第10話 動き出す時間
雨が降る度に、あの光景を思い出す。全てが奪われた日のことを。全てを奪ってしまった日のことを。いや、奪ったという表現は適切ではない。壊したのだ。跡形もなく。原子すらも残らないのではと思えるほどの力で。
レキナの身体は、完全に動かなくなってしまっていた。頭でも心でも分かっている。今は戦うべき時なのだと。あの日と同じ光景が、目の前に広がっている。あの時と同じように、自分はただ傷つけるだけで、何も守れず、誰も救えず、ただ朽ち果てていくしかないのか。
「待て、リゼルタ」
レキナの様子がおかしいのを見て、リゼルタは両手に魔力を充填させたが、輪倉はそれを制止した。輪倉はおそらく、自分の信念を貫いたのだ。自分と対等な相手とでなければ、戦うつもりはない、と。今のレキナは、まさしくそういう状態だったのだ。
「レキナ!!」
制止した輪倉と対照的に、懸命な足取りでレキナの傍までよってきたのは、当然、薙斗であった。薙斗はいつも、こうして近くで支えようとしてくれた。だが、自分は未だにそれに最大限の結果で応えられていない。フェアリーとしてはこれ以上もないほどの落ちこぼれと言われても仕方のない。マスターの期待に応えられないなど、どれだけ惨めなのだろうか。
「ごめんなさい……分かってる……分かってるのに……」
足が動かない。身体が別の意志を持っているかのように、言うことを聞いてくれない。自分はまだ、一年前の日を引きずり続けている。情けない。情けなくて、レキナの両目からは涙がこぼれ続けている。
「レキナ。よく聞いてくれ」
薙斗は優しい声でレキナに話かけた。
「確かにあの日、俺は多くのものを失った。レキナがそのことを悔やんでいるのは分かっている。けどな、レキナ。その日のことを、誰かが責めたりしたか?」
「でも、きっとお父さんもお母さんも……」
「レキナ。きっと、父さんも母さんも、同じことを言ったさ。それにな、レキナ。俺はあの日多くのものを失ったけど、それでも、レキナは残ってくれた」
「……!」
その言葉に、レキナはゆっくりと顔を上げる。その両目からは、まだ涙が溢れている。
「昔の俺に、目標なんてなかった。でも、あの日、俺や父さんや母さんのことを、レキナは笑って好きだと言ってくれた。力を失って、お前が泣いてるのを見て、俺は自分の為すべきことがようやくわかった。レキナを守りたい。レキナの笑顔を守りたい。それが、俺の中に確かに生まれたんだ」
レキナにとって、薙斗のその言葉は衝撃だった。まさか、力を失って、両親を失って、全てを失って、メリットを感じているとは、今の今まで考えたこともなかったのだ。
「レキナ。俺はしたいように生きる。だから、レキナも、レキナの生きたいように生きていいんだ」
薙斗の両親が繰り返し告げていたその言葉を、レキナもまた、思い出す。不思議と、心の奥がスッと軽くなっていくような感覚さえ覚えた。
「それにさ、見てみろよ」
両手を広げて、薙斗はこの光景を指示した。遠くには輪倉とリゼルタ。傍らに薙斗。そして、降りしきる雨。
「あの時と同じだ。今ならきっと、あの日の壁を越えていけるはずだ……レキナ。もう一度いう。俺はお前を守りたい。レキナ。お前はどうだ」
そんなの、答えなど決まっている。身体はまだ抵抗を続けるが、それでも、動くことができる。ゆっくりとだが、レキナは立ち上がっていく。全身に血が、魔力が、駆け巡っていくような充足感。雨の日にこんな感覚を全身が受けるのは、もしかしたら初めてのことかもしれない。この世に生まれて初めての雨の日が、あの日だったから。けど、あの時と確実に違うことがある。隣で、薙斗が支えてくれている。それだけは確かだった。
「私も……私も……!」
身体が熱い。全身の魔力が沸騰するような熱を感じる。これほどの熱を感じたことが、かつてあっただろうか。心臓から手足、指から爪の先、髪の毛一本一本まで、魔力が満ちていく。
そうだ。薙斗は私を守るために全力を尽くしてくれる。私のために、支え続けてくれる。
