第16話 師弟の再会
廃墟を彷徨う勇者ジュラの姿がある。
整然と並んでいた街並は崩れ、特色のあった建物は消え去り、どこを向いても同じ風景を延々と作り上げている。しかし、勇者ジュラがその廃墟の中に迷い彷徨うのは、そればかりが原因ではなかった。彼は意図的に廃墟の中を彷徨わされているのだ。
同じ廃墟の中、魔王は少年とかつての往来を歩いていた。
崩れた街並を物悲しそうに眺めるハクアは同じ街中に、もう二カ月も探し求めた者の姿があることを知らない。
ここまでに立ち寄ったどの街とも同じように、祖国の滅亡の影を色濃く感じているだけである。
「……前に、ここには来たことがあるんだ。父さんに連れられて、はじめて来た大きな街だった。この通りには市場があってテントがいっぱい並んでて、珍しいものがいっぱいあったんだ。人がいっぱいいて、迷子にならないように父さんがしっかり手を握ってくれてた。でも、おれはキョロキョロ余所見ばかりしててさ。肩車してもらったんだ」
「そうか」
「たった二年前のことなのに……」
父親の肩の上から見た光景を思い出したのか、楽しい思い出となっているそれと、今の寒々しい廃墟の光景が重なってより一層の虚無感を感じたのだろう。
崩れた街並を見詰めるハクアの眉間には皺が刻まれ、瞳は揺れていた。
「――してやろうか?」
囁けばハクアが振り返る。そして、意外そうな顔で苦笑した。その顔にたった二カ月という間の成長の証が確かにあった。
二ヶ月前の旅始めの少年よりも僅かに大人びていた。
「肩車を? 見るものもないのに」
「廃墟以外の何か違うものが見えるかも知れぬぞ」
「魔物だったら願い下げだね。この街だけでもう七体は倒したんだから」
「数えられるうちは数には入らん。――そうだな、王都に近い此処ならばもっと手強い相手がいるかも知れぬな。例えば――魔族とか、な」
魔族という言葉にハクアが僅かに緊張するのが分かった。
恐れているのではないと分かるのは、その瞳に挑戦的な色合いがうかがえるからである。
ハクアは魔族を視野に入れるだけの自信と強さを持つほどに成長していた。もっとも、魔王の見立てでは魔族を相手にするのはまだ早い。成れの果ての魔物とは訳が違うのだ。
――だが、よい傾向だ。今のハクアならばあの男に会わせても大丈夫だろう。
そう思えるようになったからこそ、魔王は此処にいた。
勇者ジュラが彷徨う、廃墟の中に――。
「――だが、大きな街だ。お前の父親は好奇心旺盛な子どもが迷子にならぬか戦々恐々としていたであろうな。――一人迷えば出られぬだろう。ハクア、はぐれるな」
精霊を介した魔王の視線の先で、勇者ジュラが廃墟を巡る。ゆっくりとした足取りで路地を曲がり、厳めしい顔の眉間の皺をさらに増やして路地を曲がる。
「大丈夫だよ、あの時は人がいっぱいだったけど、今は迷うはずがないよ」
「どうだかな」
勇者ジュラはすぐそこまで近づいていた。
あと路地を二つ曲がれば少年のいるこの往来にたどり着く。
魔王は静かに息を潜めた。鼓動が波打って手足が痺れるような感覚に襲われる。緊張というのだろうか。胸が騒ぐ。
その接触が恐ろしくもあり、愉しみでもあった。
あと路地ひとつ。
少年はどんな顔で、どんな瞳であの男を見詰めるのだろうか。どれほどの喜びに顔を歪めて、どれほどの歓喜に胸を占めて。
――さあ、来るがいい。どのような結果も私は受け止めよう。
巧くことが運ばず、ハクアがあの男に負けることがあっても。ハクアを完璧な勇者に育てるという夢が崩れ去ろうとも。その時は見切りをつけ次を探すまでである。
肉眼で捉えた路地からそれが姿を現せる。
ハクアが気配を察して反射的に身構えた。
路地から現われたそれもまた、ほぼ同時に身構えていた。
二人の間におかしな空気が流れる。
「――っ……ハ、クア……?」
「し、しょぉ……?」
