第六羽 うさぎライフ
私が湯浅さんからウーサを預かって、一年。
思い返せば色々な出来事があったものだ。そんな日々も、そう。
今日で終わり。もっと感傷的になるのかなと思っていったが、実際この日を迎えてみるとそうでもなかった。
「ウーサ、私があげる最後の朝食だ。しっかり食べろよ。そして太るからちゃんと運動しておくのだぞ」
そう言いながら、ウーサの頭を撫でる。ウーサは気持ち良さそうに眼を細めていた。
今日は湯浅さんが帰国する日。
私は湯浅さんの部屋にウーサを返さなければならない。
そのために、まずは湯浅さんの部屋の掃除だ。敷いてあるマットをいったん外に出して埃を払う。マットを戻す前にはちゃんとフローリングの床を乾拭きしておいた。
そして改めて湯浅さんの部屋を見る。数多くのうさぎ関連の書籍に、うさぎグッズ。湯浅さんのうさぎに対する愛情が感じられる。
「この部屋も見納めだな」
最後にじっくり、というのも湯浅さんに失礼だ。私は掃除をさっと済ませ、部屋を出る。
「おっと」
鍵を閉めるのを忘れてはいけない。
ウーサの引越しは、二段構えだ。
ウーサが小屋から出て遊んでいる隙に、まずはウーサの小屋を湯浅さんの部屋に運び入れる。
そして、ウーサ自身はキャリーの中に入ってもらい移動する。
ウーサの引越作業を終え、湯浅さんの部屋のウーサの小屋の前。
ウーサはキャリーに入れられて怯えているのか、小屋の奥に引っ込んでいる。
そんなウーサを最後に撫でようと手を伸ばしたそのとき、
ぷーぷー!
ウーサは私の手をひっかこうとした。それを寸でのところで避ける。
私は愛想笑い一つ。
「そうだよな、キャリーに入れられた後だから警戒しているよな」
名残惜しいけど、私はウーサの小屋の扉を閉める。
そして最後に、
「今までありがとな」
と言って、湯浅さんの部屋を出た。
(感傷的な気分になる?)
いや、どうせ湯浅さんに言えばウーサに会わせてもらえるさ。だから何も気にすることはない。
☆
今日は、あの日と逆だ。
私がマンションの前に立ち、湯浅さんを待っている。
約束の時間はまだまだ一時間も先だけど、何となく一人で自分の部屋にいたくなくて、こうして立っている。そのはずなのに。
ガラガラガラ。
一年前にも聞いたあの音が早くも聞こえてくる。その音の方を見る。
「お久しぶりです」
私がそう言うと、湯浅さんは笑った。一年ぶりに見る湯浅さんは、格好こそありふれたビジネススーツだが、とても綺麗に見えた。
「いや、私はWebカメラを通じてほぼ毎日、昨日も卯月君のことを見ていたけどね」
「そういえばそうですね」
私たちは、ふふっと笑う。
そして集合時間よりも一時間早いことについて尋ねると、一時間ある時差を考慮していなかったと言われる。確かにそれは私もすっかり失念していた。
さて、世間話はこの程度にしよう。湯浅さんが今一番望むことはただ一つ。それを早く叶えてあげなくては。
「湯浅さん、ウーサは湯浅さんの部屋に戻しておきましたよ」
私はそう言って、湯浅さんから預かっていた部屋の鍵を差し出す。
が、湯浅さんは鍵を受け取らず、私の言っていることが理解出来ないといった感じで首をかしげている。私自身も湯浅さんのその態度が理解出来ない。あ、まさか。
「あ、すいません。湯浅さん荷物多いですし、私が部屋の鍵を開けて扉も開けるべきですよね」
と私が言うと、湯浅さんはそうじゃないと即効で否定する。そして、私の言っていることが理解出来たのか、いや、でも理解したのならおかしいぐらいの怒りの表情を見せてくる。私は何も怒られるようなことをした覚えがないのだが。
湯浅さんは大きなスーツケースから手を離し、私の元に一歩近づく。そして、私に向かって大きな声で怒鳴る。
「馬鹿、誰がそんなことを頼んだの!」
そんなことというと、ウーサを湯浅さんの部屋に戻したことですかと聞くと、湯浅さんは頷く。
「いや、すぐにでも湯浅さんはウーサに会いたいと、また元の生活をしたいかなと思ったのですが」
湯浅さんの怒りは収まらない。そして、湯浅さんは何故か私の手を掴み、そのままマンションの中へ引っ張っていく。
「早く来なさい。ウーサを卯月君の部屋に戻すわよ」
「ええ?!」
全く予想していなかった湯浅さんの言葉に、私は思わず声を出して驚く。そして、
「そんなことをしたら湯浅さんがウーサと一緒に暮らせないじゃないですか。あ、あとスーツケース忘れていますよ」
私の言葉に、湯浅さんは、はぁ、とため息一つ。
「卯月君は天然かしら。卯月君だって半年近くウーサと一緒に暮らしてきて情が移ったでしょ。それはウーサだって同じことだと思う。だとしたら、もう一緒に暮らすしかないでしょ」
ポカーン。
湯浅さんは、顔をちょっと赤らめながら、
「な、なに。嫌なの?」
と言ってくる。
私は首を思い切り何度も横に振ってそれを否定する。そして、その動きで頭を揺らすことにより冷静になり、やっと状況を理解することが出来た。
私は首を振ることを止め、改めて真剣な表情で直接伝える。
「嫌じゃないです」
湯浅さんは、当然よ! と照れ隠しだろうか、後ろを向きながら言った。
でも、その前に確認しておかなければならないことがある。
