第12話 意志

 電車で乗り継いだ先、都心の一角に、その巨大な建造物は存在していた。周辺のビル群が土地代を考慮した高層型のものであるのに対し、魔力制御学研究所は縦ではなくとにかく広範囲な土地を確保するという、この辺りの地価でやることが正気とは思えないほどの広大な土地を所有していた。むろん、高さも備えてはいるが、土地の広さに比べたらその高さも霞むほどだ。薙斗もレキナもスピサもその大きさに思わずたじろぐ。薙斗がここを訪れたのは、召喚士適合試験の最終試験のために訪れたことがあるため、二回目ではあるのだが、やはり何度見てもこの大きさには驚かされる。

『薙斗くん。これほどの施設だ。最悪門前払いだが、大丈夫か?』

「大丈夫ですよ。向こうはこちらを断る理由がないですから」

そう言いながら、薙斗はレキナとスピサを連れ立って施設の正面から堂々と入っていく。薙斗は入ってまずその大きさに改めて驚かされる。研究施設の一つであるのにも関わらず、エントランスホールだけでサッカーができるのではと思えるほどである。だが、今は大きさに囚われているわけにはいかない。薙斗はまっすぐに進んでいき、フロントまで足を進めていく。受付の女性に、話しかける。

「すみません。フェアリー研究部門の旭川佳苗さんと面会を行いたいのですが」

だが、きょろきょろとするだけで返答は返ってこなかった。

『忘れたのか。君の姿は人間には見えない』

通信機越しに璃子にそう告げられ、自分の状態を思い出す。それと同時に、彼女の言葉がその通りであると、まざまざと見せつけられた。薙斗は作戦を変更。レキナを前に立たせ、喋る内容を後ろから伝えることにした。先ほどと同じ内容を、レキナが受付へと告げる。

「はい……申し訳ございません。本日旭川さんとは面会の予定が入っておりません。アポイントメントはお済みですか?」

ここに関しては当然のことだった。向こうにとっては薙斗の名前を出した程度ではアポイントメントをとったところで弾かれるのは目に見えている。ならば、もっとインパクトのあるやり方で攻めた方がいい。

「あれ、うまく連絡がいってませんでしたかね……。本人に確認していただけませんか。「重要調査対象」を連れてきた、狭霧薙斗という者が面会を求めている、と」

薙斗の切り札はこれだった。彼女達にとっての重要調査対象……それはスピサのことだ。今まで幾度も捕獲に向けて召喚士を送り込んでは失敗し続けていた重要調査対象が向こうから来たのだ。向こうにとってはまさに渡りに船。これほどの奇跡とチャンスは彼ら彼女らにとっては非常に大きなものだからだ。

電話で受付の女性が確認を取っている。数十秒待ったのち、受付の女性が返答する。

「承りました。こちらのカードキーをお使いください。旭川の所属するフェアリー研究部門は地下二階になります」

「ありがとうございます」

薙斗は受付の女性にお辞儀し踵を返す。これで第一関門は突破した。しっかりとした足取りで、エレベータの方に歩みを進める。

「まさか私がダシに使われるとは……」

スピサがどこか納得のいかない、とでも言うような表情で訴えてきたが、どうあれ結果が全てだ。実際、なにも嘘は言ってないのだからさして問題ではないだろう。

「もしお前がいなかったらだいぶ手こずらせられるところだったけどな。利用できる立場は利用していかないとな」

薙斗は人の悪い笑みを浮かべた。これこそが薙斗の世渡り術のようなものだった。他の動きに支障が出ないのであれば、利用できるものはなんでも利用していくべきだ。これは薙斗が評価を受けてきた十七年間の積み重ねと、この一年間での鍛錬の中で培った数少ない特技の一つである。

 三人はエレベータで地下二階へと向かう。外の様子は全く分からないまま、地下二階に到着する。エレベータを降りた三人は白基調の殺風景な光景の中を歩いていた。まさしく研究施設然としたその光景は、あまりそういうのに慣れていないスピサやレキナにとってはあまり居心地のいいものではないだろう。特にスピサは、基本的に自然の中で過ごしてきたフェアリーだ。こういう場所の居心地の悪さは薙斗やレキナの比ではないだろう。

