クレイ4. あたらしい生活

「おい、いつまで寝てんだよ。…おいって!」


 誰かに頭をはたかれて、クレイは目が覚めた。体中が痛い。頭がガンガンする。再び閉じようとする目をこすりながら上半身を起こすと、古いベッドがギシィ、と嫌な音を立てた。


 ――なんか、いつもと違う。


 埃っぽい粗末な部屋を見渡していると、ベッドのすぐそばで呆れたような表情を浮かべる黒髪の少年と目があった。


「君、は…、ああっ!」


 急に頭がすっきりしてきたクレイは、昨日遭った出来事と、目の前の少年のことを思い出した。そして実はその少年が少女であるということも思い出した。


「やっと起きたか。もう十時半だぞ。オレは召使じゃねぇ。明日からは自分で起きれ、面倒くせぇ」

「う…ごめん」


 情けない気持ちでいっぱいになりながら、クレイはのそのそとベッドから降りた。顔を洗うためにバスルームへと向かう。少し古くはあるが、タオルやせっけんは一応揃っている。宿屋としての形は整っているんだな、と昨日タバコをふかしていたおかみさんの顔を思い浮かべた。そして昨日の出来事を改めて振り返ってみる。


 家族を失った今、身分証明ができない自分が頼ることのできる大人は皆無。ともにいるラシェッドにしたってまだ自分と同じくらいの子供で、どこかで保護してもらった方がいいに決まっている。本人がそれを望もうと望むまいと。できることならアメリカに帰りたい。それなら大使館に連絡するのが一般的か。


 でも、どうやって? 電話番号なんてクレイは知らない。大使館が首都にあることは確かだが、首都がどこにあるのかすらも分からない。そもそも、ちゃんと保護してくれるのかも知らない。


 ないない尽くしである。


 ――これからどうなるんだろう。


 昨日は考える間もなく状況が目まぐるしく急転していったが、冷静にことを振り返れば、かなり深刻な事態に陥っている。家族を失った悲しみも大きいが、今のクレイはこれからどうすればいいのかわからないという不安の方で頭が痛い。


 たった二人の子供でこれからどうするべきか自分なりに思案しながら顔を洗い、しかし結局何も思いつかず、沈んだ気持ちでバスルームから出た。

 瞬間、目の前に何かが飛んできた。慌ててキャッチし、飛来してきた方向を見ると、ラシェッドが椅子に座りながらタバコを吸っていた。


「メシ。昨日からなんも食ってねえだろ」

 飛んできたのは小さな茶色い紙袋だった。中にはスプーンと硬そうなパン、現地の文字で何書かれた缶詰、そしてミネラルウォーターが入っていた。缶詰をラシェッドからナイフを借りて開けてみると(さすがにナイフは投げてこなかった)、中には魚の肉が入っていた。


「これ、どこで手に入れたの?」

「表通りで市が開かれていたから少しもらってきた。スプーンは宿の女主人から借りた」


 もらってきたというのは、任意で、という意味だろうか。クレイはそれを聞こうとして口を開きかけたが、やっぱりやめた。聞くのが怖かった、というのも理由の一つだが、もしラシェッドが盗んでいたとしても、今、自分たちが生きるためにはそうするほかに方法はないのだ。


 ――ごめんなさい………。


 どこの誰とも分からないパンや缶詰の売り主に心の中で謝りながら、クレイはもくもくとパンを咀嚼した。そんなクレイの気などお構いなしに、ラシェッドは冷たい表情でタバコをくゆらせている。


「……ちょっと待って。君、まだ子供だよね?」

「あン? 正真正銘、どっからどう見てもガキだよ。お前、オレが大人に見えるかあ?」

「何でタバコなんて吸ってるの⁉ 君いくつだよ⁉」

「十三」

「僕と同い年じゃないか!!!」


 ラシェッドのあまりにも自然なその振る舞いに、違和感を覚えるのに随分と時間がかかった。絶句して何も言えず、口をパクパクさせているクレイを尻目に、ラシェッドはゆっくりと煙を吐いた。


「細かいこと気にしてンじゃねぇよ。やばいクスリやってるわけじゃねえんだからいいんだよ」

「そんなのムチャクチャだよ…。規制とかされていないの?」

「そりゃお前の国だろ? ここの法律なんてオレはよく知らねえけど、悪ガキが吸ってても珍しくねえよ。それよりメシさっさ食って準備しろ。ここ出るぞ」


 ラシェッドはウザったそうに顔をしかめ、頭をかいた。ボサボサの束ねられた髪がもっとボサボサになる。クレイは納得いかなかったが、これ以上言及してもきりがないと思い、再びパンを口に入れた。空っぽだった胃に食べ物がしみていく。そこでやっと自分はおなかがすいているのだということを自覚し、クレイは夢中になって食べ続けた。