「湯浅さん、一つ聞いていいですか。どうしてウーサを私に預けようと思ったのですか」
あの日、マンションの前で出会うまでは、会社で何度か話していたり仕事を押し付けられたりしたことはあったにせよ、大切なうさぎを預かるような関係ではなかったはずだ。
「最初は私も友人に預かってもらおうと思ったのだけど、ウーサがどうしても凄く緊張しちゃってね。それで困っていたときに、卯月君のことを思い出したの」
一体どういうことだろうか。
「気づいていないと思うのだけど、私は卯月君のことをずっと見ていたわよ。何せ一目惚れしていたからね」
全く気がついていなかった。漫画の主人公であれば、ここで鈍感ね、とヒロインに言われているところだろう。
しかし、これは湯浅さんが私を好きという話であり、ウーサを預かる話には繋がらない。私がそう思っていると、湯浅さんは再び、
「はぁ」
とため息一つ。そして、言った。
「私が好きな人なら、ウーサも好きになってくれるはずでしょう」
それが私にウーサを預けようと思った決め手だよ、とも付け加えた。
私は湯浅さんのその純粋な考え方に、ただただ照れた。
そして湯浅さんの判断は確かに正しかったのだろう。今思えば、ウーサは年をある程度重ねている割には、私にはすぐに懐いてくれた。
それはてっきりウーサの性格だと思っていたが、先ほどの湯浅さんの話を聞く限りでは、そうではなかったようだ。
湯浅さんは真剣な表情に戻る。
「私も本当は、他人にウーサを預けるというのは凄く心配だった。だから、まずは卯月君にはうさぎについて勉強してもらうことにした。その様子次第では、最終幻想社のプロジェクトを断ろうと思っていたの。だけど、卯月君がしっかりうさぎについて学んでくれる姿を見て大丈夫かなと思えたの」
そして、湯浅さんは続ける。
「その判断は、今ならハッキリ言える。正しかったと。私という飼い主のことを気遣ってWebカメラを設置してくれたり、そのカメラを通じてウーサに愛情を持って接してくれていることを見せてくれたり、何より、ウーサが体調悪くなったときも本当に心配してくれて、病院にも連れていってくれたおかげで大事に至らなかった。あのときのことは本当に感謝してる」
私は湯浅さんの言葉に、照れ続ける。私はただ、湯浅さんの喜ぶ声が聞きたかっただけなのだが。ああ、なんだそうか。
私も、湯浅さんのことが気になっていたんだ。
今になってやっと自分の気持ちがわかった。
相思相愛。
というわけで。
「わかったら早くウーサの小屋を卯月君の部屋に。それと、私の布団と服も。あとお気に入りの人形もよろしく。あとスーツケース早く取りにいきなさいよね。いつまでマンションの前に放置してるのよ。盗まれたらどうする気よ」
『異議あり!』
「ちょっと待ってくださいよ。そんなにいっぱい私の部屋に入りませんよ。あと、スーツケースは自分で取ってきてくださいよ」
湯浅さんは、何言っているの、と言ってから、
「その分、私の部屋に卯月君の部屋の荷物を移せばいいでしょ」
「なるほど」
そう言われればそうか。
「納得した? じゃあ後はよろしくね。私は長旅で疲れているから自分の部屋でいったん休むわね」
そう言って、湯浅さんはエレベーターへと向かう。スーツケースを置いて。いや、まぁ、スーツケースはこの際いいや。
「湯浅さん、部屋の鍵忘れていますよ」
そう言って、私は再び湯浅さんの部屋の鍵を差し出す。それを見て湯浅さんは三度ため息一つ。
「それ、スペアキーだから。無くさないようにちゃんと持っててよ」
と言って、エレベーターに乗り込んでいった。
さっき色々言っていたけど、なんてことはない。つまりはそういうことだったのだ。
私は緩む頬を手で押さえながら、マンション前でぽつんと佇んでいるスーツケースを回収しに向かった。
☆
ウーサの小屋を回収するために、湯浅さんの部屋に再び向かう。部屋の中では湯浅さんは一足先にウーサを撫でていた。湯浅さんは本当に幸せそうだった。
そして、湯浅さんはウーサ大好きオヤツシリーズの乾燥青マンゴーをあげている。が、なんとウーサはオヤツをその場で食べ、逃げようとはしなかった。湯浅さんとウーサは、しばらく離れていたけれど、その絆は変わらず残っているのがわかった。わかったが、
「元気でちゅたかー?」
ちょっと湯浅さんが幸せ過ぎて崩壊しているようなので、私はそそくさと小屋を運び出した。
私の部屋はまだ昨日までの状態なので、ウーサの小屋を運んでくるだけで準備は済んだ。
その後、私は湯浅さんに言われるがままに布団や人形を私の部屋へと運びこむ。
そして、何回か往復したあと。自分の部屋に持ってきた湯浅さんの荷物をウーサの届かない高い場所に一時的に置いていると、
ガチャリ。
鍵が開く音がする。そして、玄関の扉がゆっくりと開く。
そこには、湯浅さんがいた。その手にはキャリー。もちろんその中にはウーサがいるのがわかる。
私はニッコリと笑いながら、こう言ったのだった。
「ようこそ、卯月(うさぎ)家へ」
こうして、私と湯浅さんとウーサのうさぎライフが始まる。
― うさぎ家 終 ―
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