第2話 勇者候補との出会い

 魔王は黒い優美な鳥に姿を変えて空を飛んでいた。

 進路は西。魔王が滅ぼした国々がある方角だった。


 フェイヒューの森を抜けてすぐ、眼下に人間のものと思われる瓦礫と化した集落の跡がいくつもあって、そこから延びる平原に曲線を引いたような道の跡を、迷路でも楽しむような感覚で辿っていく。

 フェイヒューの森から離れるにつれて集落は規模を大きくし、山や別の森が近くなればまた小さくなった。

 道は時折、ぷつりと途切れ、時には山を蛇行して登り、時には森を貫いて、どこまでも延びている。

 そこを辿ればそのうち、まだ瓦礫ではない集落にたどり着くだろう。

 目指しているのは、生きた人間が多くいるだろう、大きな都市だ。


「魔王様。どのような者をお探しですか?」


 黒鳥の後を追うようにして、数人の空を駆れる魔族が従っていた。

 羽のある者や、風になれる者。空を飛ぶ、あるいは泳ぐ能力のない者たちはそれぞれの方法で魔王の後を追っている。

 全身に光沢ある孔雀色の羽毛が生え、背の鮮やかな色彩の羽で飛んでいる魔族に、ちらりと黒い視線を投げて、黒い鳥はくちばしを震わせた。


「人間がよい。――魔族や幻獣や、その他の何の血も混ざっていない純粋な人間が。それも精霊が目をつけていない魔力の弱い、な。ただの脆い人間がよい。そのほうが育て甲斐があろう?」


「では、東に進路を取ったほうがよろしかったのでは? 今はあちらのほうが人間が多いでしょう」


 頭髪に当たる部分が孔雀のもつ尾のような飾り羽で、比喩するなら孔雀の怪鳥というところの魔族が、眼下の瓦礫を示して言う。

 ちょうど、数日前に陥落し、人間を一掃したばかりの強大国カンブリアの王都の上空であった。

 わずかな砂塵にまぎれて、上空まで焼け跡の焦げ臭い匂いや言い難い臭気が届いている。

 背後では数人の魔族たちが息を詰まらせるようなうめき声をあげ、顔をしかめている。

 カンブリアの王都は円形の城壁に囲まれ、端から端まで通り過ぎるまでにずいぶんとあった。その中央に王城がある。

 綿密な都市計画の存在をうかがわせる街並だった。しかしその街並も残念ながら今は崩れ去り、廃墟となっている。


「こちらでよい」


 乱れた街並を眺めやって黒鳥は呟いた。

 こちらのほうが魔王を憎む人間が多い。非道を行った魔王を殺すことに何の疑問ももたないばかりか、それに正当性や正義さえ見出しやすい。勇者が育つには自然で、い環境ともいえる。


 カンブリア王都から四方八方に続く道の一つを選んでさらに辿る。

 はじめて生きた人間の姿を見たのは、国境となる山を越える街道の中ほどだった。

 広い道で、上空からは木々が避けて、山に切り込みが入っているかのようである。そこを馬に乗ったものものしい武装をした人間が数十人、細長いひし形のような隊形で進んでいた。


「魔王様。あれはカンブリアの宮廷騎士団のようです。見てください、マントに隻腕の獅子の紋章が。生き延びた残党でしょうか」


 魔族のひとりが報告をよこす。

 背中に、腕の無い獅子の刺繍を背負った騎士たちの隊列はひどくゆっくりとした足並で、カンブリアの隣国であるカレドニアを目指しているようだった。

 失業した騎士たちが、経歴を背に、隣国へ再就職先を探しに行くところだろうか。国を守れずさらにはおめおめと逃げ延びた不名誉な経歴を背にしている騎士たちが果たして雇われるかどうか疑わしいところだ。

