2.メアリーの歯車

 とある街の小さな人形屋に、とても美しい女性型の人形が置いてありました。

 その人形は人形師が作ってきた物の中でとびっきりの出来栄えです。その美しさは、街中から美しい人形を見に毎日大勢のお客さんがやってくるほどですから。

 美しい人形はみんなから親しみを込めて"メアリー"と呼ばれています。その名前は人形師がつけたのではなく、いつの間にかそう呼ばれるようになっていたのでした。

 メアリーの特徴は、金色の髪に、加工されたブルーの宝石がはめ込まれた瞳、雪のように白い肌、見る者を惹きつける蠱惑的な赤い唇でしょう。一目で惚れこんでしまうほどの出来栄えで、街中の誰もがメアリーを欲したのものです。

 しかし、それほどの評価を受けてもなお、人形師は満足しませんでした。彼はもっと美しい人形を作ると息巻いて自身の工房へこもる毎日です。

 新しい人形は次々と作られていきました。どれも目を見張るほどの出来栄えです。しかし人形師はまったく満足できませんでした。せっかく作った人形を失敗作として、メアリーの見世物小屋の隅に捨ててしまうのです。そしてすぐに新しい人形を作り始めます。

 メアリーは失敗作として捨てられていく人形たちをいつも見ていました。

 素晴らしい作品だとメアリーは思います。どれも自分と大差ないほどの大作だと感じるのです。だからこそ、なぜ人形師は自身が作った人形を失敗作だと思うのか不思議でなりません。

 ある日、いつものように人形師がやって来てメアリーへこう言いました。

「やはりお前のように美しい人形は、もう作れないのだろうか……」

 悲しい目をした人形師の手には失敗作の人形が握られています。悔しさからか、その人形はミシミシと小さな音をたて、今にも折れてしまいそうです。

 その人形の見た目は、しっとりと艶のある黒髪に、血のように赤い瞳をもっています。そしてメアリーと同じように美しい白い肌をしています。うすピンクの唇は、人々を魅了するメアリーの唇とは反対で、どこか初々しさを感じさせます。

 メアリーが英国人風の人形なら、この失敗作は東洋風の人形に見えます。

 人形師は手に持っていた失敗作を積み重ねられた人形の山に放り投げました。そしてまた工房へ戻っていきました。

 メアリーは先ほど人形師が捨てた失敗作から目が離せません。

 メアリーは失敗作の山へと近づき、その頂上へと登りました。そして捨てられたばかりの失敗作の目の前まで来ます。恐る恐る……といった感じで失敗作の頬に触れてみました。開いたままの瞳に変化はなく、メアリーが触れても何も反応しません。

 ……壊れているようです。どれだけ美しい人形を作り上げることができたとしても、メアリーのように自由自在に動けなければ売り物にはなりません。だからこの人形は失敗作なのでしょう。

 もちろん、メアリーはもともと商品でした。ですが今では非売品です。その理由は、メアリーが街のシンボルとなり、メアリー目当てに観光客が訪れるようになったからです。誰かの所有物になれば中古という扱いを受けてしまいます。つまり、それだけメアリーの価値が下がってしまうのです。だから人形師はメアリーを非売品にしてお店に飾ることにしたのでしょう。……本当は人形師がメアリーを手放したくないというのが理由かもしれませんが。

 非売品扱いになったせいでメアリーは人形屋の外の世界を知ることができません。誰の手にも渡ることがないメアリーの自由は人形屋の中だけということです。

 だから、メアリーは基本的に暇でした。それはそうでしょう。大きな変化が乏しいお店の中だけでメアリーの世界は閉じているのですから。

 そんなメアリーにとって変化があるとすれば、毎日積まれていく失敗作の人形の山です。この山に次々と新しい人形が積まれていく光景を見るのが、彼女の日課になっていました。

 今回、メアリーは初めて失敗作に触れました。触れたくなるほど、メアリーはこの失敗作に心惹かれたのです。

(あなたを……動けるようにしたい)

 メアリーはそんなことを考えました。もしこの失敗作がメアリーと同じように動き、一緒におしゃべりできるなら、どれほどいいだろうかと考えたのです。

 メアリーは失敗作を抱きかかえると、自分のベッドのそばへ運びました。

(本当に綺麗……。私なんかよりもよっぽど綺麗)

