第5話 魔物討伐人

「詳しい状況報告はあとで聞こう。……それより、――見ない顔だな。何者だ?」


 唐突な疑問は厳めしい男から、不躾ぶしつけな視線とともに向けられた。

 はじめから向けられていた不審者に対しての、警戒をあらわにした容赦ない視線である。

 周りに居並ぶ男たちが驚くのが空気で伝わった。それをせせら笑って、魔王は悠然と腕を組んだ。


「――っ師匠! その人はおれを助けてくれたんだ!」


「どういうことだ? ハクア」


「アンスズの山中で、助けてくれたんだ。すごく、強かった。二十人もいた敵を一人で……。それに、騎士のフリをして、姫の身代わりをしてたおれと国境まで越えてくれて」


「そしてお前を此処まで送ってくれたのか?」


 男にしがみついて弁護していた少年が頷くと、男がすっと手を振った。それと同時に左右の男たちが動いて魔王を取り囲んだ。

 あっという間に腰の剣が奪われ、丸腰にされる。


「師匠!」


「ハクア、お前は下がっていなさい。――どこの手の者だ。何の目的でこの子に近づいた」


 男の問いに、やましい目的あって少年に近づいた魔王としては笑わずにはいられない。


「触るな」


 他に武器を隠し持っていないか身体検査をする男を押しのけて、少年を背に追いやった厳しい男と相対する。


「何のことだか分からんな」


「オルドビスの手の者か? この子一人を生かして助け、恩を着せ、この子を手伝うフリをして、姫のもとまで案内させたのだろう。だが、残念だったな。姫はすでに此処より南の街に発たれて此処にはおられない。無駄足だ」


「――……それはつまり、この私がオルドビスの刺客でありカンブリアの姫の命を狙っていると?」


 近づいてくる男を挑発するようにせせら笑えば、男が目の前で剣を抜き、その切っ先を目の前に突きつけてくる。


「違うとは言わせない」


「違う」


 間髪入れない即答で、疑いばかりかその切っ先さえも退け魔王は侮る視線で、男を見やった。

 何を愚かに勘違いしているのか、と。


「人間になど興味はない。か弱い小娘ひとり殺して何が楽しいというのだ。理解できんな」


 魔王の発言にその場の――カンブリア宮廷騎士団の――男たちが気色ばむ。

 手ひどい侮辱にいますぐにでも握り締めた拳で殴りかからんばかりの怒気である。

 それは、厳めしい男の後ろ、うかがうように顔を出していた少年の顔にもあった。


 ――小娘一人にどれほどの価値があるというのか。それこそやはり理解できない。


 魔王は挑発するように小馬鹿にした視線を周りの男たちに向けた。

 それに数名の男がたま堪りかねたように怒声をあげ、魔王に殴りかかってきた。それをすんでのところで別の男が止める。

 すぐに広間は乱闘騒ぎのように騒然となった。

 それを魔王は愉しげに眺めていた。まったくもって馬鹿馬鹿しい。


 不意に足もとで影が揺らぐ。囁きが音もなく耳を打った。


「――魔王様。人間どもの信を得るがため、この命お使いください――」


 直接頭に響いた声の余韻とともにすぐに気配が消える。それと同時にどこからともなく悲鳴が上がった。

 それまであった騒がしさとは質の異なる騒がしさがたちまち辺りを呑み込む。

 男たちが色めき立った。


 突然、後方の扉が開かれる。

 全員がほぼ一斉に剣を抜き払って構えた。


「大変ですっ、ジュラ様! 魔族が突然……ッ! ――ぐぁッ」


 現れたのは一人の男で、必死の形相で叫んだと思えば、次の瞬間には扉の枠の外に消えていた。

 報告した男に横から飛んできた別の男がぶつかり、もろとも吹き飛ばしたのだ。

 まるで物が物にぶつかったようなそんな具合だった。飛んできた人間はおそらく、もう物だっただろう。


 すぐにそれは姿を現した。

 扉の枠のうちにのっそりと長い耳と巨体が入ってくる。それが人間を物のように投げたのだと一目で分かる。

 筋肉質で灰色の毛皮をかぶった赤と紺色のオッドアイをもつ魔族。愛らしさの欠片もない、兎の怪人だ。


「まさかカンブリアの宮廷騎士団がこのようなところにまで逃れていようとは。どこですか、カンブリアの姫は? 亡国の残党などひどく目障りですからね。消えていただこう。我らが魔王様は見苦しいのがお嫌いな方なんです」


