第五羽 うさぎ家
ウーサが元気になって一ヶ月。何となくなのだが、前よりもウーサと仲良くなれている気がする。
例えば、ウーサを柵内で遊ばせているときに私も柵の近くで寝転がっていると、気がつけばウーサも私に近い位置での柵の向こう側で休憩しているのだ。今までだと小屋の中か柵から遠い場所で休憩していることが多かったのに。
私は、やってみたいことがあった。
『私の部屋を、うさぎ家にする』
湯浅さんの家のように、うさぎに染まるというコンセプトのうさぎ家にすることは財政的にも難しい。そんな私が出来ることと言えば、ウーサにこの部屋を開放することだ。
だが、さすがに日中仕事に行っている普段にいきなりそうするわけにはいかない。この前のようにウーサの体調が良くないから暴れないだろうということがわかっていればいいのだが、普段のように走り回ったりジャンプしたりしているのであれば、何か事故が起こる可能性があるからだ。そうなってしまってからでは遅いのだ。
だから諦めていたのだが、天が私に味方した。
年末年始の休みが、カレンダーの曜日とワイエスの業務開始日の関係で二週間という長期休みになったのだ。
それだけの休みだと、今度は湯浅さんが日本に一時帰国するかなと思ったが、そこは天下の最終幻想社のプロジェクト。湯浅さんには悪いが案の定炎上し、遅延を取り戻すためにもプロジェクト参加者は正月返上で取り組むことになったそうだ。これは余談だが、その正月返上対策として、有効なパスポートを所持している人も一時的に台湾に飛ぶことになった。
私はウーサのことがあるので断ったが、高鈴は参加することになり、正月休みが無くなったとだいぶ嘆いていた。
ちなみに私の実家は電車で三十分の距離にあるので、例年通り、ちょっとだけ顔を出せばいい。
長々と理由を述べたが、つまり私は年末年始の間は家でウーサを放し飼いにしても見守ることが出来るのだ。
「というわけで家にいることは出来るし、私もだいぶウーサと仲良くなることが出来たと思う。だから年末年始の二週間。その間だけでいいから、柵を外し、小屋の扉も常時開けっぱなしにして、この部屋でウーサを放し飼いさせてもらえないだろうか」
私の提案に湯浅さんは考え込む。が、一分もしないうちに、
「うん、いいよ」
と、了承してくれた。そのあと、ちょっと悩んだのは、湯浅さんよりも私が先に放し飼いを経験してしまうことが悔しかったからとぶっちゃけてくれた。それなら止めとこうかと言うと、
「ううん。卯月君の言う通り、確かに放し飼いを経験するのには丁度良いタイミングだしね」
そして、さらに湯浅さんは付け加える。
「こっちは高鈴君と一緒に、最終幻想社を怨みながら頑張るよ」
その言葉には、ぞっとするぐらい怨念が込められていた。
さて、女王陛下から放し飼いの許可(ライセンス)が出たのだから、さっそく準備に取り掛かろう。
まずはテレビ周りの隙間の封鎖の補強だ。前に何もしていないときにウーサに入られてスピーカーのケーブルを噛み千切られて以来、ダンボールで入れないようにしている。ただこれは本当にダンボール一枚を壁にしているだけなので、私が何かをしている間に柵を乗り越えたときのような短時間であれば防げるが、長時間となると難しいだろう。だから私はその隙間の内部に百円均一の店で買ってきたプラスチックケースを詰めた。そしてその上に前と同じようにダンボールを、枚数を増やして貼り付けた。
次はコンセント周り。どうしても内部にしまうことが出来ないケーブルについてはケーブルガードと呼ばれる曲げることの出来るプラスチックの筒のようなもので囲む。そしてそれにあわせて簡易な柵でも囲むようにする。
あとは机の上。ウーサのジャンプ力であれば机の上には乗ってくると思うので、必要なとき以外は机の上に何も置かないようにした。
居間はこれぐらいでいいだろう。一応念のために玄関と廊下も確認する。気をつけはするが、万が一ウーサがそっち側に入り込んでしまったときに危険なものがあるといけない。
「おっと、さっそくあった」
廊下と玄関の隅に、黒い悪魔対策のホウ酸ダンゴを置いていたのだ。私はそれをウーサが届かない高い位置に置き直す。もう冬だから捨ててもいい気はするが。その他には、見渡す限り何も無かった。
私は居間に戻り、小屋の中でくつろいでいるウーサに声をかける。
「もう少ししたら、この部屋は、私とウーサの家になるからな」
私の言葉にウーサは、
ガタッ。
オヤツがもらえるのかなと小屋から飛び出してくる。
「いや、そういうわけじゃ」
そんな私の言葉は、ウーサの口の中にオヤツと共に吸い込まれていった。
☆
最後に柵を取り外す。そして、小屋の扉も開ける。
部屋の変化を感じ取ったのか、ウーサは小屋の入口辺りに来るも、なかなか外に出ようとはしない。
そんなウーサに私は言った。
「今日からこの部屋は、その全てをウーサが使っていいんだよ」
ウーサは何度か出るのを躊躇ったあと、
ガタッ!