現われたのはブロンドの厳めしい男。
常に小奇麗だった顎には僅かな髭が並び、常に整えられていた髪は僅かに傷み、毛先が乱れている。
服はところどころ破け薄汚れていたがみすぼらしいほどではなかった。
そのすべてにわずかな憔悴の影があったが、纏う空気にも顔にも覇気は失われておらず、間違いなくカンブリアの勇者ジュラの無事な姿だった。
ハクアが絶句して硬直する。目の前にあるものが信じられないという顔で、幻でも見ているかのような放心状態だ。
対して、勇者ジュラのほうも自分の目に映っているものを注意深く疑うようである。距離を詰めず構えさえ解かない慎重さは、侮り難い。その視線が少年の傍らに立つ魔王を一瞥し、少年に戻る。
「ハクア、なのか?」
勇者ジュラが構えを解いた。同行者の存在で、少年を本物と確認したようである。
同時に少年が弾かれたように駆け出し、膝を落として迎える勇者ジュラの腕の中に飛び込んだ。
短い手足で、小さな全身で、慕う男の無事を確認するようだ。
「っっしょお……! ししょぉ……!! 師匠っ……!!」
ハクアが厳めしい男にしがみついたまま他の言葉を忘れてしまったかのようにその男の尊称を繰り返す。まるで鳴き声だ。耳障りで仕方が無い。
「――ハクア、なぜここに……」
「師匠。おれ、師匠を迎えにきたんだ」
勇者ジュラから身を離したハクアが誇らしげに泣き笑う。それに顔を顰めた男が視線を魔王に転じた。睨むような目が向けられて魔王は片眉を跳ね上げ、男を見据え返した。
「貴方がこの子を此処まで?」
口元に刻む笑みでもって肯定すれば、厳めしい男が険しさを増す。
「此処がどういう処と知ってか?! 幼子を連れてくるようなところではない!」
「師匠っ、違うんだ! トリアスは何もっ、――おれが勝手に! トリアスは心配してついて来てくれただけなんだ!」
師匠と慕う男の誤解にハクアが慌てて弁解する。
少年の思わぬ強さでの否定に、勇者ジュラが驚き目を瞠って、魔王のほうを見た。
「そういうことだ」
疑わしげな視線に不敵な笑みを返す。
貴方こそ言葉巧みにハクアを導いたのだろう、と二月前にその男に投げつけた言葉が無言の内に返ってくるようだった。根に持っていたのか。
――ハクアの意思だ。と二ヶ月前に男の口に上った言葉を心中で噛み締める。
勇者ジュラが一度瞼を閉じ、小さな息を吐いてハクアに向き直った。
「……ハクア。此処がどういう処か分かっているのか? ――カンブリア王都が目と鼻の先にあるのだ。今では魔王が支配する我等が祖国の王城が。此処はもう魔王の支配下、魔の巣窟の奥深くだ。人間が居られる場所ではない」
「でも師匠は――師匠こそ、どうして此処に。無事だったんならどうしてカレドニアに、シルル姫様のもとに戻ろうとしないの?」
行方不明になったという王都近くに二月も経った今も尚居るのか、と。
心底疑問に思っていた少年が、ハッとして心配そうな顔で勇者ジュラを見た。見た目には分からない怪我を負っているとでも思ったのだろう。それを察して厳めしい男が顔をゆるく横に振る。
「違うのだ、ハクア。私が此処に居るのは――」
「出られなくなったか、この街から」
嘲笑交じりに魔王は云う。
ハクアが反射的に振り返り、その向こうで勇者ジュラが険しい顔で悔しそうに視線を落とした。その、勇者と冠されている男をさらに嘲笑う。
「魔族の術中に嵌ったのだな。――魔族がよく使う手だ。場を支配し、空間を捻じ曲げ繋いだそこに、獲物を閉じ込める。そして、じわじわと獲物が餓死してゆくのを待つのだ」
男が今置かれている状況を説明してやれば、ハクアがひゅっと短く息を呑んで、ごくっと唾とともに恐怖を飲み下すのが判った。
獲物を狩るのも容易いはずの魔族がなぶり殺しのような真似をすることに、その生き物がもつ残酷さを感じたのか。
魔王は軽く視線を伏せて苦笑した。
