クレイ6.喪失の爪跡は残れど

 昨晩の宿屋とは違い、薄汚れてはいるが生活感のある小さな部屋。柄物のシーツが敷かれたベッドの端で、クレイは膝に手を乗せてしょんぼりとうつむいていた。


「何で断ろうとするオレを止めた。あン?」

「い、いや、あの、お金ないし……。盗まずにすむ、なら…」


 ベッドの反対側には、クレイと背中合わせになる形でラシェッドが腰かけていた。腕組みをしながらドスの効いた声で問いただされると、自分の言いたかったことも喉の奥に引っ込んでしまう。


「今夜寝るところがないんなら、わしのとこに泊まっていくかね? 眠る場所だけ借りるという形なら、甥っ子夫婦が面倒を見てくれるだろう。食事の心配もいらない。ああ、金はとらんよ」


 アザムがそう提案した時、ラシェッドが拒否するよりも早く、それを受け入れてしまった。あの時自分を見ていたラシェッドの眼光が脳裏に焼き付き、夢でうなされそうである。しかし、誰かから財布を盗んだりすることはなるべく避けたかったクレイにとっては、彼の提案はとても良案だったのだ。断れるはずがない。


 いつまでもこんな空気では身が持たないため、クレイはなんとか場の雰囲気を明るくしようと努めた。


「で、でもさ、お金はとらないって言ってたし、食事も出してくれるみたいだから。しばらくはここで落ち着こう。おじさんとおばさんもいい人そうだったし。…ね?」


 にこやかに迎えてくれたアザムの甥とその妻の顔を思い出す。彼らは、違法で武器を売りさばいている地下から現れ自分たちを、何も聞かずに二階のこの一室へと通してくれた。


 ……地下で自分の家族が何をやっているか知らない、ということもあり得るが、クレイはそれについてはあまり考えないようにした。


「……まあ、タダってのは好都合だけど」

「でしょ⁉」

「あのジジィに借り作るみたいで腹が立つ」

「……」


 どうしてこう、人の親切心というものを真っ直ぐに受け止めようとしないのだろうか。ちらっと背後のラシェッドを見ると、ちょうど彼女はタバコに火をつけようとしていた。煙が立ち込めてはいけないと思い、立てつけの悪い窓を開ける。あまり外を見るなとラシェッドに注意されているので、二階からの景色を眺めることは控えた。だがバイクや車の音が聞こえていることから、この建物が表通りに面していることは分かった。


 沈黙が降りてくると、ベッドの向こう側にいるラシェッドは購入した弾薬をチェックしたり、ナイフや銃の手入れをしたりしていた。一方クレイは何もすることがなく、手持ち無沙汰でひとり気まずい思いをしていた。


 一分が長く感じる。


 じっとしていると、昨日の残酷なシーンの数々か脳内でフラッシュバックした。


 母の悲鳴。父の怒声。倒れた兄の、見開かれた目。血のにじむ床。胸を打たれた兵士。飛び交う発砲音。


「……ッッ!」

ひどく落ち着かなくなり、ベッドから意味もなく立ち上がった。クレイはそわそわと狭い部屋を一周した挙句、ラシェッドの隣に遠慮がちに腰を下ろした。何の脈絡もなく少し隙間を開けて座ってきたクレイに、ラシェッドはナイフを磨く手を止めた。そして変なものでも見るような視線を向けてきた。


「…ンだよ」

「あ、いや、ごめん。邪魔するつもりはなかったんだけど……」

 あたふたしながらも弁解しようとすると、ラシェッドがますます不審がるように眉をひそめた。


 独りでぼうっとしていると、昨日の惨劇を思い出して怖くなるのだ。なんでもいいから、今は誰かと言葉を交わして、自分は一人じゃないことを確かめたかった。一言でいえば、寂しかったのだ。


「えっと、ひとりでじっとしていると、ななななんか、不安で。か、かっこ悪いのは分かってるけど、でも、怖くて、誰かと話していたかった、っていうか。……や、やっぱり忘れて! ごめん。迷惑かけて――」

