第8話 表面化する企て

 魔王は、屋敷の庭にある木陰でぼんやりとしていた。

 少し離れたところにある別の木の影には、見張りの気配。


 見張りつきではあるが魔王は基本的に部屋から自由に出ることができた。

 魔物討伐人としての自由を尊重されているのか、ただ単に泳がされているのか。どちらにしても魔王には関係のないことだった。


 すでにカンブリアの残党集団は場所を二回ほど移動していて、少しずつカレドニア王都に近づいている。それとなく耳に入ってくる噂は、カンブリアの姫は南にあるソーン地方のスリサズ街道にある街にいるらしいというものだった。小賢しい。


 いくつかの見張りの視線を意識しながら魔王はすることもなく樹の根元に座り込んでいた。

 少年は、師匠の言うことを律儀に聞いているのか、あれ以来、会いに来もしない。同じ敷地内にあって不意に出くわしたとしても――。


 目の前の回廊に少年が偶然にも現われる。

 魔王は伏せていた視線を上げて少年を見詰めた。視線に気付いたのか、ふと少年が魔王のいる庭の方を見る。そして、木陰にいるひときわ濃い影のような存在に気付くと、驚いたように足を止めて、すぐに脱兎のごとく走り去った。

 避けられているのは火を見るより明らかだ。だが、魔王はそれを悠然と笑みさえみせて見送り、再び目を伏せて自然に溶け込んだ。


 魔王は期を待っていた。事は裏で着々と動いている。すぐにでも表面化するだろう。

 不意に騒がしさを聴く。


 ――来たか。

 魔王軍か、オルドビスか。


 屋敷の門に馬で乗り入れた男が数名、馬を玄関先で乗り捨てて屋敷内に駆け込む。そのあわただしさに多くの仲間たちが玄関ホールに集まり出て、そこで彼らのうちの一人が叫んだ。


「――……カ、カンブリア城がっ、魔王軍に……ッ!」


 その場の男たちが凍りつく。

 カンブリアの騎士たちの驚愕に色を失った顔を眺め、魔王は目を開いた。

 目の前の回廊を眺め、ゆっくりと立ち上がる。そのまま魔王は悠然と、報せにより絶望感が蔓延しているだろう玄関ホールに向かった。







 ホールにはすでに多くの騎士たちが騒ぎを聞きつけ集結していた。


「ジュラ様っ。我らが王城が魔王によって蹂躙されているというのは本当なのですか?!」


「――本当だ」


 その場に整然と並んだ騎士たちが息を呑む。

 勇者ジュラのたった一言で、彼が現われる前まで信じまいと喚き立てていたその場の誰もが、厳粛に事実を受け止めるようである。


 ホールの正面、玄関からも正面となる位置にある階段の前に、整列した騎士たちを前にして勇者ジュラが落ち着いた常と変わらない厳めしい顔で立っていた。

 少しの動揺さえ見せない姿は、本当に勇者の鑑である。


 魔王は、居並ぶ騎士たちの端の方にいる少年に視線を向けた。少年は目を輝かさんばかりの熱い視線で、騎士たちの中心に堂々と立つ師匠と慕う男を見詰めていた。


 その少年が不意に、どうしてか魔王のほうを見る。

 ずっとそうだった。避けられてはいるが、少年は必ず魔王の視線に気付く。意識しているのだろう、魔物討伐人の存在を。


 魔王は態と視線が交わる前に逸らして、少年の視線に気付いている証に、この場には不釣合いな不敵な笑みを口元に刻んでみせた。少年の視線に戸惑いが交じってそっと逸らされる。その視線は師匠のもとに戻ったが、もう輝くような熱さをもってはいなかった。


「王都は……? ――生き残った人々はどうなるんですかッ?!」


「――くそっ、魔王めッ、街を破壊し尽くしただけでは飽き足らず……ッ。魔族の国でも築こうというのか……!」


 騎士たちの悲嘆に暮れた言葉に魔王は嘲りたっぷりに、くつくつと喉で笑ってみせた。

 近くの男が聞きとがめる。


「貴様ッ! 何を笑ってやがる!!」


 今にも胸倉を掴みかからんと激憤する男を冷めた一瞥で圧し、この場を支配する存在となっている勇者ジュラを見据えた。


「勇者ジュラ、か」


 くくと喉であざ笑って魔王は皮肉そうに呟く。


「お前がもたもたしているからだ。勇者をその名に冠していながら、いつまでも魔王を殺しにいかぬから、ついに魔王が本気で人間の殲滅に乗り出すようなことになるのだ」


 魔王は痛烈な、しかしそれ自身を魔王が言うには滑稽な皮肉を、勇者ジュラに浴びせた。

 勇者ジュラは、魔王を倒されると路頭に迷う魔物討伐人を冷ややかに一瞥し、わずかに眉を動かしただけですぐに視線を仲間たちに戻した。


「――皆、聞いてくれ。私はこれよりカンブリア王都に向かう。一人でも多くのカンブリアの民を連れて戻るつもりだ。魔王軍に対抗するだけの戦力をもたない今の私が、勇者という名を冠する者として人々のためにできる唯一のことだと思っている」


 魔物討伐人の皮肉を真摯しんしに受け止め答える形で吐かれた言葉は、魔王の皮肉の効果をまったく逆のものにしていた。

 男たちが沸く。


「勇者ジュラに栄光あれ!」


 口々に勇者ジュラを褒め称えて、男たちが同行者を名乗り出る。


「師匠! おれも……っ!」


「駄目だ。足手纏いを連れていけるようなところではない。ハクア、お前は残りなさい」


「……はい……」


 少年の勇気を出しての名乗りは、男たち数名に同行の許しを出していた勇者ジュラの厳しい視線によって一瞬で説き伏せられる。

 魔王は気持ち睨むように、その男に侮る視線を投げた。


「私の力が必要ではないか?」

 魔物討伐人の力はいらないか、と。


 魔王をオルドビスの刺客と疑う男は、その言葉の真意を測りかねるような間をおいて一度、目を閉じる。

 それから、魔物討伐人が金をせびろうとしているのだとでも結論付けたのだろうか、一際厳しい目を魔王に向けて、低く応えた。


「魔物討伐人の力を借りる気はない。我ら宮廷騎士団の力で十分だ。余計なことはしないでいただきたい」


「――なるほど。間違いないだろうな。延々と湧き出る雑魚相手ならば、わざわざ私が力を貸すまでもない」


 負け惜しみにも近い台詞を魔王が小馬鹿にするように言い放てば、途端に、勇者ジュラ当人ではなく周りの男たちが色めき立つ。それを横目に魔王はせせら笑った。


 魔物討伐人の申し出を勇者ジュラが断るのは予想通りである。その前の横柄な魔物討伐人の態度からも、当然の流れであった。そこで魔物討伐人の力を頼るようなら、この厳めしい男はこれほど他の騎士たちに慕われてはいなかったはずである。勇者と称されるだけのプライドがあるのだ。

 魔王はそれも見越して、また少年が此処に残る――残されるだろうことも見越し、自分も此処に残る必然を作り出したのだ。

 計算し尽くした必然が、他の者たちには偶然として焼き付くのを魔王は知っていた。

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