モノクロームセピア

明日key

モノクロームセピア


 君の艶姿を涙で歪ませる。桜の真白のような肌をした彼女。

 ――誠志郎さん。

 瞼の闇に認(したた)める白い文(ふみ)を浮き彫りにする、清冽な声が僕は聞こえる。

 ――君と桜を見たかった。それだけなのに……

 桜並木で馳せた二人の将来。

 もう将来なんて想像できない。

 ――どうして?

 納得がいかない。

 ――ごめんなさい。

 彼女は夜雨(よさめ)に濡れたような瞳で見つめる。

 ――僕が悪いのか?

 なら、懺悔と反省に時間を割いてもいい。

 ――そんなことありません。

 彼女の顔つきに曇りはなく、僕の罪さえも許してしまえそう。

 ――だったら、どうして?

 彼女が僕の厚い胸を触れる。たまらず華奢な両肩に触れ返す。

 ――私が不器用だから。

 僕の腕と眼差しが落ちる。

 いつも一生懸命で、その点を僕が申し開いても、彼女は頑張るのを止めない。

 まして否定すれば、その努力を愚弄してしまう。

 ――比べて、あなたはとても器用だから……ごめんなさい。

 反論できず、桜並木の小路で跪く。

 一礼を返されて、去り際の後ろ姿が最後の想い出。

 だが諦めきれない。

 再会を希うクリーム色の晴れ上がりの空。通りに散らす桜の白……


「武藤くん!」

 スライド扉から照明が差し入り、女教師が闖入する。

 椅子から落ちて、スクリーンの中の「僕」への感情移入から離脱させられる。

 暗幕を垂らした教室を映写室代わりに、昔の映画を鑑賞していた。あの彼女に比べて美の端くれもないこの女教師には目も当てられない。ちなみに独身だ。「なんたる邪魔者」と呟くと、女教師が睨む。