「いいよ」


ラシェッドが、ナイフの手入れを再開しながら呟いた。


「え?」

「だから、別にいいよ。迷惑でもねえし。話せば? 聞いてやるから」

 表情の読み取れない目で、ラシェッドがこっちを見た。そっけない態度と言葉だが、それが何故かとても温かく優しいもののように感じた。


 ――助けられてばっかだなぁ……。


 ラシェッドの何気ない一言にいちいち安心しながら、クレイは自分の情けなさを笑い、彼女の振る舞いを羨ましく思った。

「はは、あ、ありがとう」

 感謝を口に出すと、ラシェッドは驚いたように瞬きをした。

「あぁ? だから…別にいいって。礼なんて言うなよ。気持ち悪ぃ。ンで? なんの話聞けば言いわけ?」

「え? ああ、えっと……」


 話がしたいというのは、寂しさを紛らわすための口実だったので、話す内容を考えていなかった。今更になって慌てて話題を探す。出会って間もない人との話題と言えば…。クレイは数少ない会話の引き出しを一生懸命漁った末に、


「あ、そういえばラシェッドは何歳の時からイフリートにいるの? 家族は?」


 少年兵という生い立ちを全く考慮していない、デリカシーに欠けたものだった。


「………別にいいけど、オレに普通それ聞くかよ…」


 あれほど重い空気を恐れていたのにも関わらず、いきなり答えに困る話題である。クレイはそれを自覚しておらず、ラシェッドの言葉に首をかしげた。


「あれ? どうしたの?」

「…なんでもねえよ。オレは、生まれてすぐのころに捨てられていたのを拾われたんだよ。イフリートにな。気づいた時には兵士として訓練してた。親の顔なんて知らねえ」

「あ……、そう、だよね。家族はやっぱり…。なんか、ヤなこと聞いちゃった。ごめん」


 あまりにも遅すぎる後悔。


 しょんぼりするクレイの横で、ラシェッドが呆れるように溜息をついた。

「聞いて後悔するくらいならもっと考えて質問しろよ。それに、サミニアじゃ親の顔知らねえヤツとか親に捨てられたり売られたりするヤツとか、そんなに珍しくもねえよ。言ったろ、イフリートだって孤児院を経営してたんだ。特に聞いちゃまずいことでもない」

「で、でも、寂しくないの?」

「顔も知らねえヤツのことを、どうやって想えっつうんだ。それに自分が生きるので精一杯だから、そんなこと考える暇なかったし。そんなこと言ったら、お前こそどうなんだよ」

「え?」


 きょとんとしていると、彼女がナイフを磨く手を止めた。それから低い天井を仰ぎ、紫煙を吐いた。


「お前こそ親とか殺されてんのに、大して悲しんでいるようには見えねえけど? オレは家族とかそういうのがどんなモンなのか分かんねえけど、少なくとも、オレが見てきたヤツらはみんな、自分の家族が殺された時は泣き叫んだり、キレたりしてたぞ。お前はそういうのねえの?」

「それは……」


 振り返ってみると、確かに感情的に取り乱した覚えはない。ラシェッドとトラックの中で話した時、少し泣いたくらいである。


 自分の感情を整理しながら、クレイはと語り出した。


「泣き叫んだりとかは、あんまり、ないけど。とても悲しいのは事実だよ。じ、事実だけど、それを表に出したら、僕はきっと立ち直れないから。いい今も、一人でいるのが怖いから、こうして君の隣にいるわけだし。あはは、なんか、情けないね」


 声が震えてしまうことが、さらにかっこ悪い。恥ずかしさの混じった曖昧な笑みが口を割って出た。

 ラシェッドがその様子をしばらく観察したのち、不愉快そうに目を細めたかと思うと、


「それ、やめろよ」

 と言った。

「そ、それ……って?」

「その無理やり笑うヤツ」


ラシェッドの言葉に、心臓がどきりと大きく鼓動した。だが、つい、とぼけた態度をとってしまった。


「む、無理やり笑ってなんか…ない、よ?」

「嘘つけ。気味悪ぃんだよ、昨日から。笑いたくもねえのにへらへらしやがって。喧嘩売ってんのかよ」

「なっ、そんなこと……!」

「じゃあどうしてだよ。アァ?」

「えっと、それは……」


 気づけば、自分は愛想笑いばかり顔に浮かべていた気がする。どうしてなのか、理由はなんとなくわかってはいるが、それを口に出して誰かに打ち明けようなんてしようとも思っていなかったものだから、伝えるための言葉がなかなか思い浮かばない。


