1-4


「……結局、二時間しか眠れなかった」


 むくりと起き上がりそう呟く。最近は生活リズムが完全に乱れきっていたのに、今日は(妹じゃない)女の子の使っていたベッドで寝るという体験から動揺して、いつもの起床時間である6時に目が覚めてしまった。


「……よし」


 折角、早く目が覚めたんだ。二度寝するのも勿体無い。若干、眠気は残るが、うんと伸びをしてベッドから出る。勿論、隣でぐっすり眠っている咲ちゃんは起こさないようにして、だ。

 ベッドの隣に置きっぱなしのパソコンを操作して必要な物を冷蔵庫に送ると、一階のリビングに下りる。


「――♪」


 送ったのは調理前の食材だった。

 口笛を吹きながら、それらを調理していく。朝食という事で簡単なものしか作っていないが、手際良く調理できている事に自分でも驚く。結構長い間サボっていたから腕は落ちていると思ったんだけど。


「うし、完成っと。さて……」


 御飯に、味噌汁。ベーコンエッグにサンマの塩焼き。そして、大皿にサラダを盛り付ける。

 何処にでもある普通の朝食。それを此処でも作れた事に、俺は何故かとても安心していた。

 用意した朝食は当然2人分だ。未だ降りてこない咲ちゃんを起こしに行こうとしたその時、丁度階段を誰かが降りてくる音が聞こえた。


「……ふあぁ、おはよー、おかーさん」

「おはよう、咲ちゃん」

「ふぇ……?…………っ!?!?」


 完全に油断しきった表情で寝惚けた事を言いながら、部屋に入ってきた咲ちゃんを見て、ニヤニヤと笑いながら返事をする。

 声を聞いてコシコシと目元を擦り、俺の顔を見て数十秒の後に、咲ちゃんは顔を真っ赤にして、声にならない悲鳴を上げた。


「さては朝によえーな、おめー。ま、俺はかわいいから別に良いと思うけど」

「忘れて下さいっ!!うう……正宗さんはズルいですよう……私ばっかり恥ずかしい所見られてるじゃないですかあ……」

「いや、咲ちゃんのは殆ど自……まあ俺一応、年上だし。多少はカッコ良い所見せないとだから……」


 咲ちゃんが勝手に自爆しているだけなのでは?と言いそうになったが、慌てて踏みとどまる。真っ赤になった顔を膝に埋め、三角座りで不貞腐れている咲ちゃんに追い打ちを掛けるのは流石に可哀想だ。

 暫くすると、咲ちゃんはいじけながらも此方に顔を向けてこう言った。


「……そこにある料理って正宗さんが作ったんですか?」

「ああ。折角、早起きしたからな」

「料理出来たんですね……あの、私も食べていいですか?」

「もちろん。その為に作ったんだから、冷めないうちに食べよう」


 席に着いて「いただきます」と挨拶をする。そして久し振りのまともな食事を口にした。


「美味しい、です。それになんだか懐かしい味です」


 咲ちゃんは顔を綻ばせてそう言った。


「そっか、それなら良かった。なんせ料理するのは二週間振りだったから不安だったんだ」

「二週間って事は普段から料理しているんですか?」

「うん。親が離婚しちゃったから、うちには私生活がだらしない父さんと甘えたがりの妹しかいなくてね。家事全般はもっぱら俺の仕事なんだよ」

「ふーん……なんだかしんどそうですね」

「そうでもないよ。そりゃちょっと前は面倒くさいなぁとか思っていたけどさ、久し振りにやったら意外に楽しいんだな、これが。……それに咲ちゃんも美味しそうに食べてくれるしね。作り甲斐があるってもんさ」

「そ、そうですか。へー、そうなんですかー」


 咲ちゃんが俺から目を逸らす。食べている所をジッと見られるのは恥ずかしかったらしい。


「もう、やっぱり正宗さんはズルいですよ。女の子を言葉で弄ぶなんて最低ですっ。ドキドキさせられるコッチの気持ちも考えて下さい」

「はは、わりーな。でも咲ちゃん口説く為なら何だってやるってもう決めちゃったからなー。その調子でどんどんドキドキしてくれ」

「口説っ……!?うー……そんな事サラッと言わないで下さいよ」

「もう吹っ切れたからなー」


 此方をジトーと見る咲ちゃんに乾いた笑みと共にそう答えた。

 そのまま時間は過ぎ、食事を終えた時に咲ちゃんが話を切り出した。

 