だから私も。薙斗を、薙斗の優しさを、薙斗が優しくいてくれる世界を――。
「私も、守りたい……!!!」
その目はまだ涙を湛えいる。だが、もう彼女は泣いていない。その顔は、涙を伴いながらも、笑っていたのだから。
レキナの魔力が満ちていくのを、召喚士である薙斗は直に感じ取っていた。レキナは、過去の自分に必死に向き合い続けてきた。そして今、過去ではなく、今を、未来を見据えて歩き出そうとしている。マスターとして、レキナのパートナーとして、それを支えていくべきであるという結論には、いとも容易くたどり着いた。
「――全力をぶつけるぞ、レキナ!!」
「うん、マスター!!」
レキナへと、サイファーを通して魔力を供給する。先ほどのリゼルタとの戦闘で消耗した魔力を補てんし、更に内部の魔力を雷に変換し、それを高めていく。
「面白い、力比べと行こうか、狭霧薙斗、レキナ!」
輪倉は左手の甲へと魔力を流し込む。リゼルタもまた、その旨を了承し、魔力を稲妻に変換し、充填させていく。その規模は、レキナよりも後に充填し始めていながら、すでにレキナに匹敵するほどのものだ。さすがに自らに召喚系の才能があると豪語するだけのことはある。召喚系の魔力特性は、強力であればるほど、フェアリーへと送り込める魔力の量も多くなる。また、その魔力の質も、良質な状態でフェアリーへと提供される。恐らく、このまま充填を続けて撃ち合えば、レキナは押し負ける。ならば、こちらはこちらのやり方で勝利をつかみ取るしかない。
「決死の覚悟だ……!」
薙斗は争いが好きというわけではない。それでありながら笑みが零れてしまうのは、やはりまだ恐怖が残っているからかもしれない。だが、この状況で、薙斗にとっては恐怖程度で足を止める理由にはなりえない。
「行くぞ……!」
薙斗は走り出す。とにかく接近する。そして、何重にも障壁を重ねれば、いくら良質な魔力の塊の稲妻でも、その威力を落とすことができる。それができれば、薙斗とレキナにも勝機がある。
「リゼルタ、魔力を増やす。狭霧薙斗を近づけるな」
「了解、マスター!!」
リゼルタは魔力を充填させていく中で、その一部分の稲妻がまるで放電するように周囲へと弾けていく。そして、その中の一つが薙斗へ向かって進路を取る。薙斗は剣を振るい、稲妻を障壁と相殺する。そして、更に接近していく。だが、接近すればするほど、薙斗へと迫る稲妻はその数を増やしていく。薙斗はそれを障壁で相殺していくが、数が増えるにつれ、その足が止まる。
「くそ……まだ半分も来てないってのに……!」
レキナとリゼルタの間には相当な距離がある。薙斗が近づくにしても、まだその距離は僅かにしか縮まっていないのだ。
歯噛みしながらも近づこうとした薙斗の頭上を、一つの稲妻が駆けていく。その稲妻は薙斗に向かうことなく、その目標を後方に控える少女に定めていた。
「う……おおおおお!!」
力の限り叫びながら、精一杯に飛び上がり、剣を振りぬく。薙斗の障壁は切った先でしか障壁を展開できない。ならば、その斬撃が届く位置まで近づかなければ、レキナを守ることができない。
幸いにして、薙斗の頭上を通過していく稲妻は障壁に阻まれて霧散する。だが、その行動は自分の身を危険に晒すものだった。
薙斗に向かって雷が三つ。立て続けに迫る。うち一つは剣で直接払落したが、残る二つは薙斗に当たり、その身体を吹き飛ばす。
「がぁぁっ!!」
地面を転がり、強く打ち付けられる。レキナのように衝撃を殺す術を持たない薙斗にとっては、ただ流されるままにダメージを受けるしか道がなかった。
「ま、マスター!!」
「大丈夫だ――レキナ、お前がしたいことは、なんだ!!」
薙斗は、レキナの方を向かずにそう問いかける。言いながらも、薙斗はゆっくりと立ち上がる。
「私は、マスターを、守りたいです!!」
「それが聞ければ十分だ」
薙斗には見えていなかったが、レキナは笑って答えていた。だが、薙斗の中にいるレキナは常に笑っている。
そうだ。俺は守りたい。レキナを、レキナの笑顔を、レキナが笑って生きていける世界
を――!