 そばに座る彼女は、じっとクレイの次の行動を待っていた。

「僕の父さんはね、すごく大きな武器メーカーの偉い人だったらしいんだ」


 そしてクレイは、少しずつ、順を追って話し出した。


「知ってる。だからオレは、あの場所に妨害しに行ったんだ」

「僕もよくは知らないんだけど、父さんと母さんはお互いに結婚を反対されていたのに駆け落ちみたいな形で結婚したから、頼る親せきもいなかったんだ。そんな中で父さんは会社での地位を得ていったから、僕や兄さんに対する期待なんかもすごかったんだ。あ、でも兄さんのほうはグレちゃって、父さんは諦めたみたいだった。だから、兄さんの分の期待も僕に向けられるようになったんだ」

「……それはよかったじゃねえか」


 ラシェッドの言葉に、クレイは少しだけうなずいた。しかしその表情はどこか悲しそうであった。


「期待されるのは嬉しかったけど、僕は父さんに絶望されて、いないものみたいに扱われるのがすごく怖かった。飛びぬけて何かができるわけでもないから、ちょっとでも気を抜けば、すぐに兄さんみたいに扱われてしまうんじゃないかって思っちゃってさ。誰にも嫌われたくなくて、失望されたくなくて、嫌そうな顔をしないようにしようと思ってたんだけど……。君には、嫌われちゃったかな」


 はははは、と、クレイはまた愛想笑いをしてしまった。やめろと言われたのにやめることができない自分がふがいない。


 ラシェッドはしばらく何も言わなかった。ベッドから立ち上がり、小さくなったタバコの吸い殻を窓から放り投げ、クレイの方を見た。その瞳には、少しだけイラついたような感情が見える。


「言っとくけど、オレはお前を嫌ったり失望したりするほど、まだお前のことを知らねえ」

「………」

「だから、その気味悪ぃ笑いも意味ねえンだよ。笑いたくないんなら笑うな。ギャーギャー喚いてくれたほうがマシだ」

「う、うん……」

「無理してんじゃねえよ」

「うん……ごめん」

「謝んなくてもいいけど」


 それだけ言いたかったのか、彼女は再びベッドの端に戻ってきて、今度は手入れに使っていた布や銃弾が包んであった紙を片付け始めた。


 ――そっか。そうだよね。


 ラシェッドと自分はまだ出会ったばかりである。それなのに、これからしばらく、いつまで続くか分からない共同生活をしていくのだ。彼女は能力なんかで自分を判断していない。笑顔を作らなくてもいい相手なのだ。


 そう考えて、幾分か気が楽になった。真っ直ぐな微笑みがこぼれる。


「ありがとう」


 素直な感謝の気持ちを述べると、ラシェッドは驚いた様子でクレイを見た。にこにこしているクレイの顔を眺めていたかと思うと、


「……その笑いかたがいい」


 と、唐突に言った。だが、ものすごく小さな声だったのでクレイはよく聞き取れなかった。

「うん? 何?」

「――い、や、別に。……なんでもねぇ.、ナシだ。今のはナシ」

「だから、何が……」

「うるせぇ、ほっとけ」

 初めて見るラシェッドの慌てたような言い草に、クレイの好奇心は高まった。


「そんなこと言ったって、気になるじゃないか。……君、なんて――」

「黙れ喋んな」

「……ご、ごめんなさい」


好奇心を抑えるのには十分な圧力であった。クレイは落ち込んだような顔になって、残念そうにラシェッドを見た。


「けっ。―――――ん、これ……」


 銃弾を包んでいた紙を見て、彼女が何かに気づいたようだった。クレイもそれを覗き込んでみると、何か文字が書かれていた。残念ながら、英語ではない。


「何かメモしてたのかな……。ねえ、ラシェッド?」

「………チッ」

 紙を凝視していた彼女は舌打ちとともに立ち上がった。そして何も言わず部屋から出ようとする。


「ちょ、ど、どこに行くの⁉ 僕も行――」

「来んな。あのジジィに用事ができただけだ。ここでじっとしてろ」


 たいそう機嫌が悪そうに、強い調子で言われた。クレイが何も言わないことをどういう風に受けとったか、ラシェッドは「あんなジジィのとこに長居はしねえよ」と言って、ドアを閉めた。


 ――僕には聞かれたくないこととか、かな……?


 近くなった彼女が急に遠く感じてしまい、クレイはまた、寂しくなった。

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