第13話 フェアリー

 完全なるインフェクションを実現した薙斗と、レキナの動きは、不完全なインフェクションの状態であるフェアリアを上回っていた。

「この!!」

フェアリアが魔力球体を続けざまに放つ。だが、二人はその球体を横方向への高速移動によって回避してみせる。その動きは、薙斗単体ではもちろん、レキナ単体でも不可能なほどの高速移動。

「速い……!!」

二人はその速度での回避先にて片手ずつで電撃を連発する。本来のレキナよりも圧倒的に威力が上昇していながら、速度の面でも、連射性の面でもその性能は格段に上がっていた。

「なんだこれは……先ほどとはまるで」

「そりゃそうだろ」

一瞬のうちにフェアリアの後方へと回り込んだ二人は、右手のひらをフェアリアの背中へと触れさせる。そして、そのまま全身の力をフル回転させて右腕を一気に押し込む。直接触れてからの掌底。雷の力を乗せて勢いのついたままに、フェアリアを吹っ飛ばす。

「く……」

吹っ飛ばされたフェアリアが壁に激突して、その身体が一度跳ねる。その隙を二人は見逃すことなく、やはり瞬きをする間にその懐まで迫っていた。

「今の私達は!!」

レキナの言葉と共に、雷を帯びた両拳を重ね合わせ、がら空きの背中へと真上から振り下ろす。あまりの勢いに、再びフェアリアの身体が跳ねる。

「魔力効率200%だ!!!」

薙斗の声と同時に、鋭い蹴りが繰り出され、フェアリアの身体は再び投げ出される。フェアリアが追撃を警戒して魔力球体を撃ち出すが、先ほどまでとは大きさも威力も速度もないその攻撃が今の二人に通じるものではない。

 二人は正面から飛んでくる魔力球体の進路に向かって、両腕を振りぬく。それは、まるで獣のように爪で振りぬいたものだった。そして、その爪の通り道を目印、障壁が展開され、魔力球体を跳ねのける。そのまま接近していき、フェアリアの両手を押さえつける。

「このまま引きずり出してやるよ……フェアリア!!」

「誰が!!」

だが、フェアリアもまだ戦える。全身の魔力をもって抵抗を試みてくる。組み合ったまま、二人はフェアリアと対峙する。

「なぜ理解できない……! 管理し、統制されるからこそ秩序が生まれる。日本は、世界はそうして歴史を紡いできたのだ。今更人間ではないものに権利を与えたところで、そんなものは人間によって糾弾され、結局は何もかもを失うことになる。現にフェアリー・インパクト一回で、世論は簡単にひっくり返った!! 誰しも新しいこと、新しいもの、得体の知れないものは避けるように本能がセットされている!!」

「そんなのは、ただ怖いだけだ。新しいものをどんなに恐れても、時間をかけて道を模索すれば、いずれは受け入れられる。それこそ、今まで繰り返されてきた歴史だ!!」

「フェアリーは確かに人間じゃない。それでも、おいしいものをおいしいといえるし、好きなものを好きと言える!! 笑って怒って泣いて、また笑える……! 私達だって、生きているの!!」

フェアリアの言葉に、薙斗とレキナはそれぞれに反論する。押し込む力は、徐々に薙斗とレキナの方が強くなっていく。

「理想論を語っているうちは、他者を幸せにすることなどできない!! 私は、大義な理想を掲げながら、それを全くかなえられぬまま脱落していく研究者を、この目で何人も見てきた! 旭川もどうだ!! 大義を掲げ、フェアリー召喚を為しながらも、結局は肩身の狭い思いをしながら研究を続けている! こんな生産性のない行為をし続ける人間も、その人間についていくフェアリーも、何が正しいか理解していない!! ならば、きちんとした管理体勢の下で――」

「何も分かってないのはお前だ……! お前の言う通り、人間ってのはひどく不器用で、常に正しい道を進むわけでもない。研究を続けてる人達もそれは確かに同じ……! それでも!!」

