クレイ7. 街へ
アザムの家にいるようになってから、一週間以上が経過した。
ラシェッドが昨日より随分と遅くに目を覚ました。すでに起きていたクレイは、眠そうにあくびをする彼女に微笑んだ。
「おはよう、ラシェッド」
「……ん、ああ」
普通に挨拶をすると、彼女は返事も曖昧に、フイとこちらから目を逸らしてしまった。
――反応が薄いのはいつものことだけど……。
ラシェッドはアザムの家に来てから、ほぼ毎日機嫌が悪いようだった。
最初のうちは、彼女はこういう性格なのだとも思った。だがよく注意して接してみると、唐突に態度が変わるのだ。どこがどう、とはうまく説明できないが、ほんとうにランダムに、突然、彼女の持っている空気のようなものがしゃべりづらいものに変わってしまう。
――今日は起きたときから、か。
このパターンは初めてである。クレイが笑いかけた途端にこれなので、自分が何かしたのではと、とても不安になる。
考え込んでいるうちにラシェッドは簡単に着替えを済ませ、ジャケットやズボンに銃を突っ込んでいた。
「あれ、ど、どこかに行くの?」
「街に出る」
「えっと、あんまり外でたらダメなんじゃあ……」
「部屋ん中ばっかいても何も分かんねえし。様子見だ」
やはり、目を合わせてくれない。もう機嫌が直るまで待つことにして、あまり気にしないようにした。
「行きたいとことかはないの?」
「ねえよ。街全体を見るだけ。あと兵士がどのくらいいるか、とか」
「僕も行く」
「嫌でも連れて行く」
当たり前だろ。そんなニュアンスで言われたが、一週間前はここで待たされたことがあるので、彼女が自分も一緒に来ていいと言ってくれたことには素直に嬉しい。外套をはおり、帽子を深めにかぶった。こちらの準備が整うと、ラシェッドは無言で部屋を出て行った。無視されているようで悲しいが、今は我慢である。
底が抜けそうな薄い板の階段を下りた。この国では中流の家庭らしいが、世間知らずのクレイにはかなり貧しく映った。
ラシェッドを追うままに夫婦の営業している店先へ行こうとしたが、突然、すぐそばにあった地下室へのドアが開いたかと思うと、出てきた人物に通路をふさがれた。
「おはよう、子供たち」
ラシェッドが舌打ちした音が聞こえた。後ろ姿しか見えないが、アザムと向き合っている彼女の表情は、きっと嫌悪に歪んでいるに違いない。
「どけよ」
「まあまあ、お嬢ちゃんがわしに会いたくないことくらい知っているがね、出て行くなら裏通りを通ってくれんかね」
アザムはこの一週間ちょっとで見慣れたニヤニヤした表情であった。
「やだよ、ダリィ」
「いやいや、話を聞いてくれ。これは、お嬢ちゃんへの嫌がらせも兼ねているんだよ?」
「おい、撃つぞクソジジィ」
楽しそうに笑うアザムに、ラシェッドが容赦なく言い放った。そんな暴言を受けても、アザムは微笑みを絶やさずに続けた。
「ではなくて、まあ、兼ねてはいるが、真剣な頼み事でもあるんだよ。先日わしの甥っ子が言っていたんだがねぇ、いわく、得体の知れない子供が出入りしているところをあまり人に見られたくないそうだ。まあ、この国ではまだマシなほうな都市だとしても、充分物騒だからね。あまり噂は立てたくないものなのだよ」
「はぁ? 知らねえよ。オレに」
「わ、分かりました。そういうことなら」
「やあ、クレイ君は優しいねぇ! はっはっは」
ラシェッドを遮り、強引に承知した。
目の前の彼女は前を向いたまま何も言わなかったが、その沈黙がむしろ怖かった。真っ暗な階段を下りているときも、前を向くラシェッドが睨んでいるようで無駄にビクビクした。
地下はひんやりと静かで、心地よい緊張感があった。自分の役目は終わったとばかりに、アザムが机の向こう側に座った。
「じゃあ、いってらっしゃい。暗くなる前に帰るんだぞぉー、ホントに危ないから。わははは」
「ウザ」
「ハ、ハハハ……」
ぼそりと言葉を吐いたラシェッドとは対照的に、クレイはアザムにつられて笑った。しかし頬が引きつっているのが自分でも分かった。この老人は冗談なのか、本気なのか。
……どっちもかもしれない。
「この国は相当物騒だから、せいぜい気を抜かないことだね。応援はしよう、一応」
デフォルトとなりつつある笑顔で、老人は見送るように手を振った。クレイはそんな彼に軽く会釈をしてドアを閉めた。
「す、すぐ帰ります」
「素直に従ってんじゃねぇよ」
「だって…。あ、待ってよ」
ラシェッドに急かされて、急な階段を上った。そんなにアザムが嫌いなのだろうか。
――でも……。
思ったより悪い人ではなかったな。急な階段をのぼりながら、クレイはあの奇妙な老人のことを考えていた。
もちろん、ラシェッドにそのことを言おうとは思わない。
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