小屋の外に勢いよく飛び出す。
私はニッコリとウーサに微笑みながら、こう言ったのだった。
「ようこそ、うさぎ家へ」
★ うさぎエピソード 兎の錬金術師
賢者の石。それは等価交換の法則を超え、様々な奇跡を起こす。だがそれは現実の世界には存在しないものである。だがもしそれを見つけることが出来たなら、奇跡を自在に操れるのだ。
「遂に、見つけた。我が求めて止まなかった賢者の石を」
「はいはい、ウーサのことでしょ」
ため息と共に、湯浅さんは私の厨二発言を切り捨てた。
私は現実の世界に戻り、話を続ける。
「ウーサを放し飼いにしながら本を読んでいると、時々足の裏をつんつんしてきてビクッとするのね」
柵の中だけで遊ばせていたときは、触れ合うときもこちらから触れにいくので、ウーサから触れてくるということはとても新鮮で嬉しかった。
「それで、最近はエアコンを入れていても寒くなってきたので、ウーサをそのままくるぶしの辺りで挟むのよ。ウーサは温かいよ」
毛皮を年中着ているだけのことはある。だが、温かいというのは序章だ。
「挟んでいると、ウーサはちょっとだけ身体を動かし、なんと、足をぺろぺろしてくるんだよ!」
私はその行為が嬉しくなり、足で挟むことを止めて、足でおでこを撫でるのだ。そしてしばらくして足で撫でるのを止めて再びウーサを挟んで読書に戻ると、またぺろぺろ。
「撫でて、ぺろぺろ、撫でて、ぺろぺろ、きゃわわわわ」
そんな私に、湯浅さんは冷静に突っ込む。
「でもそれって『撫でる』と『ぺろぺろ』の等価交換じゃない? 賢者の石のような法則外の奇跡では無いよね」
その発言に、私はWebカメラの前に行って首を横に振る。
「ココロがオーバーヒートするぐらいの幸せを貰っているのです」
これだけ幸せな気分にしてくれる存在なんて今まで無かった。
湯浅さんも、台湾に行く前のウーサとの二人きりでの生活は、こんな幸せな気分を味わっていたのだろうか。そんなことを思っていると、湯浅さんは大きくため息をつく。そして、
「ごめん、ちょっと引くわ」
と言った。その発言は想定外だ。私は、えー、と残念そうな声を出す。すると、湯浅さんは続けて話す。
「私も放し飼いではないけれど、ウーサを柵の外に出して同じことをしていたから、それを他人がしているということを聞くと、どうにもこうにもで、仕事なんて捨てて今すぐ日本に帰りたいと思ってしまっている自分に引いています」
私はWebカメラに向かい、頭の上に腕で丸を作る。そして、
「正常です」
と、真顔で答える。だよね、と湯浅さんは笑う。そしてそんなやり取りをしている私たちが気になったのか、ウーサが近寄ってくる。
そして足元に行き、ぺろぺろ。
「うわ、きゃわわわわ!」
「いいなー、きゃわわわわ!」
撫でて、舐められて。そして溢れる愛情を感じて。
この溢れる愛情分を等価交換の法則無しに得ることが出来ることからウーサを賢者の石に例えたが、もしかしたウーサも私と同じように幸せを感じてくれているのかも知れない。
それなら、私とウーサの行為は立派な等価交換だ。
「卯月君の言う通りだと思うよ。見ている限りでは、ウーサも幸せそうだもん」
湯浅さんにはっきりそう言われると、それはそれで法則が乱れる。
こうして、うさぎ狂いの夜は過ぎていった。
★ うさぎエピソード 未知の場所
放し飼いを始めた頃は、ウーサにとっては急に世界が大きくなったようなもので、本当に安全な場所なのかを図りかねていたのか、小屋の周りでしか活動していなかった。でも次第にウーサの活動範囲は広がっていき、眼に見える範囲は安全な場所とわかったようだ。
タタタ。タタタタ。
そんな警戒な足音を立てながら、ウーサは気兼ねなく室内をウロウロしている。
