1-5


 この世界に閉じ込められてから一ヵ月が経った。


「正宗さん、次はあっちのジェットコースターに乗りましょう!早く早く!」


 だけど、あの時とは違い、俺達の間に当初の悲壮感のようなものは一切無かった。勿論、外に出る事を諦めた訳じゃない。ただ、今はそんな事を考えるよりも一緒に居られる時間を大切にしたかった。

 たった二人の為に用意された遊園地で、俺達は指を絡ませ手を繋いで歩く。

 ……本当に、出会った時からは考えられないくらい仲良くなったなあ。ちゃんと彼女に向き合うって決めてから二週間。色んな事をして遊んだり、色んな所に出かけたり。時には恥ずかしい所も見せちゃったけど、毎日が楽しかった。


「ハイハイ。わかりましたよ、咲ちゃん」


 花が咲いたような笑顔で手を引く咲ちゃんに釣られて俺も微笑む。互いの声だけが流れる静寂に満ちたこの世界での生活を精一杯楽しめるように。


 ――だけど、こんな日々も終わりに近づいているのだと俺達は感じていた。


◇◆◇◆


 観覧車のゴンドラの内の一つに、肩を合わせて座る俺達。


「今日もいっぱい遊びましたねー」


 そんな事を言って体を弛緩させて、こちらにくてーともたれる咲ちゃん。俺は体はなるべく動かさないようにして、開いた右手で咲ちゃんの頭にぽんぽんと手を置いた。


「どうしたの?今日はやたらと甘えてくるけど」

「そうしたい気分なんですー」

「そういうもんか。ほれほれ、うい奴めー」

「えへへー」


 そのまま髪を空くように頭を撫でる。咲ちゃんは気持ちよさそうに目を瞑り、成すがままにされていた。

 なんというか、こんなに無警戒な所を見ると本当に信頼してくれているんだなって実感できる。もしかしたら手を出してこないヘタレか性欲が無いとか思われているかもしれないけど……うん、それは無いだろう。未だキスもしてないのに、そこそこ恥ずかしい事はしちゃったし。

 ま、それは置いといて。そろそろ俺も腹括らないとな。

 一呼吸して、口を開く。


「あのさ、咲ちゃん」

「なんですー?」

「好きだ」

「…………ふぇっ!?」


 驚いた咲ちゃんががばっと顔を上げる。


「……そんなに意外だったか?」

「いや、まさか今このタイミングで言われるとは思っていませんでした」

「うん。俺もこんな所で言うつもり無かったんだけど、なんだかこう、甘えてくる咲ちゃん可愛いなーって思っていたら勝手に口から出てた」

「もう!告白するならしっかりして下さいよ!」


 ……怒られてしまった。しょぼんとしていると咲ちゃんが戸惑いながらも此方の目を見てこう言った。


「えっと、それでその、す、好きって本当に、ですか?」

「そうだけど。やっぱり信じられない?」

「だって、正宗さんいっつも私の事、年下としか見てなかったような気がしますし、精々、妹の代わりくらいにしか思ってくれてないのかなーって思っていましたもん」

「あー……まあ、実際未だにどう接していいか分かんねーわ。現実で高校生が中学生に手を出すとかやべーなーってずっと思っているし、多分、妹に接するような感じになっちゃってる」

「……やっぱり」


 俺が苦笑混じりに言った言葉を聞いて、咲ちゃんはそう呟いた。


「でも、よくよく考えたら俺が誰かを好きになった事ってこれが初めてだからさ。別にこれが間違っているって思ってないんだよね」

「え?」

「咲ちゃんの事はすっごく可愛いなって最初に見た時から思っていたし、今は君の事を大事にしたいって思ってる。さっきみたいに甘えてくる時には愛おしいなって思ってるし、ドキドキする。きっとこれが好きって事なんだと思う」


 凄く恥ずかしい事を言っているような気がするけど、不思議と心は落ち着いていた。


「だから、俺は咲ちゃんの事が好きだ。大好きだ」

「う、あ……えっと、私、まだまだちっちゃくて、きっとここから出たら笑われちゃいますよ?」

「いいよ。もうその辺は吹っ切れてるから。ロリコンだって言われたって絶対離れてやるもんか。……それで、咲ちゃんはどう?」

「私は……私も、正宗さんの事が好きです!自分の事よりも私の事を先に考えてくれる所とか、いつも頼りになる所とか、一緒にいるといつも安心させてくれる、そんな貴方が大好きですっ!」


