第31話 戦い

「くっ!」

 最も近くにいたエヴァンが、目元を手で覆う。通路に土煙が立ち込める。

 壁のあった場所から、小柄な影が飛び出してくるのをレナは見た。そいつはエヴァンに向かって体当たりした。ギャリッ、という金属同士が触れ合う不快な音が響く。

 エヴァンがナイフを持った腕を振るう。人影はそれを読んでいたかのように、後ろに飛びのいた。いつの間にか戒めの解かれたラスを、守るように背後に従えている。

「お前……」

 ヒューが唸る。人影は、フードを目深に被っていること以外は、エヴァンとそっくりの恰好をしていた。本物の『フード姿』だ。

「やつに魔法を使わせるな!」

 叫びながら、エリオットが剣を上段に構えて駆け出した。彼の一撃を、フード姿は右手に持ったナイフで正面から受け止めた。上から押さえつけているのにも関わらず、びくともしない。

 さっき壁を崩したのは、こいつの魔法なのだろうか。そこまで考えて、レナははっとして集中を始めた。自分も魔法で応戦すべきだ。今なら十分余裕がある。

「適当に切り上げて撤退しなさい」

 ラスが言うと、フード姿は小さく頷いたようだった。ラスはそのまま走り出して、壁に空いた大穴に姿を消す。

 ヒューはフード姿の左を抜け、ラスを追おうとした。だが瞬時に反応したフード姿が、エリオットの剣を左に流しながら、くるりと一回転して横薙ぎの一撃を加える。いつの間にか、左手にもナイフが出現している。ヒューは危うくそれを受けた。

 不意に、フード姿が首を思い切り傾けた。そのすぐ横を、投擲とうてきされたナイフがかすめる。投げたのはエヴァンだ。ナイフは相手のフードを切り裂いて、背後に残った土壁に突き立った。

(……!)

 レナは、危うく魔法の集中を切らすところだった。フードがまくれ上がり、相手の顔が晒されたからだ。

 ブロンドの髪と、人形のように虚ろな表情。それは間違いなく、川と温泉で会った少女、スロゥだった。

 何故あの子が。いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。魔法のイメージは、もう固まっている。

「……行きます!」

 レナが叫ぶ。青い炎が射出され、同時にヒューとエリオットが距離を取る。スロゥは身を翻して逃げようとした。だがいくら身体能力が高かろうが、人の速さで炎を振り切るのはとても無理だ。一瞬にして、スロゥの体まで到達する、が、

「あっ!」

 レナは思わず声を上げた。スロゥの胸元から、見覚えのある青い粒子が、ぱっと空間に広がった。同時に、炎が跡形もなく消え去る。あれは『竜の涙』の効果だ。

 このまま逃げられるかと思ったが、エヴァンがそうはさせなかった。時間差で投擲された二本のナイフがスロゥに迫る。避けきれないと判断したのか、足を止めて両手を素早く動かした。ナイフはどちらも弾き飛ばされた。

 その隙に、ヒューが再び相手に肉薄した。勢いを乗せた突きは避けられてしまったが、これで簡単には逃げられなくなった。

「レナ、防がれてもいいから魔法で攻撃し続けろ! 他のやつは、絶対にあいつを逃がすなよ!」

 ヒューが素早く指示する。レナはスロゥをじっと見据えた。相手が『竜の涙』やそれに類する魔法具をまだ持っているかは分からないが、無ければこちらの勝ちだ。やってみる価値はある。

 相手もそれに気づいたのか、レナの方に顔を向ける。だが動き出す前に、エリオットが道を塞ぐ位置に移動した。

 まるで示し合わせたかのように、ヒューとエリオットの二人が同時に動いた。正面右側と左側から、全く同じタイミングで、またわずかに時間をずらして、間断なく攻撃を加える。スロゥはその全てを両手のナイフでしのいでいたが、とても反撃する余裕はなさそうだった。

 このまま耐えきれなくなるか、もしくは魔法を受けて『竜の涙』が切れるか、どちらかだろう。そう思っていたレナだったが、次の瞬間、均衡が崩れた。

 右手のナイフでヒューの攻撃を受け流したスロゥが、大きく一歩踏み込んだ。エリオットは冷静に反応し、相手の肩に剣を振り下ろす。

 だがスロゥは、それを全く無視して走り出した。エリオットは目を見開く。骨まで届くほどの深い傷を受けながら、スロゥは顔色一つ変えずに、エリオットを押しのけた。

 二人の間を抜け、レナに向けて走る。それを見たレナは、びくりと体を硬直させた。魔法はまだ完成していない。

「レナ!」

 エヴァンが投げたナイフを、スロゥは見もしない。ナイフは彼女の左腕に突き刺さったが、走る速度は全く落ちない。

 レナは魔法を中断し、真っ青な顔で武器を構えた。まともに切り結べるとは思えないが、一度だけでも受けることができれば、仲間が助けてくれる。

 だが、スロゥの行動はレナの予想外のものだった。彼女は前方に飛び込むと、レナの足元を前転して通過した。

 はっと気づいた時には、スロゥはもうレナの後方に抜けていた。慌てて振り返ると、素早く立ち上がったスロゥが、横穴に飛び込んでいくところだった。

 舌打ちをして走り出そうとしたヒューを、エリオットが止めた。

「待て、あいつを追うのは止めた方がいい。待ち伏せでもされたらひとたまりも無いぞ」

「……分かったよ」

 ヒューは渋々ながら頷いた。エリオットと二人、いやエヴァンを入れて三人がかりでも倒せなかったのだ。少しでも不利な条件になれば、やられるのはこちらの方だろう。

 レナも、ようやく武器を下ろした。今更ながら、手がぶるぶると震えていることに気づく。スロゥが逃げるのではなくレナに攻撃することを選んでいたら、たとえ一回だけであっても、本当に防ぐことができたのだろうか。

「……はあ」

 大きく溜息をつくと、気が抜けたように、その場にぺたんと座り込んだ。

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