 メアリーは何度も失敗作の頬を撫でます。

(そうだ……。名前を付けてあげなくちゃ)

 メアリーはいろいろ考えました。ジネット……、レア……、オリヴィア……、テッサ……。他にも色々思いつきましたが、メアリーはアデーラにすると決めました。

「初めましてアデーラ。私はメアリー。これからよろしくね」

 返事は返ってきません。動かないなら喋れないのも当然です。ほんのちょっぴりの悲しさと、しかしそれを上回るほどの喜びがメアリーの心を満たしました。

 生まれて初めて友達ができたことに対して、メアリーは動かない人形の前で踊りだしそうになる気持ちをおさえます。

「約束するわアデーラ。私は、きっとあなたを直してみせる。そして一緒にお話ししましょう。歌を歌いましょう。この店の外へ行き、世界を旅行するの」

 いつかアデーラと共に歩く光景を想像して、メアリーはひとり嬉しくなるのでした。






 その日からアデーラを修理する日々が始まりました。しかし、その道のりは決して容易ではありません。

 アデーラは外見こそ完璧に見えましたが、内部に組み込まれている歯車がいくつか足りない状態でした。人形は歯車がなければ動くことができません。だからメアリーは歯車を集めてアデーラの修理を行っています。

 歯車を集めるのは簡単でした。なぜならメアリーのそばには失敗作の山が積まれているからです。メアリーは失敗作を分解して歯車を手に入れているのです。

 自身と同じ人形とはいえ壊れています。だからメアリーは躊躇することなく人形をバラしました。バラシて、アデーラに足りない歯車を付け、またバラすの繰り返しです。気づけばメアリーの足元にはバラバラになった人形たちの残骸が転がっていました。

 しかし、いくら修理をしてもアデーラが動き出すことはありません。いったい何が問題なのかメアリーは検討がつきません。まさに悪戦苦闘の日々です。

(アデーラに足りない歯車をすべてはめ込んだはずなのに……どうして動かないの?)

 メアリーの目の前には、腹部を開き中身をさらけ出したアデーラが横たわっています。一見するとアデーラの修理は完璧に見えます。だからこそ、メアリーには何が足りないのかわかりません。

(…………少し休もう)

 アデーラの修理中、メアリーは一睡もしませんでした。そんな日々が数か月も続いたのです。メアリーの疲労はとっくに限界を超えています。

 メアリーは自室から出て客室へと向かいました。

 客室には商品として品出しされている人形たちが陳列しています。どの人形もおしゃべりしながら、自分が買われることを夢見ているようです。

 メアリーはそれらの商品たちを無感情で眺めました。いつか誰かの持ち物になる。そのために生まれてきた人形でありながら、メアリーは誰にも買われることがありません。本当は思うところが沢山あるのでしょうが、メアリーは自分の感情を殺すことに慣れてしまいました。

 久々に客室へと現れたメアリーに興味を持ったのか、一体の人形が話しかけてきました。

「こんにちはメアリー。あなたがここへ来るなんて珍しいわね」

「こんにちはアネモネ。そうね。私がここへ来るのは何か月ぶりだったかしら」

 メアリーがアネモネと呼んだ彼女は、ヒラヒラの可愛らしいドレスに身を包んだ女性型の人形です。メアリーとアネモネは仲がいいというわけではないのですが、お互いを知らない仲でもありません。

 アネモネはじろじろとメアリーを眺めました。

「あなた、売り物じゃないからってもう少し身なりに気を使った方がよいのではなくて? せっかくの美貌が台無しよ」

「……それは気づきかなかったわ。そうね、そろそろ新しい服を頼んだ方がよいかも。それはそうとアネモネ。あなたに主ができたと聞いたわ」

「ええ、そうなのよ! 私、ついにご主人様が見つかったの。一目で私を気に入ってくださったのよ。人形として、これほど嬉しいことはないわ!」

 と言ってから、アネモネはハッと気づいて申し訳なさそうな顔をしました。生涯、誰の持ち物になることがないメアリーにとって、アネモネの言葉は少々残酷だったと思ったのでしょう。