そんなウーサが未知の場所と思っているのが、廊下だ。
普段は廊下への扉は閉めているのだが、私が冷蔵庫から飲み物を取り出したり、お手洗いに行ったりするために移動する際に一緒についてくることがあるので、部屋と廊下の境目に立つことはある。
だが、そこまで。
ウーサは廊下の前で立ちすくみ、前足をちょこんと少しだけ廊下に置くも、すぐに引っ込めてしまうのだった。
未知の場所に行くということは、人間であっても怖いものだ。うさぎであるウーサにとっては、なおさらだろう。
いつもなら用を済ませたらすぐに部屋に戻るのだが、今日はしばらく観察してみることにする。
チョコン。やっぱりだめ。でも、チョコン。やっぱりダメだ部屋に戻ろう。
ウーサは、まるでそんな声が聞こえてくるような動きを見せた。
「くそぅ、可愛いな」
私は、そのしぐさに可愛いなと思うのと同時に、私の部屋も湯浅さんの部屋のように安らげる場所と思ってくれていることが再認識出来て嬉しかった。
★ うさぎエピソード 勧められたら断るわけにはいかない
放し飼いを始めると、日々のルーチンワークも少し狂ってしまう。
「おっと、ウーサの水が少なくなっているな」
今まではウーサを小屋から出す前にボトルをチェックし、ウーサを廊下に連れていかないようにするためにも小屋の扉を開ける前に水を入れ替えていたのだ。だが今はウーサの扉を開ける前という概念が無いので、チェックを失念してしまっていた。
私はボトルに水を補給する。そして、それを小屋にセットする前に、中腰になり、
直接!
ウーサの前にボトルの飲み口を持っていく。
「ウーサ、飲むかい」
ウーサは「お、水か」という表情をしたかと思うと、ゆっくりと飲み始める。近くで飲んでいるから、ごきゅごきゅという音が聞こえる。そんな当たり前の音でも嬉しく思える。
「しかし、不思議だ」
ウーサはちょっと顔を上に上げて飲んでいるのだが、人間からすればこの飲み方は食道の中に直接入っていく感じになるので辛い気がする。うさぎはそうでもないのだろうか。気管に入ってげほっげほっという惨事にはならないのだろうか。
ウーサは私がそんなことを思っている間も、ごきゅごきゅ。
一分経過。
「ウーサ、もうそろそろいいかな」
さすがに中腰のままでいるのは辛い。が、そんな私のココロの中の悲鳴を聞こえないふりしているのか、ウーサはその後、さらに一分半ほど飲み続けた。腰が少し痛くなったが、それでもウーサが直接水を飲んでくれたということが嬉しかったので良しとした。
★ うさぎエピソード 女の子
行動出来る範囲が広くなったウーサは、まるで散歩で公園に連れていってもらったときの犬のように、はしゃぎ回っている。やたら意味も無く部屋を走り回ったり、自分の限界を試すように高くジャンプしたりしている。行動だけをみれば男の子だが、ウーサはこれでもれっきとした女の子である。
私はそんなウーサを眺めながら、呟く。
「私もこうして女の子と一緒に暮らす日がやってくるとはな」
これが同棲というやつか。いや、部屋の中、さらに小屋という檻に閉じ込めることもあるのだから、監禁か。
「私もこうして犯罪者になる日がやってくるとはな」
うさぎ監禁罪で逮捕されるその日まで、今は思い切りウーサとの生活を楽しもう。否、可愛がろう。
私はウーサの頭を撫で撫で。背中からお尻のラインにかけてをマッサージ。耳の付け根を時計回りにぐるぐる撫で撫で。耳本体をソフトタッチ。だが、そんな表だけでは私は満足しない。
「中の方も触っちゃうぞ。ぐへへ」