「カードキーは……ここか」

一つの通路を区切るドアの前にたどり着いた。そこには、カードキーを差し込む装置と、「フェアリー研究部門」の看板があった。薙斗はカードキーを差し込み、ロックを解除する。ガチャリ、と音を立ててドアを開き、中へと入っていく。特に警報等の類が作動している様子もないどころか、監視カメラなどの防犯装置がまるで見受けられなかった。

『ようこそ、狭霧薙斗くん、そしてフェアリーのお二方』

その瞬間に、通路に設置されているスピーカーが女性の声を放送し始める。その声には聞き覚えがある。薙斗はその放送に向かって言葉を返す。

「旭川さん……」

『随分と久しぶりになってしまったが、私も話がしたい。君達の位置から正面に突き進んでいくと、フェアリー空間実験室というものがある。そこで待っているよ』

それだけ告げると、放送は途切れた。薙斗は拳を握りしめ、黙って歩きだした。

「あ、待ってよマスター」

慌ててレキナがその後を追いかけ、スピサもそれに続く。薙斗の中には、違和感があった。何かがおかしい。それは、こうも簡単に相手が侵入を許している点ではない。あの放送の音声には、どこか違う部分が感じられた。ただ、何がどういう風に違うのか、具体的な説明ができない。ただ、なんとなくモヤモヤするのだ。何か、大切な何かが抜け落ちているような、そんな気がしていた。

 旭川の指定したフェアリー空間実験室の前にもまた、カードキーによる入室認証が必要になっていた。この先に、旭川佳苗が待ち構えている。どうにも嫌な予感は消え去ることのないまま、薙斗はドアを開いた。

 部屋の中は、随分と広い割には何も物が置かれていない、ひどく殺風景な状態だった。高所の壁面には、中の様子をうかがい知ることのできる窓が設置されているようだ。

「やあやあ。お久しぶりだね、狭霧薙斗くん、それにレキナくんに……スピサくん、だね」

旭川は両手を広げながら薙斗達を歓迎した。まだだ、まだ違和感が拭いきれない。

「――お久しぶりです。旭川さん」

薙斗は軽く礼をした。何かがおかしい。なんだ。違和感の正体はなんだ? 探せ。どこかにあるはずだ。この違和感を作り出している元凶……何かが狂っているこの状況を、正しく認識できるはずの鍵。そして薙斗は、その違和感の正体に気づいた。

「ところで、旭川さん――フェアリアはどうしたんですか?」

彼女――旭川佳苗の近くには、常に彼女のフェアリーであり、人類史上初めて召喚された原初のフェアリー、フェアリアがいたはずだ。その彼女の姿が、まったく見当たらない。いや、それよりも大きな違和感は、この旭川佳苗という女性そのものから発せられているものだった。

「なるほど、思ったよりも早かったな」

そう言うなり、旭川の纏っていた雰囲気が変化し始める。全身から発せられる魔力は、人間というよりはむしろ――。

「やっぱり無理やり隠れ蓑を着る、というのはなかなか負担が大きい。やはり自然体のままでいるのが一番だな」

その容姿は旭川佳苗その人のものだ。だが、彼女を支配している人格は旭川のそれではなかった。違和感の正体は、これだ。

「――どうして旭川さんの身体を使っている……フェアリア!」

薙斗は叩きつけるように言葉を吐いた。だが、対する旭川――フェアリアはそれをいなすような言葉で返答する。

「当然、実験の一環だ。最も、失敗や成功かで言えば、限りなく成功に近い失敗、というのが正解だろうな。分かるか? その名も侵食インフェクション実験。人の身体とフェアリーの身体を一つにする実験だ。まぁ、肉体の一体化こそ成功していたが。旭川の人格が吹っ飛んでしまって、結局彼女の身体を私が扱っている状態だがね」

信じたくはなかったが、それが現実だった。フェアリアは事実上、旭川の身体を乗っ取ったのだ。

「さて、と。君にはうちの部下がいろいろと世話になったみたいだし……その上ここまで踏み込んできた。ルティアならともかく輪倉とリゼルタの二人を倒すのは予想外だった。だが、それでもそこで踏みとどまるというのなら私も手を出すつもりはなかった。だが君は、踏み込んではいけない大人の領域まで踏み込んでしまった。侵入者だ。それ相応の覚悟をもってもらうよ」

