2章
第12話 疑心暗鬼
その日レナは、自分の悲鳴で目を覚ました。とても怖い夢を見た。真っ黒な
部屋の中は暗く、日の出までにはまだ時間があるようだった。だが今から寝直すと、確実に夢の続きを見る羽目になる。それが恐ろしくて、レナは体を起こした。
長い間悪夢に
明りをつけて、濡れた服を着替える。ようやく少し落ち着いてきた。
あんな夢を見たのは、一昨日の魔獣との戦いが原因だろう。昨日の朝、森で目覚める前にもずいぶんうなされていたそうで、ヒューに心配されてしまった。
部屋の中をぐるりと見回す。ベッドと机、様々な小物や観葉植物、そして大きな本棚が置かれている。まだどれも新しい。
本棚とは言っても、本が入っているのはごく一部で、その他は小物置き場になっている。この家に住むことになった時、これから本を増やしていくつもりで、思い切って立派なものを買ったのだった。
その中の一冊、
レナは昔から、こういった冒険譚を読むのが大好きだった。とは言っても、好きなのは戦いの場面ではなく、旅の描写だ。この本の主人公、シグルドも、火山や孤島、地下渓谷や古代の遺跡など、世界のありとあらゆる場所に訪れている。
それがまさか、自分がハンターになるとは夢にも思っていなかった。精霊使いの適性があると分かった時には喜んだものだが、旅と呼ぶほどの遠出をする機会なんてほとんど無いということが、後になって分かった。
本を読んでいるうちに、空が白み始めてきた。椅子を動かして窓のそばに座ると、淡いピンク色をしたカーテンを開けた。
北東を向いた窓から見る景色は、グラントの城壁と、その向こうに
視線を室内に戻す。そろそろ
扉を開けて外に出ると、ちょうどエヴァンも部屋から出てくるところだった。二人の部屋は、廊下の端同士だ。お互いに小さく会釈すると、合流して階段に向かう。
特に会話も無いまま、ダイニングに着く。まだ誰も起きてきていないようだ。エヴァンはテーブルに着き、レナはキッチンに立った。
食事の準備を進めながら、レナはエヴァンの方をちらちらと見ていた。やることが無いのか、それとも何か考え事をしているのか、彼はテーブルの一点をじっと見つめている。もう少し遅く起きてくるとちょうど食事ができているのだが、まだこの家の暗黙のルールに慣れていないのだろう。
何か話した方がいいだろうかと、レナは無駄にそわそわとしてしまった。どうも、エヴァンには苦手意識がある。基本的に無表情に近い彼が、今なにを考えているのかも、今の気分がどうなのかも、よく分からない。本人のぶっきらぼうな態度を見る限り、人付き合いがあまり好きでは無いようだ、と少なくともレナは判断している。これは単なる偏見かもしれないが……。
そうこうしているうちに、他の人たちも二階から降りてきた。レナは少しほっとしたが、今日に限って言えば、皆の態度はエヴァンと似たようなものだった。交わされる会話と言えば、最低限の挨拶だけだ。いつもレナになにかと話しかけてくるヒューすら黙っている。
こんな空気になっているのは、昨日までの魔獣退治の仕事が原因だ。単にトラブルがあったからというだけではない。始まりは、戦闘後のヒューの言葉からだった。
「なんで魔獣を見つけられなかったの? 探知の魔法はかけてたんでしょ?」
と、彼はラスを責めるように言った。棘のある言い方だったが、無理もないだろう。今回の魔獣退治は、ラスが先に相手を発見できるということが大前提で、命綱だったのだ。最初に狙われたのがレナでなければ、死人が出ていたかもしれない。
彼の答えはこうだった。探知を妨害する魔法が、
「あとは、ほとんどあり得ないことですが」
最後に、ラスは苦々しい表情で付け加えた。もしくは、単に自分が魔法に失敗したかだ、と。
確かに、目に見えて効果が出る攻撃系の魔法と違って、探知の魔法は失敗してもすぐには分からない。だが魔法の失敗というのは、集中できない状態で無理やり使うのでない限り、そうそう起きることでは無い。初心者なら別だが、ラスが失敗するなんて、レナには想像もつかなかった。それに関しては、ヒューも同意見のようだった。
「じゃあさ。協力者がいるとして、そいつは俺たちがここに来るのを知ってたってことだよね? 多分」
ヒューはそう言いながら、意味ありげな表情で全員の顔を見た。ここに来ることだけでなく、探知の魔法を使うという作戦まで知った上で、自分たちを狙った可能性が高い。つまり、それを外に漏らした裏切者がこの中にいるのではないかと、彼は言っているのだった。
その時のことを思い出して、レナはこっそりとため息をついた。明言はしなかったが、ヒューはエヴァンのことを疑っているようだ。苦手とは言え、レナにはエヴァンがそんなことに加担するような人間には見えなかった。そんなに彼のことを知っているわけではないし、露店広場で助けてもらったぐらいしか根拠は無かったが……。
『あいつはいいやつだぞ!』
と、ギル。彼もレナと同じ意見のようだが、これは根拠の足しになるのかどうか。
ラスは、他にも様々な可能性を考えているようだった。あの時妨害の魔法がかかっていたのは偶然かもしれないとか、魔法の持続時間を延ばす方法があるのかもしれないとか。魔法の仕組みについては分かっていないことの方が多いので、可能性を言い出すときりがない。
この件について、エリオットは何の意見も出していない。ただ、早急に結論を出そうとするなと言うだけだった。エヴァンも、ヒューに疑われていることを認識しているのか、同じく沈黙していた。
レナはどうかと言うと、全く分からないというのが正直なところだった。本当に、自分たち、いやもしかするとレナが、狙われているのだろうか。精霊使いが襲われていることと、関係しているのだろうか。
もし自分が狙われたのだとするなら、あの魔獣が真っ先にレナを攻撃したのは、偶然ではなく意図的だったということになる。つまり、あの魔獣が高い知能を持って考えたか、もしくは魔獣の行動を操れる人間がいるということだ。そのどちらの存在も、レナは見たことも聞いたことも無い。
もっとも、狙われているなんていうこと自体、考えすぎなのかもしれない。何らかの偶然が重なって、探知魔法が効かなかっただけだ、とか。
胸元をぎゅっと押さえる。服の中には、新しく買い直した『竜の涙』がある。痛い出費だが、また一昨日のようなことがあったらと思うと、買わざるを得なかったのだ。もちろん今度は、ちゃんと仲間たちにも伝えてある。
「ごちそうさま」
エリオットが、あえて皆の注意を引くような、大きめの声で言った。レナは考え事を中断して、目の前の朝食に意識を戻す。食事を終えるのが最後になることの多いレナだったが、今日はいつにも増して遅かった。
「レナ、食べ終えたら資料室に来てくれ」
「えっ、あ、はい」
席を立ったエリオットに声をかけられ、レナはどもりながら答えた。何の話だろうかと、身構えてしまう。彼はそれ以上何も言わずに、部屋を出ていった。
レナはもう一度ため息をつくと、
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