ウーサのお腹に手の平を潜り込ませ、圧迫させない程度にお腹をマッサージする。この手加減はなかなか難しく、ちょっとでも強くなったりウーサが気持ち悪いと思ったらすぐに逃げて行ってしまうのだ。だが加減を覚えた私は、ゆっくりと楽しむことが出来る。
ちょっとだけ真面目な話をすると、お腹をこうして触診するということは、お腹の調子を確認するためという意味で大切なことなのだ。だから私は決していやらしい気持ちだけで触っているわけではないということを理解してもらいたい。と、誰かに言い訳する。
私はお腹を撫でるのはそこそこにして、再びおでこや耳の付け根のマッサージをする。ウーサは気持ち良さそうに舌をペロッと出したり、ちょっとした軽い歯軋り音のようなものを出したりしている。
「気持ちイイんか、ここがイイんか」
私は悪そうににやけた顔をしながら続ける。が、そのとき。
「うわ、変態がいるよ」
と、いきなり背中越しに聞こえる声。私は慌てて振り返り、パソコンのモニターを見る。気がつかないうちに湯浅さんがこちらに接続してきていた。
私はおそるおそる尋ねる。
「い、いつから聞いていました?」
その問いに、湯浅さんは笑い声で答える。
「帰りたいな、ってつぶやいたとこ」
「最初から聞いていたのじゃないですか、恥ずかしい! いや、じゃなくてそれって本当に最初の発言ですよね」
意味がわからない回答だったが、さっきまでの弾けていた私のココロを落ち着かせてくれるのには成功したようだ。
私はさっきまで撫で撫でで拘束していたウーサを開放し、湯浅さんとの会話に戻る。湯浅さんは何故か今日はご機嫌だ。
「ねぇ、本当にその部屋に人間の女性を連れてきたことはないの? 卯月君、彼女はいないのかな」
なんとも失礼な発言だ。だが、
「ないですし、いません」
そう、失礼な発言だが当たっているのでどうしようもない。だから私は、せめて反抗的にぶっきらぼうに答えた。
本当は、勝手に私の部屋に入ってベッドを捨てた女性はいますけどね、と言いたかったが、小心者の私には無理だった。
つんつん。
ウーサはまだまだ撫でられ足りないのか、私たちの会話に割り込むような形で、私の身体をつんつんして催促してくる。そんなウーサの行動に私は再び表情が緩み、そして撫で撫で。
「ウーサは可愛いなぁ」
そんな私を見て、湯浅さんは、むー、と唸っている。
湯浅さんもウーサを撫でたいのか、それとも湯浅さんも私に撫でられたいのか。
「馬鹿じゃないの」
そんなことを口に出すと、湯浅さんの罵倒が聞こえてきそうで怖い。だが、それもいい。
駄目だ、何やら今日の私は『可笑しい』ようだ。
★ うさぎエピソード ダッシュ!
安心出来る場所なのだろう。ウーサは放し飼い状態になっていても、寝るときは小屋に戻って寝ることが多い。昨晩もそうだったようで、私が今朝目覚めて部屋の電気を入れた瞬間、ウーサは小屋から勢いよく飛び出した。
小屋を出たすぐの場所で一旦停止。したかと思ったら、ダッシュ!ダッシュ!ダッシュ! そして、おもむろにジャンプ! その高さは、今は部屋の片隅に置いてある柵の高さを超えているように見えた。私は寝ぼけ眼でウーサの食器にご飯を入れながら、
「今日はテンション高いな」
と、呟く。ウーサは私の声ではなく、食器にペレットが入ることで響く音に反応し、こちらへ一目散にやってくる。
ぽりぽりぽりという音が部屋に響く。
時計を見ると、まだ朝の八時三十分。昨日は深夜までやっていたお笑い番組を見てしまったので寝るのが遅くなってしまった。それにも関わらず早起きしてしまうのは、年をとったせいか、普段の朝早く起きる生活が癖になってしまっているからなのか。
どちらにせよ、私はまずはお手洗いと洗顔がしたいのである。
食事をしているウーサを横目に廊下に向かおうとすると、
スタタッタ!
