第三羽 永遠の友

烏丸ビルの四階ベランダ。このベランダについてもう少し詳しく説明しようか。執務室の中には三つの扉がある。一つはビルの一階から五階まで繋がっている階段側の扉。もう一つはお手洗いや給湯室がある小さなフロアへ続く扉。そして最後の一つが、今私がいるこのベランダへの扉だ。ここには自動販売機が一台設置してあるだけで、椅子すらない。元々は喫煙する場所だったようだが、私が入社したときには既に禁煙となっていた。

椅子や机が無いのは、長い時間休憩しないようにしてくれているのだろう。その配慮なのか、少し強い風なのか、涙が出てくる。

ベランダの柵は少し厚めで、高さも丁度ひじを乗せることが出来る良い高さなので、私はコーヒーを飲み終わった後の時間も、ただぼーっと向かいのビルを眺めて、気分転換を図っているのだ。

そんな私の気分転換タイムを邪魔するのは、決まって彼なのだ。

「どうした、何かいやらしいものでも見えるのか」

プシュ! ゴクゴク。プシュ!

久しぶりに聞いた定型音の後、高鈴は話しかけてきた。そういえばこうして高鈴から私に話しかけてきたのは久しぶりだ。

「もう私に話しかけても大丈夫なのかい」

私と高鈴は、湯浅さんのせいでホモォ疑惑をかけられていた。高鈴はそういった噂が立つということだけでもショックだったらしく、しばらく私との接点を絶っていたのだ。

高鈴は私の問いかけにニヤリと笑いながら答える。

「もう大丈夫。俺は実は女性ということにした」

それで高鈴が良いと思っているならいいのだが、何か間違っている気がするが、放っておくことにする。

高鈴は二本目の缶コーヒーをちびちび飲みながら、私の横に立つ。

私は話し始める。

「実は、うさぎを飼うことになった」

高鈴は私の言葉にちょっとだけ驚いたようだ。

「これまた急だな。なんだ、うさぎ見に来る? うん、いくいく!とかいうので女性を部屋に呼び込むためか。いやらしいやつだな」

今時そんな作戦が成功するようなことがあるのか。そもそもそれで成功する女性は、既に好意を持ってくれているのだろうし。

私はとりあえず言い返しておく。

「ピンク色のネクタイをしている人には言われたくない」

「ネクタイの色は関係ないだろ」

「確かにそうだな」

そんなやり取りをして、私は再び向かいのビルをぼけーっと見る。


高鈴はそんな私を普段と違うと感じたのか、真面目な口調で、

「どうした、悩みでもあるのか。聞いてやるぞ」

と言ってくる。私はちらりと高鈴を見る。その表情も真剣だった。

私はため息一つ。

「実はこれから迷惑をかけてしまう人がいるのだが、その人にどう声をかけたらいいものかと悩んでいる」

そんな私の言葉に、高鈴は、なんだそんなことかと笑う。そして、

「卯月はどうでもいいことにはおふざけを言うのに、誰かに何かを与えることにはクソ真面目だな」

それは悪い癖だ、とも追加してくる。

「気を遣っているのだよ」

 高鈴はぶんぶんと首を振って否定してくる。

「だからそれが必要ないんだって。ガツンといけ!」

そういう高鈴だって、いつも私のことを気遣ってくれているじゃないか。とは言わない。なぜなら高鈴からの気遣いにはだいぶ救われているのだから。今日もまたそうだ。

私はぐーっと背伸びをする。そして、

「そうだな、ガツンといくか! アドバイスありがとな。今度缶コーヒー奢るよ」

と笑顔で返す。高鈴は苦笑いをして、答える。

「二杯飲むだけで限界だっつうの」

何故そこまでして飲んでいるのかが本当に不思議である。


 ☆


その日の夕方。時刻は十八時。

私は高鈴の座る席の前に立つ。そして、書類をその机に置く。

「残りの作業、よろしく!」

私の笑顔に、高鈴は驚いている。

「冗談だろ?」

高鈴の問いかけに、私はゆっくりと首を振る。

「実はさっき、頭を思い切りハンマーで殴られたんだよ」

私の言葉に、高鈴は笑う。

「ガツン!とか」

という冗談はさておき、私は真面目モードに戻り、高鈴にちゃんと今の状況を伝える。

うさぎを湯浅さんから預かっていること、うさぎの世話をするために早く退社する必要があるということ。

状況を伝えたうえで、頭を下げる。

「わかったよ、やっとく。明日からも早く帰るのだろ? それならなるべく私も卯月の仕事を手伝うようにするから。そして、十八時を過ぎた際に残ってしまった仕事は引き受けるよ」

