第25話 約束

 その日は雲が厚く、いまにも雨が降り出しそうな空だった。いくつもの足音、そして金属の音が二人の住むあばら屋に近づく。ただならぬ雰囲気にアサラは怯えながらザガンに抱きついた。


 金属音があばら屋の前で止まる。アサラが固唾を飲んで待っていると、控えめに扉を叩く音がした。

「私はソーカサスの王、センと申します。扉を開けて頂けませんか?」

 穏やかだがよく通る声。

「王様?」

 アサラがザガンを見ると、ザガンはコクリと頷いた。だから恐る恐る扉に向かい、ゆっくりと扉を開いた。

 そこにはアサラより2歳か3歳年上だろう、精悍な顔立ちの少年が立っていた。綺麗な衣に身を包み、だけど腰にだけは装飾用ではない使い込まれた短剣が下がっている。

 いかにも王族という姿をしたその少年を見て自分の姿が恥ずかしくなったアサラは、体を隠すよう胸の前に手を置いた。

「突然の訪問、申し訳ありません。私はこの国、ソーカサスの王センと申します。アサラ姫でいらっしゃいますか?」

 センは慇懃に問いかける。

「は……はい……」

 凛々しい少年王に見つめられ、頬を赤くして頷くアサラ。対するセンは優しげな顔立ちに似合わない、妙な緊張感があった。

「黒翼騎士ザガン殿がこちらにおられると聞いてやって来ました。面会をさせて頂く訳にはいきませんか?」

「は、はい、どうぞ……あ、でも部屋の中が汚くて……」

「いえ、大丈夫です」

「陛下……」

 ひとり中に入ろうとするセンを護衛隊長のグルードが止める。

「いい、ひとりで」

「しかし……」

 目の前でセンの祖父であるカサ王を暗殺されたグルードは気が気ではない。どんな事情があるにしろ、中にいるのはその犯人だ。

「これをひとりで終えないと、王の試練を終えたとはいえない。キミ達に守ってもらう資格はないから」

 哀しげで、それでいて頑なな王の瞳を見て、グルードはなにも言えなくなる。せめて防御魔法だけでもというグルードの提案もセンは拒否した。王の強い意志には、たとえエンジェの騎士であろうとも従うしかないのだ。


 センはあばら屋の中に入ると、薄暗い室内の奥にその姿を確認する。体の下半分がなくなり、左手を失ったザガンがいた。下顎は無く、目は開いていたが生命力は感じない。皮膚は所々石化が始まっていた。

 その姿を見ながら一歩、一歩と近づくセン。

「あなたの大剣を作った鍛冶屋からたどり、真相を知りました」

 奥まで来るとザガンを見下ろしながらセンは話し始める。

「父と祖父を殺害した真犯人を捕まえ、あなたがここにいることも、あの行動の理由もわかりました」

 精悍な顔立ちは崩れ、その瞳には涙が浮かんでくる。

「どんな理由があったにしても、あ、あなたのやったことは……とても受け入れることは出来ません……」

 センは震える声で吐き捨てるように言った。今でも祖父の血の温もりが手に残っている。

 その手で涙を拭うを、再びザガンを見下ろす。ザガンは力のない瞳で、センを見上げている。見つめ合う二人、再びセンの瞳から涙があふれた。

「……でも……あなたを憎むことなんて……ボクにはできないっ!」

 叫ぶように言って、センはその場に泣き崩れた。

 その姿をアサラは不安そうに見つめるけど、声はかけなかった。それは二人だけの大切な儀式だと思ったから。


 優しき老王を殺害したザガン。

 だけど、その理由を知り、そして一緒に旅した日々を思い出した時、センはどうしてもザガンを憎むことが出来なかった。

 自分を守り、導いてくれたザガン。限られた時間の中で出来る限り自分を成長させてくれたザガン。

 だから許した。誰よりも優しい王は、自分を裏切り祖父を殺したザガンを許した。

 ガチャ……。泣き崩れるセンの頭にザガンはそっと手をのせ、何度かその頭を撫でる。そしてその手を離すと、アサラを指さした。

 センは頷き、涙を拭きながら立ち上がるとアサラに向き直る。アサラは祈るように胸の前で手を合わせ、心配そうにセンを見ている。

「ボク……私はこのザガン殿に、多大なる恩を受けました。アサラ姫、どうかその恩義に対する礼を……いえ、交わした約束を果たさせてください」

 涙声のまま、センはアサラにそう言う。

「約束?」

「王都に住居と、生涯の生活を保証させてください」

「そんな……」

 アサラは困惑しながらザガンを見ると、ザガンはゆっくりと頷く。

「わたしが……わたしがその申し出を断ると、ザガンの名誉を傷つけることになるのですか?」

 ずっとどこか怯えた表情だったアサラは、背筋をただすと王族の持つ凛とした瞳で問いかける。

「はい」

 対するセンも若き王として曇りなき瞳で応える。

「わかりました、ありがたくその申し出を受けたいと思います」

「ありがとうございます」

 大国ソーカサスの王センは、今は何者でもない少女に深々と頭を下げた。

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