 勇気を振り絞り、自分の思いを言葉にする咲ちゃん。仮初の夕日に照らされたその姿はこれまでに見たどんな姿よりも魅力的に見えた。


「それでも、私なんかじゃ釣り合わないって思って、だから、こんな思いを自分から伝える事が怖くて……っ!?」


 それでも、自分を卑下しながら途中からポロポロと泣き出してしまった咲ちゃんを見て、ああ、これ以上泣かせたくないなと思った瞬間に体が動いていた。

 彼女を抱きしめ、言葉を遮るように口を自らの口で塞ぐ。唇と唇を触れ合わせるだけのソフトなキスだったが、咲ちゃんは大きく目を見開いただけで抵抗せずにそれを受け入れた。

 実際には十数秒だったのだろうが、体感ではずっと長くそうした後に俺は咲ちゃんから離れる。咲ちゃんはどこかトロンとした蕩けた目をしていた。


「はは、初めてのキスはレモン味だって聞いた事あるけど、そんな事気にしてる余裕なんてねーや。咲ちゃんはどんな感じだった?」

「……なんだか、ポカポカします」

「そっか。俺は今、すっごくドキドキしているけど、咲ちゃんが俺の事を好きだって言ってくれた事が何より嬉しい。だけど、咲ちゃんが自分の事を悪く言っているとなんだかちょっと寂しい。……ねえ、咲ちゃん。さっきのでもまだ、俺が君の事を好きだって信じられない?釣り合っているとかそんなの関係無しに、俺が君の事を好きだって思えないか?」

「……ええ、まだまだ信用できないです」


 その言葉の後に少しだけ言い淀んでから、咲ちゃんは手を広げてこう続けた。


「……でも、もう一度キスしてくれたら、もしかしたら信じられるかもしれないです」

「……ふふっ、りょーかい」


 顔を真っ赤にして、そんな事を言う咲ちゃんを見て、少しだけ嗜虐心がそそられる。素直になれない彼女の心をこじ開けたいという気持ちが生まれた。

 先程と同じように顔を近づけ、唇を合わせる。「ん……」という小さな声と共に目を瞑り、それを受け入れる咲ちゃんだったが……


「……んんっ!?」


 突然、咥内を進入してきた舌の感触に驚いたのか、くぐもった声を上げる。そんな彼女の様子などお構いなしに俺は彼女の咥内を舌でかき乱す。


「ひゃっ……や、ん……っ!」


 ぴちゃぴちゃという水音と咲ちゃんの喘ぎ声がゴンドラの内部に響く。拙い舌使いながらも咲ちゃんも気持ちいいようだ。やがて彼女の方からもチロチロと舌を絡ませてきた。

 やがて息が続かなくなり、名残り惜しいが舌を引っ込める。


「ぷは……ねえどう?これでもまだ満足できない?」


 ちょっと意地悪にそう聞く。


「あ、う……駄目ですよ、こんなのぉ……こんな大人のキス、しちゃいけないのにぃ、正宗さんはズルすぎですよぅ……」


 頬を上気させ、目を潤ませてたどたどしくそう話す咲ちゃん。……ヤバい。自分でやっといてなんだけどやり過ぎたかな?

 そう思っていると丁度、観覧車も地面に近づいていた。


「あ、ドア開いたし、続きは家に帰ってからでも……」


 助かったと思い、外に出ようとして……


「……待って、ください。さっきのは、ノーカン、です」


 俺の服の裾をギュッと握って、咲ちゃんがそれを阻んだ。


「ノーカン」

「そう、ノーカンです。さっきのじゃ満足できません、です」

「満足できない」

「はい。だから……私が何も言えなくなるくらいに、もっといっぱい、さっきの大人のキスをしてください」


 咲ちゃんのその言葉と同時にゴンドラの扉が自動で閉まり、降りるタイミングを失ってしまった。


「……扉、閉まっちゃったね」

「これでもう私、何されても逃げれない、ですね」


 そう言って、には、とはにかんだ咲ちゃんの表情を見た瞬間、プツリと最後に残っていた理性の糸が切れた。


「……もう我慢しないから」

「ひゃあっ」


 ……結局、ゴンドラから出たのはそれから六周程、観覧車が回った後だった。


◇◆◇◆


 今から語るのは全部が終わった後の後日談というやつだ。


 あの告白の日から三週間程、爛れ……コホン。健全な男女の付き合いをしていた俺と咲ちゃんは遂にあの空虚な電脳世界から現実の世界に戻ってきた。どうして、俺達があの世界に閉じ込められたのかについてはここでは割愛させてもらう。ただ一つだけ言える事があるとすれば、「よくこんな事やろうと思ったな。馬鹿なんじゃねえの」という呆れた感想だけだ。

 何はともあれ、現実世界に戻ってきた俺達だったが、此処で問題が起きた。咲ちゃんが中々、俺の傍から離れなくなってしまったのだ。……まあ、あんな閉鎖空間で体感で二か月間弱も一緒に過ごしていたから、仕方ないっちゃ仕方ない事だと思うけど。それにそれだけ愛されている事は俺からしても嬉しい。

