ラシェッド5.重ねる面影
「――やああ!!! さっき会ったばかりなのにもう来たのかい? さてはお嬢ちゃん、寂しがり屋だねぇ?」
「死ね」
ラシェッドのほとんど条件反射のような受け答えにも、目の前の老人は表情を変えることがなかった。
「ひどいなあ。わしはお嬢ちゃんに来てもらえてうれしいよ? わはは」
「……気色悪ぃこと言ってんじゃねえよ。用があるならさっさと済ませろ」
ラシェッドは机越しに座る彼の目の前に、くしゃくしゃになった包み紙を押し付けた。走り書きのような字で[これに気づいたら地下に来なさい]といったような言葉が記されていた。
「はっはっは。お嬢ちゃん文字読めるようになったんだねぇ」
「……バカにすんな」
実は少しだけ読むのが大変だった、ということはおくびにも出さなかった。
アザムは笑みを崩さないまま、ラシェッドに語りかけた。
「そうそう、お嬢ちゃんにちょっと教えたいことと、聞きたいことと二つあってね。まあ、まずは教えたいことなんだけど。知りたいかい?」
「……言えよ」
冷たく言い放つと、「そこは教えてくださいだろう。まあいいがね」と言って、アザムは白髪頭を掻いた。
「教えたいことっていうか、忠告なんだが。風の噂とでも言っておこうか、近い日に、イフリートがこのセンタータウンで大規模デモを実行するらしい」
「いつだ」
「だから、近い日に、だよ。明日かもしれないし、一週間後かもしれないし、一か月後かもしれないし、ひょっとしたらもっとさきかもしれない。本当にデモを行うのかも分からない」
「ンだよ、それ」
アザムの曖昧な答えに、ラシェッドの苛立ちが募ってゆく。もちろん、アザムはそんなこと気にもしていない様子だが、それがまたラシェッドは気にくわなかった。
「わしゃぁ情報屋さんじゃないぞ? ただ、訪れる客からそんな話を聞くだけなんだ。でも、そういうのって大抵、噂だけってことがないもんだから一応君に忠告を、ね」
「つーか、それ言われてもオレもう関係ねえし」
「ちがうちがう」
アザムは適当な態度で片手をひらひらと振った。
「君は何も言わないが、クレイ君なんて珍しい子連れてるくらいなんだから、おそらく事情があって逃走中なんだろう? 組織から。そうなったら、君がデモとは関係なくても、デモのある日にちが大きく関わってくるよ」
「……」
考えてみれば、そうである。そんな大騒ぎの中、イフリートの正式な兵士が大勢町をうろついている中逃げようものなら、すぐに捕まってしまう可能性の方が高い。黙り込んだラシェッドから思っていることを察したのか、アザムはニヤニヤしながら嘆息した。
「そういうわけなのさ、お嬢ちゃん。まあ、明日出て行くって手もあるけど、明日デモだったらそういうわけにゃいかんだろうし、何より準備を怠ったまま出て行くと、必ずぼろが出てしまうからねえ。しばらくはここに落ち着いた方がいいだろう。それに」
「……まだあるのか?」
「ここ最近、イフリートの兵士らしき青少年がうろついているんだ。どういう目的かは知らんが、君、見つかったらまずいんじゃないかね」
ラシェッドは考えた。昨日の出来事は、もう組織内に知れ渡っているのだろうか。仲間を殺して逃げたなんて例は今まで聞いたこともないから、おおごとになっているかもしれない。もう、兵士たちが知っているかもしれない。
「……それは、マズイ」
「だろう? だから忠告しておくんだ。あまり外に出ない方がいい。出るんなら、派手な行動は控えて、できるだけ一般人に溶け込めるように努力しなさい」
「……言われなくても」
素直に返事をするのはなんか癪に障るので、とりあえずそんな返事をした。するとアザムは満足そうにニヤリと笑った。
「わかってくれて嬉しいねえ。ああ、じゃあ次は聞きたいことだけどね、ちゃんと答えてくれるかな?」
「……質問によるな」
「まあいいか。あのねえ、お嬢ちゃんは、どうしてクレイ君を拾ったんだい?」
「あぁ? 政府の武器取引を妨害した時に拾ったんだよ」
「いやいや、そうじゃなくて、何故クレイ君を拾ったんだい? って聞いているのさ」
その質問に、ラシェッドは何故かドキリとした。
「……と、特に、理由とかないけど? そうだな、強いて言うなら、借りを返すためか?」
