第7話 親と子


 薙斗は、レキナとスピサに対して、一つだけ指示を出した。

 攻撃は全て茨そのものに集中させて援護を続ける。

 まったくもってシンプルな指示ではあったが、細かい作戦を立案、検討している暇などない。仮にも戦闘状態なのだ。油断や余裕は隙を生むことになる。薙斗は二人がそれぞれの反応で指示を了承したのを聞くと、ゆっくりと前へと歩き出した。真っすぐに相手に向かって歩を進める。

「どんなつもりかは知らないけど……!」

茨のフェアリー――ルティアが両手の指先を茨に変化させ、薙斗へと突進させていく。だが、茨は薙斗の目の前で炎と雷によってその進路を阻まれる。薙斗の後方、それでありながら薙斗には当たらない位置から、レキナとスピサが迎撃を行ったのである。だが、その援護もあまり長くは期待できないであろうことを、薙斗は予感していた。薙斗は歩みを止めない。ルティアが再び茨を展開してくる。その数は八本。薙斗は剣を二振りし、一度立ち止まる。計八本の茨。そのうち四本は、レキナの電撃によって撃ち落とされるが、残りの茨は薙斗の張った障壁に激突する。炎は飛んでこなかった。

(やっぱ無理、か……)

ここまでの攻撃の仕方を見て、薙斗はスピサの魔力制御に関して考察が済んでいた。スピサと戦闘状態になって初っ端に放たれた高火力の炎を受けきった時に姿が見えなくなったのは、反撃を恐れて下がったわけではない。大きすぎる威力のために、反動で後方へと吹っ飛んだのだ。そうなれば、まるでスピサが攻撃と同時に消えたように見せることができる。レキナの格闘攻撃を食らったときも、炎を放った反動で体勢を立て直そうとしていた。スピサの炎は、圧倒的威力と同時に、反動も凄まじい。そして、その高火力広範囲攻撃は、援護攻撃としては甚だ不向きだ。対象となるものが遠くなればなるほど、炎は威力を必要とするし、遠くに放つほどその最大半径も大きくなる。援護対象を守るどころか、そもそも援護対象を巻き込みかねない。それに、自らを吹っ飛ばすほどの反動を持つ攻撃では、連発することはできない。スピサがルティアの茨をギリギリまで引き付けて焼き尽くしたのは、魔力の節約などではなく、自身に掛かる反動を最小限に抑え、次撃に備えるためのものだった。

「レキナ、後は任せるぞ!」

「了解、マスター!!」

元気よく笑って答えたレキナの声を背中に受けながら、薙斗は前進を続ける。ルティアはなおも八本の茨を放ち、彼女を守るようにして雄一が両手を真っすぐに伸ばして待ち構えている。魔力による攻撃は彼ら――いや、彼には通用しない。勝つことだけを考えるのならば、レキナやスピサの魔力攻撃をもって茨を薙払いながら雄一へと魔力を当て、反射されてくるものを薙斗の障壁で防ぎ、いずれ雄一が受けきれなくなって崩壊するのを待っていればいい。だが、そうなればあの年齢では最悪命を落としかねない。助かったとしても、何らかの後遺症を残すか、あるいは魔力制御そのものが出来なくなってしまう可能性がある。

 今の薙斗のように。

「この数の茨なら、凌げる……!」

もう少しだ。もう少しで手が届く。こちらが接近しきることが出来れば、勝負はつく――!

「この数、ならね」

そう呟いたのはルティアだった。その瞬間、薙斗は気づいた。ルティアは両手の指先を茨に変化させて攻撃を行っていた。そして、彼女は薙斗の進攻をで食い止めていた。

 残りの二本は、常に手元に置かれていたのだ。

「ユウくん!」

「いくよ……!」

そう呟いた雄一の両手の指が、茨へと変化していく。ルティアの展開した茨と合わせて、計、二十本。茨の数は二倍に膨れ上がった。

(妨害で時間を稼ぎながら、残る二本の茨を峰岸雄一に触れさせ続けて分析をさせた……! しかもこれだけの時間の分析をされれば……)

「一度や二度じゃ終わらないよ!!」

そう叫びながら、雄一が両手から茨を展開する。それと同時に、後方に控えていたルティアも十本の茨を薙斗へ向けて突進させていく。茨を確実に防げるのは障壁一つで二本。しかも、障壁で茨に乗せた魔力による勢いを殺したところで、再び魔力が送り込まれれば茨は変わらぬ勢いで突進してくる。レキナの雷による援護を入れたとしても、捌き切れる量ではない……!

