第3話 弱く幼い少年
最後の一人を切り捨て、魔王は少年を振り返る。
口をぽかんと開けて見入るその少年に、不敵に笑んで見せると、少年は無意識とばかりにその口を動かした。
「強い……」
純粋な賛美だった。
魔王は当然だとせせら笑う。魔王は絶対的強者として生まれたのだ。強くて当たり前である。
ふと少年が我に返ったように驚き、少し照れたように視線を逸らす。
魔王には少年が自分の美貌にあてられたのだと分かった。自惚れるでもなく、魔族たちもよくする反応だったからだ。魔王は苦笑し、剣を鞘に収めて、座り込んでいる少年に手を差し出した。
「命拾いしたな」
「……あんたは何者だ?」
目の前に差し伸べられていた手を睨んで、少年がぶしつけに言う。
反応としては悪くない、と内心でほくそえんで魔王は愛想笑いを浮かべた。
「助けてやったというのにずいぶんな挨拶だな」
差し出した手をさらに前に差し出すと、少年はぷいっと横を向いた。
「べつに、助けろなんていってないっ」
「それは異なことを。私が助けなければ確実に殺されていたようだったが?」
よもや死にたかったわけではあるまい、と問えば緑の目の縁にわずかにだが涙が溜まるようだった。
仲間との殉死を願っていたその図星を指されてか。自分だけが生き残った事実を痛感してか。仲間への哀悼か。申し訳なさか。それとも純粋に今生きていることへの遅ればせながらの感慨だろうか。
しかし、次の瞬間にキッと向けられた緑の目に揺れていたのは魔王が予想したどれでもなく、怒りだった。
怒りの形相の少年が魔王の手を叩き払う。
「そうだっ、おれは死にたくなかった!」
力の限りの
「っ……でも、それはみんなだって同じはずだったんだ……っ、なのにおれは今生きてるのがうれしいって、思って……っ! ――あんたに、どうせならもっと早く助けてくれればって……っ! そんなこと思った自分に腹が立つんだ!!」
助けられて嬉しいくせに助けられたら助けられたで、もっと早く助けてくれれば他にも仲間が助かったはずだと感謝すべき恩人に怒りを覚えた、その身勝手さに腹が立つ。
そう少年はわめき立てて泣き出した。
十二歳くらいの子どもの癇癪を目の当たりにして魔王は驚き、うろたえた。
魔王は子どもと接するのが初めてだった。
彼が今まで相対してきたのは、魔王である彼を魔王だと知り、すぐに服従の姿勢を見せてきた者たちばかりである。
訳の分からないことを喚き立てて、半狂乱な泣き声をあげ、感情だけに支配される生き物を知らない。
――なんだ、このうるさい生き物は。
しまいには地面の土や石を魔王に対してひっきりなしに投げつけ、泣きわめく少年に、魔王は戸惑い苛立った。
いますぐこの場で首をひねり、黙らせてしまいたくなる。
――煩わしいな殺してしまおうか。
これでなくとも次を探せばいいだけの話だ。――……いや。
勇者を育成するというゲームはもう始まっている。これを投げ出すにはまだ早い。
「おい」
「なんで助けたんだよっ!! おれだけっ、どうして……っ!」
なおも土と石が飛んでくる。
気付けばすぐ間近に魔族たちの気配があった。少年の魔王に対する非礼に憤っているのだろう。
いまにも少年を殺さんばかりの殺気を感じる。それらに、鎮まれと視線だけで鋭く命じ、魔王は少年の腕を掴んだ。
――仲間とともに殉死したかったのか? そういうことなのか?