薙斗の言葉に、両腕の雷がより一層激しく弾けだす。

「実現するか分からない理想を、追い続けるのが研究者なんだ……人間なんだ!!!」

その瞬間、フェアリアの身体に変化があった。薙斗達外部からの圧力。そして、フェアリアの奥底からもまた、彼女を外部へと押し出そうとする圧力がかかろうとしていた。

「なんだ……これは、まさか……旭川ァァァ!!!」

内に眠っている旭川佳苗その人の、僅かにでも残った意識が、フェアリアを外へと押し出そうとしていた。二人はそれを好機とばかりに、フェアリアを外へと引きずり出す。一体となっていた旭川とフェアリアの肉体が別々の個体へと分離する。薙斗とレキナは体勢の崩れたままのフェアリア本体に向けて突貫し、その右腕を吹っ飛ばす。そして続けざまに左足の先端を、一点に集中させた右足での蹴りで跳ね飛ばす。倒れていくフェアリアの心臓部めがけて、二人の両手から雷が発射され、その心臓部を正確に撃ちぬいた。フェアリアは左手で右腕を庇いながら、目の前に降り立った薙斗とレキナ、そのインフェクションの姿を睨みつけながら言った。

「貴様ら……重罪だぞ……原初のフェアリーである私を殺すなど……人類の、フェアリーの大きな損失だ……!」

文字通り苦し紛れに言ったその言葉は、ある意味では呪詛なのかもしれない。自分の思い描いた世界にならなかったことへの、怒りと憎しみを込めた言葉。

「お前が作ろうとしている世界は、そのフェアリーが殺されても誰も罪に問われない、悲しい世界だぞ……」

薙斗は、小さく、そう告げた。

「くそ……くっそおおおおおおおおおっ!!!」

絶叫しながら、フェアリアの端々が魔力体となって消えていく。原初のフェアリーが、消滅した瞬間である。あるいは、それはやるべきではなかったかもしれない。少なくとも、彼女達のインフェクション状態は解いていたのだ。正当化も建前も、彼女が消えてからではなんの意味もない。


 そんなことを思っているとふいに、身体の違和感が溢れ始めた。そうだ。考えてみれば、違和感がないことの方がおかしい状態なのだ。この感覚は当然のものあろう。

 一瞬光に包まれたかと思うと、薙斗とレキナの身体はそれぞれに戻っていた。とても不思議な体験だった。自分が狭霧薙斗であるのか、レキナであるのか分からなくなりそうな恐怖もあったが、それよりも先に、身体全体の心地よさがあった。レキナと一つになって、どこまでも進んでいけるのではいかという、心地よい幻想だった。

 だが、その心地よさを帳消しにするように身体全体がまるで消え入るような軽さを感じ始めた。

『薙斗くん、聞こえるか。先ほどの君とレキナくんとのインフェクションレベルは、99%を超えていた。君達は、ほぼ同一の存在として認識されていた。そして……残念だが、もう君は消えるのを待つのみだ。身体のところどころが魔力体になり始めている。身体が無くなるのも時間の問題だ。それに、私には、もう君の声も姿も、匂いも物音も分からん。だからこれだけは言わせてくれ。ありがとう。君の生き様は、しっかり私の胸に刻まれた。君の夢は、私が継ごう。せいぜい、安心して散ればいいさ……』

そこで通信は遮断された。彼女も彼女なりに思うところがある。結局最後まで池川璃子という人間の全てをつかみ取ることは出来なかったが、それでも、貴重な出会いであったことは間違いない。彼女と出会ったからこそ、過去に決着をつけることが出来たし、自分のやるべきことを、精一杯に為す機会が与えられた。彼女にも、感謝することはたくさんあるのだ。

「マスター、私も、さっきの戦いで魔力使いすぎちゃった。多分、あんまり長くないや」

レキナが、困ったように笑って見せた。レキナには随分といろいろなことを教えてもらった

そして、レキナもそれはきっと同じだろう、と薙斗は思う。

「レキナ、俺はお前からたくさんのものを貰った。自分がしたいと思ったことを貰えた。自分が生きる意味を貰った。初めて、誰かをこの手で守りたいって、そう思わせてくれた。なにより、レキナから笑顔を貰えた。生きる気力を貰えた。つらいとき、苦しい時、逃げ出したいと思った時、泣きたくなった時、いつも思い出すんだ。あの日、好きだと言ってた横顔を、優しい笑顔を。その笑顔を守りたくて、必死に足掻いて、戦って。でも、俺、自分が消えるだけどころか、結局消えちゃうんじゃあ、レキナも守れたことにはならない。俺は、召喚士として点で駄目な奴だ」

「ます……薙斗」

その声に薙斗は顔を上げる。

「そんなことないよ。薙斗は立派だった。いつも私を支えてくれて、どんな時でも傍にいてくれた。召喚士としてじゃなく、一人の大事なパートナーとして、ずっと傍にいてくれた。薙斗が何か行動するとき、いつも必ず私のために動いてくれた。それがすごく嬉しかった。それに、召喚士としてだって薙斗はすごいよ。だって、テロリストも倒して、フェアリアも倒しちゃったんだよ? すごくないわけないじゃん」

