第29話 土の迷路

 土壁に囲まれた通路を、レナとヒューは明かりを掲げて歩いていた。通路とは言っても人の手が入っているわけではなく、実際のところは単なる地面に掘られた穴だ。ヒューがぎりぎり頭を打たない程度の穴が、前後に延々と続いている。

 しばらく進むと、左右に道が分かれていた。左側はすぐ先で急激に狭くなり、這って進まなければいけないほどだ。二人は右に進路を取った。

 周囲の土壁には、大小無数の穴が開いている。『通路』との違いは大きさだけで、便宜上そう呼び分けているにすぎない。

「あっ」

 穴の一つ一つを神経質に確認していたレナが、声を上げた。天井にあった穴の一つから、大きな塊がぼとりとこぼれ落ちてくる。中型犬ほどのサイズの生き物だ。

 ヒューは腰に差した剣を即座に抜き、切り伏せた。今日の彼の得物は、短めの片手剣だ。いつもの両手剣を振り回すには、ここは狭すぎる。

 キュウ、という意外に可愛らしい声をあげて、その生き物は息絶えた。棘土竜もぐらと呼ばれるその魔獣は、真っ黒な尻尾と、体表にちらほらと生えた棘が無ければ、単なる大きな土竜にしか見えないだろう。ヒューはその尻尾を切り取って、荷物の中に入れる。

 強さとしても、サイズの問題を除けば土竜と大差ない。動きは土竜よりも遅いぐらいだ。魔獣特有の高い治癒能力も持っていない。地面の奥深くに引きこもり、外には滅多に出てこないので、あえて穴の入っていかなければ襲われることもない。

 だがこいつらは、ハンターに最も多く狩られた魔獣だとも言われている。レナたちも、ギルドの仕事で来ているのだ。他のパーティーメンバーも、別の場所を回っている。

 問題なのは、魔獣にしては非常に数が多く、またひたすらに穴を掘り続けるところだ。地面深くにある穴は、普段は地表に住む人間たちの生活に影響することはない。だがあまりにも多く掘られると、辺り一面の地面がまるごと崩れ落ちる危険がある。

 レナたちが今いる場所の頭上には、グラントの西に広がる穀倉地帯がある。今までにも何度か大規模な崩落が起こっていて、人的被害が出たり、広範囲で畑が駄目になったりしている。それを防ぐために、定期的に棘土竜の数減らしが行われているのだった。

「まったく」

 歩き出したヒューが、忌々しげに呟いた。

「仕事やってる場合かな。こんな時に」

 『こんな時』というのは、レナがフード姿の人物に狙われているという意味だろう。山から帰ってきてから、まだ二日しか経っていない。

 昨日の夜、エリオットが「明日全員で仕事に行く」と言った時、ヒューは真っ先に反対した。だが、いつまでも引きこもっているわけにもいかないし、場所も日帰り、レナを一人にしないようにするから大丈夫だというリーダーの言葉に、最後には渋々同意していた。

(ごめんなさい、ヒューさん)

 レナは心の中で謝った。彼にはまだ、今回の魔獣退治のを告げていない。もうすぐエリオットから説明されるはずだが、まだ駄目だ。

 しばらく進むと、床に大きめの穴が開いている場所に出た。傾斜のきつい穴だが、ぎりぎり入っていけそうな広さだ。ヒューはその前で立ち止まり、左側の壁を見ながら言った。

「ここだね」

 彼の視線の先にあるのは、土壁に刻みつけられた三桁の数字だ。過去のハンターが迷わないように付けたもので、ギルドから借りた地図にも対応する数字が書かれている。もっとも穴は増えたり減ったりするので、これさえあれば絶対に迷わない、というわけでもない。

 ヒューは穴の中に体を滑り込ませると、慎重に下りていった。レナも後に続く。

 穴は徐々に広がり、また水平になっていく。やがて普通に歩けるようになり、上にあった『通路』と区別がつかなくなった。

 この穴の迷宮は、こんな風に多層構造になっていた。いや、多層というのは適切ではないかもしれない。穴は立体的に交差しあい、複雑に絡み合って、周囲の空間を埋め尽くしている。そのため、非常に迷いやすいのだった。パーティメンバー全員、周囲を含めた広い範囲の地図をエリオットから渡されている。

「ん」

 不意に、ヒューが立ち止まった。棘土竜の足音らしき音が、複数聞こえてくる。しばらく待っていると、通路の前方と後方から、一匹ずつ姿を現した。

「挟み撃ちかな?」

 特に焦った様子もなく、ヒューは剣を抜いた。レナも、訓練以外では滅多に抜かないナイフを構える。

「後ろよろしくね」

「はい」

 レナは小さく頷いた。後方にいる棘土竜は、何も考えずに(そうとしか見えない)こちらに向かってくる。タイミングを計って、眉間に刃先を突き立てた。しばらくじたばたとしていたが、やがて動かなくなる。レナはそれを確認して、ほっと息をついた。

 こいつらは、一応『他の生物に見境なく襲い掛かる』という魔獣の特性は持っているようなのだが、それは退治が楽になるという効果しか生んでいなかった。ただの村人にだって倒せるだろう――ただし、このサイズならという条件が付く。稀に巨大な個体も存在し、それがハンターが駆り出される理由だった。

「お疲れさま」

 振り返ると、ヒューはもう尻尾の切り落としまで終わっていた。

 後始末を終え、また通路を進む。途中何度か棘土竜に出会ったが、巨大な個体もいなかったため、ほとんど時間をかけずに処理する。

 やがて、前方に別の明りが見えてきた。光の中で、ラスが手を振っている。

「お待たせ」

「いえいえ。ではここで交代ですね」

 四つ辻になったその場所で待っていたラスに、二人は合流した。改めて、全員で地図を確認する。ヒューが、来た道に対して右折の方向、レナとラスは直進方向だ。ここでレナと組になる人を入れ替えることになっていた。

「じゃ、レナちゃんをよろしくね」

「もちろんですよ」

 先に出発するヒュー。彼が去って行くのを見送ったあと、レナは笑顔を向けて言った。

「さあ、行きましょう、ラスさん」

「ええ」

 ラスの隣に並んで、レナは歩き出した。

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