と、高鈴は文句一つ言わずに受け入れてくれた。高鈴には本当に頭が上がらない。

「ありがとう。さすがズッ友」

「名前を変な位置で略すな。浅漬けにするぞ」

私たちは笑いあった。


 ☆


烏丸ビルの前に立つ。十八時に退社すると、当たり前なのだが外が明るいということに驚いた。この私の定時退社を実現させることが出来たのは高鈴のおかげだ。持つべきは友。

今となってはこうして友人や周りにいる人の大切さを理解しているが、昔の私はそうではなかった。

子供の頃から漫画やゲームの世界感が好きだった私は、小中のときは家にいることが多くかった。それに対して親が怒り、嫌々ながら外に出て友人と遊んでいた。友人はずっと外に出ているわけではないので、流行りの漫画やゲームの話をしているのを聞いて、何故私の家ではやらせてもらえないのだろうと泣いていた。

高校生になってからはある程度自由に行動が出来るようになり、そして大学で一人暮らしを始めてからは本格的に引きこもるようになった。引きこもりといっても、もちろん授業や課外活動には参加しており、友人もそれなりにいた。だが決められた時間以外は、自宅で漫画や小説、ゲームやインターネットなどを楽しむ日々を過ごしてきた。それらのことの方が私自身の中で優先度が高く、それらを理由に友人の遊びの誘いを断ることも多くなっていた。

「付き合いも大事だよ」

誰からだっただろうか。そういうことも言われた気がするが、自由時間に自分のやりたいことをやって何が悪いのかと思っていた。

今思えば、これがずっとやりたいことをやらせてもらえなかった私の、少し遅めの親に対する反抗期だったのかも知れない。

社会人になると、今度は人間関係の希薄に寂しさを覚えるようになった。誰かと会いたい。そう思ったときには既に私には友人と呼べるような存在は残っていなかった。

そんな私に、高鈴は私の何が気に入ったのか、色々と話しかけてきてくれて、いつしかお互いに冗談や無理を言い合える仲になった。

一人が嫌なわけではない。だが、高鈴のような気兼ねなく話が出来る存在や、家で待っているウーサの存在は、私の日々の生活を楽しくさせてくれている。

あと一年で三十歳という齢になって、私は親が家の外に無理やり出させてきた理由を理解した気がする。

「というか何も言わずに外に出ろというのではなく、もっと子供にわかりやすいように友人の大切さを教えて欲しいよ」

本当にそう思う。


 帰宅後。私は部屋の明かりをつけ、ウーサに挨拶する。

「ウーサ、ただいま」

私の声を聞いたウーサは、それよりもご飯を早くよこせと食器をひっくり返していた。


 ☆


湯浅さんが台湾に行ってから二週間後の週末。

日々、この世界の日常は進化している。ちょっと前までは敷居の高かったことも、今は簡単に実現することが出来る。そういうことに気がつかず、自身の適応力の限界から目を背け、日常の進化速度の遅さを嘆く人もいるが、それはナンセンスだ。

