第8話 破壊の力

 店からの帰り、レナはなるべく広い道を通っていくことにした。初めての道を行くことになるが、橋のある方向を目指せば大丈夫だろうと考えたのだ。

 だが、思ったほど簡単では無かった。ここは元から都市の中心から離れた場所だ。広い道は少なく、なかなか行きたい方向に進めない。

 きょろきょろと辺りを見回しながら、知らない街並みを歩く。周囲の家らしき建物はどれも大きかったが、装飾もないシンプルな外観で、貴族のお屋敷のような広い庭も見当たらない。この辺りは商人街だから、過度に飾り付ける必要もないのだろう。

「東に行けばとりあえず大丈夫、のはず……」

 レナは自分自身を勇気づけるように呟いた。正面から照らす日の光を見る限り、東に向かっているのは確かだ。とにかく川に辿り着けば、岸沿いに橋まで行けるはず。一瞬、迷って帰れなくなる自分の姿を想像してしまったが、首を振って追い払う。

 やがて、レンガ造りの大きな建物が散見されるようになった。大きな入り口から、荷物をいっぱいに積んだ馬車が出入りしている。多分、船の積み荷を置く倉庫なのだろう。川が近い証拠だと、レナはほっとした。

 不意に、道の先からざわざわとした人の声が聞こえてきた。さらに進むと、道の端に人だかりができているのが目に入る。ある程度まで近づいたところで、人々が何故集まっているのかを理解して、ぽかんと口を開いた。

 倉庫が丸ごと一つ、崩壊していた。完膚かんぷ無きまでに破壊され、細かい瓦礫となって地面に積もっている。それでいて、周囲の建物には一切被害が出ていない。一体どんな力がかかればこうなるのか。

 少し立ち止まって、野次馬の会話に耳をそばだてる。運よく――と言っていいのかどうかは分からないが――倉庫は無人で、怪我をした人は居ないようだった。

「こんなことができるのは魔法だけだ」

 吐き捨てるように、誰かが言うのが聞こえた。他の人々もそれに続く。

「精霊使いの仕業ってことか」

「なんて恐ろしい力だ」

「だから言ってるんだ、魔獣きなんかを街に入れるなって……」

 魔獣憑き。その単語を聞いて、レナはぎゅっと唇を噛んだ。それは精霊使いの蔑称べっしょうであったが、同時に否定しきれない要素も含んでいた。

 魔法が使える存在として知られているのは、魔獣と、精霊の力を借りた人間だけだ。精霊が魔獣の一種ではないかという疑問は、誰もが一度は抱く。

 早足でその場を去る。精霊って何なんだろうと、この時ばかりは少し考えてしまった。レナの心が読めるはずのギルは、何も言ってこない。

 やがて、前方に川の流れを認め、ほっと息をついた。歩調を緩めながら、崩れた倉庫のことを思い返す。

(ほんとに、精霊使いの人がやったのかな)

 あそこまでの威力と精度の魔法を使える人物は、少なくともレナが直接知っている中には存在しない。有名なハンターのことを考えても、ほとんど思い浮かばないほどだ。

(まさか、魔獣?)

 一匹で都市を滅ぼすという伝説級の魔獣なら、可能なのだろうか。もっとも、そんなのが街中にいたら、とっくの昔に大騒ぎになっているはずだが……。

(私が考えても、仕方ないよね)

 そう思って、レナは思考を中断した。道の先には、建物の隙間から大きな川が見え隠れしている。向こう岸の様子を見る限り、ほとんど都市の北端にいるようだ。ずいぶん遠回りしてしまった。

 川の近くまで来たところで、レナはぴたりと動きを止めた。草が生い茂った、川の流れのすぐそばに、一人の女の子が座り込んでいる。

 川面に向けられた彼女の顔には虚ろな表情が浮かび、生気が感じられない。華奢きゃしゃ体躯たいくと、腰まで真っ直ぐに伸ばした美しいブロンドの髪も相まって、まるで人形のような印象を受ける。

 この辺りに家は無いが、どこの子だろう。どこかの商人の家から遊びに来たのか、それとも倉庫で働く誰かの子供なのか。

 不意に、彼女は何かに気づいたかのように口を開け、すっくと立ちあがった。何をするのかと見ていると、視線を彷徨さまよわせながら、うろうろと歩き回っている。

 視線の先を追うと、そこには紫の蝶々が飛んでいた。夢中になっているためか、彼女の体は終始ふらふらとしていて、今にも転びそうだ。レナは注意すべきか迷った。

 やがて蝶々は、川の向こう岸に向かって飛んでいった。これで追うのも諦めるだろうと思ったのだが、彼女の行動はレナの予想を超えていた。

 なんと彼女は、まるで川など存在しないかのように、蝶々を追って行ったのだ。唖然あぜんとするレナの視界の中で、まず膝まで水に浸かり、そしてみるみるうちに腰に達する。

「わあああ!」

 声を上げながら、レナは急いで駆け出した。この川は流れが緩いとは言え、子供なら流されてしまう可能性は十分にある。現に今、女の子の体が、バランスを崩したようにぐらりと傾いた。

 ばしゃばしゃと音を立てて、川の中を走る。彼女の体が完全に流れに飲まれる前に、なんとか腕を掴むことに成功した。ぐいと引き寄せ、身を抱くようにして川から上がらせる。その時になって初めて、彼女が素足であることに気づいた。

 抵抗することも、逆にすがりついてくることもなく、女の子はなすがままに引っ張られていった。それがどことなく不気味で、レナは背筋が冷たくなるのを感じた。女の子の視線は、相変わらず蝶々を追っている。

「だめだよ、川に入っちゃ。危ないよ」

 膝に手をつき、女の子の顔を見下ろすようにしながら、少しきつめに言った。だがそれに対する反応は、レナに視線を向けたことだけだった。彼女の顔には、最初と同じく虚ろな表情があるばかりだ。

 レナは困ったように眉尻を下げた。自分ではどうにもできなさそうだ。この子を知っている人に託すしかないだろう。

「どこから来たの? 名前は?」

 今度は優しく問いかけてみたが、やはり相手は黙ったままだ。もしかして、耳が聞こえないんだろうか。そう思い始めたところで、ようやく答えがあった。

「……スロゥ」

ゆっくりスロゥ……ちゃん?」

 女の子はこくりと小さく頷いた。変わった名前だな、とレナは思った。

 しばらく待ってみたが、相手はそれ以上は何も言おうとしなかった。おずおずと、再度口を開く。

「おうちは、どこ?」

「もうない」

「え」

 思わぬ答えに、レナは絶句した。もう無いとは、どういうことなんだろう。この子のことが、ますます分からなくなる。

「誰か、一緒に来てる人はいない?」

 そう尋ねると、スロゥは何かを考えるように小さく首を傾げた。しばらくそうしたあと、唐突に身を翻し、すたすたと歩き去ろうとする。レナは慌てて声をかけた。

「一人で、大丈夫?」

「大丈夫」

 振り返りもせずに、相手はぴしりとそう言った。それが強い拒絶の言葉に聞こえて、レナはその場に立ち尽くした。

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