「――魔族は穢れを嫌うからな、自ら手を汚さぬ。最も自然死に近い方法で獲物を殺し、喰らうのだ」
そうまでして魔族が穢れを嫌うのは、それが魔族を蝕むものだからである。
魔族に限らずとも魔力をもつ生き物は蝕まれる。じわりと叡智が侵され、人格が侵され、自我が侵される。すべてを失えばあとは肉体の活動としての生命だけが残り、肉体に付随した本能的な欲求だけの醜い生き物となる。
魔族はそれを恐れているのだ。ゆえに魔族の、穢れを嫌っての極端なまでの行動は脅迫観念による。――哀れな生き物である。
その哀れさを少年はおろか、厳めしい男さえも知らない。
「……ここから抜け出すにはどうすればいいの?」
「この場をテリトリーとしている魔族を殺せばいい。道理であろう?」
明快な答えにハクアの顔に光が差す。それを魔王はせせら笑った。
「もっとも。空間を支配しているのだ。その魔族のもとにたどり着くことは難しいだろうがな」
そうでなければ、仮にも勇者を冠せられ、四人もの魔族を殺した男を二カ月も拘束してはおけない。
希望を持たせておいてすぐにそれを断ってみせた魔王に、少年の目が睨んでくる。その瞳に方法を知っているのだろう、と確信めいた問いかけを見て微苦笑。
「――あるいは、生き延びることだ。支配されたその空間の中でしぶとくな。そのうち魔族のほうが厭きて、解放される」
「どのくらいで?」
「魔族次第だ」
「…今すぐ出る方法はないの?」
「ある」
「どうすればいい?」
魔王が何を云うでもなく、ハクア自身がやる気でいるのに魔王はさらに微苦笑。それが魔王の教育方針だからである。
有無を言わさずやらせてきた。
だが、こればかりは少年には無理だった。魔力の低い少年は初級の魔法さえ使えない。もっとも、魔族の獲物は魔力の高い生き物なので、ハクアがこの状況に陥ることもまずない。
「魔族が空間を繋げるのは魔力のなせる業だ。ならばその魔力を一瞬でも断ってやればいい」
云って魔王は、早口で必要も無い呪文を申し訳程度に口ずさんだ。
掌を、少年とは反対方向にある廃墟の一角に向け広げる。
精霊が動く気配が一瞬。動いたのは大地か大気か。
耳を劈く爆音が轟き、爆風とともに舞い上がった砂塵が吹き荒ぶ。
後には静寂と、街を抉るように貫いた、外壁の外まで続く超自然の道ができていた。
「此処を私の魔力の余韻が残っているうちに走り抜ければ出られる」
「すごいよっトリアス! ――行こう! 師匠!」
初めて見せた魔法にハクアが興奮気味に抱きついて、驚きに呆然としている勇者ジュラを手招くと、いち早く走り出す。
魔王は、高い魔力を持つ男に、知らなかったであろう、と侮る視線を向けて顎で行くように示した。
「トリアス?」
魔王が走り出す気配がないことに気付いてハクアが立ち止まる。魔王は往来の路地からいくつか姿を現しはじめていた醜い生き物を顎で示した。
魔法の発動源に生き物がいることをかつて魔族だったそれらは本能的に知っているのだろう。集まりはじめている。
「おれも!」
「行け。その男と先に街から出ていろ。闘いにまぎれてひとり迷子になられては面倒だからな。――永く魔族に囚われ消耗しているその男についていてやるがいい」
ハクアがハッとしたように師匠と慕う男を見て困惑を見せる。
「行こう、ハクア。――お言葉に甘えさせてもらおう」
少し疲れた笑顔を作って少年を促した勇者ジュラが魔王を振り返り睨み据えて云う。その視線の強さに、魔物討伐人の存在が、勇者ジュラの勇者としてのプライドを傷つけたことがうかがい知れる。
それに魔王は不敵な笑みで応じ、不安げな視線を向けてくるハクアにも不敵に応じた。
大小二つの背を見送る。
その魔王の心中は決して穏やかではなかった。
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