1st. JUST A DAY ―束の間の平穏―
クレイ1. 少年の新しい日常
サミニアではほとんど雨は降らない。
今日もまた乾ききった地面は太陽に炙られる。植民地時代の残骸ともいえる、崩壊しかけの建物が、地に真っ黒な短い影を落としている。ちらほら見える露店から、生気のない目がぼんやりと遠くを見ている。
老人はそんな疲れ果てた貧民街を、猫車にガラクタを積んで歩いていた。スラムのゴミ山から金属や使えそうなものを拾ってきて売ることが、今の老人の生活の支えであるのだ。意識的に大きく溜息をこぼす。
サミニアで生まれ、サミニア以外を知らずに生きてきたが、こんなにも国民が疲れ果てている国はそうそうないだろう。治安軍とか、政府とか、イフリートとか、正直どうでもいい。この生活を変えてくれるなら、過激派だろうが独裁政治だろうがなんだっていいのだ。
考えても仕様のないことを考えながら歩き続ける。
「おい」
下を向いて歩いていると、横から突然声をかけられた。顔を上げると、いつの間にか二人の子供が隣に立っていた。
「ソヘール南地区32の5番地ってどこだ」
呆然としていると、長髪の方の子供は淡々と問うてきた。慌てて聞き返す。
「なんだって? もう一度言いなさい」
「だぁから、南地区32の5番地はどこだっつってンだよ」
器量の良さに比べて、随分と口が悪い。それにこの子供は何と言った?
「32の5番地だって? お前、そりゃあ誰かの使いかい?」
その住所にはあまりいい噂を聞かない。住所というよりは、そこに住んでいる人物についてだが。
「ンなことおっさんにはどうだっていいだろ」
「使いパシリだってあそこは子供の行くところじゃねぇや。俺が教えたことでアンタらが大変な目に遭っちゃあ目覚めが悪い。それに、俺だってアイツにゃ関わりたくないんでな」
包み隠さず本心を告げると、長髪の子供は射るようにこちらを睨んできた。
「あ⁉ いいから教えろっつーのこのクソジジィ―――!」
『や、やめなよ!』
今まで黙っていたもう一人の子供が、今にも殴りかかりそうな長髪の子供の肩を掴んだ。外套のせいで気づかなかったが、その手はこの国で見かけない、透きとおるような白色をしていた。外套の奥から、気遣わしげな英語が紡がれる。
『む、無理に聞かなくてもいいじゃないか、他を当たろう、ね?』
『メンドくせぇんだよ。聞けるなら聞いときゃいいだろ』
『でも、何か訳がありそうじゃないか!』
長髪のほうも当たり前のように英語で会話をしているものだから、老人はひとり目を丸くした。
「おい、アンタら一体――――」
言いかけたところで、大きな風が通り過ぎて行った。砂埃が舞う。
『あ―――!』
外套の子供の、顔が見えないほど深くかぶっていたフードが外れた。太陽にさらされた金糸の髪に、少しくすんだ青い瞳。
それらすべての印象がかすんでしまう程に大きな、真新しい顔の火傷。
少年は慌ててフードをかぶり直すと、呆れたように目を細める長髪の子供の影に隠れた。
「おい、アンタら―――」
「質問はナシだ。場所を教えろ」
有無を言わさぬ調子になった子供は、まるで年に似合わない冷たい表情をしていた。老人はしばし迷った挙句、渋々道順を教えることとなった。
言うまでもなく、老人が出会った二人の子供とは、イフリートから逃げ出した少女ラシェッドと、巻き込まれる形で家族を失った少年、クレイである。
彼らは先の大規模デモでの戦闘で生き残り、首都ソヘール、その郊外に逃げてきていた。そして今、ある住所を頼りに貧民街を歩いている最中だったのだ。
二人がこの住所を探すことになったきっかけは、つい前日の出来事にある。
*
タン! タン!
