第23話 奇襲
レナは、思わず目を
次の瞬間、大きな音と衝撃と共に、水面に体を叩きつけられた。
無我夢中で手足を動かす。気が付けば、川面から飛び出した岩になんとか掴まることができていた。
「無事か!?」
叫ぶようなヒューの声が聞こえる。水を飲んでしまったレナは、咳き込みながら何度も頷いた。
「岸に上がれそう?」
ヒューに言われ、首を巡らせる。どう落ちたのか、幸い手前側の川岸に近い場所にいるようだった。
流されながらも、岸に向かってなんとか泳ぐ。すぐに足がついたお陰で、後は歩いて行くことができた。川から出ると、岩を背にして座り込んだ。
「そこで待ってて!」
「はい……」
多分聞こえてないだろうなと思いながら、弱々しい声で返事した。谷の上に目を向けると、下りられる場所を探しに行ったのだろう、ヒューとエヴァンが走っていくのが見えた。あんなところから落ちてよく無事に済んだなあと、人ごとのようにぼんやりと考える。
濡れた髪から、ぽたぽたと水滴が落ちる。寒くはないが、びしょびしょになった服が
それにしても酷い目にあった。崖のロープに続いて、あんな太い縄まで切れるなんて。よっぽど運が悪かったのだろう。
そこまで考えて、レナの頭に疑問が湧いた。本当に、運が悪かっただけなんだろうか? あまり使われていなかったにしても、同じ日に両方切れるなんてあり得るだろうか?
不意に、ぞくり、と背筋に悪寒が走った。急速に沸き上がった焦燥感が、強制的に思考に割り込む。周囲におかしなものは何も見えないし、何の音も聞こえないが、どうしてもそうしなければならない気がして、レナは前方に身を投げ出した。
レナの肩が地面に着くのと、どさっ、と背後で音がしたのは、ほぼ同時だった。首を捻って目を向ける。
崖の上から飛び降りてきたのか、ついさっきまでレナがいた場所に、小柄な人影があった。片膝をつき、逆手に持ったナイフを地面に突き立てている。緩いローブと、目深に被ったフード。顔は見えない。
「……ひっ!」
悲鳴が漏れる。振り上げられたナイフが、陽の光を反射して鈍く輝く。
レナは
距離を取って立ち上がろうとするレナ。だが相手の反応速度も身体能力も、レナの予想をはるかに超えていた。ナイフを瞬時に順手に持ち替え、弾丸のような勢いで飛び込んでくる。
脇腹に鋭い痛みが走った。
反射的に体を捻ったおかげで、腹部に刺さるはずだったナイフは、横に逸れて皮膚を切り裂くだけに留まる。だがその程度の抵抗は、何の足しにもならなかった。フード姿はそのままの勢いでレナを押し倒し、馬乗りになる。
フード姿の手の中で、手品のようにナイフが逆手に入れ替わった。鋭利な先端が、真っ直ぐにレナの眉間に向けられている。レナの両手は相手の膝に踏みつけられ、全く動かせない。
「レナ!」
遠くの方から、ヒューの声が聞こえてきた。彼ならこいつに勝てるだろうかと、そんな考えが頭の中に浮かぶ。でもどっちにしろ、間に合わない。ナイフが振り下ろされる方が、圧倒的に早いだろう。
だがいつまで経っても、その時は来なかった。ナイフはぴくりとも動かない。駆け寄るヒューの足音が聞こえる。
フード姿は素早く立ち上がり、レナから距離を取った。逃げることを優先したのか、それとも何か別の理由なのか、脱兎のごとく走り去っていった。
近づいてきたヒューが、レナを守るように剣を構えた。やがて、フード姿が戻ってくる様子が無いのを確認して、武器を下ろす。
よろよろと身を起こすレナのそばに、ヒューが
「大丈夫? ……っと」
レナはくしゃりと顔を歪ませ、しがみつくようにヒューに身を寄せた。ヒューは面食らった表情で、手をうろうろとさせていた。
「怪我とか……ない?」
しばらくのあと、ヒューがぽつりと言った。レナは目に溜まった涙を拭いて、体を引く。
「ええと」
レナは改めて目をやりつつ、脇腹に手をやった。痛みに顔をしかめたが、傷は深くは無いようだ。血もそれほど出ていない。
「大丈夫です」
「見せて」
ヒューは傷の様子を見つつ、手当を始めた。脇腹を触られるのは恥ずかしい上にくすぐったいが、そんなことも言ってられない。
手当が終わった頃、フード姿が去って行った方向から、足音が聞こえてきた。レナはぴくりと体を強張らせる。ヒューは立ち上がって、再び剣を構えた。
やがてそこに現れたのは、エヴァンだった。レナはほっとしたが、ヒューは緊張を解かないまま、鋭い口調で言った。
「それ以上近づくなよ」
エヴァンは強張った表情で、足を止める。彼が何か言う前に、ヒューが尋ねた。
「今までどこにいた?」
「どこに?」
訝しげにそう言ったあと、エヴァンは言葉を続けた。
「崖を下りる道を探していた」
「時間かかりすぎなんじゃないの」
「なかなか見つけられなかっただけだ。……何があった?」
ヒューは答えない。彼の代わりに、レナが先ほどの出来事について説明した。フード姿の話になると、エヴァンは少し目を見張った。
「……そうか」
話が終わると、エヴァンは小さくそう言った。ヒューが何を警戒しているか、察したようだった。
「とにかく」
ヒューはようやく剣を収めて言った。
「仕事は中止だね」
「えっ、でも」
レナは不安そうに眉を寄せた。仕事を途中で放棄したとなれば、パーティの信頼に関わる。それに、違約金も払わなければならない。
だがヒューは、決然と言った。
「グラントに戻るよ。犯人が誰かはともかく、レナちゃんが狙われてるのは確定なんだ。襲ってくれって言ってるようなものだよ、こんな人気の無い山道を歩いてたら」
「……はい」
レナは肩を落として頷いた。せっかく自分が任された仕事なのに、とは思ったが、ヒューの言うことももっともだ。
初めてレナが指名された仕事は、こうして途中で放棄することになった。
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