「あの、正宗さん。私にも料理を教えてくれませんか?」

「いいよ。どうせ他にやる事も全然無いしな。元の世界に帰った時に、周りに自慢出来るくらいにはきっちり叩き込んでやるよ」

「ふふっ、よろしくお願いします、先生っ!」


 咲ちゃんは肘を曲げて、ビシッと顔の前に右手を当て敬礼のようなポーズをとった。

 柔らかに微笑む彼女と目を合わせた俺も思わず微笑みをこぼした。


「今日はこれからどうします?……あ、先に言っておきますけど、1人で遊びに行くのはもう無しですからね」

「分かってるって。時間も一杯あるし今日は外に出ずに一日中、ゲームでもしない?」


 そう言って俺は、テレビとそれに繋がれたゲーム機を指さした。


◇◆◇◆


「ていっ!やあっ!そこっ!」


 可愛らしい掛け声と共にテレビの画面の中でファンシーなクマの着ぐるみのような見た目のキャラクターが躍動する。

 

「フハハ!甘いわー!」


 だが、大振りのパンチを避けられて出来た隙に、俺が操作する青年のキャラクターがコンボ攻撃を叩き込み、最後は必殺技を食らって、クマのキャラクターは哀れ、爆発四散してしまった。


「ああっ!クマキチー!」


 悲痛な声が響き渡った。咲ちゃんは涙目で俺に抗議する。


「ひどい!ひどいですよ、正宗さん!クマキチが可愛そうですっ!」

「悲しいけどこれ、格ゲーなんだよね。恨むならば、自分の弱さを恨むのだ」

「う、ううっ……ごめんねえ、クマキチぃ……」


 そう言ってコントローラーをギュッと握りしめる咲ちゃん。……何だろう。咲ちゃんを見てると心がムズムズする。これは……喜びの感情?馬鹿な。まるでこれでは俺が格ゲーを触った事がない咲ちゃんをカモにしてイジメているみたいではないか。


「大体、正宗さん強すぎですよう。何ですか、あの動き。絶対、私に教えてない事一杯ありますよね」


 マズい。俺が初心者狩りをしていた事がバレそうになってる……!

 咲ちゃんの非難するような目線で心が痛い。たまらず、俺はこう提案した。


「あ、アハハ……全然勝てないんじゃ咲ちゃんも楽しくないだろうし、今度はこっちのゲームやらない?」

「むー、逃げましたね……でもいいです。そっちのゲームなら私もやった事ありますし、今度こそ私の勝ちです!」


 俺が次に取り出したゲームソフトは国民的ゲーム作品シリーズのキャラクターを操作するアクションレースゲームだ。流石にこちらは咲ちゃんもやったことがあるらしく、意気揚々とコントローラーをブンブンと振る。

 設定は自分達以外は全てCPUにして、カートは設定するのが面倒なのでデフォルトのまま、キャラクターとレース中に使えるアイテムは自由という形になった。

 咲ちゃんが選んだキャラクターはデフォルメされた竜のキャラクターで俺が選んだのは主人公のキャラクターだ。

 キャラクターを選んでレースは始まった。


「いけー!」

(あっ、咲ちゃんレースゲームやると体も一緒に動いちゃうタイプの人かあ。可愛いなあ)


