第17話 山道
前回の仕事と同じく、レナたちは日が昇るころにグラントの東門を出た。ただし今日は森には行かず、北の街道へ向かう。
近くを歩いていたいくつかの集団も、北に進路を取った。この先にはサイスぐらいしか行くところがないので、皆行き先は同じだろう。
すぐ左手にグラントの城壁を、右手に森の木々を見ながら北へと進む。人通りはそれなりにあるにも関わらず、この街道はほとんど整備されていない。でこぼこしたむき出しの地面が続き、歩きやすさは森の道と大差無いかもしれない。サイス付近は道が険しく、この辺りを整備したところでどうせ馬車や荷車は通れないからだ。
やがて城壁が切れると、一気に視界が開けた。まるで波打つ海面のように、もしくはいくつも並べて干したシーツのように、一面に広がる草原が、強い風に揺られていた。海を見たことが無く、本からの知識しかないレナからすると、後者の方がより実感に近い。風情はともかくとして。
草原の向こうに見える大河にも、風によって多少は波が起こっているようだった。だがその規模は、本物の海とは比べ物にならない、のだろう。川面には、ここからだと非常に小さく見える(が、実際には大きな)船が、たくさん浮かんでいる。
正面に目を向けると、灰色の岩山の連なりが、真っ青な空をぎざぎざに切り取っていた。あの山々を超えるか、森を抜けるかしないと、隣国のキルグライス王国にはたどり着けない。レナは温泉だけでなく山登りも楽しみにしていたが、体力的に若干不安もあった。
やがて、街道は東に逸れ、大河は西に逸れて、距離が離れていく。さらに進むと、道は徐々に上りになり、山道に入った。レナは背中に流れた髪を前に戻し、二つに結んだ髪と一緒にしてから、荷物を背負い直した。
地面は徐々に岩と砂利ばかりになっていったが、そんな中でも木はたくましく成長していた。道の左右に生い茂り、視界を塞いでいる。森の木々とは違って幹は細く、ものによっては曲がりくねっていた。
道の脇には、場所によっては道のど真ん中に、大きな岩がいくつも並んでいた。レナはその中の一つに手を置こうとして、寸前で止めた。固定されていない、転がってきたばかりの岩もあるから、触る時には十分注意しろと言われていたんだった。
岩の合間には、時折、草花が固まって生えている場所もあった。もっと上に行くと、山でしか採れない薬草なんかもあって、採取を
何度かの休憩を挟みながら、昼前には最初の目的地に到達した。上側が平らになったその一枚岩は、二、三十人が上に乗れるのではないかというほど巨大で、休憩ポイントとして有名だった。今も、いくつもの団体が座り込んで休んでいる。
「昼飯にしよっか」
「はい……」
ヒューの言葉に、レナは力なく返事した。まだサイスまでの道のりの半分程度までしか来ていないが、もうすっかり疲れてしまった。
疲れたのは体力的にだけでなく、いやむしろそれよりも、精神的にだ。なにせ今のが家を出てから初めての会話なのだ。エヴァンが
エヴァンの方をちらりと見る。彼は荷物と弓矢を下ろすと、何も言わずにその場に座り込んだ。ヒューの態度に気づいているのかいないのか、表情に乏しい顔からは分からない。
彼の頬の傷を見ていると、ヒューの言葉を思い出してしまう。どこで付けたのかと聞きたいが、少なくとも今は駄目だ。ヒューがいるところでは、とても聞けない。
食事の準備をしながら、ヒューに目をやる。彼もまた無言になって、じっと座っているだけだ。すぐそばの地面には、いつもの両手剣ではなく、エリオットから借りてきたらしい剣と盾のセットを置いている。レナが作ってきた(妙に朝早く目が覚めてしまったので、結構気合が入っている)サンドイッチを渡しても、何も言わない。
誰からともなく食べ始める。レナはため息をつきそうになって、なんとか堪えた。誰か、この空気をなんとかしてくれないだろうか。もういっそのこと、グレンさんでもいいから、なんて失礼なことを考えていると、
「あれ? レナちゃん?」
当の本人の声が聞こえてきて、レナは驚いて顔を上げた。ぽかんと口を開きながら、近づいてくるぼさぼさ頭の男を見る。そんな彼女の様子を見て、グレンは首を傾げた。
「どうしたの? もしかして俺のこと考えてた? むしろ会いたかった? ……いや、冗談だよ?」
近くにヒューがいることに気づいたのか、グレンはごまかすように付け足した。実際のところ、彼の『冗談』はほとんど当たっていたのだが。
「また君? あのね、レナちゃんに付きまとうの
追い払うように手を振りながら、ヒューが言った。グレンは口を尖らせる。
「失礼なこと言うなあ。たまたまだよ、たまたま」
「どうだか」
「俺たちは今朝サイスから出てきたんだぞ。あんたらがどこに居るかも知らないのに、そんな上手いこと待ち伏せできるかよ」
確かに、とレナは納得した。ヒューがどう思ったかは分からないが。
「あの、湯治? は終わったんですか?」
雰囲気を変えるチャンスと思って、レナは笑顔でそう尋ねた。レナから話しかけられて気をよくしたのか、グレンは弾んだ声で言った。
「そうなんだ。みんなすっかり良くなってさ……いやー、やっぱりサイスの温泉はいいね。そっちは仕事?」
グレンはヒューたち三人の装備を見渡した。そして、何かに気づいたように声をあげる。
「あれ? それまだ使ってるんだ?」
彼が指さす先には、地面に置かれた盾があった。ヒューが言った。
「たまにはね」
「ふーん。もう完全に鞍替えしたのかと思ってたけど」
「俺が盾役するしかないでしょ。エリオットがいない時は」
「ま、そうか」
彼らの会話を聞いて、レナは首を
「その盾って、ヒューさんの物だったんですか?」
「そうだよ」
答えたのは何故かグレンだった。彼はヒューの隣に腰を下ろしつつ、言った。
「元々、兄弟二人とも同じ装備だったよね。いつの間にか役割分担してたけど」
「……兄弟?」
突然出てきたその単語に、レナはさらに首を傾ける。グレンは小さく頷くと、何でもないことのように言葉を続ける。
「うん、だから、ヒューとエリオット」
「……えっ!?」
「え?」
驚愕するレナを見て、今度はグレンが首を傾げた。隣のヒューが眉を寄せる。
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「は、初めて聞きました。全然そうは見えなかったです……」
唖然とした顔で答える。確かに少し似ているかもとは思っていたが、まさか兄弟だとは思わなかった。雰囲気が全く違う。
「役割分担しすぎなんじゃないの」
「うるさいな」
下品に笑うグレン。ヒューは
よっこいしょ、と声を出しながら、グレンが立ち上がった。
「それじゃね。新人さんも、頑張って」
「……ああ」
急に話を振られて、エヴァンが驚いたように答えた。グレンはレナたちから離れ、彼の仲間らしい二人のハンターと合流して、山を下りる方の道へと歩いていった。
ヒューが、小さく息を吐いて言った。
「さっさと食べて行こっか」
「はい」
グレンのおかげで、少しは空気が和らいだ気がする。レナは他の二人に遅れないように、サンドイッチを頬張る。
全員が食事を終えた頃、グレンが去って行った方向から、何者かがどたどたと走ってきた。何者か、というか、よく見るとそれはグレンその人だ。レナは首を傾げる。
「あれ?」
「どうした?」
ヒューが立ち上がって声をかける。グレンは必至の形相だ。どうも、忘れ物を取りに来たとかいう雰囲気ではない。
「ちょっと手伝ってくれよ! 魔獣が出たんだ、魔獣が」
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