クレイ17. 名誉の傷
センタータウンでの大規模デモは、サミニア史上最も死者を出したという「革命の犠牲」に次いで、一般人を巻き込んでの大規模な抗争としてすぐに国中に知れ渡った。
デモから五日たった今では町は再生への準備に追われ、甚大な被害を受けたイフリートもしばらくは鳴りを潜めるだろうと言われている。加えて、イフリートほどでないにしろそれなりに大きな被害を受けた治安軍もまた、活発な活動は今後しばらく行えないだろうと予想された。一般人の被害も、幸い死者はあまり出なかったものの、それでも百人を超える死傷者が出ており、政府や海外から派遣されたNGОの団体がいつになく活躍しているのがよくみられる。
「おはようございます、アザムさん」
「やあクレイ君! 調子はどうだい?」
地下室へ足を運ぶと、わざとらしい笑みを浮かべたアザムが書類の山から顔をのぞかせた。クレイはすっかり見慣れた物騒な代物の数々を無視して、アザムの定位置である業務用机の前に立った。アザムは老眼鏡をかけ、新聞に目を通しながら訊ねた。
「どうしたんだね、地下室まで来るなんて珍しい」
「ラシェッドの包帯が切れちゃって……その、まだありますか?」
「ああ、そういうことかね」
偉いねぇ、と呟きながら、アザムはどこからか大きな救急箱らしきものを取り出し、包帯をくれた。
「君のはまだあるのかね?」
「はい、ありがとうございます」
包帯だけ受け取ると、クレイはお礼を言って地上に上がった。
五日前、アイマンを倒して無事に火事から脱出できたものの、二人とも帰り着くころにはひどいありさまとなっていた。最初からそうなることを予想していたのか、アザムは医者と名乗るどう見ても怪しい人物を地下室に入れていた。休む暇も無く手当てを受けることになった二人が一息つくことができたのは、もう朝日が昇るころになってからであった。
「ラシェッドー。包帯もらって……あっ、ダメじゃないか! ちゃんとベッドに入ってなきゃ」
二階に上がると、布団から起き上がって銃の手入れをしているラシェッドの姿があった。どうやら着替える気だったらしく、服まで準備してあった。
「まさか外に出るつもりだったの⁉」
「――寝てばっかじゃ体がなまるからな」
しれっとそんなことを言う彼女に呆れながらも、クレイはおとなしく寝るように言って、ベッドに投げ出された着替えも片付けた。ラシェッドは何か言いたげに眉間にしわを寄せたが、おとなしく足首に巻かれた古い包帯をほどいていった。
彼女は軽いやけどの他にも右足首の捻挫と銃による擦過傷に加え、腹部に強い打撲傷を負っていた。アザム曰く、「内臓が破裂していないのが奇跡」らしく、しばらくは安静にしたほうが直りも早いという。
「ん」
ラシェッドがベッドに座り直し、片足を上げた。
「うん?」
「包帯!」
「あ、ごめんっ」
クレイは突きだされた足にせっせと包帯を巻く。銃創はともかく、捻挫の方は初期治療がよかったのか、腫れはひどくなく、治りも順調のようだ。……ちなみに、ラシェッドは包帯の巻き方を覚える気が無いらしく、代わりにクレイが取り替えることになっていた。
「はい、終わり」
上手に手当てできたことに満足していると、ラシェッドが巻かれた包帯に触れながら言った。
「氷はもういいのか?」
「うん。足の方はすぐ直るらしいよ。撃たれたところの傷もすぐふさがるって。……あ、でもまだ動き回らないでね。おなかの方がわりとひどいらしいから」
「あーあー分かってるよ。……お前のは?」
「え、何が?」
「だから、……顔だよ」
意味が分からずに突っ立っていると、ラシェッドが目を逸らしながら訊ねた。そこで初めて、クレイは彼女の言葉を理解した。
「ああ、最初はすごく痛かったけどね、今はそうでもないんだ。薬もちゃんと塗ってるし」
彼女の隣に腰かけて、クレイはアザムからもらった火傷の薬を取り出し、自分の頬につけた。