「守りたい……!!」
薙斗は両足に力を入れる。身体が軽く感じる。両足に、自分のものではない誰かの感覚が飛び込んできたような感覚がある。ふいにその足元を見た薙斗は、その状況に困惑した。
「雷……!?」
薙斗の両足は、雷を纏っていた。それはまるで、レキナの魔力を両足が受けとったような状態だった。バチバチと弾けるその両足に力を――魔力を込める。
「行けるか……!!」
薙斗は、地面を蹴りだす。その速度は、今まで薙斗が感じてきた「走行」のそれではなかった。風が顔に、全身に叩き付けられるような感覚。息をするのすらつらくなるほどの空気圧が真正面から襲い掛かってくる。だが、レキナはこの感覚をずっと味わって、その上であれほどの攻撃をしてみせたのだ。マスターの自分だって多少はできるところを見せてやれないと恰好がつかない。
「やってやる……俺は、レキナを守りたいんだ……!!」
正面から飛んでくる稲妻を障壁で相殺しながらさらに接近していく。右手の剣を走らせて、次々と襲い来る稲妻を障壁で撃ち落とす。次第に稲妻の数も増えていくが、薙斗の移動速度は衰えない。だが、その中で薙斗の上をまたしても通り過ぎていく稲妻が見えた。だが、薙斗が再び飛ぶ前に、無意識のうちに別の行動を取り出す。左手を稲妻の方向へと動かしていく。そして、その左手には魔力剣が形成されていた。薙斗の本来の創造系特性では、一つ何かを形成するのが精一杯のはずだが、今の薙斗の左手には、魔力剣が生み出されている。左手には先ほどの両足と同じように雷が纏われていた。振りぬくと同時に、その魔力の強さに、薙斗の立ち位置が反動で少しずれる。左手の剣を振りぬくことによってその斬り痕の後で障壁が展開されるはずだが、雷の力が、空中に左手の剣と同じ軌道で見えない刃を形成し、何もない空中を切り裂き、そこに障壁を展開し、稲妻を止める。そこからの薙斗は止まる要素がなかった。次々と両手を駆使して障壁を張っては進んでいく。そして、その速度も落とすことなく、リゼルタへと接近していく。
「リゼルタァ!!」
「おおおおおお!!」
輪倉の叫びと同時に、リゼルタへと魔力が更に送られていく。それと同時に、リゼルタの魔力が増大し、飛んでくる稲妻の数は更に増加する。さすがの薙斗も足が止まる。両手での障壁展開により、捌けない数でこそなかったが、進むことはできなくなってしまっていた。
(くそ……もう少しなのに……!)
薙斗は障壁を張り続けながら、考えを巡らせていた。途中に薙斗の横をすれ違うような形で通り過ぎようとする稲妻が見える。薙斗はその稲妻の進路に合わせて左手の剣を振りぬく。離れた場所を飛んでいく稲妻の進路に障壁が展開され、それに合わせて薙斗の身体もずれる。踏みとどまってこれほどの反動がある。だが、薙斗はそこで一つ、考えを決めた。
「やるしかない……!」
薙斗が飛び込んでくる稲妻の群れに意識を最大限に集中させる。
見切れ、飛び込め、たった一度のチャンスのために!!
薙斗が凝視する中、弾けてくる稲妻の数が一気にその数が減る。
(今しかない――!!)