だが、今生きているのが嬉しいと言っていた。
理解に努めようとしたが、やはりその感情は理解できない。
魔王はなおさら苛立って、掴んだ腕を引き上げ、力ずくで立ちあがらせた。
「黙れ、うるさいッ」
一喝すると、それまでうるさかった少年がビクッとなって静かになった。
――なんだ、これでいいのか。
魔王が安堵したのも束の間。
今度は少年の目から滝のように涙が流れて、しゃくりあげ始めた。
「ご、ごめんなさ……っ、ごめんなさい……っ」
それはさらに魔王をうろたえさせ、困惑させた。
匙を投げるように少年の手を離し、魔王はその場でうずくまって、どうしてか呻き声を上げて頭を抱えたい気持ちになった。
今までならば煩わしいものはすべて殺せばそれでいいのだが、これはまだ殺さないと決めたものだった。
その煩わしさをどうすればいいのか、完全に持て余してしまったのだ。
――私はこれを何に育てると……?
自分の決断の途方のなさに自嘲の笑みさえこぼれる。
何を見込んで勇者にしようなどと思ったのか。
魔王は少年を見上げた。そこにいるのは、強さの欠片もない惨めな弱々しい生き物だった。
目を細め、魔王はどうにか納得する。
この弱さは幼さだ。ならば育てればいい。はじめからそのつもりだったはずだ、と。
「思いきり泣けばいい。無力さは力になる。悔しさは強さになる。ならば泣け」
そのために必要な時間なのだと思えば、煩わしさも耐えられないでもない。
魔王の言葉を受けて、少年のしゃくりあげが号泣になる。
しばらくそれに無言で付き合い、魔王は少年が泣き止もうと涙を拭い始めたのを見て、手伝って手のひらで涙を拭ってやった。
もう落ち着いたかとその顔を覗き込めば少年が照れたように赤面してうつむく。
「あ……ありがと」
ぶっきら棒な感謝の言葉に冷笑して、魔王はわざとらしく辺りを見回した。
「それで、何がどうなっている。なぜ男のお前はそんな格好をしている? ――それに、倒れている中に何人かカンブリアの宮廷騎士団の者がいるようだが」
通りすがりに助けて、その状況の奇異さに訊かずにはおれないという風に魔王は問うた。
その問いに少年が戸惑いを浮かべて視線を斜め下に彷徨わせた。
「私はお前を助けた。訊く権利はあると思うがな?」
「――……、言えない……。っごめんなさい!」
言って少年が魔王の脇をすり抜ける。国境のほうへ向かって道を駆けていくようだ。
そのまま行かせてなるものかと焦り魔王はその背に投げかけた。
「当ててみせよう」
少年の足が止まる。
「お前は誰かの身代わりになった。――カンブリアの宮廷騎士団が守る存在とすれば、カンブリアの姫だな。本物を逃がすための身代わりか? そうだとすれば、本物は此処とは違う別ルートを使っているということだな」
はじめから見て聞いて知っていたことを、いかにもこの場の状況証拠から推理してみせたという口ぶりで言う。
少年は驚いたように振り返り、魔王の顔を凝視した。
強い疑いの目だ。
魔王は軽く肩を竦めてみせた。
「勘違いするな。私はカンブリアの姫になど興味はない。――だが、ひとつ訊く。その姫が安全なところまで逃げ切ったという確信はあるか?」
魔王には確信があった。姫が国境を越えたことにではなく、先ほど少年が敵に対してそう宣言したのが、ただのハッタリだという確信が。
あれは敵を自分にひきつけるための嘘だ。姫が別ルートを行っているならば、国境を越えた確信など得られるはずがない。
案の定、少年が小さく首を振る。
「……姫様の部隊は……おれたちのあとに出発したから、まだ国境をこえてないと思う……」
「ならば、まだ身代わりは必要なわけだな」
ほくそえみ、魔王は足元で倒れていた男が手に握っていた巻き毛を掴み取り、少年がかぶっていた布を拾い、どちらも少年の頭にかぶらせた。
「なん……っ?!」
驚く少年に構わず、騎士たちの中から汚れていないマントを探して剥ぎ取った。
隻腕の獅子の刺繍をいただくマントをまとって、魔王は少年を振り返る。
「付き合ってやろうというのだ。その身代わりという茶番劇にな」
それが魔王の考え付いた、その少年についていくための苦肉の策だった。
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