第7話 魔王の盗み見

 魔王は見ていた。

 室内には子どもが一人と、男が三人に女が二人。

 子どもは十二歳くらいの少女で、室内の一番奥の長椅子に座っていて、その両脇に男が二人立っている。

 屋敷内の男たちと同じように軽装に剣の装備という、おそらくカンブリア宮廷騎士団の騎士だろう。

 女二人はおそらく侍女か何かで、壁際に並び立ち存在感を消そうと目を伏せている。


 そして、少女が座る長椅子の前、胸前に腕を掲げて男が一人立っていた。

 少年に師匠と呼ばれる男。カンブリアの勇者ジュラである。


「つきましては姫、ただちにこの場を離れるご用意を」


「ですが、ジュラ。あたくしはここで、ご助力を願いでてくださったカレドニア国王陛下からの使者を待たねばなりません。行きちがいになっては――」


「ご心配はいりません。ここには数名を待機させておくつもりです。ですから、どうか姫はより安全な場所へ。襲撃してきた魔族を倒したとはいえ、この場所が魔王に知られていないともかぎりません。……オルドビスにしても、カレドニアの国境を無事越えたとはいえ油断はできません」


 囮部隊のことと、先ほどの魔族襲撃のことについて詳細――魔物討伐人の存在――は省いて勇者ジュラが、目の前の少女に報告したところだった。

 その少女がおそらく、逃げ延びたというカンブリアの姫、シルル姫だろう。


 ――……やはり同じ屋敷内にいたか。


 なるほど体格は少年と同じくらいで栗毛の巻き毛に明るい緑の瞳の少女である。

 育ちからくる品位の違いはあるものの、少年とさほど代わり映えがしないただの人間の子どもだった。

 それを前に、魔力も高く強さが滲み出るような完成された男が、うやうやしく頭を垂れている。不思議な図だ。


「――姫、おつらいでしょうが、無事カレドニア王都にたどり着き、カレドニア国王陛下にお会いするまでは、どうかこのジュラの言葉どおりに。亡き陛下と、亡き我らが騎士団団長より姫のことは任されておりますゆえ、全力をもってこの私が姫をお守りいたします。ですから、どうか」


「わかっていますわ、勇者ジュラ。あなたのことは誰よりもたよりに思っています」


 一国の主に相応しい威厳さえ漂わせて、カンブリアの姫がゆっくりと瞼を閉じる。


「わかりました。――すぐに出立の準備を」


 姫が壁際に立つ侍女に視線を投げるとすぐに女たちは頷くようにお辞儀をして、そそくさと奥の部屋に消えた。それに感謝の意を述べて礼を取り、勇者ジュラが退室の旨を伝える。それを姫が立ちあがりつつ、呼び止めた。


「ジュラ、あたくしの身代わりをしてくれたという子に感謝を、貴方だけでも無事に戻ってうれしいと、伝えてちょうだい」


「はい。姫のおやさしいお言葉をいただけてその子も喜びましょう」


 姫が先に、侍女たちの消えた奥の部屋に消えて、男二人がその扉の前に守るように立つ。それを見届けた勇者ジュラが部屋を辞した。


 ――カンブリアの姫はカレドニアの王に助けを求めたのか。


 求めたのはその身の安全と姫としての生活だろうか、それとも国再興の助力だろうか。魔王としてはどちらでもよかったが、オルドビスがカンブリアの姫の命を狙っているとすればおそらく、後者だろう。


 オルドビスはおそらくカンブリアの滅亡を機に、その領土を手に入れようと企てたに違いない。

 そのオルドビスが、他国で暮らそうという少女一人を執拗に狙うはずがないのだ。たとえカレドニア側が姫一人の保護を理由にカンブリアの領土権を主張しようが、先に占領してしまえば外からの声などいかようにも撥ね退けられる。

 しかし、カンブリアの姫がったとなれば話は違ってくる。

 カレドニアの助力を得ていることも厄介だが、何よりも厄介なのは、占領したはずのカンブリア領内で民たちが決起することだろう。

 領の内外から攻められてはなすすべもなく、領土を拡大する絶好の線引きごっこから撤退せざるをえなくなる。となれば、カンブリアの姫がカレドニアの王に会う前にオルドビスはなんとしてでもそれを阻止しようとするはずである。