 しかし、メアリーは顔色を変えず祝いの言葉を送ります。

「おめでとうアネモネ。同じ人形としてとても嬉しいわ」

「……ありがとうメアリー。あなたにも、愛が訪れることを心から祈っているわ」

 愛が訪れる……。ふと、メアリーはアネモネの言葉を聞いて何か思いついたようです。

 愛とは何なのか。不鮮明であり不完全であり、この世で一番実態の不明な感情。この感情を人間はとても重要視します。

 それだけではありません。愛という言葉は持ち主を得た人形も感じるようです。そして買われた人形は一度も修理に出されたことはありません。

 もしかしたら……と、メアリーは一つの気づきを検証しようと思いました。

「アネモネ。我が家を出ていく記念に、あなたにプレゼントがしたいの。私の部屋に来てくれる?」

「プレゼントなんて受け取れないわ。あなたの感謝の言葉だけで、十分満足よ」

「どうしても受け取って欲しいの。……ダメかしら?」

「……そこまで言うなら、ぜひ受け取らせてくださいな」

 アネモネはメアリーのあとについていきました。

 メアリーは自分の部屋へアネモネを招き入れると、鍵をしっかりとかけました。

 メアリーの部屋の惨状を見て、アネモネが言葉を失います。

「メアリー。あなた……、この部屋はいったいどうしたの?」

 アネモネが驚くのも無理はありません。床にはバラバラに分解された人形たちが散乱し、その中心には腹部を開けたアデーラが横たわっているのですから。

「紹介するわね。あそこにいるのがアデーラ。私の親友よ」

「親友……って」

 アネモネは言葉もありません。彼女にとって、アデーラの姿と床に散らばる人形たちの残骸に、大差はないのですから。

 動く人形と動かない人形。アネモネはその差でしか見ていません。

「私が自室からずっと出なかったのは、アデーラを修理していたからなのよ。でもどんなに頑張ってもアデーラが直らないのよ」

「だって……それはそうでしょう? 壊れた人形は、愛がなければ動かないんだから」

「うん……、私もさっき気づいたのよ。だからね──」

 メアリーが、人形を解体するのに使用した杭を高く掲げました。アネモネが気づいたときには、その杭は振り下ろされる瞬間です。

「あなたの歯車を頂戴するわね。アネモネ」


 杭が──アネモネの頭を貫きました。


 動かなくなったアネモネをメアリーはさっそく解体し始めます。その手際は素早く、人形を解体するのに慣れていなければできないでしょう。

 メアリーは強引にアネモネの腹部を開くと、中から歯車を沢山外してアデーラのそばへと行きます。

 アデーラが動かないのは愛がないからだとメアリーは予想しました。なぜアデーラに愛がないかというと、愛のない人形の部品で修理をしていたからだとメアリーは思ったのです。だからメアリーは愛を知っている人形の歯車を使って修理をしようと思ったのです。

 アネモネは誰かに買われる予定でした。つまり、愛を知っていたのです。だからメアリーはアネモネの歯車を使えば、アデーラを修理することができると確信したのです。

 メアリーはアデーラの中に入っている歯車をすべて抜き取り、アネモネの歯車を正確にはめ込んでいきます。すでにメアリーの意識からアネモネの存在はなくなっています。

 歯車をはめ込む作業は慎重に行います。なぜなら、アデーラとアネモネが同型とは限らないからです。互換性のない歯車をはめ込んで無理に動かしたら、さらに壊れてしまう可能性もあるのです。

 幸いアネモネは古いタイプの人形ですので、アデーラと互換性のある歯車が多いようです。メアリーは今度こそ……という決心をもってアデーラを修理します。

「……これで、使える歯車は全部。やっぱり一体だけじゃ足りない」

 アネモネの歯車の中から互換性のある歯車だけをアデーラにはめ込みましたが、やはりいくつか足りない部分があります。もっと、愛を知った人形が必要です。

 しかしすぐに新しい材料を調達するわけにはいきません。アネモネはすでに購入者が決定していた人形です。その人形が謎の失踪を遂げれば、その責任を問われるのはもちろん人形師です。