「邪魔者はお前だ! 武藤くん。勝手に教室を私物化して……」

 暗幕は取り去られ、橙色の日が教室全体を染めるのが、つまらない。

 クリーム色の空が、断然よい。

 僕はモノクロセピアのサイレント映画が好きだ。パソコンとプロジェクターで、最後まで見るつもりでいたのに。

「こんなことは家でやれ」

「家には大きなスクリーンも、大きな部屋もありません」

「だからといって、学校でやっていいのか?」

 女教室が立ち去り、モノクロームでない教室の風景の中で、機材を片して鞄を持つ。

 教室のスライド扉を出ようとして、違和感を生じる。

 目の前の風景が白とセピアのコントラストを彩った。彩りに二色より多くはいらない。だがこの既視感に新鮮さを覚える。

「これは、なんだ?」

 クリーム色の晴れ上がった空が見える。決して曇天ではない。

 放課後に不格好だ。これは昼間に見える空だ。

 廊下を見渡す。リノリウムの床はなく、壁の漆喰もない。木目の麗しい木材へと代わっている。まるで大正時代の校舎。

「誠志郎さん!」

 教室を出て僕の放念した隙を突く声、右に彼女がいた。

 桜の白が似合うあの彼女。

 サイレント映画で想像するしかなかったあの声が耳に染みる。

 どういうわけか彼女は、僕を主人公の誠志郎と勘違いしている。

「あの桜舞う通りで待っているから」

 これから起こることに忌憚を見せない笑顔。あの映画のストーリーラインと同じ。

 僕は誠志郎と同じくらい彼女が好きだ。

 物語の運びを変えたい。できるはずもないのに。

 階段を降り、玄関口で下駄箱を開ける。まさに下駄がある。気づくと僕も大正期を連想さす、金田一耕助が着てそうな、野暮ったい身なりだった。

 これが当時の流行と思ってた。なるほどこれは体裁を装っているだけだ。似合わせるに相応しい熱情を持っていないといけない。なら僕は熱情を彼女にぶつけるのみ。

「僕は、彼女と行く先を変えたい」


 桜並木の小路で、彼女は待っていた。

「遅れてごめん」

「こちらこそ謝らなくてはなりません。私は……」

 次の言葉に走る直前、僕は待ったをかける。

「行かないでくれ! 君の言いたいことはわかる。だから僕は行くなとしか言わない」

「誠志郎さん……」

「言うんだろ? 君が不器用で、僕が器用だから、別れるって」

 不思議がった顔を見せてくる。

「誠志郎さん、私の心を読んだんですか?」

「僕はこの光景を何度も映画で見た」

「映画?」

「あ、ええと……走馬燈だ。あれのように君との出会いから別れまでを、夢の中で何度も見たんだ」

「面白い人。そんなたとえがあるなんてはじめて知りましたわ、でも……」

 別れ話を切り出すつもりだ。




 ――私が不器用だから。

 ここから彼女が言う台詞。

 彼女は無理をしている。

 だから、大衆はこの言葉に共感を覚える。

 頑張ることは美徳だが、この映画の登場人物を不幸にする。

 それが、この映画のバッドエンドたるゆえんで。

 僕はその教訓を知っている。

 バッドエンドをハッピーエンドに変えたい。




「じゃあ、最後でいい」

「え?」

「最後に僕の願いを聞いてくれ。これには君の不器用さが必要なんだ」

 反論できない言葉に対抗できる言葉を放つ。

「僕はもう一度君に会いたい、この桜舞う小路で。それだけでいい。だから……」

 しばらく思案する仕草で、僕を見る。

「わかりました……約束します。次に桜がこの通りを舞ったとき、私はそこにいます」


 クリーム色の空が闇の青色を帯びていく。

 気づけばいつも登下校で通る『何もない』通りに立ち尽くす。

 そこには何もない。彼女の姿も、白い花びらも、まして『桜並木』さえも。

 だが、既視感が僕に事実を悟らす。

「あの映画はここで撮ったんだ……」

 モノクロセピアの懐かしい色感と、時代の流れが、その事実を覆い隠していたのだ。

 巧みにも彼女は言った。

「次に桜がこの通りを舞ったとき、私はそこにいます」

 悪戯(あくぎ)か。本当に知らなかったのか。

 通りにあった桜は、とうの昔に切られてしまったと聞いている。

 会えるはずがあろうか。約束の文言通りに。

 だが、その言葉が真心ならば、僕は動かざるを得ない。誠志郎のために。


 僕がやろうとしていることは悪あがきか。家でDVDを見つつ、紙をハート型に切る。それはただ僕が不器用なだけだ。これは桜の花びらを切っているのだ。

 紙吹雪という表現があるが、そうでなくこれは紙桜と俺は呼ぶ。

 深夜に家を出て、夜闇に沈んだ校舎を眺めながら、街路灯が点るこの通りに差し掛かる。

「君に会いたい」

 僕はバッグに入れた紙桜を握り、ゆっくりと手から離す。

 どういうことか。

 紙桜は、本物の白い桜の花びらに変わっていった。

 舞い降りる桜の花弁。

「駄目ですよ、ゴミを捨てては」

 声がした。

 あの彼女の声。

「き、君は」

 着物姿で僕の様子を見る。

「こんにちは、また会えましたね」

 空が晴れ。クリーム色に。瞬間、セピア色の風景に桜並木が現れる。紙桜はもう、僕の手にもバッグにもない。

 必要もないはずで、桜が花を散らせている。

「これがハッピーエンドかな? ううん……でも、もう一度、君と話ができてよかったよ」

 あの映画はバッドエンドで終わっていた。

 だが感情移入したあの誠志郎に。悲劇の未来が与えられないことを、何より願っていた。

「あなたは本当に器用ね。ごめんなさい、私は遠回しに会えないよう工夫してたの。それなのにまた会えて本当に不器用ね」

「いや、それは器用と言うべきだよ」

「ふふっ」

 これがこの映画のハッピーエンドか。この物語に大団円を果たせたのか。

 でも。

「喉のつかえが取れたような気がする」

 少なくとも、バッドエンドではない。

「でも、話の区切りができてないかも」

「そう思うか。君が不器用なら、僕が器用に終わらせる」

 華奢な肩を両腕で包み込む。

「ありがとう、戻ってきてくれて」

 僕は目を閉じた。


 夜明け前の学校前に佇んでいた。桜並木はない。

 朝日が登り始め、僕は家に帰り登校の準備をした。

 通りに紙桜が落ちていて、行き交う人が「なんだこれ」と言う。失礼千万なり。でも気分はよい。教室に着き、ベルが鳴り、ホームルームが始まる。

 女教師が前に出て「今日はみんなに転校生を紹介する」と話した。

 クラスメイトたちが歓声をあげる。

 そこに現れたのは……彼女だった。

 セーラー服に身を包み、すらりとした格好で、みんなの前に立つ。

「鴨川さくらくんだ、みんな仲良くするように」

「さくらと言います、よろしくお願いします」

 整った礼儀で、彼女は頭を深々と下げる。


 放課後、僕はさくらを呼び出した。

 時間を待って通りへと行く。紙桜は誰かの手により、すでに掃いて捨てられていた。

「さくらさん」

 呼べば、再び顔に滲む笑み。たわいのない話を並べて、話に入るための枕にする。それからようやく本題に入る。

「さくらさん、この通りに桜が咲いていたのをしってるかな?」

 すると。

「知ってますよ」

 そして、彼女は僕をこう呼ぶのであった。

「誠志郎さん」

 再び空は晴れ上がった。

 これは続編なのだろうか。はたまた後日談や外伝か。

 モノクロームセピアの接点。

 そこにあるのは白い桜と、クリーム色の空、そして懐かしい感じのする彼女の影。

 そういう世界が僕は好きだ。

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