「さっきからそういうナルシストな発言はどうでもいいよ。ちゃんとウーサが見えるようにセッティングしてよ」

電話越しから聞こえる湯浅さんの文句。

「わかってます。努力していますよ」

さらに電話越しから聞こえる湯浅さんの文句。

「努力とかいいから。社会人なら結果でしょ」

その文句に、私も文句を言い返す。

「家に帰ってまで社会人レベルを要求しないでくださいよ」

私はWebカメラの向きを調整して、ウーサの小屋が全面映るようにする。カメラに映ってしまうから、机も少し移動させた。

電話越しの湯浅さんから、喜びの声。どうやらちゃんと見えるようになったようだ。私も自身のパソコンからカメラの映像を見る。

「基本の位置はこれで良さそうだね。あとは湯浅さん側からでもある程度カメラを動かすことが出来るから、小屋から出して柵の中で遊ばせているようなときは調整してね」

私がそう言うと、湯浅さんはさっそく色々カメラを動かす。

「思っていたよりも広範囲を見ることは出来ないのね。せっかくなら防犯カメラみたいなやつを部屋中にセットしなさいよ」

また湯浅さんは無茶を言う。私はWebカメラの前に立ち、首を横に振る。そして、

「一応、私にもプライベートというものがありまして」

と答える。そんな私に湯浅さんは、私は部屋の鍵を渡してプライベートを開放しているのだからその主張はおかしいと言ってくる。

いや、その主張はおかしいから。

と、そうだ。

「湯浅さん、お願いしていたマイク買いました?」

湯浅さんは電話越しに買ったよーと言ってくる。

「それじゃあ今後はそれを使ってWebカメラのシステム側で会話お願いできますか。さすがにずっと携帯電話で国際電話しているのでは電話代が心配です」

私の提案に、わかったと言って、湯浅さんは電話を切る。そしてしばらくすると、Webカメラを接続しているパソコンのスピーカーから湯浅さんの声が届く。

「これで無事にセッティング完了ですね」

私はそう言って、カメラに映らない範囲で寝転がる。

「卯月君、心遣い本当にありがとね。ウーサも元気かな。おーい、本家本元の飼い主ですよ」

湯浅さんの声に、ウーサは片耳だけをピクッと動かす。が、動きはそれだけ。現在時刻は十四時。ウーサもまだまだ眠いのか、小屋の中で横になり大人しくしている。

湯浅さんからすればそんな仕草でも嬉しいのか、ふふっといった声がかすかにこちらにも届いていた。


改めて状況を説明しよう。

私は、湯浅さんが旅立つのを見送った後、Webカメラを買いに行ったのだ。そしてセッティングを済ませ、湯浅さんが台湾に行ってから一週間後の週末に電話してきてくれたときにそれを伝えた。

湯浅さんは自宅では仕事のことを思い出すからとあまりパソコンを使っていなかった。だから彼女が台湾の居住先からウーサの様子を聞くために電話してきたときにWebカメラで常時ウーサの様子を見れるようにしたということを言うと、

「そんなことが出来るのか、この世界の日常は進化しているな!」

と、とても驚き、そして喜んでいた。それから電話で湯浅さん側のパソコンの設定方法を伝えるのにはちょっと苦戦した。結果接続が完了するまでさらに一週間の時間がかかったが、こうして無事見れるようになって一段落だ。

本当は湯浅さん側にもカメラを設定してもらえれば嬉しいのだが、さすがに女性の部屋を覗くわけにも行かないし、何よりこちらのWebカメラにアクセスしてもらうだけでこれだけ苦戦したのだから、どれくらいの期間が必要になるかわからない。


台湾との時差は、一時間。だから基本的に私と湯浅さん、そしてウーサは同じ時間帯を過ごしている。

「ウーサは元気そうね。ご飯はちゃんと食べているかな」

私はウーサの食器を見る。いつも通り空っぽになっている。

「はい、食べていますよ」

私が回答すると、続けて湯浅さんからの質問がやってくる。

「ちゃんと毎日小屋の外で遊ばせてる?」

「夕食の後に遊ばせていますよ」

それから一分ほどの間。

「水替えた?」

「換えました」

こんな感じに、湯浅さんはウーサに対するちょっとしたことを色々と質問してきた。ウーサのことが心配なのだろう。

 私は湯浅さんに問いかける。

「湯浅さんは本当に心配性ですね。そんなに心配だったなら、このプロジェクト話も断れば良かったのに」

現に、何人かは日本を離れるわけにはいかないという理由で断ったそうだ。

「そういうわけにはいかないわよ。ちゃんと働いてお金を稼いで、ウーサを養う必要が私にはあるのだから。一日中ずっと一緒にいたいというのは、愛情表現に見えてただの責任放棄でしょ」

確かに湯浅さんの言うとおりだ。人間の家庭で言えば、父親が働き、そして母親が子供の面倒を見ることが出来るが、一人暮らしでペットを飼うということは、片親で育てることに近いのだろう。それは簡単なことじゃない。