彼女を守ろうとして必死に炎の中をくぐった時、半袖だったせいもあって、クレイはあちこちに火傷を負った。特に、落ちてきた廃材にぶつかってしまい、顔をひどく火傷したのだ。そのせいでクレイもまた、いたるところに包帯を巻いている。
「手術でもしない限り痕は残るだろうがね、まあ、幸い視力に問題はない。…しかし、実に残念だなぁ。とっても綺麗な顔なのにねぇ」
命があるだけでも十分だったクレイにとっては、今更やけどを負っても気にすることはなかった。そんなことよりも、ラシェッドがこれ以上ひどいけがをしなくて安心しているのだ。だが一方、彼女はクレイの火傷を意識するたびに悲しそうな顔をするのだ。
「……自分で上着着りゃよかったのに」
「君にそれ以上怪我してほしくなかったんだよ」
「でも、お前のそれ一生残るんだろ?」
彼女はそれに責任を感じているらしかった。しかし、クレイは何も気にしていない様子で笑った。
「いいよ。君を守った時にできた傷なんて、むしろ名誉だ」
「……あ、そ」
素直に告げると、ラシェッドは曖昧な返事をしてそっぽを向いてしまった。個人的には褒めてもらえるかと思ったので、彼女の態度に少しだけ落ち込んだ。
その日も一日、部屋の中でゆっくり過ごした。本当は町の様子などを見て回りたいのだが、動きたそうにうずうずしているラシェッドを見ていると、自分だけ外で歩き回るのは少しためらわれた。その代りに、彼女といつごろにこの町を出るか話し合うなどして時間を潰した。
夕方になり、そろそろ夕食が運ばれてくると思われる時刻になった時、部屋をノックする音が聞こえた。
「はーい」
「夕食の時間だぞー子供たちー」
夫人が夕食を運んでくれたのだと思って開けると、アザムの大きな体が部屋をふさいでいた。二人分の食事をトレイに乗せて、満面の笑みを浮かべている。
「わしじゃないと思ったかね? 残念わしでしたー」
「チッ」
ラシェッドが面倒くさそうに舌打ちをした。クレイは苦笑しながらアザムからトレイを受け取ると、彼を部屋に入れた。
「あの、どうしたんですか」
この老人は、特に用事もなしに自分たちのところに足を運ぶことは一度もなかった。早速老人の意図を知ろうと思って問いかけた。アザムは「君たちの顔が見たかっただけさ。……なんてね」と冗談を言って質問に答えた。
「いやあ、君たちってあとどれくらいここにいるつもりかね? …ああ、出て行けって言ってるわけじゃあないよ?」
「オレらもついさっきまでそれについて話してたよ。もうオレが動いていいと言われたその日にでも出発することになった」
ラシェッドの言うとおり、彼女がある程度回復したらすぐにでも出発しようということを話していたのだ。するとアザムは、
「それならよかった。いやね、実をいうと激しい戦闘さえ避ければ君は少しずつリハビリ代わりに動いてもいいそうだ。ああ、もちろん本調子じゃないから無理しちゃダメだけどね。これから先しばらくは戦わなければいけないことなんてないだろうし、クレイ君もついているならどこそこ歩き回っても大丈夫だ」
「じゃあ明日出る」
即決するラシェッドに、クレイは不安になる。
「本当に大丈夫? もっと時間かけて準備してからでも……」
「心配いらない。四、五日程度の食糧ならもうわしが準備しておるよ。他には持って行くものなんてないだろう?」
どこまでも用意周到な老人である。本当は追い出すために言い出したのではないかと疑っていると、アザムはそれを察したようで、
「わしゃあ別に追い出したいわけじゃないぞ? ただほら、保護者が迎えに電話をよこしてきたから、ねぇ?」
「………あっ」
「保護者ァ?」
ピンときてしまったクレイの隣で、ラシェッドだけが不審そうに眉根を寄せた。
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