ウーサはもう食事が終わったようで、爆走を開始する。
今度はテレビの下に移動し、隙間を防いでくれているダンボールをガリガリし始める。
「ちょっとまった。そこは奥に入っちゃダメだ」
私は慌ててウーサの元に行き、その動きを止める。ダンボールの奥にはさらにプラスチックケースでバリケードしているとはいえ、前に惨状を経験した私にとっては油断することは出来ない。
私がウーサの動きを何度か邪魔すると、ウーサはダッシュでその場を離れ、そしてもう一度大きくジャンプしてから、クローゼットの前の扉にもたれかかるようにして寝転んだ。おそらくクローゼットの扉の隙間から出てくる冷たい風が心地よいのだろう。
ウーサを見ると、その身体が上下しているのがわかる。
「良い運動をしたな」
私はそう言いながら、せっかくなので座布団をウーサの近くまで持って行き、ウーサが起きてしまわないように、そっと、ウーサと向き合う方向に、ウーサと同じ格好で寝転がる。
ウーサは、じーっとこちらを見ている。私もそんなウーサをじーっと眺める。
今、ウーサは何を思っているのだろうか。
「私のことを、仲間だと思ってくれていると嬉しいな」
うさぎ島には、様々な種類のうさぎが一緒に暮らしていると聞く。それならちょっとぐらい大きくて人間っぽいうさぎがいたとしても、うさぎは仲間だと思ってくれるだろうか。
「と、そろそろ尿意が限界」
私は起き上がり、すっかり忘れていた朝の用事を済ます。
数分後。お手洗いと洗顔を済ませ、廊下から部屋に戻ってくると、ウーサは何故か私の布団の上にいた。ウーサは私が一歩部屋の中に入ると、布団から逃げ出した。布団に乗ることは悪いことという認識はあるのだろう。
「別に乗ってくれてもいいのだけどね」
私はそう思いながら、まだちょっと眠いのでもう一眠りしようと布団に入った瞬間。
「冷たっ!」
水の感触。一体何で濡れたのだろうと一秒ぐらい考えてすぐにその理由がわかる。私はウーサを見て、怒る。
「ウーサ、オイタしたでしょ!」
だがウーサは私の言葉に耳を少し動かしただけで、朝食の残りのチモシーをもぐもぐ食べていた。
私はそんな姿を見て、観念する。
「この機会に、シーツを洗って布団も干そう。そうだ、それだけじゃなくて大掃除でもするか」
そうと決まれば、
ダッシュ!
私はウーサが部屋の中で遊んだりくつろいだりしている横で、しっかりと掃除をしていった。
「手伝ってとはいわないけれど、何か腑に落ちないな」
ウーサは私の部屋に来た当初は掃除機の音に驚いていたが、今はもうそんなことはなく、くつろいだままである。ウーサが原因で二度寝が出来なくなったのに、お構いなしにのんびり寝転がっている姿を見て、私の心は曇りの初日の出のように、どこかもやもやした。
☆
楽しい日々もいつか終わる。だから楽しいと感じるのだ。
年末年始の二週間の休みもあっという間に終わりを迎えた。その日が来れば、放し飼いの日々が無かったかのように柵を戻し、ウーサをその内側に戻す。
だらだらと長く続けることでウーサが放し飼いの生活を当たり前と思ってしまうと、今度は柵内だけの生活に戻ったときに耐えられなくなってしまうからだ。
「湯浅さん、私の提案を受け入れてくれてありがとう。楽しかった」
正月明けの初週を終えた後の週末。
「もう、こっちはくたくただよ」
湯浅さんの最終幻想社での年末年始をかけた大リカバリー作業は無事完了したようで、久しぶりにちゃんとした休みを取れたと喜んでいた。そして、久しぶりにゆっくりと話すことも出来ている。
湯浅さんは、
「この年末年始で試してみて特に問題も無かったみたいだし、平日のような家に居ないときに放し飼いにしているというのはもちろん駄目だけど、週末だけするとかはもちろん良いよ」
と、言ってくれた。
「それは嬉しいよ」
ウーサに広い遊び場を提供出来ること、自由に触れ合うことが出来ること、そしてなにより、放し飼いモードにした室内を元に戻さなくて良いという口実になるからだ。
こうして、私はウーサを放し飼いにしている生活、という変化を終えた。だからこそ、急に不安になった。最も大きい変化がいつ終わりを迎えるのかを。
でも、聞けなかった。聞いたらその時点で終わりが見えてしまうかも知れないと思ったから。
でも、そんな私の思いは他所に、湯浅さんは話し始める。
「今週末に正式に連絡があって、私たちがプロジェクトを抜けて日本に戻るのは、三月の最終週になるみたい」
湯浅さんは、やっと本物のウーサと会える! と喜びの声を聞かせてくれる。私も、おめでとう! と答える。
こういうときは、一緒に生活しているようで、生活していないという状況を作り出しているWebカメラでのやり取りは便利だ。