「しっかりしていますね」

改めて湯浅さんのうさぎを飼うことに対する真剣さに感心する。

「卯月君も男性なのだから、ちゃんと将来のことを考えて働きなさいよ。ちゃんと貯金もしてるかしら」

「まさかここで私がターゲットになるとは」

この話題を振ったのは失敗だったようだ。


こうして一気に騒がしくなった日常。今までの一人で自由気ままに生活していく日々も悪くは無かったけれど、今のような誰かと関わりながらの生活。これも悪くはないと思える。

「それじゃあ、私はいったんマイクを切って休憩するけど、またいつでも見れるように卯月君のところはずっとパソコン動かしっぱなしにしておいてよね」

「えー、電気代がかかるじゃないですか」

とは、言わないよ。怖いから。


湯浅さんが台湾に行ってから二週間。

今日までに湯浅さんからは何度か電話があった。その度に彼女はウーサを心配していたし、そしてやはり声に元気が無いように思えていた。まだウーサを飼い始めて二週間な私でも、ウーサがいない生活を想像すると寂しいかなと思えるようになったぐらいなのだから、湯浅さんの寂しさは相当だったと思う。

それが今日、こうして実際の映像を湯浅さんにお届け出来るようになり、声の調子も元気になったと思う。それだけでも、私はちょっと嬉しかった。

 だから、ちょっとぐらいの出費は我慢しよう。

私はウーサを見る。

「ウーサも、湯浅さんに会えなくて寂しいかい」

だが私の質問にウーサは特に何の反応も示さず、眠そうな眼をしているだけだった。


ふぁぁ。

ウーサがその小さい口を大きく開けてあくびしている。


ふぁぁ。

「私もちょっと疲れが出てきたから寝るかな」

ごろん。ウーサのゴロンの真似をして、私は昼寝を開始した。



★ うさぎエピソード うさぎに対する知識


正直言うと、私は湯浅さんの部屋にあるうさぎ本の数には、

「ぶっちゃけありえない」

と思っていた。でも実際にウーサを預かり、自身でも飼育本を購入して読んでいたり、昼休みに本屋でうさぎ関係の本を立ち読みしていく中でわかったことがある。

『うさぎの飼育本は、基本部分は同じだが、それ以外の部分は作者の個性となっている』

基本部分というのは、うさぎは寂しいと死んでしまうということは迷信、水はちゃんと飲ませようなど。

それ以外の部分というのは、例えばある本では年齢によってペレットを切り替えようと書いてあるが、別の本では無理に切り替える必要はなくペレット中心からチモシー中心にしようと書いてある。

さてこの二つはどちらが正しいのか。

「どちらも正解でしょ」

湯浅さんに尋ねると、そう答えが返ってきた。その理由を聞くと、飼育本をたくさん読んで、年老いたうさぎのことを想像出来るようになりなさいと言われる。だから私は湯浅さんの部屋の飼育本を少しずつ借り出し、寝る前に読むことにした。

読み続けることで、年老いたうさぎの心境を想像出来るようになってきた。


「この年になり今さら違う味のするペレットなんて食べたくない」

そんな貴方には、ペレットの量を減らします。その代わりチモシーをたくさん食べてください。

「私は健康に気を遣うというか、ぶっちゃけペレットっぽいのならなんでもいいです」

そんな貴方には、老年うさぎ用の低カロリーペレットをどうぞ。

ようは飼っているうさぎがどのような態度を示すかでその選択肢が変わってくるのだ。飼育本の作者は、その作者が飼っているうさぎの行った態度を書いているのだろう。もちろん全ての本がそういう風に作られているわけではないとは思うが。

私たちは生涯、そんなにたくさんのうさぎを飼うことは出来ない。だから経験出来ることも限られている。うさぎ飼育本などのうさぎを飼っていた人が書いた本を読むことで、その方の知識や経験を身に着けることに繋がり、結果、自身のうさぎのために役立てることが出来るのだ。