やはり、薙斗だと分かったうえで誘い込んだ。恐らく、ここに来る前に引き返してさえいれば、彼女らも手を下すようなことをするつもりはなかっただろう。だが、それでも、薙斗には踏み込むだけの理由があるのだ。

「たった今、警備の人間をこのフロアに集め始めた。諦めて拘束されるというなら、痛いようにはしない」

「薙斗。私は外を食い止める。相手の能力は未知数だろうけど、それはアンタも同じ。ちゃんと勝ちなさいよ!」

そう言ってスピサは走り出す。薙斗はスピサを呼び止め、右手につまんでいたカードキーをスピサへ向かって投擲する。スピサは寸分の狂いもなくカードをつかみ取る。

「使い方は分かるな?」

「バカにするな!」

そう吐き捨てると、スピサはドアの向こうに消えた。これでこの部屋に残ったのは、薙斗とレキナ、そして――フェアリアだ。

「……輪倉を雇っていたのは、いつからだ」

三人だけとなった室内で、薙斗がそう呟くように行った。

「フェアリー・インパクトの後……侵食実験の結果がこのような形で収まった後に、私が引き入れた。安心しなさい、旭川は当然のように反対の立場を取っていた。最後の最後まで反対の立場で動かなかったものだから、実験がこうも素晴らしい形で終わってくれたことには神にも感謝するレベルね」

フェアリアは終始、世界が自分の思うように回るのが当然だとでもいうかのような、余裕の籠った笑みを浮かべ続けていた

「スピサのことも、研究所主体と見て間違ってはいなさそうだな」

「ええ。召喚士を必要としないフェアリーを生み出す実験は成功した。ただ、やはり召喚士の存在は不可欠ね。枷のないフェアリーほど扱えないものはない」

その発言は薙斗とは対極にあるものだった。フェアリーの自由を保障し、各々が生きたいように生きていける世界。フェアリーの管理、統制を行うことで、使役し続ける世界。

「これ以上余計な召喚士が増えてしまっては、こちらの管理の行き届かなくなる可能性が出てくる。それに、犯罪を犯した召喚士や何にも代えがたい条件のために新たな召喚士を必要とするフェアリーを引き込めれば、研究所の私兵として、より調査を円滑に進められる。これほど合理的で効率的な人的資源の運用方法は中々ないわね」

自己に陶酔しているようでありながら、その結果は正しく示されている。こういう輩は総じて厄介なものであると相場は決まっている。だからこそ、薙斗にとっては放ってはおけない相手だった。

「そして、私の邪魔をするというなら、狭霧薙斗。あなたも力づくで屈服させてあげる!!」

そこで、戦いの火蓋が切って落とされた。フェアリアは両手それぞれに魔力の球体を作り出すと、それを薙斗達に向かって投擲してくる。いや、投擲というには随分と物理的な動きからは乖離した挙動と速度だった。薙斗は右手に剣を生成し、剣を二度、それぞれの球体の方向へと振りぬく。魔力球体は薙斗の発生させた障壁とぶつかり、障壁を破壊して霧散する。あの魔力を凝縮させた球体は障壁一枚で対処できる。ならばまだ、どうとでもやりようはある。

「レキナ!」

「うん!!」

薙斗の背後からレキナが姿を現し、左手にこめた魔力を電撃として打ち出す。

「幼い攻撃ね」

その電撃は、フェアリアが右手の人差し指に形成した指先大の魔力球体によって相殺される。あれほど小さい魔力球体で、こちらの攻撃を防ぐとは――。

「ふむ、少しは期待していたが、これでは並の召喚士とフェアリーね……」

そう呟くと、フェアリアは再び魔力球体を作り出し、薙斗へと投擲する。先ほどと大きさも速度も変化はない。ならば一枚で――

「な……!」

だが、薙斗が張った障壁の寸前で、一気に加速を掛けた魔力球体は、そのまま薙斗へと突き刺さる。

「ぐ……あああっ!!!」

予想していたよりもずっと深く、ずっと重い。決して甘く見ていたわけではない。だが、それでもこれほどの威力を、全く同じ魔力球体から放てるとは思ってもみなかった。先ほど物理的な投擲軌道ではないと感じたのは、恐らく手元から離れた後も自在に速度や軌道を変更させることができる、と見るのが妥当だろう。