 ゆっくり味わうこともなく朝食を終え、出発する準備などを整えているとき、クレイはふと昨日ラシェッドの言っていたことを思い出した。

「そういえば、君の所属していたイフリートってなに?」


 すると彼女は何故か眉間にしわを寄せて、

「それのこともあとで説明してやる。とりあえず宿を出よう。行かないといけないとこがある」

 と言い部屋の外に出た。クレイも慌てて後を追う。


「お金は?」

「あるよ。ほら」

 ラシェッドがズボンの中から形も種類もバラバラな財布を五つ取り出した。


「それも盗んだの⁉」

「人が大勢いてだいぶ混雑していたからな。やりやすかった。……なんだよ。大丈夫だって。生活ヤバそうな奴らからはスってねえから」


 しゃあしゃあとそんなことを言って、ラシェッドは吸殻を窓の外に放り投げた。クレイは声を上げる気にもなれず、彼女の後をおとなしくついて行った。


 下に降りると、やはり、昨日の中年のおかみがタバコをふかしていた。クレイは彼女のそばまで寄っていき、水で洗ったスプーンを差し出した。


「えっと…ありがとうございます」


 おかみは驚いた様子で、褐色のかさかさの手でスプーンを受け取った。


『ああ、わざわざ洗ってくれたのかい。こんなボロい食器、もらってくれてもよかったのに。あんた、あそこのガキと違ってよくできているね。やっぱり育ちがいいのかしら』


「あの…」

 なんと喋っているのか分からず、きょとんとしているクレイに気づかずにおかみは話し続けた。


『昨日は帽子でよく見えなかったけれど、あんた海外の人形みたいに綺麗な顔しているねぇ。ため息が出るくらい綺麗だよ。家族もみんなそうなのかい?』

「えっと、僕は……」


 クレイが困ったように口を開いたところで、おかみは目の前の少年とは話す言葉が違うことに気づいたようだ。


『ああ、ごめんごめん。言葉が違うんだったね。……そうだ、旦那が使ってないバッグパックがあったはずだから、それ持って行きなよ。ボロっちぃけど、その貧相な紙袋よりマシさ。ちょっと待ってな』


 おかみは何も言えずに固まっているクレイをおいて、奥の部屋に入っていった。


「なんて言ってたの?」

 後ろの壁にもたれていたラシェッドに尋ねてみる。


「…お前のことが気に入ったからバッグパックくれるってさ」

「何で?」

「紙袋じゃ持ちづらいだろうから、だとよ」


 ラシェッドが昨日古着を買った際についてきた紙袋を軽く持ち上げてみせた。それと同時におかみが大きな藍色のバッグパックを持ってきた。


「あ、……ありがとうございます」

『いいっていいって』


 お礼を言ったことは通じたらしい。笑顔のおかみから埃をかぶったそれを受け取り、昨日買った服を入れていく。


『オレにはなんかくれないのか。同じガキだぜ』

『うるさいね。あんたとあの子が同じ人間だってだけで驚きだよ。あんたねぇ、誘拐したんだかどうかしらないけど』

『してねえよ』

『どっちにしてもだよ。ちゃんと面倒見てやんなよ。なんか、世間知らずのお坊ちゃまっぽいし』

『へえ、よく分かったな』


 ラシェッドとおかみが何かを話していたが、内容は分からなかった。ラシェッドの分の服まで詰め込んで、結構重くなったそれを背負う。


「帽子もかぶれよ」


 ラシェッドに言われて、バッグパックから引っ張り出して帽子をかぶる。目の前の彼女も、ガチャガチャと不審な音を立てるジャケットを着ようとしていた。


「そのジャケット、何が入っているの?」

「ナイフ一本と銃が一丁。ズボンには二丁入れてある」


 言われてみれば、彼女のカーゴパンツは不自然にでこぼこしていた。


 昨日とは打って変わって機嫌のよかったおかみにお別れをいい、クレイとラシェッドは外に出た。

 夜は暗くてよく分からなかったが、道を挟む建物は意外と大きくて、クレイは少し圧迫されたような感覚に陥る。


ホームレスと思われるボロボロの服を着た人たちがところどころにうずくまったり、あるいはクレイたちをじっと見つめたりする者もいた。その様子を少し怖く思ったクレイは、気を紛らわせたくてラシェッドに話しかけた。


「これからどこに行くの?」

「とりあえず、銃弾の補充しに行く。できるだけたくさん買っといたほうがいいな」

「僕たちだけで入れるの?」

「合法的な店じゃなきゃフツーに入れるよ」

「………」

「なんで黙るんだよ。しょうがねぇだろ、ガキなんだから」


 ラシェッドがさも当たり前のようにそんなことを言うので、クレイは軽く引く。しかし、彼女の言うとおり、そこまでしないと子供である自分たちは身を守ることができないのだから仕方ない。……と、クレイは自分自身に言い聞かせる。


「お店の場所は知ってるの?」

「ここから少し遠いけどな。物資調達の時行った店の場所を覚えている。前にオレと三つしか違わねぇヤツと武器を買いにいったけど、すんなり売ってくれたから、たぶん今日も大丈夫だろ」

「場所は覚えてるの?」

「まあな」

「頭いいんだなあ」

「…少なくともお前よりはな」


 そんな会話を交わしつつ、二人は寂れた細道を進む。

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