「くっそ……!」

薙斗は下がりながら剣を振り続ける。五振り、六振り。剣を振りぬく回数は増えていくが、障壁の数は変わらないどころか少しずつその数を減らしていく。茨の本数は減っていく様子がない。レキナも奮戦してくれているが、薙斗の負担を多く減らしてくれてはいない。これでは……。

「下がれ! 狭霧薙斗!」

後方からの声に、薙斗は思わず後方へと下がる。その間にも剣を振りぬき、同時に茨も侵食してくる。下がる薙斗の横で、飛び出していく少女の姿が視界に入る。赤い髪をなびかせながら、スピサがルティアへと迫る。伸びきった茨を断ち切るが如く、両手を前へと突き出す。両手に集中した魔力は彼女の中心でぐるぐると渦を巻いて魔力を炎へと変化させる。両手からあふれ出した炎を、ルティアめがけてうち放つ。灼熱の奔流がルティアへと接近し、反動でスピサは地面を転がる。放たれた炎を見て、雄一が攻撃を中断して炎へと手を伸ばす。炎は雄一に触れると同時にその勢いを失っていき、彼によって分析が行われる。炎が消えるころには、分析の終わった炎を、スピサへと跳ね返すように撃ち放つ。薙斗の位置と速度では間に合わない。スピサ自身も体勢を立て直したばかりで、まともにやりあうことが出来るような状態ではない。

 だが、こちらもまた、それを防ぐだけの可能性を持つ者がいるのだ。

 薙斗とルティア達の間を、稲妻が駆ける。ゼロコンマ数秒の間にスピサの前まで潜り込んだレキナが、両手両足に魔力を集中させる。両足から発せられる雷が地面を抉り、跳ね上がった岩の断片が重なり合って天然の防御壁となる。それにぶつかって勢いの殺された炎に向かって、レキナが両手の魔力を雷に変化させて炎へとぶつける。炎は雷によって中心を貫かれるような形となり、レキナとスピサを避けるように後方へと流れていった。

「あんた……私なんかに構ってどうする気……?」

スピサがレキナに疑問を問いかけた。レキナが薙斗に与えられた援護の指示を放棄してまでスピサを助けるべく全力を尽くした。スピサにとってはそれは疑問以外のなんでもなかった。だが、薙斗やレキナにとっては、それを一蹴するほどの強い理由があった。

「だって――」

「そりゃあ――」

薙斗は踏み出す。レキナは笑う。今この瞬間の、たった一つの目的のために。

「これは、救うための戦いだから!!」

薙斗とレキナの声が、重なる。雄一は炎を出したことによって、茨の発生ができなくなっていた。ルティアもまた、スピサの炎の余波がまだ残っているのか、茨の生成には至っていない。ならば、飛び込むのは今この瞬間しかない。薙斗は大きく踏み出す。ここまで後退された分を、一気に取り返して、巻き返す。

 身体が軽く感じた。気のせいか、地面を蹴る力すらも向上しているような感覚があった。両足が自分のものではないかのように、大きく踏み出す。ここまでで最も速く走り抜けた薙斗は、ルティアと雄一へと肉薄する。

「この……!」

雄一が両手を前に突き出す。分析系の特性を発揮すべく構えている。薙斗はその姿勢に入ったのを見て、僅かに笑みを零した。やはりまだ、青い。成長の途上にあるその行動は、薙斗にとって最も望んだ行動。

「――ちょっとだけ歯ぁ食いしばれよ……!!」

そう言うなり、薙斗は雄一の懐に飛び込み、左拳を彼の腹部へと突き出す。ふわりと浮いた雄一の身体を抱えて、ルティアから逃げるように走りとんだ。そのままの勢いで押し倒し、右手に形成していた魔力剣を喉元に突き付けた。どうやら、魔力というものに戦い方を固執させていたのは自分たちだけではなかったらしい。分析系の魔力制御は魔力に対して働く。ならば、魔力を行使せず、自前の筋力と技量にものを言わせてねじ伏せるのがてっとり早い。