そう言いながら、レキナは笑ってみせた。たしかにその通りだ。やったことは罪になるかもしれないが、それでも、為しえたことはある意味大きい。

「はは、たしかに、それくらいなら、俺も誇っていいかもな」

自然と笑みが零れる。こうしてレキナと笑いあえることが、薙斗にとって何よりの喜びだった。

 その時、不意に体勢が崩れる。慌ててレキナが抱え込み、真っ白な床に座り込む。薙斗の両足のつま先が、すでに消えてなくなっていた。バランスを失って倒れた薙斗は、そのまま座り込むしかなかった。レキナもそれに合わせて薙斗のすぐ隣に座り込む。

「レキナ、俺は、お前に何か上げることができただろうか。レキナからは、ずっと貰ってばっかりだったような気がして、なんだが、自分が惨めな気がしてな」

自分がそんなことを言い出すとは、自分でも思ってなかった。幼い頃には忘れてしまった承認欲求が、今になって溢れてきたのかもしれない。それでも、薙斗はレキナに言って欲しいのだろう。薙斗の存在は、レキナにとって価値があったのだと。

「薙斗に貰ったものはたくさんあるよ。気持ちを一つにすれば、どんな相手にも立ち向かえるってこと。過去を乗り越えて立ち上がること。失うことのつらさ。失わせてしまうことのつらさ。薙斗には、家族も貰えた。たった数日だったけど、あの瞬間は確かに私も、家族でいられた。そして――」

過去へと遡るようにして薙斗に与えられたものを思い出していったレキナが、最後に行きつくのは、その一瞬。

「私に、命をくれた」

召喚の儀にて、薙斗の手で、薙斗の魔力で、薙斗の思いで生まれてきたのがレキナだ。他の誰にも、絶対にできない唯一にして無二の瞬間なのだ。

「はは、そっか、そうだよな、お前を呼び出したのは、俺の方だもんな……!」

何故だろう。どうしてか涙が溢れてくる。あの日、召喚の儀で、レキナの召喚に成功した日のことを思い出す。

 ――初めまして。マスター。

 ――ああ、初めまして、フェアリー。

 ――私、レキナっていいます。これからよろしくお願いします!

 ――狭霧薙斗だ。よろしくな、レキナ。

「そうだな、あの日から全てが始まったんだ。お前がいなかったら、自分の才能に酔いしれて、なんの目標も意味も持てない、味気ない一生になるところだったかもしれないな……」

レキナがいたから、自分は変われたのだ。それだけは、誰になんと言われようと絶対にそうだと言い切る自身がある。レキナはあの時、自分が生まれてこなければとすら言っていた。それでも、むしろ全てを失ったからこそ、薙斗は本当の意味で成長することが出来たのだ。レキナがいなければ、こんな成長が一生のうちに訪れていたのかすら分からない。

「ねぇ、薙斗……」

ふいに、レキナのか細く弱弱しい声が鼓膜を刺激する。レキナの方を見やる。レキナは、泣いていた。どうして彼女が泣いているのか、きっと薙斗にも分かっていた。この涙はあの時のように過去を悔やんで流している涙ではない。

「私……まだ消えたくないよぉ……!!」

純粋な、死への、消滅への恐怖。どんな恐ろしいことよりも、ゆっくりと、確実に迫ってくるそれからは、逃げることはできない。だからこそ、怖い。だからこそ、涙が流れる。

「まだ一杯生きていたい……薙斗といろんなところに行きたいし、リーシャやスピサや、他のいろんなフェアリーの子ともお話したい……!」

レキナの両目から、なおも涙が溢れてきている。そうだ、と薙斗は思う。薙斗は最後の最後で、彼女を泣かせてしまったのだ。それはきっと、薙斗の中では何よりの後悔として残り続けるものかもしれない。

「けど、薙斗は頑張って、私が生きていけるように研究してた。でも、薙斗もきっと分かってたよね。薙斗のいない世界で、私が生きていく理由なんて見つけられない。だから、消えたくないけど、それでも、薙斗が一緒なら、一人で消えちゃうより、ずっといいから……。薙斗は、一人にしないでくれって言ってたけど……私のことも、一人にしちゃ嫌だ……。ずっと薙斗と一緒にいたい……消える時だって一緒がいい」

「レキナ……」

いつの間にか、膝よりも下の感覚がなくなってきているのを感じた。不思議と、身体はそのバランスを崩してはいなかった。イメージの問題なのかもしれない。だが、それと同時に、身体が消えてしまっては、伝えたいことも伝えられなくなる。まだ、伝えたいことは数えきれないほどにある。

