第11話 反撃

「う……」

 レナは、小さく呻き声を上げた。視界に映るのは、むき出しの地面と、横に伸びるたくさんの草。自分は今倒れているらしいと、ようやく気付く。意識を失っていたのは、ほんの一瞬だったようだ。

 草の隙間から、弓を引き絞るエヴァンの姿が見えた。矢が放たれた直後に、遠くの方から魔獣の呻き声が聞こえてきた。彼はそれを追いかけるように走り出す。

「レナさん!」

 狼狽ろうばいした声と共に、ラスが駆け寄ってくる。その向こうでは、苦痛に耐えるかのような表情をしたヒューが、レナの方に一歩踏み出した格好のまま固まっている。やがて彼は、意を決したように走り去っていった。

 そうだ、自分は何らかの攻撃を受けたのだ。だが先ほどの衝撃の強さにも関わらず、体のどこにも痛みは感じない。それがむしろ恐ろしくて、レナは胸の奥を鷲掴みにされたかのような感覚に襲われた。

 自分の体に目を落とす。見える範囲では、どこにも傷はない。服が破れたりもしていない。そして胸のあたりには、青い光の粒子がいくつも舞っている。

 それが何の色だったかを思い出して、レナは身を起こした。何の問題もなく、体は普段通りに動いた。目の前に来たラスが、驚いた顔をしている。

「起きて大丈夫なんですか? 怪我は?」

「大丈夫です。魔法具のおかげで……」

 えりから胸元に手を入れ、ペンダントを引き出す。そこに残っていたのは金属の台座だけで、『竜の涙』の青い宝石は、消えてなくなってしまっていた。

 周囲をよく見ると、地面には大量の氷の欠片が散らばっていた。『竜の涙』の効果で分解されたのだろう。

 これを全て合わせた質量の物体が、撃ち込まれたのだ。恐らく『氷の槍』の魔法だ。魔法具が無かったらただでは済まなかっただろうと、身震いした。

 ラスはいまいち事情が飲み込めていないながらも、レナが無事なことは理解したようだった。エヴァンたちが去って行った方向を指さして、言った。

「では、我々も戦いましょう。少し苦戦しているようです」

「は、はい」

 レナははっとした表情で、彼が示す先を見る。白い体と赤い一つ目を持つ狼のような魔獣と、エリオットたちが戦っている。魔獣がまとうのは毛皮ではなく、銀のように輝く皮膚だった。矢が一本刺さっている以外、傷は負っていない。

 立ち上がり、ラスと共に走り出す。魔獣は素早く動き回り、木の陰に隠れながら、ヒューの斬撃とエヴァンの矢を避け続けていた。時折小さな氷の欠片を撃ち出し、彼らに傷を負わせている。さすがに、先ほどレナに撃った魔法を使えるほどの集中はできないようだ。

 戦場にある程度まで近づいたレナたちは、魔法の準備を始めた。魔獣は二人に注意を向けたが、ちょっかいを出すほどの余裕はない。

 先に終えたラスが、全員に防御の魔法をかける。少し遅れて、レナの目の前に青い炎が現れた。炎は一直線に魔獣へと向かっていく。

 魔獣は素早くその場を離れたが、予想の範囲内だ。新たな軌道を強くイメージすると、その通りに炎が飛んでいく。魔法の細かい制御はレナの得意とするところだ。

 避けられないと悟ったのか、魔獣が動きを止めた。直後、頭を斜め上に突き出し、すさまじい咆哮ほうこうを発した。周囲の木々から、鳥たちがばさばさと飛び去っていく。

「ひゃっ!」

 思わず首をすくめるレナ。集中が途切れ、炎はにじむように虚空に消える。

 だがその隙をついて、エヴァンが狙い澄ました一撃を放った。矢が、吸い込まれるように赤い瞳に突き刺さる。魔獣は苦悶の叫び声をあげた。

 ヒューが地面を強く蹴り、走り出した。一気に加速し、魔獣との距離を一瞬にして詰める。電光石火の素早さで剣を一閃させると、相手が何の反応もできないでいるうちに、銀の首が跳ね飛んだ。少し遅れて、体の方もどさりと倒れる。

 転がる首から目を背けながら、レナは大きく息を吐いた。ほとんど何もしていないはずなのだが、魔法を何度も使った時のように疲れてしまった。

「レナ、怪我は?」

 切迫した表情で、ヒューが尋ねてくる。まだ持ったままの剣は、先を地面に付けて引きずっている。レナは自分が無事であることを示すために、にこりと笑った。

「魔法具で防いだので、なんともないです」

「そっか。よかった」

 ヒューは小さく息を吐いた。そんな彼を見ていたレナだったが、急に顔を引きつらせ、言った。

「そ、それよりヒューさんの方が……」

 言われて初めて気が付いたかのように、ヒューは自分の体を見て顔をしかめた。服はいたるところで切り裂かれ、血まみれの皮膚が露出している。革製の部分鎧も傷だらけだ。エリオットとともに最前線に立ち、かつ盾を持たない彼が、もっとも多く怪我をしているようだった。

「て、手当しますね」

「よろしく。まあ、見た目ほど酷くはないよ」

 軽い調子で言うと、ヒューはその場に座り込んだ。レナは荷物の中から包帯や傷薬を取り出し、彼の隣に膝をつく。治癒の魔法が使えればいいのだが、精霊使いの中でもそれができる者はほとんどいない。

 魔獣の後始末はエリオットたちに任せて、レナは手当に専念した。ヒューはそれを横目で見ながら言った。

「魔法具なんていつの間に用意してたの? ひやっとしたよ」

「あ、昨日、買ったんです。使い捨てなので、もう、壊れちゃいましたけど……」

 口に出して説明すると、自分が助かったのは偶然に過ぎないということを改めて実感して、声が震えてきた。それと同時に、『竜の涙』のことを誰にも説明していなかったという事実に、今更気づく。もし、ラスが先に防御の魔法を使っていたら……。

「大丈夫?」

 青ざめる少女に、ヒューが気遣うように声をかける。レナはこくりと頷いて、作業に集中した。

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