 そして、こうなればこちらの勝ちだ。

「レキナ!!」

自らのフェアリーへと叫ぶ。レキナは「うん!」と元気よく返事をして走り出す。ルティアが接近してくるレキナに向かって十本の茨を同時に展開する。レキナは先行して飛んできた茨数本を回避すると、大きく回り込むようにしてルティアから距離を取る。だが、これは単なる逃げの一手ではない。レキナが退いた、その後方に、両手に魔力を充填し終えたスピサが、真っすぐにルティアを見つめる。

「私の生活は、返してもらう……ルティアァ!!」

両手から炎が撃ち放たれる。対するルティアは、茨を回収して一つにまとめ、茨の盾を吐く出す。ありったけの魔力を注ぎ込んだそれは、最悪な相性を五分に持ち込むほどの防御力をもって、スピサの炎を遮る。だが、その茨の盾も端々が黒く焦げ付いていき、スピサの炎が収まるころには、全ての茨は炭ついて動かなくなっていた。そんなルティアの懐に、レキナが到達する。レキナの進路を阻むものはいない。レキナは右の拳をルティアへと叩き付けると、そのまま地面へと突き刺すように腕を振りぬいた。ルティアの全身へと、雷と岩肌の地面による衝撃が同時に襲い掛かり、その動きを止める。意識はしっかりしているようだが、身体の痛みとレキナの雷に由来する痺れが、彼女に一切の抵抗を許さなかった。

「これ以上はよせ。犠牲を払ってまで他者を貶める必要はない」

薙斗は喉元に魔力の剣を突き立てたままにそう告げた。これ以上の戦闘を継続させては、雄一自身の身体も持たない。それに、そうまでしてスピサの捕獲に全力を挙げる理由も薙斗には測りかねた。

「お兄さん、あの狭霧薙斗なの……?」

それは唐突だった。喉元に剣を突き立てられたまま、雄一は声を出した。ここにきて、彼とは初めて会話をしたような気がする。そして、その目は目の前にいる薙斗の存在を信じられない、とでもいうような目で見つめていた。

「まあ、恐らくその狭霧薙斗だ」

薙斗はそんな唐突な質問に困ったように笑みを浮かべて返した。

「僕……あなたのファンなんだ。ほかの人たちよりずっと強くて、あこがれて、狭霧薙斗みたいになりたいって……!」

薙斗は困惑した。自分がそれほどまでに他者に影響を与える存在であるとは微塵にも思ていなかったからだ。一部メディアに神童とまで呼ばれた薙斗は、世間に影響を与えることなどない、という場違いな謙遜を抱いたことはなかったが、誰かの目標に、誰かの指標に、誰かの憧れになるなんてことは、今この時告げられるまで、少しも考えたことがなかった。雄一が自分の身体の限界を度外視してまで戦うことに躊躇いがなかったのは、自分のせいなのではないか――。

「――でも、ママを傷つけるなら、僕は許さない……!!」

そんな逡巡が、薙斗の判断と反応を遅らせた。気づいた時には、雄一は自らの喉元に突き立てられている魔力剣に左手を重ねていた。そして、間髪入れずにその手先から魔力剣を形成し、薙斗の腹部へと突き立てた。確かに深く入り込んでいく感覚に、雄一の顔に笑みが宿る。

「やった……! 勝った……!」

この状況、確かに勝利を確信したとしてもおかしくはなかった。薙斗にとっても完全に不意打ちであり、かつての薙斗であったならば確実に勝負を決められていたのは想像に難くなかった。

「悪いな……この結果は君の力がないせいじゃないんだ……」

雄一の突き出した剣は、薙斗の腹に強く押し込まれていたが、貫くどころか切り傷の一つもつけることはできなかった。薙斗は右手に構えていた魔力剣を雄一の右手へと叩き付けた。雄一は叩きつけられた痛みに魔力剣を消失し、地面へと右手をだらけるように放り出した。だが、その右手には切傷はない。確かに感じたそれは斬撃ではなく打撃であったのだ。