「凄いなぁ」

改めて、湯浅さんはうさぎを飼うことに真剣なんだと感じた。


「で、うさぎグッズがいっぱいある理由は?」

「ん? それは趣味だよ」

やっぱりただのうさぎ好きだったようだ。



★ うさぎエピソード 大惨事


 今日のウーサは元気だ。朝から小屋をガジガジしており、夜の散歩の時間が終わって小屋に戻した後も、ガジガジしていた。

明日は土曜日ということもあり、私は気が大きくなっていた。

「たまには一晩中ウーサを遊ばせてやるか」

そう思い、私はウーサの小屋の扉を開けたまま、眠りについた。


 翌朝。誰かが私をつんつんしている。

「もう少し寝かせてくれないか」

私はそう言って、睡眠を継続する。が、

「アイタタ!」

誰かに髪の毛を引っ張られる。何事?! と私は驚きながら上半身を起こし、枕の辺りを見る。するとそこには、ウーサがいた。

私の方を何か言いたげな表情で見ている。

「何故ウーサがそこにいるのだ」

少しずつ働き始めてきた頭が、昨晩私が小屋の扉を開けたまま寝たことを教えてくれる。だがしかし、ウーサの小屋の周りには柵があり、こちらの部屋には来られないはずだ。

柵をチェックする。しかし柵の端はしっかりと固定されており、こちら側に来れるような隙間はない。柵の高さも五十センチはある。まさかこれを飛び越えることは出来ないだろう。

「湯浅さんに尋ねようかなと思ったけど、今日はまだアクセスしてこないか」

私はとりあえずウーサを抱え、小屋の中に戻す。

(ふぅ)

ちょっと開幕にトラブルが発生してしまったが、改めて休日の朝を楽しむことにする。ちょっと苦めのコーヒーにホテル直送のクロワッサンを食べながら、テレビの電源を入れる。

「はて」

テレビに映像が映るも、音がしない。音量が低くなっているわけではなく、ミュートになっているわけでもない。

ケーブルでも外れたかなと思い、テレビの後ろを見る。すると、そこには、噛み千切られたコードが散乱していた。テレビのコードは太いので齧ろうとした後はあったものの芯には届いていなかったようだ。だが、5.1チャンネルのスピーカーのケーブルは、無残な姿に変わっていた。

「ウーサ、いたずらしたな!」

ウーサを見る。私のショックなココロを気にすることなく、朝御飯をモグモグと食べていた。

私は仕方なくスピーカーのケーブルを外し、テレビ本体から音声を流すようにする。ケーブルはあとで回収して捨てよう。

こうして本日二度目のトラブルにもめげずに、私は朝食の続きを食べる。朝食の最後は、ヨーグルトで締め。

「ごちそうさま」

ウーサを見ると、ウーサも朝食は一段落したようだ。

私が家にいる日は、基本的に小屋の扉は開けっ放しにして柵の範囲なら自由に動き回れるようにしている。今日も同じように扉を開ける。ウーサは食事の時間をちゃんと覚えているように、私がいるときは外に出してもらえるということも覚えているから、開けるのが遅くなるとガジガジされてしまうのだ。

ウーサは、小屋の扉を開けてもすぐに出ようとはしなかった。まったりと小屋の奥で寝転がっている。朝食後の休憩タイムだろう。

「私もゆっくりしよう」

だがその前にお手洗い。


すっきりしてお手洗いから出てくると、何故かウーサが私がいつも座る座布団の上にいた。

「ウーサ、どうやって柵のこちら側にきたのだ?!」

そう思いながらウーサに近づくと、ウーサは悪いことをしているのがわかっているのか、私から逃げていく。私は悪戯心でそんなウーサを踏んでしまわないように気をつけながら追いかける。すると、


ピョーーン!


