第13話 特別な仕事

 こんこん、と扉をノックして、レナは資料室に入った。一昨日のことについて何か意見を求められたらどう答えようかと、内心びくびくしている。

 部屋の中は、相変わらず雑然としていた。むしろ、机の上に資料が広がったままになっていて、いつもより散らかっているようだ。前から思っていたのだが、厳格で思慮深い(少なくともレナの中での)エリオットのイメージとは、少しそぐわない。

 そんな資料の一枚を手に取り、エリオットは言った。

「次の仕事のことで、相談がある」

「仕事、ですか?」

 きょとんとした顔でレナが答える。どんな仕事を取ってくるかについては彼に任せきりで、今まで口出ししたことは無い。

「ああ。実は、ギルドがレナを指名しているんだ」

「わ、わたしを?」

 それを聞いて、レナは目を見張った。

 ギルドはハンターたちに仕事を斡旋あっせんはするが、強制的に割り振るわけでは無い。ハンターはギルドに登録されてはいても、職員ではないからだ。基本的には、掲示板に張り出された仕事の概要を見て、ハンターたちが自分の意志で選ぶ。

 だがまれに、特定のハンターやパーティーを指名して仕事を依頼することもある。大抵の場合、非常に高難度か、もしくは特殊な技能を必要とする仕事だ。あくまでお願いなので断っても構わないが、報酬は割高なことがほとんどだ。

「そうだ、だからやるかどうかはレナに決めて欲しい。もちろん、私も事前にチェックはした。危険は少ないし、レナさえよければ受けるべきだと考えている」

 これが仕事の概要だ、と言って、エリオットはレナに資料を手渡した。いったいどんな仕事なのだろうかと、レナはどきどきしながら目を落とす。誰かに狙われているかもしれないことなんて、すっかり吹き飛んでしまった。

 自分が指名される理由なんて、全く思いつかない。精霊使いだから選ばれたのだろうが、自分より優れた精霊使いなんて、いくらでもいることだし……。

 エリオットの説明を受けつつ、資料を読み進める。どうも、この仕事は個人の依頼によるものらしい。依頼人の名前は、アドルフ、とある。

 仕事を受けるパーティに関する注意点として、魔法の制御に優れる精霊使いを含むこと、と書いていた。その割には報酬はさほど高くなく、それで駆け出しのレナに話が回ってきたのだろうか。ほっとすると同時に、拍子抜けしてしまった。

「仕事の依頼人だが」

 資料を指さしながら、エリオットが注釈を付ける。

「それなりに著名な学者だそうだ。詳しくは聞いていないが、魔獣と精霊に関する研究で、ギルドに貢献しているらしい」

「研究、ですか」

 レナの頭の中に、大きな館の地下室に籠って、怪しげな実験を繰り返す老人の姿が思い浮かぶ。実際に会ったことなんて無いので、主に物語からの知識だ。それも、主人公に敵対する悪の錬金術師とか、そういうたぐいの。

「ああ。だから掲示板に張り出すのではなく、指名することにしたそうだ。レナなら問題ないだろうと、担当のギルド職員も判断したようだ」

「そ、そうなんですか」

 そう言われると、やる気が出てくる。上手く乗せられているだけかもしれないが。

 何をやればいいんだろうと思って見てみたが、詳しい説明は無かった。実際に魔獣に会って『実験』を行う、と書いてあるだけだ。決して難しくはないし危険でもない、と主張されているものの、若干不安は残る。

 期間は七日程度と結構長い。これはどちらかという良い点だ。その間別の仕事を探す心配はしなくていいし、同じ仕事を続ければ、段々慣れてくる。しかし、『実験』というのはそんなに時間がかかるものなんだろうか。

「……あ」

「どうした? 気になるところがあったか?」

「あ、いえ」

 ふるふると首を振る。今になってようやく気付いたのだが、場所がかなり遠い。てっきり東の森のどこかかと思っていたがそうではなく、隣国のキルグライス王国のどこかだ。この場所だと、サイスを経由して山を越える必要がある。七日というのは、往復にかかる時間も込みのようだ。

(やった!)

