第6話 露店広場

 エヴァンが来た次の日、明日の仕事の準備をしたあと、レナは街に買い物に行くことにした。だいぶお金が溜まってきたので、仕事用の装備を増強しておきたい。本当は欲しい本や服もたくさんあるのだが、今はまだ我慢だ。

 レナたちの住む家は、都市の北東の端に位置している。都市は南北の大河と東西の大通りを境に大きく四つに分かれ、北東は住民の家や商店、北西は商人の家や商館、南東は工房、南西は宿など外の人のための施設が多い。

 大通りに出て西に進む。この通りには、昼夜問わず辺りを照らす街灯が一定間隔で設置されている。四角い入れ物の中にあるのは本物の火ではなく、『一角兎』と呼ばれる比較的ポピュラーな魔獣の角だ。本体から切り離されると数か月のあいだ光り続けるため、使い捨てではあるが便利な明りとして利用されている。

 この一角兎の角に限らず、魔獣から取れる様々なパーツは、他の素材にはない不思議な力を持っていることが多々ある。魔獣素材の取引の大半はハンターズギルドを通して行われ、ギルドの大きな収入源になっていた。

 橋を渡ると、多種多様なな容姿の人々が目に入る。体格や顔かたちも様々だし、服もそうだ。くすんだ茶色の布を何重にも体に巻きつけた男もいれば、体の線が出るぴったりとした派手な服を着ている女もいる。多くは外から来た人なのだろう。

 橋の南西からは、人々の喧騒が聞こえてくる。あの辺りには、川の船着き場と直結した、グラント一番の露天広場が広がっている。世界中から様々な品物が集まるため、品揃えは頻繁に入れ替わり、毎日来ても全く飽きないほどだ。レナもしょっちゅう入り浸っているのだが、今日の目的はここではない。

「……」

 ないけど、ちょっとだけ。そう思って、広場に足を踏み入れる。ちょうど、正午の鐘が鳴るところだった。

 調理済みの食べ物を売る店が、しきりに呼び込みをしている。肉や魚が焼ける、美味しそうな香りが漂ってくる。見たことがない形の果物が並ぶ店もあった。

 この時間の広場は特に人が多い。いそいそと道を進む者、大きな荷物を運ぶ者、店先で軽食をつまみながら談笑する者など、色んな人がいて歩きにくい事この上ない。店を回るのは好きだが、この混み具合にはいつも辟易へきえきしてしまう。

 客の目を引くために、どの店も色で溢れている。天幕、看板、それから店先に並ぶ商品。それに加え、世界中から来た客の多彩な服装が渾然こんぜん一体となって、あたかも一つの絵画のようだった。

 そんな美しい景色をきょろきょろと眺めながら歩いていると、本当に絵を描いている人物に出会った。小さな木の椅子に座って、真剣な表情で筆を動かしている。画架イーゼルに立てられたキャンバスには、目の前にある実際の広場の色彩を正確に写し取った、だが全ての境界線が曖昧にぼやけた、夢の中のような風景が広がっている。

 つい足を止めて見入っていると、ぽんぽん、と誰かに肩を叩かれた。振り返った先には、昨日ギルドでレナにちょっかいをかけてきたぼさぼさ頭の男性が、満面の笑みを浮かべてこちらを見ていた。

「やあ」

「あ、グレン……さん」

 レナは少し身を引きながら、相手の名前を呼ぶ。グレンはその分だけ前に出ながら言った。

「昼飯でも食べに来たの? 一緒に食べない?」

「えと、そういうわけでは」

「でもちょうどいい時間じゃない?」

 笑顔で迫られ、レナは困ったように笑った。そう言われても、特にお腹は空いていない。レナは元々小食で、お昼は食べないことも多い。それに、今日はやらなきゃいけないことがある。

「ね、いいでしょ?」

 しつこく聞いてくるグレン。ちゃんと断らなきゃと思いつつも、なかなか言い出せない。

 どうしよう、とまごまごしていると、不意に手首を掴まれ、斜め後ろに引っ張られた。驚いて後ろを見る。そこに居たのは、険しい表情をしたエヴァンだった。

「そろそろ行くぞ」

「は、はい」

 彼の言葉に、思わずそう答える。そろそろも何も、ちょうどいま会ったばかりのはずなのだが……。

 唖然としているグレンを置いて、エヴァンはすたすたと歩き出した。引っ張られるように、レナも後をついていく。

 少し歩いたあと、彼は前を向いたまま、ぼそぼそと聞き取り辛い声で言った。

「余計なことだったら、悪い。絡まれて、困ってるように見えたから」

「……いえ、ありがとうございます」

 レナは一瞬沈黙したあとに、そう返した。助けてくれたのだということにようやく気付く。

 エヴァンは人ごみの間をするすると抜けていく。まるで、誰もいない道を進んでいるかのようだ。さっきからどんどん歩くのが速くなってきていて、レナは小走りに近くなっていた。そろそろついていくのがつらい。

「あの、もう少し、ゆっくり……」

 おずおずと申し出ると、エヴァンは急に立ち止まった。勢い余ったレナは、彼の肩にぶつかって、

「……っ! ごめんなさいっ!」

 体を、というか主に胸を、相手の腕に思いきり押し付けてしまった。顔を赤くしながら、慌てて飛びのく。

「あ、ああ、俺の方も、悪かった」

 エヴァンは切れ切れにそう言うと、手を放してレナの方に向き直る。一瞬、彼の視線は下に逸れたようだった。

 気まずい沈黙が訪れる。レナは場を繋ぐために、こう尋ねた。

「エヴァンさんは、お昼ごはんですか?」

「いや、花を買いにきた」

「お花って、プレゼントですか?」

 もしかして、女の人に? と思って、レナはちょっとどきっとした。立ち入ったことを聞いてしまったかもしれない。

「いや」

 エヴァンは首を振ると、少し間を置いてから言った。

「友人の墓参りだ。花ぐらいしか、供える物が思いつかなかった」

「そう、なんですか……」

 なおさら聞いてはいけない話だったようだ。レナは体を縮こまらせる。

(最近亡くなったのかな)

 供える物を考えるぐらいなのだから。もちろん、聞けはしない。

「じゃあ、また」

「あ、はい」

 レナが返事をするかしないかのうちに、エヴァンは早足で去っていった。その後ろ姿に、頭を下げる。

『ちょっと変わってるが、悪いやつではないな!』

「うん」

 ギルのに返事してしまって、レナは口元を押さえた。彼の言葉は自分にしか聞こえない。うっかり話し込んでいると、他人から見ると一人でぶつぶつ言っているようにしか見えないのだ。

 自分の予定を思い出して、レナは後ろを振り返った。ちょっと露店を見て回るだけのつもりだったのに、予想外に時間を取ってしまった。早く目的の店に向かおう。

 道を戻ると、さっきの絵描きが、さっきと全く同じポーズと表情で、作業に没頭していた。キャンバスの色はさらに増えている。それを横目で見ながら、レナは露店広場を出た。

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