砂塵の中の銃口

ニル

【第一部】GET OVER

Prologue

とある悪夢

 そこは暗く、暗く淀んでいた。


 誰もいないのかと思った。なぜならそこは不自然に静寂で、部屋そのものが死んでしまっているようだったからだ。だから、そっと中に入って初めて、その部屋に人がいることに気づいた。


 女が一人、不気味な空間に身を溶かすようにして立っている。


 椅子やベッドもあるのに、どういうわけか狭い部屋の中央で立ち尽くしている。うしろでまとめられた黒髪は、白髪が混じっていてみすぼらしい。ひどくやつれていて、落ちくぼんだ焦点の合っていない目でうつむいていた。


 息をするような小声で、女は何かを呟いている。


「ちがうわ、ちがうちがうちがうちがう、こんなはずじゃないもの。だって、あたし望んでないわ、そんなつもりじゃなかったものああごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい、本当にごめんなさい償うわ、ちゃんと償うわ、殺した殺した殺した殺したあたしが殺したの殺し殺し殺し、殺し、殺して、殺して謝るからお願いします許してください」


 よく聞くと、こんなことを言っていた。ただひたすらに謝罪と懇願を繰り返す彼女は、こっちの来訪に気づいていない。

 唐突に独り言を止め、彼女は机に近づき、その上においてあったごつごつした塊を手に取った。


 名前を呼ぶと、生気のない濁った瞳と目があった。


「あら、いたのね………」


 彼女は皮膚を裂いたような笑みをたたえると、手に持っていた塊を自身のこめかみに当てた。


 なにをしているのかを問うと、突然彼女の目から幾筋もの滴が垂れた。とめどなく流れ落ちるそれは、彼女の頬をあっという間に濡らした。顔を歪め唇をかみしめた表情は、苦悶以外の何ものでもない。


「あたしよ、全部全部ぜーんぶあたしが悪いの。あなたに親がいないのもあたしのせいよ。どうせ恨んでいるんでしょう? でも許してね、ちゃんと償うから」


 親なんていらない。

 恨んでなんかいない。

 だから、そんなもの、机に置いて。


 ――――ひとりに、しないで。


 そう訴えても、彼女は自身を責めるばかりで聞いてくれない。

 悔しそうに、申し訳なさそうに、彼女は泣いていた。


「許して………ごめん、ごめんね―――」



#

 暑い。


 目覚めと同時にそう思った。


 蒸し暑い空気が頬にまとわりつき、軍用トラックの唸るようなエンジン音と、ともに荷台に乗車している少年兵たちの騒ぐ声がうっすら耳に届いた。


 また、随分前のことを夢に見た。あまりいい出来事とは言えないことだ。しかしそれはよく見慣れたものであり、不快だったものの、覚醒は落ち着いていた。徐々に眠気が覚めてきたので、周りの様子を確認する。


 小さめの軍用トラックの中には、何人もの少年兵たちが家畜のように詰め込まれていた。分厚い布で密閉された荷台は、少年兵たちの汗の臭いでむせ返るようだった。新鮮な空気を求め、こぶしほどの大きさに破れた布の隙間に顔を近づけた。ひとしきり新鮮な空気で肺を満たすと、片眼だけを覗かせ、外の様子を覗った。


 荒涼とした大地をを焼き尽くさんばかりに、太陽がギラギラと燃えている。汗でぐっしょりと濡れた顔を、土埃の付いた兵隊服で拭った。そして穴から見える、自動的に流れる景色をそれとなく眺めた。だが、景色と言っても周りには地平線が広がるばかりで、眺める要素は何一つない。だから景色を眺めていたというよりは、遠くを見てぼんやりしていた、と表現したほうが的確かもしれない。


 しばらくトラックの荷台で何をするでもなく揺られていたが、同乗していた他の少年たちがいっそう騒ぎ出したので彼らの方へと視線を動かした。


「あ、おい。お前はどう思う?」

 視線に気づいた一人が話を振ってきた。しかし先ほどまでの会話を全く聞いていなかったので、「何が」とだけ返す。


「だーかーら、イヌはオレたちを攻撃できるかって話だよ」

 イヌ、とは動物の種類ではなく、政府の治安軍のことだろう。組織の人間はみな、政府に忠実な彼らのことをそう呼んでいた。


「……さあ。お前は?」

 考えるのが面倒だったので適当に返した。すると少年は、まるでその返事を待っていたかのように彼の意見を述べだした。


「オレは、アイツらは手出ししないと思うぜ。政府はまだ消極的で、なるべく殺さないように仕掛けてくる……って班長が言ってた。それに、オレたちはまだ子供だから、イヌは殺すのをためらうんだぜ。だから今日は楽勝だ。な?」

「……かもな」


 そう思うだろ? そんな風に目で訴えられたので、一応同意してやった。だがこちらの反応が薄かったからか、「ノリ悪ぃな」と口を尖らせて、他の少年たちとの会話を続けた。


「今日、どれくらい殺れると思う?」

「んー、目標は二、三人くらいだな」

「少なっ」

「うるせー。相手はイヌだぞ? 三人当たったら上々だっつーの」

「でもでも、イヌなら殺すより生捕ったほうがよくね? 班長も喜ぶかも」

「バーカ、オレらでも生捕れるような雑魚捕まえても情報もってないし意味ねぇよ」

「じゃあそいつで暇つぶししようぜ」

「おお、それいい! イヌで遊べるなんてなかなかないしな!」

「だろ?」

「なんかゾクゾクするぅ~!」

「キモっ! お前キモっ!」


 心底楽しそうに笑う彼らの声を聞き、うんざりした気分になった。無意識に溜息がこぼれる。


 今まで治安軍と衝突して死者が出ていないものの、動けないほどに重傷を負った兵士たちはたくさんいたのだ。もういつ死者が出てもおかしくないというのに、自分が殺されるかもしれないという考えはわかないのだろうか。


 暇つぶし云々と語っていた少年を心うちだけで嘲笑いながら遠くに目をやる。まだ目的地へは着きそうにない。数十分前と大して変わらない風景を見つめながらそう思い、いつのまにか少年たちの会話について考えていた。


 彼らの頭の中には自分が犠牲になるという発想はないらしい。だとしたらあくびが出るほどに楽観的な思考だ。弱い人間と戦って勝つことは当たり前だ。だが今日は適当に村や集落を襲ってきたのとはわけが違う。治安軍は国が訓練した兵士なのだ。殺される確率は今までの比じゃない。


 今日死ぬとしたら、彼らはどんな気持ちで息絶えるのだろう。

 子供なのに、理不尽だ、とでも思うのだろうか。

 それなら、今まで殺してきた人間も同じ気持ちだったのだろうから、おあいこである。


 目の前の少年たちの顔に、かつて自分が銃口を向けてきた人間の最期の表情が重なった。


眼球が落ちてしまうのではと思う程に見開かれた目。恨みを呟く唇。額にめりこんだ弾丸。


「…………けっ」


 いつの間にかとても悪趣味なことを考えていた自分に気づき、顔をしかめた。腹部がむかむかするような不快感を断ち切るために、思考を中断する。


 ――くだらない。


 殺すのも生きるのも、全てどうでもいいただの日常だ。


 ゆっくり息を吐き、持っていたアサルトライフルにもたれかかる。すると再び瞼が重くなり、眠気が意識を遠くへいざなった。それに逆らうことなく目を閉じた。


拭ったはずの汗が、再び首筋をつたっていった。

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