ウーサは私の目の前で五十センチはある柵をジャンプして飛び越え、小屋の中に戻っていった。

私はしばらく放心状態で固まった後、つぶやく。

「ウーサ、ジャンプ力凄いな」


私はお茶でも飲んで落ち着こうと、冷蔵庫から紙パックのお茶を取り出す。そしてそれを机の上に置こうとしたとき、机の上に水溜りがあることに気がつく。

「はてな」

何かこぼしてしまっていたのだろうか。コーヒーは確か全部飲んだはずだし。そんなことを思いながら、その水溜りをよく見ようと近づくと、

「く、臭い」

ということはつまり、これはウーサのオシッコということである。

「もう、ウーサ!」

だが当のウーサはやはり小屋の中でまったり寝転がっていた。

油断した私が悪いのだから、仕方ない。そう思いながらティッシュでオシッコを拭き取ろうとしたそのとき、バシャーン。

机の上に置いていた紙パックのお茶に肘が触れてしまい、机から落下していった。既に開封済みだったため、地面に落ちたお茶はその中身を盛大に撒き散らしたのであった。


二度あることは、三度ある。

こうして、私の大切な休日は散々なものになった。



★ うさぎエピソード 安心する場所


ウーサはいつも小屋から出せ出せとせがむけれど、何かあったら逃げ込むのは小屋の中である。

「やっぱり安心出来るのだろうね」

私の言葉に、湯浅さんはうんうん言っている。そして、

「だからよっぽどのことが無い限り、小屋の中にいるウーサを無理矢理外に出そうとしてはいけないよ」

と教えてくれる。

「ウーサが柵を越えられるようになったので、私の安心出来る場所が無くなってしまった件についてはどうお考えですか」

「元気でいいじゃないか。ウーサ、成長したね」

これが親バカなのだろうか。そんなことを思いつつ、新しいさらに高い柵を買うことを前向きに検討する私であった。



★ うさぎエピソード 寂しさ


 うさぎを飼っていることを伝えると、

「いいなー、私も飼おうかなぁ。でも仕事していると家にいないし、寂しくなって死んじゃうから駄目かな」

と言われることがある。こういう発言は、ようはうさぎを飼いたいと言ったことが社交辞令なのだろうと思うことにしている。

もちろん、うさぎは寂しさで死ぬことは無い。むしろ一人の時間を好むので、社会人が飼うのには犬や猫よりも適していると言える。

と、ここまでは周知の事実。


 私は今、Webカメラ越しに湯浅さんに攻められている。

「卯月君、改めて確認するけど、昨日家にいなかったよね」

昨日は急きょ友人の家に泊まることになったのだ。

「私だってもう大人です。外泊だってします。湯浅さんは一体何を怒っているのですか」

そう、私には湯浅さんが怒っている理由がわからないのだ。朝から全く家に帰らなくてウーサに食事をあげていないというのであれば怒るのもわかるが、ちゃんと私は一度帰宅して食事はあげているのだ。確かに散歩の時間をとることは出来なかったのは悪いが。

 そう思っていると、湯浅さんは話し始める。

「うさぎは寂しいと死んでしまう。というのは迷信。もちろん卯月君は理解しているよね」

もちろん。私はカメラに向かって頷く。湯浅さんは続ける。

「じゃあ正しく言い直すと、どうなるかしら」

言い直すとはどういうことか。

「うさぎは寂しさでは死なない、ということですか」

湯浅さんはその通りと言って、続ける。

「ここで大切なのは、うさぎは寂しさは感じるということ。確かに一人は好むけど、いつも一緒にいた人が急にいなくなったのなら、それはやっぱり寂しいと思っているはずよ」

湯浅さんは、さらに、だけどうさぎは何も語らない、と付け加える。そして続ける。

「うさぎが寂しいと死んでしまうというのは迷信。でも寂しいのは我慢してる。だから、食事さえあげていれば一晩ぐらい帰らなくても大丈夫かという考え方をすることは間違い。もちろん今回の卯月君のように理由があるなら仕方ないけれど、そうでなければそれは虐待に他ならない」