(まさか、自分が弱くなったせいで致命傷を避けるとはな……)

そんな皮肉な結果に内心苦笑していた薙斗だったが、それに対峙していた雄一は彼なりの結論を見つけていた。

「手加減、したの……?」

その言葉に薙斗は少し驚いた。狭霧薙斗がかの「フェアリー・インパクト」に巻き込まれた際に、魔力特性の多くを失ったことに関しては、フェアリー研究の第一人者である旭川佳苗が手を回したらしく、世間には公表されることなく、今日まで至っている。その方が、薙斗にも生きやすいことは事実だった。だからこそ、雄一も薙斗がここまで、力の一部のみを用いて戦っていたのではと考えているのだ。

 確かに、全盛期のように多くの特性を駆使すれば、もっと優位に戦闘を運ぶことはできただろう。だが、そうはできない理由がある。

「いいや。これが今の狭霧薙斗の全力だ」

全力をもってしても、薙斗の作り出す魔力剣には、人を斬るほどの力はない。そもそもの使用用途が、障壁を発生させるための補助動作用としての運用である上、直接攻撃に利用したところで、せいぜい叩き付ける程度しかできないのだ。

「――魔力の使い過ぎで、身体が砕け散るような状態になっちゃったからな」

薙斗は、嘘を吐いた。

 目の前にいる、自分の身体について何も理解していないのだろう少年に、過ちを犯してほしくはないから。だからこそ、薙斗は彼が自分に抱いていた憧れと、イメージを利用して説得することに決めた。

「君の魔力の使い方はひどく雑だ。もう少し戦闘が続いていれば、君は魔力制御どころか、普通の生活も送れなくなる。まだ先があるんだ。身体は大事にしな」

薙斗はそう言いながら、ゆっくりと雄一から離れた。おそらく、彼には戦闘の意志はほとんどないだろう。たとえ襲い掛かってきたとしても、薙斗が戦うのであれば不利を取ることはない。そして、説得すべき者はもう一人いる。

「ルティアといったな。どうしてこんな幼い子に無理をさせたんだ」

ルティアは自らのことを、峰岸雄一の母親であると名乗った。事実、雄一も彼女のことを母親として接している様子だった。そもそもの前提がおかしいのだ。自分はほとんどダメージを受けていないにも関わらず、明らかに疲弊するほどに力の制御がうまくいっていない、そんな者を召喚士と認めるとは微塵にも考えられないのだ。

「――あの子の両親は事故で死んだのよ。私はあの子の母親に召喚された。あの子を一人にしないためには、私が傍にいるしかない。けど、このままでは私は魔力が枯渇して消える。だから私は取引をした。ユウくんを――峰岸雄一を、私を使役する召喚士とする契約を行う代わりに、重要調査対象、召喚士を持たないフェアリー、スピサの確保を引き受けた。そして、それを遂行するためには、どうしたってユウくんも前に出てもらう必要があった。それだけのことよ」

薙斗の中で、いまだうまく線が繋がっていなかった。召喚士として認められるための適合試験を無視して、召喚士になるためには、召喚士適合試験の関係者か、召喚士の証であり、魔力の供給機関であるサイファー埋め込みの手術が行える者のどちらかが必要になる。そして、その二者の両方とも、所属している場所は同じ。

「となると、やっぱり関わっているのは魔力制御学研究所……」

呟いたのはスピサだった。今まで狙われ続けた身としては、前々からその存在を感づいていたのだろう。だが、薙斗にとってその組織の相手というのは中々やりづらい連中であることは間違いない。

「まさか……旭川さんも関わってるってのか……」

魔力研究の最前線で活躍し、世界で初めてフェアリーの召喚に成功した旭川佳苗。彼女は件の魔力制御学研究所に所属し、幹部クラスの権力も持っている。フェアリー関連のことで、彼女が関係していないとはとても思えなかった。謎に満ちたスピサというフェアリーを研究対象として欲することも、幼い子供を召喚士にすることも、そもそもすでに召喚済みのフェアリーを別の召喚士の支配下に置くということも、フェアリーの研究者としては興味をそそられることは想像に難くない。薙斗であっても、気になっているのは公には認められていない状況が、ルティアと雄一という形で目の前にあることなのだから。

