達みたいに現世が主な仕事場所である職員が「仕事中」に生者がその場に迷い込んだりしないようにするための便利グッズみたいなものだ。

これには少し不思議な技術が使われていて生者には勿論、札が発動すれば亡者にも見えないようになっている。


「――ああ、そうだな。とりあえず、これで現場から五百メートル範囲は俺達が仕事を始めたら生者が迷い込む事はないだろう。」


「――うん。それにしても……こんな場所で亡者による通り魔が起きるなんて……。」


一つ息を付き、先程画像で見た通りの風景をぐるりと見回す。


本当に何の変哲もない住宅街の一角だ。

昼間は勿論、夜だって等間隔で並んだ電柱に付けられた街灯で決して暗くはないはずの道なのに……。


「ああ。だが、今のところその亡者の気配はしない。どこかに潜んでいるって考えた方が妥当か。資料によると事件が起こってるのはいずれも二十時以降みたいだしな。ところで千影。お前、大丈夫なのか? 画像見た時はかなり顔顰めてたけど。」


「ああ、うん。多分あれが撮られたの事件が起こってすぐとかだったんじゃないかな? だからすごく強く匂ったけど、被害者の魂はもう送迎課が迎えに来てあの世に連れて行ってるだろうし、匂い自体は大分薄まってるよ。……完全になくなりはしないんだろうけど。」


風がその場に吹き抜けると時折ふわりと漂う匂いに瞳を伏せると、タブレットを小脇に抱え直して近寄ってきた燎がオレの手を取った。


「燎?」


きょとんとして名前を呼ぶと彼の唇が指先に押し当てられぴくりと指が震える。


「……っン」


同時に体が軽くなるのを感じて燎を見上げれば、チュッとリップ音を立て手の甲にも同じように唇を押し当ててから燎の唇が離れていく。


「……『あらゆる負の感情の中でも≪悲しみ≫は一番同調しやすい。』……前にお前が言ってた事だろ? あんま呑まれるなよ、千影。」


「……ごめん。」


僅かに眉間に眉を寄せた燎に謝ると額にも唇を押し当てられる。

それがどうしても心地よくて瞳を細めたところで、そう言えば、と改めて燎を見遣る。


課長の登場で有耶無耶になっちゃたけど、結局燎の機嫌が悪かったのって何でだったんだろ?


「あのさ、燎。」


「……千影」


オレの言葉を遮ると同時に腰に回された手でぐいっと体を引き寄せられハッとする。


ちょ、ちょっと待って、ここ人通りはないとはいえ、真昼間の公道!!


「かっ、燎!!?」


焦って声をあげれば、燎の大きな手が顎に添えられ掬いあげるように上を向かされる。


「…………あっ」


真直ぐに黒曜石の瞳と視線が絡み合い、小さく体を震わせると燎が目を細めた。


「……っ、燎……?」


「……さっきの事だけど、あいつらの前でああした事謝るつもりはねえからな。それに、別にお前にムカついたわけじゃないから、んな顔するなって。」


親指でオレの下唇をなぞりながら、ククッと喉の奥で楽しそうに笑う燎によく分からないけど何か揶揄われてる気がして少しだけムッとすると「お前本当分かりやすいよな。」と余計に笑われた。


う~~……解せない。


その時、こつりという微かな靴音と生者の気配にハッとして燎の胸をぐいっと両手で押した。


「ちょ、っ、に、兄さん!! ふざけてないで離してってば!!」


咄嗟にいつも生者を装う際の設定でそう叫べば、燎がすぅっと瞳を細めオレの腰を一回ポンと叩いてから離す。


オレと燎って外見年齢だけだと十歳以上離れてるように見えるから、『兄弟』って設定がいいんじゃないかって言いだしたのは確か瑛斗だった。

それにその設定なら多少距離感がおかしいのも兄弟ならではのじゃれ合いって事で誤魔化せるからとかで満場一致され、挙句課長から「その設定で行け」と言われているからそうしてるけど、オレ達全然似てないのにいいのかな、って気持ちも少しだけある。


「はいはい、こんなのいつもの事だろうが。いちいち騒ぐなよ、千佳ちか。」


『千佳』ってのは、さすがに生者の前で本名で呼び合うわけにいかないからって燎が考えてくれたオレの偽名。


うん、まあ「ちかげ」から一文字抜いただけなんだけどさ。


「いつもの事だって自覚してるなら家の中以外では控えてよ、りょう兄さん!」


ちなみに『怜』ってのはオレが考えた燎の偽名。

燎って字は「リョウ」とも読むし、呼びやすいからそうしたんだよね。


「……家の中ならいいのか。」


何やら顎に指をあててぶつぶつ言っている燎は放っておいて、こんなものかと肩越しに振り返るとそこにはどこかの学校の制服であろうブレザーに身を包んだ十五、六才くらいの焦げ茶色のミディアムショートヘアで、手に花束を持った少女が少しだけ驚いた顔をしてこちらを見つめていた。

彼女が着ている制服には見覚えがある。

確か、課長から渡された資料の中に添付されていた被害者達の画像のうちの一枚、三番目の被害者である女子高生と同じ制服の筈。


しかも、花束って事は。


ちらりと燎と目配せを交わせば、オレの考えを肯定するように燎が小さく頷いた。


……間違いない。この子、この事件の『関係者』だ。

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