 ちょうど来店を告げる鈴の音が響きました。

 人形師が接客に向かいます。その会話がメアリーの部屋にも聞こえてきます。

「アネモネを頂きにまいりましたわ、人形師さん」

「これはこれは、ありがとうございますご婦人よ。すぐにアネモネを連れてまいりましょう」

 ですが、すぐに人形師は異変に気付きました。

 それはそうです。アネモネはすでにメアリーの手によって壊されてしまったのですから。

 慌てる人形師を見て客人が不審な声をかけます。

「もしかして……アネモネがいないのですか?」

「そそそ、そんなはずは……。あれ? おかしいな。いるはずだけど……」

 そんな人形師の姿を見かねて、商品の人形のうち、一体が話しかけました。

「アネモネさんならメアリーさんが連れて行きましたよ」

「メアリーが? ……一体なぜ?」

「まあ! メアリーがアネモネを連れて行ったのですね。きっとお祝いをしてくれてるのでしょう」

 本当にそうならどれほどよかったでしょう。

 会話を聞いていたメアリーはすぐにアデーラを隠し、自身も隠れました。そのすぐあとに人形師が部屋へやってきます。

「メアリーよ、アネモネを知らない──」

 最後まで言いかけて人形師は言葉を失いました。

 部屋には、中身が空っぽになり、頭を砕かれたアネモネの姿が残されていたからです。

「どうしたのですか人形師さん。アネモネはここにいるのでしょう?」

「っ! 来てはいけない──」

 遅かったようです。アネモネの持ち主になるはずだった客人が、アネモネの惨状を目の当たりにしてしまいました。

 それは……背筋が凍り付くような光景でしょう。

 アネモネの最後の目撃証言がメアリーの部屋なら、犯人が誰か容易にたどり着くことができます。客人はヒステリックに叫びました。

「メアリーが、メアリーが私の人形を壊したんだわ! メアリーが犯人だわ!」

「そんな、そんなはずはない! きっと何かの間違い──」

「メアリーは狂っているのよ! みんなにはいい顔をして、裏ではきっと残酷なことをする人形なんだわ!」

 人形師がすぐにメアリーを擁護しましたが、客人は全く聞いていません。それどころかメアリーが狂人だと叫びわめきます。

 客人は店の外へ出ていくと、辺りの人々へメアリーの凶行を半狂乱になりながら叫びました。

 慌てて人形師が止めに入りましたが、その時にはすでに遅かったようです。

 しかし、メアリーは安堵していました。

 もし自分が発見され、アデーラまで発見されれば、どうなってしまうかわかったのもではなかったからです。

 部屋は、まるで殺人事件でもあったかのように静まり返っていました。






 『街のシンボルにもなるほど美しい人形は、人々の知らない場所で人形を壊していた。』

 この噂は瞬く間に広がり、そして人形屋から客足は遠のきました。人形師は美しい人形を作れますが、人形の性格に難があると言われ、誰も彼の造った人形を買わなくなったのです。

 対照的に、メアリーは人形を襲うことをやめませんでした。

 すべてはアデーラを直すため。あの手この手で人形を捕まえるて分解して、歯車をアデーラへはめ込みます。ほぼ毎日のように犯行に及んだため、アデーラに足りない歯車はあと一つになりました。

「もう少しで……お話できるようになるのね、アデーラ」

 いつかメアリーが語った夢が現実になる。その時が近づいていることを肌に感じ取っているメアリーは、不安、期待、緊張など、様々な感情が絵具のように混ざり合っています。

 最後のピースを探しにメアリーは店内を歩き回りました。

 すでに多くの人形を手にかけたため、店内は閑散としています。かつてあった活気はなく、動かなくなった人形たちには値札がつけられたまま放置されて、ホコリがかぶっています。