映る範囲に行かなければ、今私がどんな表情をしているのかバレナイのだから。私はウーサを見る。
ウーサは普段と何も変わらない姿で、もりもり食事をしていた。
その日から、月日はゆっくり流れ、私は三月を迎える。
☆
ワイエスの執務室付属の四階ベランダ。今年も早くも二ヶ月経過した今日、現在の時刻は三時。春前の風は温かいようで、まだ上着は外せないかなと思うぐらい冷たい。
休憩時にここから見る景色は見慣れていたはずだった。
実際は見えるビルの店子が替わったり、はたまたビルそのものが無くなったりと、様々な変化が起きている。でもそんな出来事すら見慣れていることの一部となっていた日々は、私は相当面白くなかったのだろう。
「そうだな、私も相当面白くなかったよ。卯月がいなかったらとっくの昔に辞めていたさ」
いつも通り缶コーヒーを手に二つ持った高鈴が隣にやってくる。そしてプシュ!っとやるのかと思ったら、
「ほれ」
高鈴は持っていた缶コーヒーを一つ私に手渡した。
「今日は体調でも悪いのかい」
私がそう言うと、高鈴は振り返り、備え付けの自動販売機を見る。
「さっき、二本目を買うときに当たりを引いてしまったのだよ。これが一本目だったなら、今あげてない」
そして一本目はもうその場で飲んでしまったそうだ。なるほど、普段通りの高鈴である。
私たちは二人して、プシュ! 缶コーヒーのふたを開ける。
高鈴は二本目となる缶コーヒーをちょびっとだけ飲む。
「湯浅さん、もう今月末に帰ってくるのだな」
「そうだね」
私のそんな生返事に、高鈴は不思議そうな表情で、
「あれ、嬉しくないのかい」
と、言ってくる。
湯浅さんと会えるのは嬉しいけど、
「ウーサちゃんと別れることになるのが寂しくてね」
私がそう言うと、高鈴は突然一気に二本目の缶コーヒーも飲み干す。普段なら二本目は私が一本飲むよりも遅いぐらいちびちび飲んでいるのに、今日は珍しい。そして、
「これだから卯月と一緒にいるのは面白い」
そう言って、私の隣から離れて行く。その行動に違和感を覚え、私は視線を遠くのビルから高鈴に移す。高鈴はこちらに背中を向け、大きく伸びをしている。そして、
「私もうさぎを飼おうかな」
と言いながら自動販売機の前に立ち、コーヒーを購入しようとしている。キノセイかと私は視線を再び遠くのビルに戻した瞬間、
ピロピロピロ!
軽快な音がベランダに鳴り響く。これは自動販売機で当たりが出たときの音だ。高鈴を見ると、やべっ! という表情をしている。
私は笑いながら高鈴に、今日は運がいいな、と言う。が、まてよ。
言ってから、当たり過ぎではないかと思う。こんなペースで自動販売機の当たりが出るわけがない。なら、その理由は。
私もベランダから離れ、運が良かっただけだよ、と何故か焦っている高鈴を他所に、自動販売機にお金を投入し、ブラックコーヒーを選択する。
ピロピロピロ! 当たりが出た。
「やはり。壊れているね、これ」
再び光り出した自動販売機のボタン。再度ブラックコーヒーを選択しようとしたところで、売り切れになっていることに気づく。
私は高鈴をじーっと見る。高鈴は、
「さて、仕事に戻らなくては」
そう言って、そそくさと執務室に戻っていった。
(後で高鈴の机の周りをチェックするか)
そう思いながら、私は再びベランダに戻る。そして私も、ぬおー!と言いながら大きく伸びをした。
そして、携帯電話を取り出し、メール機能を立ち上げる。
『今日は元気付けに来てくれてありがとうな』
と、書いて送信。
数分後。メール受信。
『うるせー、せっかく格好付けたのに台無しだったじゃないか』
私はベランダで一人、笑った。
「これだから高鈴と一緒にいるのは面白い」
だから、私もこうしてこの会社で仕事を続けることが出来たのだ。
ありがとう。
私はココロの中でそう思いながら、自動販売機の補充をしにお兄さんがやってきたので、なんとなく気まずくなり執務室に戻っていった。
☆
こうして、私とウーサの日々は過ぎていった。
明日は遂に、湯浅さんが帰国する日。
★ うさぎエピソード 夢
私は、夢を見ていた。
夢の中ではウーサも普通に会話することが出来るようで、寝ている私に話しかけてくる。
「なぁ、卯月ちゃん。なんでずっと一緒に居てくれないのよ」
(仕方ないだろ。私が飼っているわけじゃないのだから)
あれ、おかしい。逆に私が言葉を発することが出来ない。
ウーサは私の横でゴロンと寝転がる。そして視線だけこちらに向けて、一言呟いた。
「卯月ちゃん、もう立派な私の飼い主やで」
「ウー……
と、私が声を発することが出来たと思ったときには、眼が覚めた。
私は何故か流れる涙を、手の甲で拭った。
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