「私からはこれ以上いうことはない。これは私が決めたこと。あの子のためにも――」

「それは、違うよ!!」

ルティアが続けたその言葉は、レキナによって遮られた。

「あなたがしたことは、本当にあの子のためなの?」

「なんですって?」

痺れる身体を労わりながら、ルティアが訝し気な表情でレキナを見やる。

「あの子に誰よりも近くにいたのに、どうして見えないの……あの子、とっても苦しそうだった。本人を苦しませてまで生きていくのが、あの子のためなの……?」

レキナにとって、親という存在はたった数日の間に消えたものだった。命を与えたという意味では薙斗が親に当たるという解釈でも間違いはないが、薙斗の両親はそうはさせなかった。彼女を薙斗と同じように自分たちの子であるかのように、優しさと愛情、笑顔をもって接した。彼らはレキナとの短い時間の中でも繰り返し言って聞かせていた。

「自分がしたいように、生きたいようにさせないなんて、そんなの悲しすぎるよ……」

それはある意味、親のエゴだ。自分の行動が誰かのためだと信じて行っていることが、結果的にその誰かを傷つける。誰かのため、誰かのためと暗示をかけ続けて、本当にすべきこと、守らねばならないことが曖昧になってしまっている。

 誰かの親に、薙斗はなったことはない。それでも、自分の親として生をまっとうした人間は、しっかりと目に焼き付けている。その親がどういう生き方をして、どういう育て方をしてきたのかも。だからこそ、薙斗はレキナに続けて言った。

「道を示すのも諭すのも、親から子にしてやる大切なことだ……けど、道を強制することは、親のすることじゃない……! 道を選ぶのは、その子自身のはずだ!!」

薙斗にとってもレキナにとっても、それは何にも代えがたい行動理由の一つだった。だからこそ、声を挙げた。向こうが自分の意見を曲げようとしないならば、それを少しでも和らげるべく、別の方法を示す。偽善だろう。傲慢だろう。それでも、目の前で苦しんでいる少年を放ってはおけなかった。これは、この戦いは、救うための戦いなのだから。

「今のようなことを続ければ、彼の身体は持たなくなる日が来る。そんなのは誰も望んでいない。だから、どうか道を間違わないでくれ……あなたのマスターだろう?」

「――ええ……尽力するわ……」

その言葉を聞いて、ゆっくりと薙斗は立ち上がった。彼ら二人がこれからどういう道を歩むのか、薙斗には理解しきることはできない。外野である自分がどれほど言ったところで、相手にとっては余計なお世話かもしれない。意味のないことだったかもしれない。それでも、そうであってほしいと伝えたことには、多かれ少なかれ意味があるはずだと、薙斗は信じて、そして少しだけ笑った。レキナもまた、そんな薙斗の顔を見て、静かに笑みを零していた。


「狭霧薙斗」

ルティアと雄一が撤退した後、薙斗は、ふいにそう呼びかけられてスピサの方を向いた。

「その……今回は助けてもらって、あ、ありがとう……」

ルティアと雄一の二人に、随分と負け戦を重ねられたレキナにとっては、今回の薙斗とレキナの参戦はその戦局をひっくり返すだけの成果をもたらすことができた。薙斗にとっては、それで十分なような気もしていた。本来の目的が霞んでしまうほどに。

「どういたしまして」

「そのうち恩は返す。それと――レキナ」

「は、はいっ!!」

突然自分の名前を呼ばれたことに、レキナは思わず背筋と両腕をピンと伸ばして返事をした。薙斗はその姿を見て、思わず吹き出しそうになったが、寸でのところでこらえていた。スピサはレキナが返事を返したのをみて、続ける。

「今度は、ゆっくり話をしよう。お前にも守ってもらったから」

その言葉に、レキナの顔がぱあっと明るくなっていくのが見えた。薙斗も、その笑顔を見るだけで、心の奥に風が吹き込んだような嬉しさに包まれる。彼女が笑顔でいてくれるならば、自分はきっと、生きていけるのだから。

「……うん!!」

元気のいいレキナの声が辺りに弾けた。

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