「マスター……あぁっ!!」

吹っ飛んだ薙斗に気を取られたレキナにも、超速の魔力球体が直撃する。レキナもまた吹っ飛ばされ、薙斗の真横でようやく勢いを止めた。

「全くもって解せんな、お前たちは」

呻きながらも立ちあがる薙斗とレキナに向かって、フェアリアは笑顔を消して話しかけた。

「普通に生活をしようものなら、こんな戦いをせずともよいはずなのに。どうして首を突っ込むのか。理解に苦しむ」

どうしてこんなことをするのか。そんなものは、誰に言われるまでもなく決まっている。

「人間やフェアリーを支配下において、管理して統制して……そんなことしか考えないお前には分からないだろうさ……!」

あの日の、父の言葉が、蘇る。

 ――薙斗。

「俺は――」

――忘れんなよ。お前は――

「俺がやりたいと思ったことを――」

――したいように。

「俺がしたいように――」

――生きていいんだ。

「生きていくだけだ!!」

はっきりと、反論する。

「私も同じ。私のしたいことをするって決めたから……!!」

レキナが並び立つ。その言葉には、かつて雨の日に崩れ落ちていたようなか弱さは感じられなかった。いや、むしろそうした面もまた、彼女の一部なのかもしれない。

「まったく、エゴも甚だしいな。利己的思考もいいところだ。そうまでして何を求める!」

その言葉と同時に、フェアリアは二つの球体を同時に投げつけてくる。先ほどと同様の大きさ、だが、確実に速度は先ほどのような超加速を持ってくる。

「俺は――」

「私は――」

薙斗とレキナの声が重なる。薙斗の中に、レキナの魔力が流れ込んでくる。薙斗の左手には、もう一本の魔力剣が生成されていた。右手の魔力剣を振りぬく。

「レキナを――!!」

そして左腕が動き出す。まるでレキナの意志が乗ったように、しなやかに剣を振りぬく。

「薙斗を!!」

魔力球体の威力を考えれば、障壁は一球一枚では貫かれる。まだ足りない。

「レキナの笑顔を!!」

右手を振りぬく。

「薙斗の優しさを!!」

左手で払う。

 四枚の障壁。その障壁を、二対の魔力球体はその形を維持したまま突っ込んでくる。だが、二度も同じ手を食らうつもりはない。薙斗はすでに、両腕を交差させた状態でその時を待っていた。

「レキナが笑って過ごせる世界を――!!」

「薙斗が優しくいられる世界を――!!」

交差させた腕を振りぬき、魔力剣をそれぞれの魔力球体へと叩き付ける。直接叩き付けるだけでは先ほどの二の舞だっただろう。だが、今は四枚の障壁の先でこれを叩き付ける。

「守るんだぁぁぁっ!!!!」

薙斗とレキナの声が、重なる。それと同時に、二人を閃光が包み込む。薙斗が叩き付けていた二対の魔力球体は、魔力剣に弾かれて壁へと激突する。

 それは、先日の輪倉やリゼルタとの戦いの比ではない。「守りたい」という祈りや願いを超えて、強くあり続ける「守る」という絶対的な意志。二人の意志は、一つの同一意志となって、その姿を変化させていく。

 しばらくの閃光が止んだ先、閃光の中心にいた薙斗とレキナはその姿を変化させていた。顔立ちや背丈こそ、薙斗のそれであるが、全身に纏う雷はレキナのものだった。髪色はレキナの持つ金髪へと変化していた。そこには、狭霧薙斗とレキナが一つの個体として生まれた姿があった。その姿は、まさしくインフェクション実験の本来あるべき成功例。両者の肉体、両者の意志が一つの個体の中で共存し、共生している。

「まさか……ただの召喚士とフェアリーが、そんな真似を……!」

「別におかしい話なんかじゃない」

薙斗の声が響く。

「私達は、同じ方向を向いて歩いているんだから!!」

薙斗は、レキナは、狼狽えるフェアリアにきっぱりと言い放つと、勢いよく地面を蹴って飛び出した。

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