第3話 精霊使い

「ただいま戻りましたー……」

 玄関の扉をそっと開け、家の中を覗き込む。ほどいた髪が、隙間風ではたはたと揺れた。

 近くには誰もいないようだ。無意味にこそこそしてしまったのは、先ほどのローザの言葉が頭に残っていたからだろう。

 ヒュー曰く「無駄に広い」吹き抜けの玄関ホールには物が全く無く、寒々しい印象を受ける。せめて絵や植物でも飾ればいいのにとレナは思うのだが、まだ誰にも提案したことはない。

 ホール正面と左側の上方には、柵と二階の廊下が見えている。二階は皆の寝室兼個人スペースが並んでいるが、個室を独占しているのはレナだけだ。男性陣は三人ずつに分かれて寝泊まりしている。もちろん男性の部屋の方がだいぶ大きいのだが、それでも少し申し訳ない。

 上へ行くためには、奥にある螺旋らせん階段を使うしかない。歩くたびにキィキィ嫌な音を立てるのが、いつも少し不安になる。体重の軽いレナはともかく、男性陣と一緒に歩くときなど特に。

 右の壁にある窓から、強い西日が差し込んできていて、レナは思わず目を細めた。あそこにはカーテンを付けたい。色は少し地味にして、近くに華やかな絵を飾る。そんな妄想をしながらホールを横切り、奥の左寄りにある扉へと向かう。

 リビングへの入り口を開けたレナは、ソファーに腰掛けていた男性と目が合って、一瞬固まってしまった。相手の方も、目をしばたたかせて驚いている。

「おや、おかえりなさい」

「はい、ただいまです」

 ぺこりとお辞儀をする。テーブルの上には、真ん中あたりで開かれた本が置かれていた。どうやら読書に集中していて、レナが帰ってきたのに気づかなかったようだ。

「仕事はどうでしたか?」

「ええと、上手くいきました。少し、情報が間違ってましたけど」

「おや」

 その言葉に、男は首を傾げた。腰の辺りまで伸ばした、真っ直ぐな黒い髪が、小さく揺れる。癖毛くせげ気味のレナからすると、いつ見ても羨ましい。色白で肌理きめが細かく、整った顔と相まって、彼は今までに何度か女性に間違われたことがあるらしい。

 レナはソファーに座ると、今日の魔獣退治の仕事について語りだした。男はふんふんと頷きながら、熱心に聞いているようだった。

「それは災難でしたねえ。まああの二人なら、追加報酬をがっぽり稼いできてくれるでしょう」

「そうですね、楽しみです」

「ええ、期待して待っていましょう。きっとヒューのやつは、美味しい酒でも買ってきますよ」

 男は自信ありげに言った。彼とあの二人は昔からの知り合いなのだと、レナは以前ヒューに聞いたことがある。今のパーティメンバーは七人だが、元々は三人だったそうだ。

「ラスさんは、図書館に行ってたんですか?」

 話がひと段落したあと、レナは開きっぱなしの本を指さしながら訪ねた。すると、彼は笑いながら手を振った。

「いえいえ、これは前から借りていた本ですよ。ずいぶんと溜めていたせいで、司書の方から早く返せと催促の手紙が来てしまいまして」

「なるほど……」

 自分も身に覚えがあるので、レナは曖昧な表情で相槌あいづちを打った。目の前の男、ラスとは、読書という共通の趣味があった。もっとも、好きな本の種類は全く違う。

 読みかけの本にちらりと目をやる。既存の研究の矛盾点がどうとか、実験結果との整合性がどうとか、書いてあることは難しすぎてよく理解できなかったが、精霊や魔法に関する本だということは辛うじて分かった。

 ラスはこのパーティの中で、レナと同じく精霊使いとしてギルドに登録されている、もう一人のハンターだ。魔法を便利な道具程度に考えているレナと違って、魔法の原理や精霊の正体について、強い興味を持っているようだった。

「面白いですよ、精霊界についての新説が書かれてまして……」

 彼は喜々とした様子で、ページをぱらぱらとめくる。そこには精霊界の想像図と思われるイラストが、何枚か描かれていた。

 精霊界がどんな所なのかは、精霊の正体と同じく、よく分かっていない。彼らに直接聞いてもその答えはばらばらで、全く統一性がないのだった。ある者は一面に広がる花畑のような場所だと言うし、ある者は無限に広がる真っ白な世界だと言う。

「どんなところなんでしょう。一度行ってみたいです」

 レナが言うと、ラスは驚いたような困ったような、それでいて笑っているような、奇妙な表情をした。

「行って楽しい場所なのかは、分からないですけどねえ。そういえば、ギルさんは精霊界がどんな所だと言ってます?」

「え、と……」

 レナは記憶の糸を手繰り寄せようとしたが、上手くいかなかった。確か、以前に聞いたような……。

『いろんな場所があるところだぞ!』

 思考に反応したように、声が聞こえてきた。いまいち説明になっていないような気がする。だがそのまま口に出すと、ラスは興味を引かれたようだった。

「ふむ、色々な場所ですか。実際のところ、それが正しいのかもしれませんねえ。場所によって、全く様子が異なるとか……精霊ごとに、答えが違う説明にもなります」

 彼はあごに手をやって、何事か思案しているようだった。レナはしばらく間を空けてから、おずおずと尋ねた。

「その……ラスさんの精霊は、なんて言ってるんですか?」

 精霊には元々名前が無いため、精霊使いが名付けることが多い。だが彼はそうしなかったようで、従って『ラスさんの精霊』としか言いようがなかった。何故付けなかったか前に聞いたところ、「どうも名前を付けるのは苦手でして」とのことだ。

「特に何も。そもそも、質問してもほとんど答えてくれないんですよ」

「なるほど」

 レナはこくこくと頷いた。精霊によっては、全く会話が成り立たないことも多々ある。ギルも一方的に言いたいことを言うタイプだが、まだマシな方なのだ。少なくとも、質問すれば答えてくれる……こともある。

 ラスはソファーから立ち上がると、口角を上げて言った。

「参考になる情報をありがとうございます。少し調べたいことがあるので、図書館に行ってきますね」

「あ、はい」

 彼は本を置きっぱなしにしたまま、いそいそと部屋を出ていった。前のを返さずに新しい本を探しに行ったりしたら、また司書さんに怒られるんじゃないかなあと思いつつ、後ろ姿を見送った。

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