 ――だが、それもすべては無駄なことだ。


 あと一年もすればカンブリアは完全に魔王領となる。そこにはオルドビスはおろか、カンブリアの民すらいないだろう。


 勇者ジュラが廊下を曲がった。そこに少年の姿があった。

 曲がったすぐそこの壁に寄りかかるようにして、目を赤く腫らした少年が所在なさげにうつむき加減で立っている。

 少年は驚いたように勇者ジュラを見ると、彼を待っていたのか、途端、顔がくしゃっと歪んだ。

 そのまま師匠と慕う男に抱きつく。


「……男の子がたやすく泣くものではない。ハクア?」


「ししょぉ、魔王をたおして……っ。魔王を倒して……!」


「――分かっている。お前の家族の仇は必ず討ってやろう。だが今は、――分かるだろう? 私はカンブリアの宮廷騎士団の騎士だ。姫を無事にカレドニアの国王様のもとへお連れし、国の再興を果たさなければならない。――大丈夫だ。私とて、魔王軍によって奪われた多くの仲間や、団長、陛下のことを忘れたわけではないんだ。いずれは必ず、倒す。人々や世界の平和のためにも生かしておいてはならない存在だからね、魔王は。――だから、ハクア。泣くのではない、男の子だろう?」


 頭を撫でられて、離れるように諭された少年が、コクコクと頷いてしゃくりあげながら涙を拭った。

 そこにいる少年は、強さの欠片も見当たらない、弱さばかりの存在だった。


 分かる。勇者ジュラは少年の絶対の信頼を得ているのだ。


「そうだ、ハクア。姫様からお前にお言葉をいただいた」


「シルル姫様が、おれに……?」


「そう。姫様はお前が身代わりになってくれたことを、とても感謝しておられたよ。それと、多くの騎士たちを失ったのはとても悲しいが、お前だけでも無事に戻ってくれて嬉しいと」


 言伝に少年の顔にわずかな笑顔がさす。

 よほど嬉しいのだろう、完全に涙を止めて頬に残った痕を袖口で拭う。つり目がはっきりと顕れた。


「私もお前には感謝している。ハクア、お前が姫の身代わりを引き受けてくれたおかげで、こうして姫様は無事にカレドニアに入ることができた。すべてお前の功績だ」


「そんな……、おれはただ、師匠と姫様の役に立ちたくて。おれこそ、うれしいです!」


 そこで、目元の厳しさは緩和されていたが、まだ十分厳めしい顔だった男の口元にわずかに笑みがのぼる。少年がそれに当てられたように笑顔を取り戻して続けた。


「それに、おれがこうして戻ってこれたのは……トリアスのおかげだし」


 自分の名が出てきて魔王は驚いた。やはり慣れない。呼ばれるとざわざわする。


「トリアス?」


 はじめて聞く名に勇者ジュラが眉を顰め、魔王はそれ以上に眉を顰めていた。

 胸がざわめいて、不快感をもよおす。容易く呼ぶな、と低く吐き捨てていた。


「あの魔物討伐人のことです、あの人がいなかったら……。――あ! でも、おれの命の恩人は師匠です! 師匠が助けてくれなかったら、おれ魔物に食われてたし! トリアスには感謝はしてるけど、それは師匠のとは別で。おれ師匠のほうが好きだし!」


「――ハクア」


 勇者ジュラの眉間の皺が深まったのに慌てて弁解をはじめた少年は、師匠に真剣な眼差しを向けられて、ぐっと押し黙った。


「あの男を信用してはいけない。魔物討伐人とはいえ得体が知れないのは確かだ。姫の命を狙うオルドビスの刺客である可能性もまだある。魔物討伐人が人間の暗殺を請け負うことはないというのを逆手にとっての罠かもしれない。だから私は、あえてあの者に姫のことで嘘の情報を流した。これからもそれとなく嘘の情報を掴ませるつもりだ。あの男がオルドビスと繋がっているなら、逆にあの男を連れていれば情報操作でオルドビスを攪乱かくらんさせることができる」


「――でも……。トリアスがオルドビスの刺客なら……、仲間を平気で切ったりなんか……」


「国境で待ち伏せていたのは傭兵のようだったのだろう? ――ならば、信用させるために斬ってみせるくらいはするはずだ。――とにかく、ハクア。お前はあの男には近づかないようにしなさい」


「……はい」


 返事をしてうつむく少年の頭を、いい子だと勇者ジュラが撫でる。

 魔王はそれを眺め、不意に笑った。


 ――さすが勇者と呼ばれているだけのことはあるな、計算高い。


 魔王はそっと目を開いた。

 肉体から切り離して精霊を媒介に飛ばしていた感覚を戻せば、そこは窓のない部屋の中だった。そこで何が可笑しいでもなく腹を抱えるように笑って、息を吐く。

 腹に吐き出し難いしこりがあるかのようだった。


「セッカイ」


 虚空に呼びかければ、すぐにそれが現われた。やわらかな半透明の毛皮をもつ魔族。


「オルドビスの人間を見つけ次第、それとなく情報を流しここに向かわせろ。オルドビスの人間にカンブリアの残党どもを襲わせるんだ」


「御心のままに」


 従順な魔王のしもべは何を問うでもなく、すぐに消えた。

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