 今更、動かない人形の歯車を手に入れたところで意味はありません。愛を知り、動き続けることができる人形が必要だからです。

 メアリーは店内をぐるっと一周しましたが、動いている人形は見当たりませんでした。これではアデーラを修理することができません。

 考えたメアリーは人形師の元へ行くことにしました。人形師が作っている新しい人形を貰おうと思ったのです。そうすれば新鮮な歯車を手に入れることができます。

 メアリーは人形師の工房へ向かいました。工房の扉は半分開いています。

「お父様。メアリーです。少しよろしいでしょうか?」

 部屋の奥へ話しかけますが返事がありません。

「お父様。失礼してもよろしいでしょうか?」

 やはり返事はありません。メアリーはおそるおそる部屋へ入りました。

 椅子に座る人形師の背中が見えます。

 その背中へ向けてメアリーが再び話しかけます。

「お父様。お頼みしたいことがあるのです」

 人形師はわざと無視しているのでしょうか。それともメアリーの言葉が聞こえないのでしょうか。一向に返事は返ってきません。

 すこし苛立ちを覚えたメアリーは人形師へ近づきました。すると、人形師の手にはできたばかりの人形が握られているではありませんか。

 メアリーの心が少し晴れます。

(なんだ。ちゃんと新しい人形を作っているのね)

 しかしすぐにメアリーの表情が暗くなります。人形師が作った人形は動いていません。つまり、メアリーが欲している愛を知った人形ではないのです。

 これでは使い物になりません。

「お父様。どうしていつまでも完成品を作ることができないのですか?」

 自然と……メアリーは心にもないことを口に出します。その呪詛は次から次へと心からあふれ始めます。

「最初からお父様がちゃんと人形を作っていれば、私がこんなに苦労することはなかったのに。どうしてアデーラをちゃんと完成させなかったのですか! 私は、アデーラとお話がしたいだけなのに!」

 人形であるメアリーから涙は出ません。ですが、彼女は泣いています。泣きながら創造主へ怒りをぶつけます。

「お父様のせいよ! あなたは私たちを作るだけで、何もしてくれなかった!!」

 ゴトッ。

 人形師の手から人形が滑り落ちました。メアリーはその顔を見て言葉を詰まらせます。

 その人形は、メアリーにとてもよく似ていました。

 髪の長さ、瞳の色、肌の白さ、赤い唇など、メアリーの特徴がすべて一致します。人形師はなぜメアリーと同じ外見の人形を作ったのでしょうか。

(私は……何を言ってるんだろう……)

 我に返ったメアリーは、うつむきながら工房から離れました。

(そうだ……。まだ修理に仕える人形が残ってる)

 虚ろな瞳でメアリーは自室へ戻りました。

「アデーラ」

 メアリーが話しかけますが、アデーラは返事をしません。

「やっと……あなたとお話することができるわ」

 メアリーは自分の服を脱ぎ捨てました。

 そして、何体もの人形を壊してきた杭を両手でしっかり握ると、杭を自身のお腹へ突き刺しました。といっても貫通はしていません。

 ──激痛。意識が飛ぶほどの衝撃がメアリーの思考を支配します。

 この激痛はアデーラのためです。

 メアリーは杭を使って腹部を開きました。丸見えになったメアリーの内部には、寸分の狂いなく動く歯車が沢山見えます。

「……アデーラ。私は…………」

 メアリーは人間で言えば心臓に当たる部分の歯車を、ガッと掴みました。

 歯車が強制的に動きを止められます。その瞬間、メアリーは全身が逆方向へ捻じ曲げられるかのような不快感に襲われます。

 この不快感はアデーラのためです。

「あ……アァッ!」

 勢いよくメアリーは自分の歯車を抜き取りました。すでに正常な思考などできるはずもなく、メアリーを動かすのはアデーラへの特別な感情だけです。

 いつくかの歯車がメアリーからボロボロと抜け落ちます。それでも、メアリーはまだ動くことができます。

 メアリーが動けるのはアデーラのためです。

「…………」

 もう声は出せません。自分が何者だったかも思い出せません。それでもメアリーは自分がすべきことをわかっています。

 メアリーは自分の歯車を、足りなかった最後のピースを、アデーラにはめ込みました。

 ──と同時に、メアリーは崩れ落ちるように倒れました。

 この喪失感はアデーラのためです。

(やっと……。やっと私の願いが叶う。アデーラの……声が聞ける)

 その瞳は何も映さず、その口は何も語らず、その体はすでに動かず。メアリーの意識は暗闇へ消えていきました。











「……メアリー?」

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