第24話 亡国の姫

 まだ10歳にも満たないその少女は、薄汚れたボロを着た浮浪児のようだ。しかしザザ民特有の浅黒い肌に、顔には王家の赤い紋様が描かれていた。そして何よりザガンの姉ササラやその娘ハムラの子供の頃によく似ていた。

「ッッ」

 何とか首を上げたザガンだったが口は破壊されて言葉が出せない。

「あなた、生きているの?」

 少女アサラは首をかしげて訊いた。

 コクッ。ザガンはうなずく。それでしか意志を伝えられない。

「その顔の紋様、ザザの国民だよね?」

 ザガンの目元にある三本の翼のような黒線を見て訊いた。

 コクッ。こんな状態の自分でもアサラはわかってくれた。

「ケガ……大丈夫?」

 片手で上半身しかないザガンを見てアサラは怯える様子もない。

 コクッ。ザガンは頷く。

「もしかして……こくよく騎士の人?」

 知っていてくれた。ザガンは神に感謝した。

 コクッ。ザガンは力を込めて頷く。

「もしかして……わたしの所に来てくれたの?」

 コクッコクッ

「わたしを守るために?」

 コクコクコクッ

 ザガンは何度もうなずく。

「その紋様のこと、お母様が教えてくれたの。ザザ王国にはフジミの騎士がいるって。私がピンチのときにはきっと助けに来てくれるって」

 するとアサラは満面の笑みを浮かべてザガンに抱きついてきた。涙が出そうな程うれしかったけど、ゴーレムの体であるザガンは涙を流せない。

「うれしい……わたし、お母様がいなくなってからずっとひとりぼっちだったから……」

 まるで泣けないザガンの代わりにアサラは目を潤ませる。

「これからはずっと一緒にいてね」

 アサラはザガンの耳元でささやき、ザガンは大きくうなずいた。


 アサラが暮らす家はそこから遠くなかったが、片手で這いずるザガンでは着くまでに時間がかかった。アサラは何度も手伝おうとしたが、少女の腕力ではどうしようもなかった。

「ここがわたしの家だよ」

 アサラは少し恥ずかしそうな顔をする。ボロボロで隙間だらけのあばら屋。床は土が剥き出しになっており、屋根は何とか雨がしのげるという程度だ。


 ザガンはその家の奥、藁の積まれた場所に置物のように置かれた。

「えっと、あなたの名前は……しゃべれないから無理?」

 アサラに訊かれて、ザガンは指先で地面に名前を書いた。

「えっと……ザ……ガン? ザガン?」

 文字はちゃんと教えてもらっていたようだ。ザガンは亡きアサラの母親に感謝した。

「あのね、こんなボロ家だけどけっこう快適なんだよ」

 家についてからアサラはずっとザガンの側にいた。

「いつもね、枯れ木とか木の実とかを売っているんだー」

 そしてザガンに話しかけ続けた。きっとずっと寂しかったのだろう。ザガンはしゃべれないことが悔しかった。

「ザガン、食事は?」

 質素ではあるが、思っていたよりちゃんとした食事を用意していた。アサラの話しでは行商中のザザ民から援助を受けて当面の食費を手に入れたそうだ。

 砕けた口を心配そう見ているアサラに、ザガンはゆっくり首を横に振って答えた。

「そっかー、お腹が減らないなんて便利だねー」

 アサラは笑顔でそう言った。


 夜も深くなりアサラはボロボロの毛布を持ってザガンのもとにやってきた。

「にひひ、ザガンの横で寝ちゃおう」

 アサラはいたずらっぽい笑顔を見せると、ザガンに体を寄せて横になる。ザガンの堅く冷たい体を気にした様子もない。

「ねえ、ザガン、まだ起きてる?」

 コツン

 右手の指で地面を叩く。

「ザガン、起きてる?」

 コツン

 アサラが眠るまで何度でも応えた。


「村にね、ザザの人が来ていて、色々くれるんだー」

 朝食に果物を用意しながらアサラは言った。国を失い流浪の民となったザザの民は、アサラが王族とは知らずともひとりで暮らす少女に何かと援助をしてくれているようだ。

「いつもね、枯れ木とか木の実とかを探しているの。わたし食べられる木の実いっぱい知っているんだよ?」

 お人形に話しかけるようにアサラはザガンに話し続けた。魔力を補充出来ないザガンはいつ死んでもおかしくない。気力で抑え込んでいる石化も少しずつ進んでいるので出来るだけ動かないようにしたけれど、それでもアサラが起きている時はその相手をした。


「背中がキレイな虫は苦かったけど、黒とか茶色のはあんまり苦くないんだよ」

 王族とは思えない劣悪な環境でも、アサラは明るくよく笑っていた。話し相手ですらない、ただ話を聞くだけの置き人形。それでもアサラにとっては大切な家族のようで、だからこそ何も出来ない自分が歯がゆかった。


 ザガンがアサラのもとにやってきて20日は経っただろう。新しい家族にも慣れたアサラのもとにあの男がやってきた。

「やあアサラちゃん、久しぶりだね」

 その男、モンゼは挨拶もなく家の中に入ってきた。小太りで中年の男の顔は、アブド司祭の水晶で見た。

「モ、モンゼさん、入ってこないで」

 アサラの怯えた声が扉の方から聞こえる。気丈にもザガンを守る為に家の中から追い出そうとしているのだ。

「そんなこと言わないで。お金欲しいでしょ?」

「い、いいです。今は困ってないから」

「お金はいくらあっても困らないでしょ。ほら」

「いいです! いらないです!」

 初めてアサラに強く拒否されて、モンゼは眉間に皺を寄せる。

「いいからいつものようにヤレよっ!」

 怒鳴り声をあげてアサラの肩を掴んだ。

「いやっ! いやっ!」

 アサラはモンゼの手を振り払い、勢いその手を引っ掻いた。

「このガキッ」

 バシッ。モンゼはアサラの頭をはたく。倒れて下半身が露わになったアサラを見てモンゼに邪な感情が生まれた。ずっと我慢してきたが、抵抗するようになってきたし、そろそろ頃合いかもしれない。

 モンゼは舌なめずりをすると怯えて見上げているアサラの体に手を伸ばした。

 シュッ

 その時、モンゼの鼻先を小石がかすめる。そしてジンジンと熱くなる。モンゼが鼻をさするとヌルッとした感触があった。

 血だ。

 モンゼは鼻の先をザガンの放った小石に削られていた。指先だけで放った小石でも、ザガンの腕力なら皮膚を削るくらいの破壊力がある。

「ヒッ……ひやぁぁぁ」

 少女のような悲鳴を上げるモンゼ。

 ズズ……。ザガンは這いずりながらモンゼに近づく。その両目には魔力が宿り獣のように赤く輝いている。

「うわっ! うわあああ!」

 置物と思っていたザガンが動きだし、モンゼは恐怖のあまり半狂乱であばら屋を飛び出していった。

「ザガン!」

 アサラは泣き出してザガンに抱きつく。

「グスッ……ありがとう、ザガンはちゃんと私を守ってくれたよ」

 泣いているアサラを、ザガンは一本だけの手で抱きしめた。


 それ以降、モンゼがやってくることはなくなり、二人の穏やかな生活が続いた。枯れ木や木の実を売ったわずかなお金と、時々やってくるザザの民の行商人からの援助でなんとか生活は出来た。

 貧しくも幸せな二人だけの日々。そんな生活はザガンがやってきて半年ほどで終わりを告げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る