「俺もお前も、こんな寂しがり屋だからさ、一人で生きていくことがどれほど辛いか、想像しただけでも怖い。でも、父さんも母さんもいなくなっても、レキナだけは、俺の傍にいてくれた。俺は一人じゃなくていいんだって思えた」

「うん……わたしも……!!」

二人の間には、伝えたいことがまだたくさん残っている。それでも、もう言葉なんていらないのではないのだろうかとすら思えてしまう。

 だって、俺たちは一度、一つになるくらいに、お互いの気持ちが通じ合っていたんだ。

 それがどれほど素晴らしいことか。どんなに奇跡的なことか。

 もうすぐ、この身体はその全てが魔力体となって消え失せる。もう薙斗もレキナも、上半身だけを残すのみとなっていた。下半身の感覚はもうない。自分でもびっくりするほど、消えていくのはあっという間で、何の感覚もないままで、何より儚い。だから、全てが消えてしまう、その前に、最後に、伝えなきゃいけないことがある。

「レキナ」

「……はい」

儚く、それでいて静かな時間の流れ、もうすぐ全てが消えてなくなるのに、不思議と怖さはなくなっていくような気がした。

「俺は、お前のことが好きだ。出会ったあの日から。笑顔を見た日から、ずっと」

その言葉は思ったよりもずっと簡単に声帯を振るわせた。その言葉を受けて、レキナも口を開く。

「わだしも……!! 薙斗のこと好き……!!」

「ありがとう。レキナ」

身体はもう、肩口まで魔力体として散ってしまっている。だが、それでもまだ、たった一つ、伝えなきゃならない。

「――生まれてきてくれて、ありがとう」

意識したわけではないが、薙斗はあの日父に言われた最期の言葉と、図らずも同じことを言っていた。

「――生まれさせてくれで、ありがとう……!!」

レキナも泣きながら薙斗へと返す。自然と、二人の間に笑みが零れた。好きな人と、一緒に消えていける。それは

こんなにも心地のよいことなのだと、薙斗はこの時、初めて、そして最後に知ることになる。

 つないだ両手も消え、薙斗とレキナは、互いの額をやさしく当てたまま。

 その全てを、光の中に散らした。



 あと、数秒早ければ。スピサは、ただそれだけを後悔していた。スピサがフェアリー空間実験室に戻ってきた時、薙斗とレキナは互いの頭部と両手のみを残している状態だった。何か、何か声をかけなきゃ……そう思っているうちに、彼らは、消え去ってしまった。

 通信機から、璃子の声が聞こえる。

『さよならは言えたかい』

「……無理だった。あんただけずるい。勝手に全部言って、満足して通信切って」

『はは……勘違いしないでほしいが、私だって人間さ、どうしょうもなく愚かで、情緒豊かな、ね』

一呼吸おいて、再び璃子が口を開く。

『二人の最後を直に見たのは君だけだ。彼らの最後の瞬間は、どうだった?』

璃子には薙斗の姿は消えない。だからこそ、その二人の姿を見ることが出来たのは、スピサだけなのだ。スピサは包み隠さず、正直に話した。

「笑っていた。今から消えるっていうのに。二人ともなんでか幸せそうだった。私には、アイツらがどうして最期の瞬間まで笑っていられたのか、不思議でならない」

今までの人間とも今までのフェアリーとも違う狭霧薙斗とレキナという召喚士とフェアリーは、確実にスピサの心を変えた。人生の岩盤に穴をあけた二人だった。だからこそ、何も伝えられなかったのが悔しくて仕方がなかった。

『あの二人が最期まで笑っていられたのは、レキナの召喚士が狭霧薙斗で、狭霧薙斗のフェアリーがレキナだった。これ以上の言葉は蛇足のようにすら感じるね』

「随分と具体性のない結論。それでも研究者なの?」

『はは、さすがにそれは痛いところをつかれたな。でも、スピサくん、君にもその結論でなんとなくは伝わるんじゃないか?』

「まぁ、否定はしないわ」

部屋にはもう、二人を構成していた光はない。


 狭霧薙斗とレキナの名前は、後に歴史の教科書で取り扱われるほどに後世に語り継がれていくことになる。


 だが、彼らの名前が原初のフェアリー殺しの大犯罪者として語り継がれるのか、フェアリーのために戦い続けた英雄として語り継がれるのか。それはまだ、この時のだれにも分からない。

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サモン・フェアリー・インフェクション 織間リオ @olimario

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