第17話 堕ちる救世主

 ふらりと超自然の道に迷い出た魔物を男が斬り捨てる。


 白刃と男のブロンドが閃光を放ち乱れの無い一線となって魔物の肉体を行過ぎる。

 一線された肉体はそこからズレを生じさせ二つになって崩れ落ちた。


 ――やはり強い。


「師匠! おれも戦えるっ!」


 ハクアが走る左側から現われる魔物も斬り捨てて、勇者ジュラは少年の抗議の声を無視して、短い子どもの足のせいで遅れ始めていたハクアを脇に抱え上げた。


「師匠っ!」


「一気に駆け抜ける。口は閉じていなさい」


 前方にも現れる魔物の姿を睨み据え、勇者ジュラが言う。

 ハクアはぐっと不平を飲み込むように口を閉じて邪魔にならぬよう、男にとってのただの荷物になるようだった。


 魔王はひとり街中の崩れた家の瓦礫に座っていた。

 周りには数多という魔物の残骸。その中で優雅に足を組み、他を寄せ付けぬほどの美しさと強者の気配を纏って、瓦礫の中、君臨するさまはまさに覇者だった。孤高のその姿が瓦礫さえも玉座にしている。


 死と穢れに囲まれる支配者を、付き従う魔族たちさえも近寄り難く遠巻きにする気配があった。


 孤高の彼は目を閉じ見ていた。


 ――見届けなければならない。ハクアが、望むべき完璧な勇者になりうるかどうかを。師匠と慕うその男を越えられるかどうかを。


 間もなく、ハクアを抱えて懸命に走る勇者ジュラが街を抜ける。とうに魔族によるテリトリーの支配が解けているとも知らずに。


 勇者ジュラがハクアを地面に降ろしたのは街の外壁を越えてすぐの処だった。

 少年を適当な岩陰に降ろして、勇者ジュラは街から這いずるように追ってくる魔物に向き直る。


「――師匠、おれも戦う!」


 ハクアが岩陰から飛び出して師匠の隣に並ぶ。それを男の腕が制した。


「お前は下がっていなさい」


「師匠っ、おれも戦える! ちゃんと剣だって扱えるんだ! トリアスに教えてもらったんだ。魔物だってもう何度も倒して、さっきだって七体も倒したし。だからッ――」


「あの男がお前に剣を持たせたのだな。――いいかい? ハクア。お前はそんなことはしなくていい。お前は剣など持たなくていいんだ」


「でもっ」


「あの男に何を吹き込まれたかは知らないが、お前のことは私が必ず守ってやろう。これまでだってそうしてきただろう?」


「――っでも、――……でもおれが、姫の身代わりをしたあの時は、守ってくれなかった……」


「……ああ。至極後悔している。他に適任者がいなかったとはいえお前に姫の身代わりをさせたなど。カンブリアのために必要だったとはいえ私は身を切られるようにつらかったのだ。だからこそお前が無事に戻ってきて、今度こそこの身で守ろうと誓ったのだ」


 二度と危険な目に合わせはしない、と。

 勇者ジュラが戸惑う少年を抱き寄せる。


 ハクアは剣を片手に、泣きそうな顔で、師匠と慕う男を抱きしめ返すこともできずに困惑していた。


 ――このまま負けてしまうか、ハクアよ。よいのか、その瞬間お前の死が決まるのだぞ。

 伝わるはずもない脅しを心中で囁き魔王は見守る。


「……でも、おれは嬉しかったんだ……。師匠の役に立てて、嬉しかった」


「分かっている。お前は本当にいい子だ。だが、なにも剣など持って自らを危険に晒してまで役に立とうなどとしてくれなくていい。ハクア、そんなことをして私を心配させないでくれ。お前はただ、何もせず側にいてくれるだけでいいんだ。それだけでどれだけ私の励みになるか。――さあ、分かったら隠れていなさい。――ハクア?」


「……そうじゃない……。そうじゃない……っ。師匠、そうじゃないんだ……!」


 ハクアがうつむいたまま懸命に首を振る。

 強さを求めるように手が剣を握り締めた。それに緩和していた勇者ジュラの表情が険しくなる。


「おれは、師匠の役に立ちたいんだ……っ。おれは、師匠と一緒に戦いたいんだ……! おれは、師匠とともに戦える存在になりたいんだ……!」


「――ハクア、その剣を渡しなさい」


 告げられた言葉にハクアが怯えたように顔を上げた。

 見上げた先に無表情な厳めしい顔を見て、ひゅっと喉を鳴らし一瞬で圧せられたのが分かった。

 有無を言わさぬ目の前に差し出された手を見詰め、逡巡する。


 剣を握るハクアの手が震えていた。


 ――渡せば、終わりだ。


 瞬間。

 ハクアが渡そうとしていた剣をぐっと自らに引き戻した。


「ハクアっ! それはお前には必要のないものだ! 渡しなさいッ!」


「――いやだ! ――師匠は知らないんだッ、おれはちゃんと剣を使えるッ!」


「――――いい気になるなッ!!」


 子どもの強気な発言が癇に触れたのか、勇者ジュラが少年を一喝する。


「どれほど使えるというのだッ、二カ月やそこらで何を得たというのだ! 剣に生きる覚悟もなく、強さへの憧れだけ手にしている者が――いい気になるなッ。剣を持つというのがどういうことか、分かりもしないのだろう?!」