厳しい口調でさらに湯浅さんは続ける。

「だから、今回の卯月君の行動に怒っているわけじゃない。うさぎの寂しさについて認識していないことに怒っているというわけ」

なるほど。湯浅さんの言うことは正論だった。確かに私もそこまでは考えることが出来ていなかった。そしてこうして言われると、それは本当に当たり前のことだった。

私はウーサに向かい、

「昨日は寂しくさせてごめんな」

と言って、頭を撫でる。ウーサは気持ち良さそうに眼を細めている。

湯浅さんはそれで納得したのか、口調が普段の優しい感じに戻る。

「それじゃ今夜はお酒飲んでることだし、早めに寝るね。おやすみ」

そう言って、湯浅さんはWebカメラの接続を切った。


私はウーサの頭を撫でながら、思う。

「さっきのは、酔っ払いの戯言だったのか」

今後は、湯浅さんが酔っ払ってそうなときは寝てるふりをしよう。

そう決意した。

 そして、ちょっと反抗的に、

「ウーサを一番寂しくさせているのは湯浅さんだよね」

と、ココロの中で思った。もちろんそんなことは直接言えない。


余談だが、何故『うさぎは寂しいと死んでしまう』ということが言われるようになったのか。

これには何パターンか説がある。例えば、

『長い間うさぎを見ないということイコールうさぎの病気のサインに気がつかないということ』

『うさぎは群れで生きる。群れからはぐれて一羽になると生存率が低くなる』

といったものだ。

しかしこういった理由は他の動物にも当てはまるというわけで。

だから私が独自に思っていることは、

『うさぎを飼わせない闇組織が行っている風説の流布』

である。私たちうさぎ飼いは、それを正す必要があるのだ。

「さて、私も今日はお酒を飲んでいるから寝るか」


こうして、酔っ払いたちの夜は過ぎていく。



★ うさぎエピソード 交流


 湯浅さんは言った。

「海外にいると、日本ではあまり仲が良くなかった人でも、近くに居てくれると安心するね」

自分という存在を知っている人が近くにいるということは、何かあったときに頼ることが出来るという最終ラインでの繋がりに安心出来るものだ。誰と仲が良くなかったのは聞かないでおこう。

 湯浅さんは続けて言った。

「日本語が通じる人に会えるというのもホッとするよ。私、英語は出来ないし」

言葉が通じるということは、相手に様々なことを伝えることが出来るということ。そういう意味では台湾は親日国であり、歴史の観点からも日本語が通じる人が多いので、住みやすい場所ではある。

湯浅さんは、さらに言った。

「日本語が通じない人でも、仕草が同じ人には親近感を覚えるね」

例えば携帯電話で話しているときにでも頭を下げるであるとか、電車で降りる人を優先するとか、困っている人に声をかけるとか。

国籍は違えど、同じ人間なのだなということがわかって安心出来るそうだ。

 

ウーサからすれば、私の部屋は海外だ。 

湯浅さんの家に迎えられる前に両親と一緒にいたであろう場所から離れ、そして育ての親となる湯浅さんの家からも離れることになっている。ウーサのココロの中は、不安で一杯だろう。

私はウーサを見る。小屋の中でまったり横になってくつろいでいる。と思いきや、起き上がりあくびを一つ。そして水を飲み始めた。

その落ち着き度合いを見て、思う。

「ウーサからすれば、小屋の中はずっと同じ自宅なんだろうな」

 うさぎと人間は言葉が通じない。

うさぎは犬や猫のように大きく鳴くことはない。だが、オヤツをあげるときなど、興奮したときに鼻をぷーぷー鳴らすことはある。

「ぷーぷー」

だから私もウーサに向かってときどきその声を真似て言ってみている。だがウーサは特に何も反応を示さない。


そもそもうさぎ同士でも言葉を用いてやりとりしているわけではない。小学校で飼われているうさぎや、うさぎ島の動画を見ている限りでは、あくまでボディランゲージや絶妙な間合いでコミュニケーションを取っているように見える。だから私たち人間は、うさぎの言葉を真似するのではなく、うさぎの動きを理解すべきなのだ。

例えば、足をつんつんしてきたら遊びたいのサインであることや、足ダンは何かに警戒しているサインであるなど。


 うさぎと人間は別の生き物。でも似ている部分ももちろんある。

ウーサはよく小屋の中で勢いよく身体をゴロンとさせる。私も最近はそれを真似て勢いよく布団の上でゴロンとするようになった。私とウーサはサイズは違えど、今は格好は同じである。