 この問題を解決すべく、お互いの家族と話し合って決めた事が……


「正宗さーんっ!」


 双葉ケ丘中学校の校門前、通りすがる中学生達の奇異の目線に晒されながらも大人しく待っていた俺の胸に制服姿の咲ちゃんが飛び込んできた。


「ああー……八時間振りの正宗さんだー……もっとギュッてしてー」

「ハイハイ、家に帰ってからな」


 ぐりぐりと頭を胸に摺り寄せて、そう言う咲ちゃん。思いっきり抱きしめて、なんならキスまでしたい所だったが、流石に人の目もあるのでグッと堪え、頭を撫でるだけに留める。


「やあやあ、終身名誉ロリコンお兄ちゃん。相変わらず凄い愛されようだねえ」


 少し遅れて、校舎の方から一人の少女が声を掛けてくる。


「おう、妹よ。その不名誉なあだ名を外で口にするのは止めなさい」


 その少女は俺の妹の大江 柚(ゆず)葉(は)だった。

 ……これは現実世界に戻ってきた時に判明した事だったのだが、なんと咲ちゃんと妹は小学校からの親友だったらしい。意外と世界は狭いものだ。

 それはとにかく、とんでもない事を往来で口にした妹をやんわりと嗜める。


「いやいや、私の気持ちも考えてみてよ。一日、目を離しただけで、友達がどっぷり男に依存しちゃってて、お兄ちゃんはロリコンになっていたんだよ?それに毎日毎日、目の前でイチャつかれているんだよ?文句ぐらい言ってもバチは当たらないと思うんだけどなあ」

「すみません、その辺で勘弁してください……!」


 だが、ハイライトの消えた目でそう言われると、此方としては弁明のしようが無かった。言っている事は大体合っているので俺にできるのはただ平謝りする事だけだった。


「ゆ、ゆずちゃん。そんなに怒ると政宗さんが可哀想だよ」

「咲もお兄ちゃんにベタベタし過ぎだよ!もう少しその溢れる愛情を抑えなよ!それとも、生まれてからずっと独り身の私をバカにしてるのかーっ!」

「そ、そんな事ないよ!でも……」


 そんな俺を見かねたのか、咲ちゃんが柚葉を宥めるが、今度は咲ちゃんに怒りの矛先が向いた。

 慌てて弁明する咲ちゃんだったが、途中で柔らかく微笑んでこう言った。


「政宗さんと一緒にいるとそれだけで胸がポカポカするの。とっても暖かい気持ちになれて、幸せだなあって思えるんだー」


 幸せオーラをポワポワと纏った咲ちゃんを直視して、精神ダメージからガックリと柚葉は項垂れた。

 

「あー……ダメだ。甘過ぎる。砂糖吐きそう。本当にお兄ちゃん何やったのさ。あの時の純朴だった咲を返してよ……」

「すまない……本当にすまない……」

「むー、何ですか、二人して。私、変な事言いました?」


 俺たちの様子を見て、不思議そうに首を傾げる咲ちゃん。くそう、ホント咲ちゃんは可愛いなあ!

 

「まあ、いいです。さあ帰りましょう!」


 俺たちの様子を訝しみながらも咲ちゃんは俺に抱き着くのを止めて、代わりに手を握る。

 両親公認の仲になった俺達は、咲ちゃんの事もあり、お互いの家に交互に泊まるようになっていた。

 どんどん逃げ道を防がれているような気もするが、幸せだから問題は無い。


「はあ、まったく……お兄ちゃん。ちゃんと咲の事大切にしてあげてよね。お兄ちゃんはどうしようもないロリコンになっちゃったけど、それでも、私の自慢のお兄ちゃんになら私の親友を任せられるからさ」

「任せろって」


 小声でそう言う柚葉に、頷いて言葉を返す。

 あの『箱庭』での誓いを俺は絶対に忘れない。頼まれたって咲ちゃんの手を放してやるもんか。

 そんな思いを胸に、笑顔で手を引く咲ちゃんの隣に並んで帰路についた。


 正直、今でも愛が何か、恋がどんな物なのかなんてはっきりとは分からない。でもそれでいいのだと思う。お互いがお互いの事を大切だ、好きだと思っている事こそが重要なのだ。

 俺が『箱庭』で咲ちゃんと出会い、出した答えだ。この答えを大切にして俺はこれからも咲ちゃんの隣で生きていこうと思う。


 ――俺と咲ちゃんが巻き込まれた『箱庭』に関する話はこれでお終い。これから続いていくのはどこにでもあるありふれた恋の話だ。


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イヴの箱庭 Ni @KINO7749

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