 その言葉は、常に戦いで死の覚悟を強いられている者の言葉だ。そして、勇者として決して死ぬわけにはいかない責任を負う者の言葉である。


「――……さあ、分かったろう。ハクア、何も心配しなくていい。剣を持たずとも、お前は決して死なない。私が死なせはしない」


「――っ」


 ハクアが驚いたように目を見開き勇者ジュラを凝視する。


 魔王には分かった。それは前に魔王自身が少年に言った言葉と同じである。同じであるがゆえに、はっきりと違いが分かるはずである。

 ハクアは、魔王の言葉と、師匠と慕う男の言葉との違いに戸惑っているのだろう。そのはずである。


「――っがう。――ちがう。――違う……っ。そんなのは違う……!」


 ――そうだ。お前は守られ甘やかされ可愛がられるだけの存在ではない。そんなことは願っていない。


 ハクアはようやく、目標と定めた男の言葉が自分を抑圧するものだと気付いたのだ。

 もともと抑圧されていた、強くなりたいというハクアのその気持ちを、心を、魔王が解放したことによって当然であったはずの勇者ジュラの抑圧が受け入れられなくなったのだ。


 抑圧をよしとしないハクアの心が悲痛な叫びとなって、ハクアの全身を駆け巡っているのが分かる。



「おれはっ、――おれは師匠のペットじゃないッ! 生かされなくても自分で生きていけるッ!」


 目覚めたハクアの自我が自立心を訴える。

 ハクアはすべてを振り払うように駆け出した。

 向かっていくのは、街から這いずってきた魔物である。醜悪な生き物目掛けて突進する。


「ハクア!」


 勇者ジュラが叫ぶのと、醜い生き物の脇腹にハクアの剣が食い込むのがほぼ同時。

 次の瞬間には胴を打ち切られた魔物が地面に崩れ落ちる音が響いていた。


 絶句する勇者ジュラをハクアが一瞥して、続けて近くにいた魔物を斜めに斬り捨てる。


 あっという間に追ってきていた五体の魔物を地に沈め、肩で息をしていたハクアがゆっくりと師匠と慕う男を振り返った。

 その動作がひどく緩慢に見えた。


 ――越える。


 魔王は口元に艶やかな笑みを浮かべた。

 魔物五体をわずかな間に倒すなど、これまでのハクアの実力ではない。

 発揮されたそれまでなかった強さが物語っている。


 ハクアが泣きそうな顔で勇者ジュラを見詰めた。


「やっとわかったよ、おれは強くなりたかった。――強くなって、師匠に認められたかったんだ。認めてほしかったんだ、――あなたに」


 そう言って悲しげに笑ったハクアがひどく大人びて見えた。

 勇者ジュラもそう感じたのだろう、ただただ驚きに目を見開き、はじめて見るかのような顔でハクアを見詰めていた。


 これが魔王の育ててきたハクアである。

 今、ハクアが勇者ジュラに見せているのは間違いなく魔王によって育てられた一面。魔物に集中していく時の凛と冴えた精悍な顔だ。


 それは少年が師匠と慕う男に勝った瞬間だった。力の上下関係を超えたのだ。

 ハクア自身も気付いたはずだ。自分がこれまでその男の前で、如何に弱い存在を演じてきたかを。

 思い知り、自分にそれを無意識に要求してきていた男の弱さを見たはずである。


 くっくっくっと、笑いがこみ上げる。

 耐え切れず魔王は含み笑いから声を上げて笑った。


「――引き摺り下ろしてやったぞ、救世主をただの人間にな!」


 高笑いが止まらなかった。少年にとって命の恩人以上に、神にも等しい救世主として焼きついていた男を、ただの人間だと、少年に実感させたのだ。


「越える…! 越えるに容易い! あとはあの男の劇的な死を演出してやるのみだな」


 魔王は賭けの完全勝利に酔いしれていた。


 瞬間、赤い影が視界を――精霊を介した視覚を、刺激する。


 一瞬の出来事だった。

 燃えるような赤い髪に金の飾りを纏う華奢な体。しなやかな腕が上がり、赤みの差す皮膚に走る赤いラインの文様を何か生き物のように映す。

 爪の朱金。赤い花が咲いているような文様が、手のひら。それがハクアに向けられた。


 穢れを厭う僅かな躊躇いさえなく放たれるのが、凝縮された魔力。

 それが衝撃波となって容易く生身の肉体を砕くのだ。

 魔力を糧とする生き物である魔族が滅多に使わない力である。本気がうかがえる。


「よせッ」


 魔王は反射的に立ち上がり足元の魔物の残骸を蹴って駆け出していた。

 三歩目には宙を蹴り鳥に姿を変える。


 ハクアと勇者ジュラがいるそこに、どうしてか炎の魔人が現われ、そして次の瞬間にはハクアに対し衝撃波を放っていた。


 それがほんの一瞬の出来事だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る