この老人には通用しないとわかっていながらも、なんでもないような顔を取り繕った。
しかし、やはりアザムには効果がなかった。
「本当かね? 君はそんな律儀な人間でもないだろう? 生きていくためなら恩人も殺しそうな眼の持ち主で、今だってそれは変わらないと思ったんだけどなあ」
「………うるせえ」
「だいたい、借りってなんだね? クレイ君がそんなに強そうには見えないし、大方お嬢ちゃんを殺しそうなやつをいち早く見つけたとか、そんな感じじゃあないか? そんな些細なこと、借りのうちに入らないよ。君が逃げるには、随分と重荷のようにも見えるしねぇ」
「黙れよ」
けれど、アザムはしゃべり続ける。
「わしにゃどうにも、お嬢ちゃんにはほかに理由があるように思えるがねえ。自分でも気づいていない無意識の理由がね。クレイ君の見た感じの性格とかから考えて、お嬢ちゃんはきっと」
「うるさいっ!」
しん、とした静寂。るような不快な沈黙ののち、老人は笑いながら告げた。
「そんなに怒ることないじゃないか。それにしても、クレイ君はよく似ているね、彼女に」
*
空の藍色が濃くなりはじめたころに、夫人が質素なスープを持ってきた。ラシェッドたちが泊まることを快く受け入れてくれたとはいえ、警戒していないわけではないらしい。彼女はベッドに置かれたラシェッドの武器を見てすこしだけ怯えたように縮こまり、早々にドアを閉めた。
スープの一つをクレイに無言で手渡し、彼と間隔を空けてベッドに腰を下ろした。こちらの話しかけてほしくないという空気を察しているのか、彼もまた同様に無言である。
ラシェッドは熱いスープを胃に流し込むと、しばらく銃の手入れをした。特に武器の手入れが好きというわけではないが、英語と同様、幼いころから教え込まれてすでに習慣化していた。
手入れを終え、ベッドに入るときも、クレイとは一言もしゃべらなかった。
なかなか眠れず、かといってもう一度起きるのも面倒で目を閉じていると、クレイが明かりを消し、ベッドに入ってくる気配を感じた。五分も経過しないうちに寝息が聞こえてくる。簡単に眠りに落ちてしまったクレイに少々腹が立った。
――そういや、礼なんて言われたのは初めてだな。
心配されたのも彼が初めてかもしれない。自分の意志で殺さなかったのも初めてだ。クレイとあってまだ二日経っただけだというのに、自分は今まで経験したことないようなことばかりに遭遇している。
「どうしてクレイ君を拾ったんだい?」
アザムの言葉を思い出す。自分は、命を救ってくれた借りを返すために彼を助けたのだ。それ以外に理由なんてないと思っていた。でも、それなら、町の治安軍でも警察官でもいい、政府側の人間の目の前に彼を突きだしておけばいいだけのような気もする。
――オレ、なんでコイツと一緒にいるんだろ………。
「クレイ君はよく似ているね、彼女に」
違う。もう過去のことは気にならなくなった。気にしないようにした。いったい自分の何を知って、あの老人は見透かしたようなことを言っている。再びこみあげてきた怒りの中に、動揺が混じっていることを自覚した。
部屋は静寂に包まれたままで、ラシェッドの心うちだけが、唸りを上げて渦巻いているようだった。
クレイはあの時、何も求めずに自分を助けようとしてくれた。その後に自分が殺されるかもしれないのに。ただ助けたかったという言葉が嘘偽りのないモノであることくらい、ラシェッドにだってわかる。何故、あの状況下で他人を思うことができるのか。ラシェッドはそれが、どうにも理解しがたい。
苛立ちと困惑が入れ混ざり、わけがわからなくなってきた。ラシェッドはさらにきつく目を閉じる。背後で、クレイが規則正しい寝息を立てていた。
自分では到底作ることができない、美しい笑み。
彼の見せたそれが、ラシェッドの心を一層分からなくさせる。
――礼なんていうんじゃねえよ。
今まで感じたことのない、透き通るような感情が、怒りと混乱のなかでおぼろげに光っている気がした。あれほど純粋な感謝の気持ちを、自分はどう受け取っていいか分からない。けど、決して悪い気はしなかった。
だから、だろうか。
だから、ほんの少し、気を許してしまったのだろうか。
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