クレイ18. 征く者、残る者

 そして翌朝。


 クレイとラシェッドは静寂に包まれた夜明けの裏通りを、肩を並べて歩いていた。フードの中からチラッと隣を覗くと、ラシェッドはまだ複雑な表情を受かべてタバコを咥えている。


 昨日、アザムから知らされたのは、とある人物が町のはずれに逃走用の車を用意してあるということだった。クレイはなんとなく合点がいったのだが、ラシェッドはその人物がかかわるなどと思ってもみなかったらしく、昨晩からずっと何かを考えているようだったのだ。


 ――単純にラシェッドが大事なだけだと思うんだけどなぁ………


 なかなか人の好意に気づけない彼女をじっと見ていると、ラシェッドが小さな路地に入った。クレイも彼女に続く。しっかり教えられた道順を覚えているらしく、その足取りは迷いがなかった。


 路地を抜けた先は、錆の目立つフェンスで囲まれた場所だった。その先は荒野が広がっており、随分と前に整備されたようなガタガタの道路が続いている。


「ここ、だよね……」

 隣を見ると、ラシェッドはクレイの言葉が耳に入っていないようで、その目を一点に向けていた。


 少し先のフェンスが途切れたところに、古びたトラックが止めてあった。そしてその脇で誰かを待っているような人影が二つ、こちらに気づいた。


「あ、来た来た。おーい」

 以前会った時と同じく、抑揚のない口調でセイフが手を振り、車椅子を押してこちらに歩んできた。車いすに座るカーレッドは、タバコをふかしてこちらを見つめている。


「ら、ラシェッド?」

「……」


 無言で吸殻を放り投げると、彼女は待ちきれないように彼らに近づき、無表情で質問した。


「何でお前がここにいンだよ」

「アザムから聞いただろう?」

「ちげーよ。何でこんなことするんだ。オレがイフリートを逃げ出した時点で、お前がオレにかかわる理由はない」


 カーレッドは表情の読み取れない左目でラシェッドをみて、口の端を上げた。

「それは、お前が私の娘だからだろう」

 娘、という言葉に引っ掛かりを覚えたのか、ラシェッドがあからさまに顔をしかめた。


「オレはお前のガキじゃねぇ」

「だが私はお前の親のつもりだったよ」

「……意味わかんねぇ」

「特に深い意味もないさ」


 つかみどころのないことを宣うカーレッドを見て、ラシェッドの不機嫌そうだった表情が何か言いたげなものに変わった。


「……お前、どうすんだよ」


 澄み切った早朝の大気に紫煙を吐き、カーレッドは答えた。

「私はイフリートのトップだからな。そろそろこのバカげた争いにケリをつけなければいけない」

「そうじゃなくて、一緒に……」

「ラシェッド」

 彼は子どもをなだめるように、優しく言った。


「私の体じゃ無理だ。足手まといになるだけだ」


 ラシェッドが言葉に詰まったように口を閉じた。ふと視線を落とすと、彼女が細い手をぎゅっと握りしめていた。


「じゃあ、セイフも……」

「無茶言うなよ」

 今度はセイフが彼女の言葉を遮った。

「オレが今更一般人になるとか、ムリ、超ムリだから。それくらい分かるだろ?」


 言葉を詰まらせたラシェッドに、カーレッドが苦笑した。

「お前は賢い。私が組織から消えてしまえば、兵士が何をしでかすかくらい、想像できるだろう? 私は無理だ。それに」


 彼はクレイの方へと目を向けた。唐突だったので、クレイは何故か緊張してしまった。


「お前には、彼がいるだろう? 行ってこい」


 ラシェッドは一瞬たとえようもなく悲しそうな顔をしたが、すぐにいつもの冷めた目つきになった。


「…………そうかよ」

 呟いて、ラシェッドはつかつかとトラックへと歩いて行ってしまった。


「あ、やべ、忘れてた」

 思い出したように、セイフが腰につけていたポーチをクレイに手渡した。

「これ首都までの地図だから。英語だし読めるよな」

「え、あ、はい。……ありがとうございます」


 トラックに乗り込む彼女を眺めながら、クレイは生返事をした。


「行かないのかい?」

 呆然と立ち尽くしていたクレイは、カーレッドの呼びかけで我に返る。


「えと、本当に……いいんですか? その、僕はあなたが一緒でも全然迷惑じゃないです。あ、足手まといとか……」

「君は優しいね」


 タバコを口から離して、彼は目を細めた。そして精悍な表情になると、きっぱりと言った。


「だが、いいんだ。私はイフリートに残ってやらなければいけないことがたくさんある。罪を問われることを恐れて、うやむやに争いを続けることはもう終わりにしようと思う」

「じゃあ、あなたは………」

「――――クレイ‼」


 トラックから顔を出したラシェッドに呼ばれ、クレイは言おうとした言葉を飲み込んだ。その様子を見て、カーレッドは言葉を続けた。


「私も変わるために、ケリをつけたい。……そう思わせてくれたのは、君たちだよ」

「………」

 穏やかに告げたその男に、クレイは驚きで何も言えなかった。カーレッドは深く呼吸をしたのち、ゆっくりと言った。


「あれを頼むよ、少年」

 光すら吸い込むような暗黒の左目が、優しく、そして少しだけ寂しそうに細められた。


「―――はいっ!」


 それがとても切実な願いのように聞こえて、クレイははっきりと返事をすると、トラックへと駆けだした。

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