 兎の怪人は高笑いをあげて、切りかかってくる騎士の男たちをものともせず次々にねじ伏せ、腕を折り足を折り首を折って地面に沈めていく。

 厳めしい男の視線が一瞬、魔王に向けられた。貴様が連れてきたのかという疑いの視線だった。

 魔王はそれに不敵な笑みを返し、近くの男の手から剣を奪い駆け出した。


「――あっ、貴様!」


 男たちの中を縫うように走りぬけ、投げつけられた男の体を避け、一気に兎の怪人と間合いを詰める。


 はじめの一撃は相手の爪に防がれた。魔族の爪がいくつか飛び、代わりに魔王の手が衝突の衝撃に痺れる。

 続いての打撃は魔族のほうからだった。咆哮にも似た雄叫びを上げて兎の怪人が腕を振り上げる。その両目が血走っていた。本気だ。

 巨体の魔族の咆哮に男たちがたじろぐ中、魔王は剣を構えた。まともに受ければたちまち剣を払い飛ばされる本気の一撃を、受け流すようにして、隙をうかがう。


 ――……安らかに眠るがよい。


 一瞬だった。

 何度かの打撃を受け、魔王は体を反転させる要領で剣を薙いだ。その切っ先が正確に魔族の首を捉えている。

 一瞬後には兎耳の頭は地面に転がっていた。


 その場の多くが息を呑む気配があって、残された巨体がかしぐ。

 ドタンと魔族の体が床に倒れた音に一秒遅れて、歓声があがった。

 勝利の雄叫びのような歓声とともに、数人の男たちが馴れ馴れしく魔王の肩を抱いてくる。それを一人一人迷惑げに振り解きながら、魔王はブロンドの男を振り返った。

 その後ろでは少年が大きく目を見開き、たった今、魔族を退治したばかりの男を凝視めていた。


 魔王と厳めしい男の火花の散るような視線の交わしあいに、周りの男たちが静まりはじめる。

 魔王は魔族の血のついた剣を男の足元に投げ捨てた。

 男がそれを拾う。


「……貴方は、魔物討伐人か?」


「……そうだ。カンブリアの滅亡を知って流れてきた」


 たちまち周りの男たちが眉を顰め、魔王を遠巻きにする。


 魔物討伐人は、魔物を退治することで報酬を得、それを生業としている人間のことである。

 古くは傭兵の中から派生した魔物退治を専門にした剣士や戦士たちのことであったが、今では傭兵とは区別される一つの職業として確立されていた。魔族側としても侮り難く迷惑この上ない存在だ。


 ただ、騎士たちの反応をみるようでは、社会的に認知されてはいないようである。

 おそらく同じ魔物を退治する存在が社会的に英雄として存在しているからだろう。

 言わずと知れた、勇者である。

 勇者との違いは有償か無償か。同じ報酬を受け取るにしても、それを当然の権利として受け取るか、感謝の気持ちとして受け取るかの違いだ。

 弱者の弱みに付け込んで金をせびる存在として、覚えはよろしくないというところか。

 だが、どれほど強い力を見せ付けても勇者に祀り上げられる可能性が皆無というところでは、魔王にはひどく好都合な職業だった。


「その魔物討伐人の貴方がなぜ此処に?」


「退屈していたからだ」


 どこを目的地にというわけではない流浪の身とすれば説明はそれで十分だった。

 魔物討伐人は自由意志でどこにでも流れる流浪人だ。


「……――その魔族の報酬は払おう。金を受け取ったらすぐにでも此処から消えてくれ」


 ブロンドの男が吐き捨て、踵を返して言う。長いブロンドの髪が背で揺れて、まるで追い払うかのようだった。


「悪いが、私は此処が気に入った」


 魔王の一言に、少年を伴ってこの場を去ろうとしていた男の背が止まった。


「此処に姫がいようといなかろうと、此処にいればまた魔族が現われる。何せカンブリアの姫は他国ばかりか魔王にも命を狙われているようだからな」


 少年が不安げに男を見上げ、男の手がその頭を撫でた。

 男が振り返る。


「私はまだ貴方がどこかの犬ではないと、信じたわけではない」


 魔王はそれに不敵な笑みを返した。

 再び背を向け立ち去る男に促されて少年も立ち去る。


 広間を出るとき、少年は一度魔王を振り返り、じっと見詰めるような視線を向けて扉の向こうへと消えた。

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