突き抜けるような青空に、銃声が弾ける。
「へえ、少しはモノになってきたんじゃねえの?」
「そ、そう?」
「まあ、当たってねえけどな」
「う……」
ラシェッドが肩をすくめ、そっぽを向いて言った。クレイは構えっぱなしだった銃を下ろし、数メートル先のドラム缶に立てられた酒瓶を見つめた。割れるどころか、かすりもしない。
ここ数日、クレイはラシェッドに銃の扱いを教わっていた。
もちろん戦うためではなく、彼女の足手まといにならないための護身術として、だった。何かあるたびにラシェッドに頼りきりでは彼女の負担が重すぎるし、何よりクレイ自身、守られっぱなしは情けないと感じているのだ。
――ラシェッドと一緒にいるためには、自分のことくらい自分で守れなくちゃ。
そしてあわよくば、彼女を助けられるようになりたい。ちっぽけとは言え、クレイにだって男としてのプライドくらい、まだ残っていた。
だが、決意とは裏腹に技術はそう簡単に身につかない。
「僕も射撃はしたことあるんだけどなあ……」
「俺としちゃあ銃の仕組みから教えずにすんで助かったけどな。てっきり平和ボケした坊ちゃんは水鉄砲も射撃の一つと勘違いしてるって思ってたからよ」
あんまりな言いようだが、クレイはそれが彼女の軽口だとわかっている。そしてそういう時の彼女は、遠回しに、本当にものすごく遠回しに、こちらを気遣っているということも分かっている。
「何ニヤついてんだよ気持ち悪ぃ」
知らず上がっていた口角を慌てて下げる。なんでもないとごまかして、クレイはまた銃を構えようとした。
「おい、それもう弾入ってねぇンじゃねえの?」
「あ……ホントだ」
「じゃあ今日は終いだな。あのビンとってこいよ」
言われるままに酒瓶を持ってくる。クレイは脱いでいた外套を羽織り、深くフードをかぶった。
「あ、銃ありがとう」
ついうっかりポケットに入れてしまった銃を彼女に手渡そうとする。するとラシェッドは納得いかない面持ちでクレイの手もとに視線を落とした。
「お前が持っとけって言ってんだろ」
「いや、まだ僕はいいよ」
必要に駆られた時、どうしてもの緊急事態以外では、持たないようにしておきたかった。
一度銃に頼ってしまえば、もうこれなしでは生きていけなくなる。そうなってしまうことがクレイは怖かった。あくまでも自分の命、もしくは目の前の少女の命が危険にさらされた時の最終手段としての存在にしておきたい。
「持ってなきゃ意味ねぇだろうが」
「今は持ってなくても大丈夫だよ。ちょっとチンピラに絡まれるくらいなら、逃げられるようにもなったし、多少の護身術も君に教えてもらってるし」
そう、クレイがラシェッドから教えてもらっているのは銃の扱いだけではないのだ。生きるにあたって、どうやってこの国土の半分が無法地帯のような国で生きていくか、対処法もそれなりに身につけつつあった。
「………ま、前よかマシになったけどよ」
それでも何か言いたげな少女に、クレイは困ってしまう。いつまでも彼女の庇護を受けるわけにもいかないが、かといって安易に武器を握りたくはない。
「―――わぁったよ好きにしろよ。どうせ今のお前が持ってても何の役にも立ちゃしねンだ」
観念したようラシェッドは両手を軽く上げた。そしてようやく、クレイの手から拳銃を受け取り、こちらに背を向けた。
少し申し訳なく思いながらも、クレイはほっとして彼女とともにその場を去ろうとした。しかし、ラシェッドは身に着けていた指貫グローブをはずし、ぽきぽきと指を鳴らし始める。そして何やらウォーミングアップでもするかのように軽く手足のストレッチをしだした。
「あの………?」
「だぁれが帰るっつったよ? 銃に頼らねぇならもっと身のこなし軽くしろっつーの、っと!」
「うぉあっ⁉」
いきなり回し蹴りである。空を切った彼女の足がきれいな弧を描いて着地する。間一髪で避けたクレイは後ろに倒れそうになり、あわてて体勢を整えた。
ラシェッドのほうはすでに構えていた。自然、クレイの表情も引き締まる。
「あ」
「え?」
と、ふいにラシェッドが思い出したように言い放った。
「これ終わったら腹筋、スクワット100回ずつな」
「きっ、昨日までは80回だったよ⁉」
「うっせ、本当は最初から200回はするつもりだったんだ。お前に合わせてやってんだよっ!」
「待って上着脱ぐから…わあぁ!」
クレイが強くなるには、まだ時間がかかりそうだ。
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