 勝手な想像を含まらせつつも、落ち延びた騎士たちにそれ以上の興味もなく、過ぎ去ろうとした。


 その時である。

 隊形が不意に乱れた。グシャと形が崩れて、ひし形の枠組みを形成していた幾人かが馬ごと横倒しに倒れた。おそらく道の両脇から弓で射られたのだろう。

 騎士たちが混乱して隊列の動きが止まると、道の両脇の木々の中から剣や槍をもった人間があふれ出てくる。

 奇襲だ。待ち伏せていたのだと分かる。

 騎士たちはひし形だった隊列の中心辺りを背に守るように戦っている。

 今し方来た方、後方に道が開けた。同時にすぐさま、中心で明らかに何かを守っていた部隊が素早く後退をはじめる。


「魔王様っ。お待ちください!」


 高度を下げて近づいてみれば、数人の騎士たちに守られて中心の騎士が腕の中に何かを抱きしめて馬を駆っているのが分かる。

 布を深々とかぶっている何かだ。大きさや布の形から、おそらく子どもくらいの人間だろう。

 後方を守っていた騎士が突然うめき声を上げて落馬する。背後には馬に乗った敵が弓を射ながら追ってきていた。おそらく、道の先に潜んでいた部隊だろう。完全な罠だ。


 次々に騎士たちが倒れ、ついに中心の騎士の背にも矢が突き刺さった。

 その場に砂塵を巻き上げて馬ごと横倒しに落馬する。

 布をかぶっていた人間が地面に投げだされて転がり、慌ててその周りに、無事だった騎士たちが馬を捨て駆け寄った。

 魔王はさらに高度を落として、一部始終を見られる近くの木の枝に止まった。


「魔王様」


 気配も姿も自然に紛らせて、魔族たちが同じ木に宿る。


「大切そうに、どれほどの者を抱えていたのかと期待してみれば。――見てみろ。あれはただの人間ではないか」


 騎士たちに助け起こされたのは、栗毛色の巻き毛に、緑の目をした十二歳くらいの、装飾品で身を飾り綺麗でヒラヒラの裾の服を着た人間だった。


「魔力もほとんどない出来損ないだ。あんな子どもにどれほどの価値があるというのだ? 人間とは殊の外、面白い種族のようだな。あれが魔族や幻獣ならば、すぐに


 自然によって、あるいは意図的に。

 それとも今まさに、そのが行われようとしているのだろうか。

 すぐに敵が追いついてきて、騎士たちとその少女を取り囲んだ。


「姫は我らカンブリア宮廷騎士団が命にかえてもお守りいたします!」


 ひとりの騎士が少女を背に声を張り上げる。取り囲む敵がほくそえみ、この状況が彼らにとって罠の成功であることを物語った。


「残念だが、シルル姫様にはここで死んでいただく。恨みはないが、金をもらっててね。生きててもらっては都合が悪いそうだ」


 すぐに数名の騎士たちと、その倍以上の敵――その姿は主の居なさそうな剣士や戦士で、いかにも雇われ傭兵といういでたちである――との斬り合いが始まる。


 一人、二人とカンブリアの騎士たちが地に沈む。


「さあ、逃げるか。カンブリアの姫。残りは四人しかいないぞ」


 魔王は楽しげに事の成り行きを見守っていた。

 一人また切り殺される。


「逃げればいい。魔力もない非力なお前には逃げることしかできないはずだ」


 出来損ないの主をいただく騎士たちを嘲けるように囁く。

 魔族の世界も竜の世界も幻獣の世界も、動物の世界でさえ、群のリーダー的地位にあるものは絶対的強者でなければならないのだ。なぜなら群のリーダーとは群の仲間を他の群から守らなければならない義務を負うからだ。群のリーダーが最も弱いなど聞いたことがない。


 魔王は、カンブリアの姫は必ず逃げ出すと思っていた。人間の世界以外では間引かれて当然の存在が、他を犠牲にして生き延びようとするのだろうと嘲りを持って。


 また一人切り殺される。

 さらにもう一人。

 最後の一人が切られた。


 ――なぜだ?


 カンブリアの姫はまだそこに居た。敵に四方を完全に取り囲まれて。

 ただじっと堪えるように目を見開いて、悲鳴の一つさえあげず、ただその場で殺されていく騎士たちの死を見届けていた。

 傭兵の、剣ではなく手がカンブリアの姫にのびた。捕まえようという行動に目的が知れる。

 いくつかの手が伸びて、怯えて身を固める姫を掴んだが、彼女は声をあげなかった。代わりに一番手前の傭兵がくぐもった声を上げた。


 魔王は自然とすがめていた目を見開いた。魔王の目の前で、傭兵がひとり崩れ落ちる。


 何の力もないはずの無力な少女のはずだった。傭兵を殺す力などあるはずがない。


 傭兵は最後の足掻きとばかりに少女の巻き毛を掴んでいた。どうしてか、それが、ずるりとすべり落ちる。

 巻き毛ごと地面に倒れた傭兵の腹は血で染まっていた。少女の手元には、真っ赤に染まった短剣が握られている。

 魔王は驚きに見開いていた目を細めた。

 魔王の視線の先にいるのは、栗毛色の巻き毛に緑の目の人間ではない。

 深い藍色の短い髪をした緑の目の人間だ。

 巻き毛は偽物だった。


「貴様ッ、シルル姫では……っ?! ――やられた……っ! 偽者か!!」


 偽者を掴まされたことに忌々しく吐き捨てた傭兵が咄嗟に後方、国境のほうを振り返る。

 それにつられるように傭兵たちが、本物の姫を探してか辺りを見回しはじめる。


「むだだ!」


 それを断じたのは少年の声だ。

 注意を引くような鋭さで響き、ことごとく傭兵たちの意識を奪い取った。

 傭兵がさらに忌々しげに、舌打ちする。偽者を掴まされたばかりか、その偽者が女ですらなかったのだ。


「姫はもう別ルートでカレドニアに入られたはずだ!」


 深い藍色の短い髪に緑の目の少年は、真っ赤な短剣を構えた。


「身代わりか」


 囁き、魔王は楽しくなって笑った。


 一言どころか悲鳴ひとつあげなかったのはそのため。逃げ出さず、じっと、しかし仲間を助けもせず、その死を見届けていたのはそのため。それが彼に課せられた使命だったからだ。

 短剣を握り締める手の力の込めように、仲間をただ見殺しにするしかなかったその葛藤がどれほどのものだったかが計り知れる。――悪くない。


「決めた。あれにする」


 いうや否や、魔王は黒鳥から人型へと姿を変えていた。

 意識すれば、すぐに組織が崩れ一瞬のうちに別な形を形成して再生する。

 魔王の城に居たときと同じ人間の姿だったが、服は軽装でマントもなく、全身黒であるのは変わらなかったが、高貴さを示すようだった光沢の布質は改まり、安物の、いかにも旅の剣士という風貌になっていた。

 長かった黒髪もさっぱりと短い。人間の世界に交ざるには、違和のない姿だ。


「ですが、魔王様っ。そのように容易く決められて――」


 よいのか、という問いに魔王は、木の幹から引っ張りだすように短剣を生成して、それを少年を襲う傭兵のほうへ投げつつ答えた。


「モノにならなければ殺し、次を探すまでだ。私には永遠の時間があるのだからな」


 だが、もちろんその育成には全力で挑むつもりだった。そうでなければつまらない。


 魔王は木から身軽に飛び降り、勇者候補と定めた少年に向かって駆け出した。

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