 レナは心の中で歓声を上げた。サイスの温泉を堪能できるのは確定だし、他にも観光できる場所があるかもしれない。

 資料の残りの部分を読む。特に問題は無さそうだ。レナは顔を上げると、きらきらした瞳でエリオットを見つめた。

「私、この仕事やります」

「……。そうか、分かった」

 彼は、そんなレナの勢いに若干面食らったようだった。やがて気を取り直したように、ゆっくりと頷く。

「では、ギルドに伝えに行ってもらってもいいか? 私は仕事の準備を進めておく」

「はい」

 レナはこくりと頷くと、うきうきと部屋を出ていった。


 ギルドに着くと、いくつかある受付のカウンターを遠目に眺め、ローザの姿を探した。べつに彼女がレナたちの担当職員だというわけでもないので(実力のあるハンターには、実際に担当が付くらしい)誰に話しかけてもいいのだが、気分の問題だ。

 首尾よく目的の人物を見つけ、レナはてくてくと向かった。幸い、並んでいる人もいない。こちらから声をかける前に、ローザが柔らかい笑みを向けてくる。

「こんにちは、レナさん」

 つられて笑顔になりながら、レナはぺこりと小さく頭を下げる。

「はい、こんにちは」

「もしかして、アドルフさんの仕事の件ですか?」

「あ、はい、そうです。あの仕事、やろうと思って……」

「本当ですか、ありがとうございます」

 ローザはほっとしたように目尻を下げる。そのすぐ後に、申し訳なさそうに言った。

「指名のお仕事なのに、報酬はあまり出せなくてすみません。交渉はしたのですが」

「いえ、ぜんぜん大丈夫です」

 レナは慌てて首を振る。

「私、旅が好きなので……サイスの温泉にも、行ってみたいと思ってたんです」

「まあ、そうだったんですね」

 ローザは、ぽん、と手を打ち合わせ、嬉しそうに言った。

「サイスなら、どの宿でも素晴らしい温泉に入れますよ! 種類もたくさんあるので、ずっと入っていられますよ。その後に飲むお酒が、また最高なんです」

「へえ……」

 どんな種類があるんだろう、とレナは期待を膨らませた。ローザは、お湯がとろりとしていてお肌に良い温泉だとか、景色のいい露天風呂だとか、宿ごとの種類について詳しく説明してくれた。

 どの宿に泊まるべきか、今から考えておいた方が良さそうだ。お酒も、強くは無いがほどほどの量で試してみよう。などとレナが考えていると、

「では、アドルフさんの屋敷の場所をお教えしますね。面接、頑張ってくださいね」

 一通りサイスの説明を終えたローザが、にこにこと笑顔を浮かべながら、ごく自然な口調でそう告げた。何を言われたのか一瞬理解が追い付かず、目をぱちぱちと瞬かせる。

「え?」

 ようやく口から出たのは、あまり意味のない言葉だった。それを聞いて、今度はローザが不思議そうな顔をする。

「あれ? エリオットさんから聞いていませんか?」

「いえ……」

 面接なんて、資料にも書いていなかったし聞いてもいない。ローザは首を傾げながら、説明を続けた。

「面接と言うか、事前に魔法の腕を見ておきたいということみたいですね。特に難しいことは要求されないと思いますよ」

「なるほど……」

 困惑した表情のレナ。例えそうだとしても、一人で知らない人の家に行くのがまず不安だ。さすがに、怖いから付いてきてなんて、エリオットにお願いするのも恥ずかしい。

 そんなレナの心情を読み取ったのか、ローザが付け足すように言った。

「悪い人ではないので、大丈夫ですよ。ちょっと……変わった方ですけど」

「そ、そうですか……」

 あまり安心できない意見だ。だが何にせよ、こんなことで仕事をふいにするわけにはいかない。ローザから場所を聞いて、ギルドの建物を出る。

(温泉のためだから)

 そう自分を鼓舞こぶしながら、レナは屋敷へと向かった。

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