ラシェッド2. 青い瞳の高潔、黒い瞳の現実

 ラシェッドはクレイを連れて夜の町中を歩いていた。パブや民家の明かりがあたりを照らし、店の間を酔った大人たちが楽しそうに行き来している。車こそ少ないが、夜でも十分に賑やかなその光景は、サミニアでも少し珍しいことであった。


「このセンターシティってのは地方都市なんだよ。詳しい位置は知らねえけど、いろんなとこから物資が行ったり来たりしてるから、商売が盛んなんだと」


 きょろきょろと不思議そうにあたりを見回すクレイに対して、そう説明した。


「君、詳しいの?」

「物資調達のために何回か来たことあるだけだよ。今の情報は他の兵士の受け売り…おい、そっちじゃねぇ」


 大通りへ行こうとしたクレイを引っ張り、ラシェッドは小さな裏道に入った。

「なんでこんな暗い道に入るの?」

「あのなあ何回も言うようだけど、オレたちは、少なくともオレは、追われる立場なんだよ。今はそうじゃなくてもじきにそうなる。だからなるべく人目に付きたくない。それにオレたちはそこにいるだけで目立つ格好だから、表通りをウロウロすんのはマズイ」

「そうなの?」

「一人は兵隊服、一人は白人のガキだぜ? さっきだって通るヤツらはみんなオレたちを見て行った」

「…そうなの?」


 ………疲れる。


 クレイと話していてそう思ったラシェッドは、もう説明するのをあきらめた。かわりに大きくため息をつく。


「とりあえず服買おう。古着でいいよな」

「うん」


 表通りと違い、静まった裏通りには気配がなく、ホームレスが路地裏で寝息を立てているだけであった。ラシェッドは建物から漏れる光を頼りに、クレイを連れて小さなリサイクルショップを見つけた。迷わず中に入る。


 中には店主らしき壮年の男がひとりだけだった。兵隊服のラシェッドを見て、ガキだけ? と言いたげに眉をひそめ、薄汚れた服を着た白人のクレイを見て、面倒な奴らが来たな、と言いたげに顔をしかめた。


 そんな店主を無視してラシェッドは大量に積まれた洋服の山から、手短にあった帽子と砂色の外套をクレイに渡した。


「……これ着るの?」

 子供が着るにはやや大きめのごわごわしたそれを、何やら不服そうに見つめ、「こんなのだれが着ていたんだろう…」とクレイは呟いたが、彼の好みなど知ったことではないラシェッドは、

「上着はそれでいいだろ。帽子もかぶっとけよ。下着は自分で選べ」

「分かった」

 クレイが服を探し始めるのを確認してから、ラシェッドも自分の着るものを探し始めた。


 動きやすそうな服を選んだのち(意外にもたくさん金を持っていた二人に、店主は目を丸くしていた)、二人は今晩泊まるところを探すため、夜道を歩き回った。


「もうお金はほとんど残っていないよ」

「問題ねぇよ。表通り歩いてるときスったから」


 さらりとそんなことを言ったラシェッドにクレイはびっくりしていたが、もういちいちそんなこと気にする気にもならない。


「……お、っと…」

「え、どうかしたの?」


 無言のまま宿を探していると、暗闇から人の歩く音がした。立ち止まり、暗がりを見つめる。頼りない足音がどんどんこちらに近づいてくる。少しずつ、人影がはっきりと姿を現した。