 ……のだが、咲ちゃんの動きが気になっていまいち集中出来なかった。一々、可愛いんだよなあ……

 咲ちゃんが一位のまま、ファイナルラップに入る。そのファイナルラップも中盤に入ろうとした所で勝ち誇るように口を開いた。


「ふふふ……もうこの位置からでは正宗さんの逆転は不可能!どうです、見ましたか私の実力を!」

「うん、画面に合わせて体動かしちゃうの可愛いね」


 レースよりも咲ちゃんの動きに集中していた俺はその言葉に思わず本音を漏らしてしまった。


「ふぇっ!?」

「あっ……」

「ああっ!ヨッチイイイイ!」


 動揺したのか咲ちゃんの操作するキャラクターは眼前のカーブとは真逆の方向にハンドルを切り、谷底に落ちていった。

 結果、CPUが1位というなんとも締まらない結果になる。


「ううっ……正宗さんのきちく!げどう!おにー!折角勝てそうだったのにー!」

「悪い。考えてる事そのまま口に出しちゃった☆」


 おどけてそう言うと、プチンと何かが切れたような音と共に咲ちゃんが静かに嗤いだした。


「ふふ、ふふふ……そうですか。あくまで自分は悪くないと仰りたいのですね。それなら私にも考えがあります――!」

「えっ、ちょっ、なんで近づいて――えっ?」

「どうです!これなら私は体を動かせないでしょう!」


 俺は突然ユラユラとした動きで此方ににじり寄る咲ちゃんにじりじりと追い詰められ、ソファに背が当たって逃げ道を失う。

 咲ちゃんはそんな俺の膝と膝の間に体を滑り込ませ、俺の体を背もたれにして密着した状態で「してやったり!」といったドヤ顔でそう言い放った。


「あのさ」

「……なんです」

「引っ込みがつかなくなったんだろうけど……これすっごく恥ずかしくない?」

「……恥ずかしくてもやるんですっ!」


 ……直後、自分の行動が恥ずかしくなったのか、顔を真っ赤にさせて俯いたのだが。


「まあ、そういうならいいけどさ……あ、でもこれ思ったよりやりにくいな」

「あっ、じゃあやっぱり……」

「ま、やめないけどねー」

「正宗さん絶対私をからかって楽しんでますよね!?」

「そんなことないよー」

 

 生返事でお茶を濁す。その後も「うー……」と唸りながら、借りてきた猫のように大人しくしている咲ちゃんを腕の中に収めたままゲームを続けた。


◇◆◇◆


 チャポンと水滴が落ちる音が響く。


「……確かに『もう一人にしない』って言ったけどさあ、水着着用とはいえ混浴はいけない事なのでは?」

「いーんですっ!あんな恥ずかしい事した後なんだから、もう私に怖い物なんてありません!」

「いや、さっきのなんかよりよっぽど恥ずかしいとおも……ハイ、なんでもないです」


 俺達は家庭用の小さなお風呂に向い合わせになって入っていた。

 いくら咲ちゃんが小さいとはいえ、流石に二人で入ると狭い。必然的に水の中で素肌がかなりの面積で触れ合っていた。

 フリルで胸元を隠した黒のビキニタイプの水着だけを身に付けた咲ちゃんに流石にこれはどうなんだ?と問いかけると、逆上せているのかと思うほど真っ赤な顔でフシャーと睨み付けてきた。

 個人的には眼福だし、女の子の体ってやっぱり柔らかいなあと実感できて最高なのだが、そんなに長風呂はしない方がいいだろう。じゃないと咲ちゃんが本当に逆上せかねない。まったく、そんなに恥ずかしいなら止せばいいのに。

 というか、正直言うと、俺も色々我慢するのがしんどい。咲ちゃんは水着を着ていて、完全に裸を晒している訳では無いのだけれど、明らかに本来の用途からは外れている。

 この倒錯的な状況に俺は劣情を催さずにはいられなかった。


「……なんだか、あったかいですね」


 頭の中で素数を数え、なるべく何も考えないようにしていると、咲ちゃんがそう言った。


「?……そりゃ風呂に入っているんだからあったかいに決まってるだろ?」

「そうじゃないですよー。まったくもう、正宗さんは鈍感ですねえ。こうやって二人で一緒の時間を過ごしていると、それだけでこんなに寂しい世界でもとってもあったかい気持ちになれるって事です」

「……それならわかるよ。今日、すっげー贅沢な時間の使い方したなーって思ってたもん。今まではなにかしてないと落ち着かなかったからって無理矢理遊んでいたけど、今日は本当に楽しかった」


 咲ちゃんの言葉を聞いて、俺は安心した。二人でいる事に安心感を覚えていたのが俺だけでは無かったという事が嬉しかったからだ。


「だからさ、明日もまた一緒に遊ぼう。此処はたった二人ぼっちのつまんない世界だけど、きっと二人だったらどんな事だって楽しめると思うんだ」

「くすっ、そうですね。例えばこんな事も……」

 

 そう言うと、咲ちゃんは俺の体にぴとりと寄り添う。未だ成長途中ながらもしっかりと自己主張しているぷにぷにと柔らかな胸が腕に押し付けられる。


(……いや、きっと何も当たっていない。無心だ。一時の感情に流されるな!)

「……むー、もう少し慌ててくれてもいいじゃないですか」

「妹もよくこんな感じで引っ付いてくるからなー。可愛くていいと思うよ、うん」

「ちょっとー、ちゃんと私の目を見て言って下さいー!」

「バカ!いくら妹で慣れていたって家族以外の女の子にこんな格好で引っ付かれてドキドキしない訳ないだろ!必死に我慢しているんだからあんまり誘惑しないで下さい!」


 思わず本音が出てしまった。このままだと本当に洒落にならない事になりそうだ。目を瞑り、今度は7の倍数でも数える事にする。


「そ、そうですか。……なんだ、ちゃんとドキドキしてくれているんですね。えへへ……」


 必死に煩悩と闘っていた俺には、咲ちゃんが最後に小声で何を呟いたのかを聞く余裕は無かった。

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