ウーサも人間同様時々大きく口を開けてあくびする。それを見たときに、私はウーサに近づき、同じように口を開けてあくびをする真似をする。

こういう風に相手と同じ仕草を見せてあげることで、親近感を覚えてもらえるかなと思っている。


湯浅さんは最後に言った。

「それだけウーサに愛されようとしている行為を、人間の女性にしたら恋人が出来るのじゃないかな」

湯浅さん、わかっていない。私は今はずっとウーサに片思い中なのです。


 ☆


 Webカメラを通しての湯浅さんとのやり取り。平日はお互い疲れていることもあり、ちょっと会話するだけであとは無言のままそれぞれの生活をしている。

今日は三連休前のウキウキした夜。私と湯浅さんは久しぶりに色々会話している。その中の一コマ。


 私はまったりと携帯ゲームでプレイしているRPGのレベル上げをしながら、湯浅さんに声をかける。

「湯浅さん、一つ質問していいですか」

ちょっとだけ間が空き、湯浅さん側のマイクがオンになった音が聞こえる。私側は常にマイクオンだが、湯浅さん側はそうでもない。

「いいよ、何かな」

私がずっと疑問に思っていたこと。

「どうしてここまでウーサに本気になれるのですか」

湯浅さんはその回答として、うさぎが好きだからだよ、と答えた。が、その後すぐにうーんと唸ったかと思うと、つまらない話になるかもだけどと前置きして、さらに話を続ける。

「私はウーサの前にもうさぎを飼っていたのだけど、それは中学生の頃だったかな。そのときは可愛いから飼いたいという思いだけだったので、うさぎに対する知識も全くなく、結果としてすぐに亡くしてしまったの」

 湯浅さんの口調は、いつもと違い寂しそうな感じがした。

「この出来事を元に、湯浅さんはうさぎについて学ぶようになったのですね」

「そう、ちゃんと勉強するようになり、その中でまたどんどんうさぎが好きになっていったの。でもやっぱり初めて飼ったうさぎのことが忘れられなかった。だから新しい子を迎えることはせずに、動物園の触れ合い広場やうさぎカフェや友人の飼っているうさぎに触らせてもらうという形で、楽しむ日々を過ごしていたの」

なるほど。私は別れを経験していないから湯浅さんのそのときの気持ちはわからないが、想像するにかなりの寂しさだろう。

「で、それからしばらくしたある日、友人の飼っていたうさぎも亡くなってしまったの。私もその友人と一緒に悲しんだ」

「湯浅さんと、その友人は同じ境遇になったわけですね」

 私の言葉に、湯浅さんは、うん、と少し元気なく答える。

「でも友人は私とは違い、一週間ぐらいしたら新しい子を迎えたの。私にはそれは信じられない行為で、その友人を問い詰めた。もう前の子は忘れちゃったの? そんな軽い愛情だったの?! と。そうしたら彼女はこう言ったの」

『もちろん忘れていないよ。でも、前の子が今の私に望んでいることは、新しい子を迎え、その子も前の子と同じように幸せにしてあげるということだと思うの。うさぎは亡くなったら月に帰るというけど、それはつまりうさぎは月から来ているということ。じゃあこの子はもしかたら前の子の兄弟かも知れないし、もしかしたら前の子の生まれ変わりかも知れない。現実的に言えば月の話は迷信だけど、でももし本当にそうだったとしたら嬉しいよね』

「だから私は新しい子も精一杯幸せにしてあげるんだ。それが前の子が一番喜んでくれることだと思う。そう彼女は言った」

湯浅さんはそこまで言って一呼吸。

「だから私も新しい子を迎えることにしたの。そしてその子には前の子に恥じないよう、いっぱい勉強して、いっぱいの愛情を注ぐようにしていった。そうしていたら気がつけば、今の私のようなうさぎ好きが出来上がったというわけ。だからウーサには私はいつでも全力投球することが出来たの」

湯浅さんは照れくさそうに、なんか熱く語っちゃったねと言った。

私は湯浅さんの言葉に、素直に思ったことを伝える。

「良いこと言いますね」

「でしょ、自慢の友人よ」

いや、友人ではなく、湯浅さんです。とは、恥ずかしくて言えなかった。

 

私は携帯ゲームを終了する。そして、

「湯浅さんごめん。今日はそろそろ寝るね。良い話をありがとう」

そう言って、強引に湯浅さんとの会話を終了した。


そうでなければ、今私のココロの中に芽生え始めた気持ちを悟られるかも知れない。そう思ったから。



★ うさぎエピソード ウーサはわかっている


 今日は湯浅さんがたくさん話してくれたから気がついたのだが、ウーサは湯浅さんが話しているときにはマイクの方を見ている気がする。

それはつまり、マイクからの音声ではあるが、それが湯浅さんの声であるということをわかってきたのかも知れない。

「私が思っている以上に、ウーサは色々理解しているのかな」

そう思うと、あまりウーサの前では変な行動はしないようにしようと思う今日この頃。

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