『へ、へへ。坊ちゃんたち、どおしたの?』


 現れたのは汚らしい服装の男だった。卑屈な笑みを顔に貼り付け、おぼつかない足取りで揺れながら歩み寄ってくる。手には酒瓶を持っていた。


『おじさん、お金がないのぉ~。おこづかい、頂戴な』

「ら、ラシェッド……」


 クレイが怖がるように身を引いた。それを目にした男の顔が、ますます気色の悪いモノへと変化した。


『おやおや? かわいらしい坊ちゃんだね。長髪の君も結構きれいな顔してるんじゃないのぉ? どうだい、おじさんとお金稼がないかい?』

 男が下品な仕草で手を伸ばしてきた。ラシェッドはソレを何も言わずに払いのける。間をおかずに、きょとんとしている男を蹴り飛ばすと、隠し持っていた拳銃を彼に向けた。


『喋んな。耳が腐る』

『え、うそ、待ちなよ。おじさんそういうの嫌いだなあ。本物じゃあないよね?』

『賭けるか?』

『ひぃっ』


 一歩、前に出ると、男が後ろに下がった。そんなことをしても無駄だということが分からないのだろうか。


『ちょ、ちょっと声かけただけじゃねえかよぉ。殺さないでくれよお』

『それがお前のミスだよ。弱いくせに、調子のったことするからだ』


 ラシェッドの突き放すような言葉に、男の顔が涙と鼻水でますます汚くなった。それでもなお助けを乞う彼の姿は、今までによく見慣れた物だった。


『オレより強かったら、死ななかったんだろうけど…。残念だったな』


 それが、男に向けた最後の言葉だった。そのはずだった。


「だ、ダメダメっ!」


 視界に何かが飛び込んできた。目の前でクレイが細い腕を広げ、男の盾になるような体勢でラシェッドを見ていた。


「…なにしてんだよ」

「こっちが聞きたいよ! 君、脅しかと思えば本当に撃とうとするじゃないか!」

「それがどうした? こいつはオレに手ぇ出そうとした。だから殺す」

「理由になってないじゃないか!」


 この少年は何を慌てているのだろうか。クレイの行動が理解できずに、ラシェッドは小さく首をかしげた。


『う、わぁぁぁああ!』


 クレイがかばった男が逃げてしまった。暗く細い道を、走る音が遠ざかっていく。ラシェッドは構えていた銃をおろした。そして男の逃げた方向を呆然と眺めているクレイを睨んだ。


「何で邪魔した」


 問いかけると、クレイは驚いた表情で振り返った。青灰色の瞳と目があう。彼は困ったように口を開いた。


「邪魔って…。君こそ、どうしてあの人を撃とうと思ったの? 僕はあの人が何言ってたのかまったく分かんなかったけど、何も銃を向けること……」


「弱いのが悪ぃ」


 そう、少年の言葉を遮った。ラシェッドの真っ黒な眼は、目の前の少年の青い瞳を映していない。何も映っていない。


「先進国ではどうなのか知らねぇけど、ここじゃ弱いヤツから先に死ぬのが当然なんだよ。強い奴に逆らっても死ぬ。そういうところだ」

「無抵抗な人まで…」

「関係ねえよ。それに、抵抗しないんじゃなくて、抵抗できねえんだよ、弱いから。そういうヤツはな、生かしていてもすぐくたばるモンなんだよ。分かるか?」


「でも、僕は無抵抗だけど、こうして生きている。」


 言い返されて、思わず言葉に詰まった。ラシェッドは思わず、その真っ直ぐなまなざしから目を逸らした。


「僕を助けたみたいに、あの人を助けることはできないの?」

「…勘違いすんな。オレはただお前がいたら逃亡しやすくなると思っただけで、あとはお前には借りがあるからな。あいつとはわけが違う」


 焦ってつい、言い訳がましくなっていることに気づかず、ラシェッドはまくしたててクレイに背を向け、前を歩いた。うしろから控えめについてくる音を確認しつつ、自分が動揺したことにイライラした。


 ――苦しい言い逃れだな。


 分かっていても、それ以外に理由なんて見つからないし、それ以外の理由なんて要らないと思った。クレイの純粋で無垢な目は、何故かラシェッドをみじめな気持にさせていった。それを悟られたくなくて、ラシェッドは振り返ることなく歩き続けた。


「………とにかく、弱いヤツは死ぬんだよ。生きたきゃ強くなるしかねぇ」

「そりゃ、そうだと思うけどさ…。でもきっと、強くなくちゃ生きていけないわけじゃないよ」


 クレイが背後で呟くのが聞こえた。


 わざと、聞こえないふりをした。


 歩いているうちに小さな民宿らしき建物を見つけ、クレイを連れて中に入った。

 中は薄暗く、外からのイメージ通りボロボロだった。オレンジの電球があたりを控えめに照らしており、壁の隅には蜘蛛の巣が張っている始末だ。少し離れたカウンターで、中年の女がタバコをふかしていた。ラシェッドはクレイにその場で待っているように言って、女のもとに話をしに行った。


『今夜、泊まりたいんだけど。一番安い部屋がいい』

 女は商売などする気もないような態度でラシェッドを一瞥した。

『金は?』

『ちゃんとあるよ。どうせ誰も泊まってねえンだろ? 部屋貸せよ』

『嫌なガキだね。向こうの子も一緒かい?』


 少し離れた壁にもたれかかっているクレイを見て、女は不審そうに眼を細めた。

『ありゃ白人じゃないかい。アンタ何やらかしたの?』

『いいから部屋を貸してくれよ。風呂がある、一番安い部屋』


 有無をいわさぬ調子のラシェッドに、女は渋々部屋の鍵を渡した。ラシェッドはさっさと支払いを済ませてクレイのもとへ行った。


「部屋がとれた。行こう」

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