薙斗は身体を回転させながら剣を持った腕を交差させる。そして、リゼルタに背を向けたところで、両腕に魔力を一気に集中させる。両腕が雷を纏っていき、そのまま両腕を振りぬく。巨大な障壁を展開すると共に、薙斗の身体は強力な障壁の展開による反動で一気に吹き飛ぶ――リゼルタがいる方向へと。
「くっ、反動を利用してここまでっ……!!」
そうリゼルタが毒づく間にも、薙斗は勢いよく接近する。全身に魔力を集中させ、レキナの魔力を感じとる。全身に纏われていく雷を感じながら、薙斗は飛び込んでいく。当然、ノーガードの突撃戦法だ。弾けてきた稲妻の一部は薙斗へと当然ヒットしていく。
「ぐっう……!!」
だが、レキナの魔力を――雷を宿していることもあり、大きなダメージにはなっていない。ならば、ここまで突撃してきた甲斐があるというものだ。超高速で接近した薙斗は、リゼルタの前方三メートルの位置まで接近することに成功した。稲妻の数が少ない中を通ってきたこともあるが、それを差し引いても、ありあまるスピードで突貫してみせたことによって、いくらかは回避することができた。
「マスター!!」
「行け!! リゼルタァ!!」
輪倉からリゼルタへと指示が飛ぶ。それに合わせて、薙斗もまた、両手でそれぞれ障壁を形成しながら後退していく。薙斗が合計で十五の障壁を作り出したころ、リゼルタが突き出した両手の、その中心から巨大な稲妻が発射される。それを確認して、薙斗は再び空中に飛び出し、両腕に雷を纏う。そして、そのまま一度右腕のみを引き、反動で後方に下がりながら障壁を展開。再度右腕を振りぬくまでの間に、左腕でもどうようのことを行い、障壁の数を増やしていく。リゼルタの放った巨大な稲妻は、猛烈な勢いを伴って薙斗の発生させた障壁を次々と飲み込んでいく。だが、薙斗は信じて障壁を張り続けていった。張った枚数が多ければ多いほど、稲妻は障壁の突破に魔力を消耗していき、レキナの雷が貫通してくれる可能性は高い。だからこそ、薙斗は必死になって障壁を張り続けた。すでに展開した障壁の数は五十枚以上だ。それを次々に破壊しながら迫る稲妻に、更に障壁を展開し続ける。
「うおおおおおおおおおおお!!!!!!」
絶叫。叫びながら薙斗は障壁を張り続け、レキナのすぐ近くまで障壁を張り巡らせた。幾重にも重ねた障壁を、稲妻が破壊していく。だが、今まで一瞬のうちに飲み込んでいた稲妻がここにきて薙斗でも見てわかるほどに障壁突破に時間がかかるようになっていた。あの攻撃に明らかに綻びが見えた瞬間だった。薙斗は稲妻が迫ってくる中、障壁を張り続け、薙斗と稲妻との間にある障壁が三枚になったところで、勢いよく後方上空へと飛びのく。稲妻はすでに障壁の突破に一秒以上かけるようになっていた。そして、最後の一枚に稲妻が手をかけると同時に、薙斗は叫んだ。
「いっけええええええええレキナああああああああああっ!!!」
「うああああああああっ!!!!」
それに合わせて、レキナもまた、声を挙げる。その咆哮は、魔力に乗せて、レキナの両手から雷として発射される。
最後の一枚が、破壊される。そして、今再び、雷と稲妻が衝突し、カッとあたりを眩いまでの光で包み込んだ。
『昨日午後十五時頃、通報を受けた警察官が、指名手配犯、輪倉彰容疑者を、殺人及び器物損壊の罪で逮捕しました。輪倉容疑者は一年前に、ショッピングモールの破壊工作によって合わせて百人以上の死傷者を出した召喚士であり、警察は全国指名手配を行い、捜査を続けてきました。逮捕当時、輪倉容疑者は魔力低下によって意識が衰弱しており、警察は回復を待って、事情を聴取する方針です。また、専門家によれば、輪倉容疑者が使役していたと思われるリゼルタ容疑者は、サイファーの反応から、すでに契約状態が切れているとのことで、警察はリゼルタ容疑者は消滅したものと考えて捜査を進めていく方針です』
「お帰り、レキナ、薙斗!!」
「奥に簡単だが休息用のベッドを用意してある。まずはゆっくり休むといいさ」
出迎えたリーシャと璃子の姿を見て、安心しきって倒れこんだのが、その日見た薙斗の最後の光景だった。そして、レキナもまた、同じような光景が最後に見たそれだった。
その日のうちに、輪倉は逮捕され、召喚士達にとって忌まわしき事件「フェアリー・インパクト」には一応の決着が着くこととなった。だが、まだ薙斗達には、一つ、確かめなければならないことがあった。ここまでの戦いで常にその裏で存在を醸し出し続けていた、魔力制御学研究所。そして、フェアリーに関して大きな権力を持っているはずであろう、旭川佳苗の真意を。
全ては、レキナが笑って過ごせる世界のために。
全ては、薙斗が優しくいられる世界のために。
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