1st. GOLD MEETS BLACK -出会い-
クレイ1. 襲撃と転落
「では、数の方は後程連絡を受けるという形をとりまして、購入するものはこちらでよろしいと?」
「――オーケーします。よろしくお願いです」
広げられた書類をまとめ始めた父の後姿を見て、クレイは商談が終わったことを察した。相手の方の男性が、ごにゃごにゃとクレイには解らない言葉で何かしゃべりながら、父の手を握った。
クレイの父親は、政府も御用達の大手武器メーカーの重役を務めているらしい。らしい、というのは、実のところクレイは自分の父の仕事場での立場をあまり把握していないのだ。しかし、今までの生活上何一つ不自由なかった、むしろ人より裕福であったこと考えると、父の仕事上の地位もそれなりのものなのだろう。クレイの隣に座る母親が、綺麗な、だけど神経質そうな顔で父に言った。
「あなた、本当によかったの? お仕事の邪魔になっていないかしら」
「ああ、問題ないよ。おまえと子供たちは自費で来ているんだから。入国の許可を取るのに少し手こずったけど、会社に負担はかけていない。それに、ウィルとクレイにもそろそろ途上国の現状というものを勉強させておきたいんだ」
クレイは父の仕事の都合で、家族と共に中東アジアの小国、サミニア独立自治国に来ていた。仕事内容については小難しいことを述べていたが、要約すれば、「現在出回っている武器を把握し、当社の製品を売り込め」といったところである。子供の時から社会性とビジネスの基本を知っておいてほしい、という理由だけで度々父の仕事に連れまわされており、今回はとうとう海外、しかも内戦寸前の治安の悪い国にまで同行することになった。
ちなみに、五つ上の兄であるウィリアムは、クレイの隣でイヤホンを耳に音楽を聞いている。
しばらく母や通訳と会話していた父だったが、やがて後ろの方で小さくなって座っているクレイに話しかけてきた。
「どうだ、この辺の国に来るのは初めてだからよく勉強になるだろう。治安の荒れた国なんてそう来れるものではないから、よく見ておきなさい」
「う、うん……」
父の言葉に曖昧に笑った。本当は訪れたくなんてなかったのだ。
――でもそんなこと……、言えないしね。
父に失望されるのは嫌だ。クレイは隣の兄を横目で覗う。どうやら父は、ウィルに“勉強させる”ことは諦めたらしい。シャカシャカと音を立てながら音楽を楽しむウィルには目もくれず、父はにこにこしている。
こんなふうに自分も視界に入れてもらえないのではと思うと、クレイはとても怖くなる。笑いたくもないのに笑って、勉強したくもないことを学んでいて、もうやめたいと思ったことは何度だってあるが、それでも、見放されるかもしれないと考えると、どうしても都合のいい事しか口に出せないのだ。
自身のそんな性格に少し嫌気がさし、嘆息しながら窓の外を見た。貧相で小さな建物がまばらに建っているここは、父によると小さな集落であるらしかった。やけにほこりっぽそうで乾燥した大地を見ていると、集落なのに人どころか、生き物すらいないように思えてくる。そんな光景に、ふと疑問が浮かんだ。
「父さん」
「どうした?」
「サミニアは砂漠地帯が広がっているって言っていたけど、どこにも砂丘は見当たらないね」
「ああ」
本当に気になって質問したのだが、父はそんなことかと言わんばかりに苦笑した。少し傷つく。
「クレイ、こういう荒野も立派な砂漠の一つだよ。まあ、お前の想像していた砂砂漠じゃないってことさ」
「ふうん……」
エジプトのような幻想的な光景を期待していたクレイは、少しがっかりした。その様子に気づかず、父はサミニアの説明を続けた。
「このサミニア独立自治国は狭い国土の八十パーセントくらい荒れている貧相な小国だ。第二次世界大戦後に、欧米諸国から半ば無理やり独立したもんだから、政情はいつまでも不安定。土地も悪いし、特に発展した産業があるわけでもないから金の動きが悪い。強いて言うなら鉄鋼業だが……他に金が絡むとしたら武器の流通と軍事開発くらいか。最近反政府派が過激になってきたらしいから。――どうせお前は知ることになるんだから、今のうちに覚えておきなさい」
「うん」
素直に返事をすると、父は満足そうに笑ってまた大人たちとの雑談に戻っていった。
*
そろそろ首都のホテルに帰ろうとした頃だった。
「ねえ、本当に、襲われる心配はないの?」
「だから大丈夫だよ。治安軍が護衛にたくさん兵をよこしてくれたから。それに、この集落はいたって目立たないから危ない奴らが目をつけることもないさ」
父と母の会話を聞いている途中で、アンドリューは腹痛を起こしてしまった。全く心当たりがない。今から3時間、車から降りることはできないのだ。クレイは恥を忍んで父に小声で伝えた。
「と、父さん……、なんかおなか痛い」
「ああ、まあ、この国自体あまりいい食料が手に入ることがないしな。体調崩しても仕方ないんじゃないか?」
「だ、だからあの……」
「ああ、早く行ってきなさい。待っててやるから」
「わ、分かった」
急ぎトイレへと駆け込む。早く帰りたくてちょっと泣きそうになりながら、ドアの外の父たちの談笑を聞いていた。
「……ん」
数分経たず、クレイは外の異変に気づいた。今まで会話しか聞こえていなかったのでわからなかったが、外でエンジン音がする。いや、それ自体は普通なのかもしれないが、住民の気配すら感じられないほど外は静かだった。だが今は、エンジンが落ち着かなげに燻っているのが聞こえるのだ。
「な、なんだろ………」
急に不安になって、急いでトイレから出ようとすると、
「きゃああああ!!!」
母の甲高い悲鳴に交じって、銃声が響いた。
思わずドアノブを握った形で動きを止めた。
「スコットさん、ゲリラです! にげ―――」
銃声。
「わ、私は政府の人間じゃないぞ!」
「ウィル、クレイ! はやく――」
銃声。
立て続けに鳴り響く発砲音に、クレイは耳をふさいだ。
「な、何が……」
いや、もうわかっている。きっと外には銃を持った兵士がいるに違いない。
クレイはその場にしゃがみ込み、頭を抱えた。涙のにじむ目を見開いて頭を強く抑える。
死ぬ。そう確信した。今日、自分は死んでしまう。確実に、絶対。今はただ、息をひそめて最期を待つことしかできない。恐怖が砂嵐となってクレイの思考を埋め尽くしてゆく。
――無理だどうしてああなんでこんなことに父さん母さん助けて死なないでいやだ怖い怖いどうしよう誰かお願い助けて死にたくないいやだどうして僕が怖いいやだ神様でも誰でもいい誰か助けて死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!
どれくらいそうしていただろうか。いつの間にか銃声は止み、数人の話し声が聞こえた。クレイは口を押さえて、震える吐息を必死に堪えた。
――帰ってくれ。このまま、気づかずに……。
しゃがみ込んだまま、ドアを見つめる。
外で足音がした。
「…ひ、」
近づいてくる。
遅くもなく、早くもなく、着実に、足音が大きくなる。
そしておそらく、ドアの前で止まった。
――終わった、もう。
ドアノブに手が添えられた気配。そして―――。
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