第30話 罠

「グラントの近くにこんな場所があったなんて、知りませんでした」

 レナは弾んだ声で言った。前方を照らす手元の明かりは、穴だらけの通路に無数の影を作っている。道の先、明かりの範囲の外側には、吸い込まれそうな闇が広がっていた。

 まるでお伽噺とぎばなしに出てくる、ドラゴンが住む洞窟のようだ、というのはちょっと言いすぎだろうか。実際に住んでいるのは、土竜もぐらなわけだし。

「駆け出しのハンターなら、大体一度は来るんですがねえ。レナさんはすぐうちに入ったので、知らないかもしれませんが」

「なるほど」

 レナはこくこくと頷く。

「ラスさんたちも、来たんですか?」

「もちろん、何度も」

「へえ……」

 レナが呟く。一瞬、会話が途切れた。耳の下で結んだ髪を、ぎゅっと掴む。何か話しだそうとする前に、口を開いたのはラスの方だった。

「しかし、本当に外に出て大丈夫だったんですか?」

「そうですね、不安はありますけど……エリオットさんの言う通り、ずっと家にいるわけにもいきませんから。それに、皆さんが守ってくれると信じてますから!」

 レナが元気よく言うと、ラスは無言で微笑んだ。

 その後も他愛ない会話を続けながら、二人は進む。やがてある場所で、レナが不意に立ち止まった。

「あれ?」

「どうかしましたか?」

 ラスも足を止める。彼を追い越すように、レナは前に出た。

「ここって……」

 言いかけた言葉が途切れる。前方に、突然何者かが現れたのだ。天井に空いた穴から、音もなく飛び降りてきた。

 来訪者の姿を見て、レナは武器を構えた。緩いローブと、目深に被ったフード、そしてナイフ。それは、山で襲ってきた『フード姿』と、寸分違わぬ恰好だった。

 相手はナイフを構えながら、レナたちの方をじっと見ているようだった。レナはごくりと唾を飲み込む。相手が一歩踏み出してきた、その次の瞬間、

「っ!」

 レナは前方に突き飛ばされた。誰がやったのかなんて、見なくても分かる。自分の後ろにいるのは一人だけなのだから。

 フード姿の人物は地面を蹴り、倒れ込むレナの方に突進した。そしてそのまま、交差する。

「は?」

 後ろにいたラスが、間の抜けた声を上げた。レナは倒れながらも、体を捻って振り向いた。

 そこにあったのは、驚愕の表情を浮かべるラスと、彼の左肩にナイフを突き立てる、フード姿――いや、フードが脱げた、エヴァンの姿だった。

 エヴァンは突っ込んだ勢いでラスを押し倒し、地面に叩きつけた。瞳に暗い怒りの炎を燃やし、苦痛に歪んだ相手の顔を睨み付けている。

「終わりました!」

 レナが叫ぶ。すると、先ほどエヴァンが現れた穴から、ヒューとエリオットが続けて降りてきた。前者は怒りの表情を、後者は無念の表情を、それぞれ浮かべていた。

「マジなのかよ、ラス」

 ヒューが押し殺した声で言った。

「お前なのかよ。あのフード姿のやつに、レナちゃんを襲わせたのは」

「間違いない。こいつが笑いながらレナを突き飛ばしたのを、俺は見た」

 エヴァンが静かな、それでいて怒気を含んだ声で言う。レナは固唾を飲んで見守っていた。

 口元に歪んだ笑みを浮かべながら、ラスが言った。

「どうして分かったので?」

 それに答えたのは、エリオットだった。

「ラス、お前なら俺たちの仕事の状況も、レナがいつどこに居るかも分かる。森の魔獣に使探知の魔法も、簡単に誤魔化ごまかせる。襲われた他の精霊使いは、お前がやりとりしていたパーティのメンバーばかりだ」

 ラスに近づき、ロープで彼の体を拘束しながら、エリオットは言った。

「初めから、一番怪しいのはお前だったんだ。お前がそんなことをするはずないという思い込みさえ捨てればな」

「ずっと思い込んだままでいてくれると思っていたんですが……友人を疑うなんて、酷いですねえ」

「……何言ってんだ? お前」

 ヒューが剣を抜く。エリオットは彼を手で制し、静かに尋ねた。

何故なぜ精霊使いを襲っている?」

 ラスは少し考えるような仕草を見せたあと、言った。

「答える前に、一つ聞かせてください」

「何を言って……」

「どうしてあの子は来ないんですかね? もう殺してしまいましたか?」

「あの子? ……本物の『フード姿』のことか。答える義理は無い」

「なるほど。殺したと言わないということは、まだ生きているということですね?」

 誰も何も答えない。だがラスは、気にせず言葉を続けた。

「私の地図は細工されていたんですね。だからここまで辿り着けない」

「こちらの質問に答えろ」

 エリオットが強い調子で言った。エヴァンがナイフに力を込めたらしく、ラスはくぐもった呻き声を上げる。あの傷では、当分魔法は使えないだろう。

 ラスの推理はほぼ当たっていた。彼がフード姿にレナを襲わせることを見越して、周囲の地図を出鱈目でたらめに書き換えて渡したのだ。そして、エヴァンがフード姿の格好を真似、襲うふりをした。ラスが本性を見せることを期待して。

 エリオットから、ラスが黒幕だと疑っていると聞かされた時は、大きなショックを受けた。そんなはずは無いと思ったが、今となっては信じざるを得ない。

「分かりました、答えましょう」

 観念したようにラスが話し始めた。表情を消し、レナの方に目をやる。氷のように冷たい視線に晒され、レナは思わず目を背けた。

「邪魔なんですよ、にとって」

「我々?」

 エリオットが眉を寄せる。だがその返事を聞く前に、異変が起こった。

「ひゃっ!」

 辺りに響く低音、それと共に地面が揺れ、レナは思わず声を上げた。慌ててその場にしゃがみこむ。

 はっとしたエリオットが、上を向いた。振動はまだ続いている。天井から、土がぱらぱらと落ちてきている。崩落の予兆かもしれない。

 おどけた調子でラスが言った。

「逃げた方がいいんじゃないですかねえ」

「……立たせてやれ」

 エリオットが言う。エヴァンはナイフを抜くと、ロープの端を掴んでラスの上からどいた。

 よろよろとラスが立ち上がる。彼の視線は、左側の土壁に向いていた。

(何を見て……?)

 レナは訝しんだ。彼の仕草に気づいているのは自分だけのようだ。警告した方がいい、そう思ったのだが、少し遅かった。

 轟音と、衝撃。壁の一部が突如とつじょ破裂して、辺りに土の塊をまき散らした。

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