第20話 神獣

 最後の村を出たあと、森を抜け、雪の積もった山の斜面を進む。多くのモンスターが襲ってきた。

ブラック・ノウ。

 黒い狼型のモンスターだが、姿も足跡も消して襲ってくる。直接的な襲撃だけではなく、姿の見えないブラック・ノウに襲われる恐怖と常に戦うことになる。


スノウワーム。

 雪の中から突然現れる大蛇の様なこのモンスターは、目がなく、牙だらけの丸い大口を開けて襲ってくる。大木のような巨体はクートの剣では切り裂くことが出来ないほど堅い。


オスホース。

 肌白い人型のモンスターで、人並みの知能があり氷系魔法を容赦なく使ってきた。セン王子は宣言通りつたない防御魔法と短剣で自分の身は自分で守った。

ザガンとクートはセンを気にしつつもモンスターに集中することでなんとか迎撃に成功した。


 敵はモンスターだけではなかった。進むごとに吹雪は激しくなり、積もった雪に足を取られる。三日三晩、ほとんど休憩することもなく歩き続けた。センは疲労が限界を超えていたが、それでも泣き言一つ言わなかった。

そしてついに……。


 白く染まった岸壁の隙間、神獣の住まう洞窟に到着する。洞窟の中は三人が十分に通れるほど広く、魔法なのかヒカリゴケなのか仄かに明るく松明の必要はなかった。外に比べて寒さ随分弱く、どこか清らかな空気が漂う。無言のまま三人は足を進めると、やがて大きな広間に出た。


 その存在は一見すると巨大な像のようだった。

 上空からの光に照らされ、神獣ホワイトドラゴンの白い体が煌めいている。以前倒したレッドドラゴンの3倍はあろうかという巨体はしかし、その瞳に深い知性を宿していた。

 しばし三人はその神々しい姿を無言で見上げていた。そして。

「我はずっと夢をみている。何度も何度も同じ夢をみている。ジオと初めて出会った日のことを……」

 まるで天空から降りてきたような声が響く。しかしホワイトドラゴンはここではない、どこか遠くを見ているようだった。

「あの者との約束がある限り、我々はこの国を守ろう」

 ようやくホワイトドラゴンはセンに瞳を向ける。

「センよ、若き王子よ、お前は誰よりも優しい。お前の優しさは、そのままお前の強さとなろう。だが、それ故お前は誰よりも傷つくことになる。それでも王になりたいのか?」


 カラル……カラル……。

 物心ついたころからずっと一緒にいた。従者と思ったことはない。父よりも母よりも近しい人。

 でも……。

 もうカラルの優しい眼差しも、温かい抱擁もない。


 センはグッと拳に力を込めて神獣を見上げる。

「はい」

 そして力強く答えた。

「センよ、お前が優しき王であるかぎり、我ら神獣はこの国を守護しよう。お前は今よりこの国の王の資格を得たと認める。さあ、片方の手を掲げよ」

 センは手をホワイトドラゴンに向かって右手を掲げた。その手の甲に神獣の紋様が刻まれる。


 こうして儀式が終わり、センは次期国王になることが決まった。ホワイトドラゴンは再び遠くを見つめる。また何度も見た同じ夢を見ているのだろう。


 センは丁寧に挨拶をして神獣の住処をあとにした。外はさっきまでの吹雪が嘘のように晴れていた。

「これで次の王はセン王子に決まったんだな」

 青い空を見上げて感慨深そうにザガンが言った。

「だけど生きて帰らなきゃ意味がないぜ」

 クートは厳しい表情で答える。

「この紋章があれば、ほとんどのモンスターは近寄ってこないから大丈夫だよ。それに帰りは国民の助けも借りられるし」

 センは二人に見えるように紋章を掲げた。だが、その表情に喜びも自慢もない、どこか大人びた表情になっている。

「そうだな、むしろ問題は暗殺者に気をつけて慎重に帰らないとな」

 クートは皮肉交じりにそう言った。


 晴れているとはいえ雪山だ、足を進めるのも楽ではない。とはいえあれほど襲ってきたモンスターは一切姿を見せなくなり、時間の制約もなくなった。三人は時間をかけ、休息を増やして雪山を下りた。

 あとは森を抜ければカラルの眠る村につく。そこからは国民の協力を得て、馬や馬車で王都へ帰るだけだ。

 しかし森の途中、先頭を歩いていたクートは立ち止まって振り返る。

「いやぁまいったね、本当に北の試練をクリアーするとはな」

 そして苦笑交じりにそう言った。

「クート?」

 様子のおかしなクートを不思議そうに見つめるセン。

「セン王子も可哀相だねぇ、最も信頼できるカラルは死に、残ったのは流民の傭兵と裏切りの騎士か」

「裏切り?」

「悪いが死んでもらうぜ!」

 ブンッとクートは抜きざま剣を振るう。

 だが、ザガンがセンの庇う。ガシュ。クートの剣はザガンの背中を切り裂いたが、体までは達していないようだ。

 ザガンはセンを後ろにやると、大剣を抜いて構えた。

「よせよザガン、あんたも強いが俺には勝てねーよ。モンスター相手ならともかく人間相手にエンジェの騎士が負けることはない」

「どういうつもりだ?」

 ザガンは眼光鋭く訊いた。

「フフ、俺はセン王子が試練をクリアーすれば、暗殺するよう依頼されていたのさ」

「そんな……クート……」

 ショックのあまり、センは言葉が続かない。

「どうして今になって?」

 そんなセンに代わって、ザガンが訊いた。

「北の試練の内容を出来るだけ知りたかったらしい。まあ、俺は途中で死ぬと思っていたんだけどな」

「誰? いったい誰がボクを?」

 涙目で問いつめるセン。

「わかるだろ? 今、北の試練の内容を知りたい人物が誰かなんて」

「そんな……」

 センの脳裏にヒムの幼い顔が浮かぶ。

 ヒムの為に北の試練を受けた。その為にカラルが死んだ。それなのに……

「じゃあヒムの母親が……」

「本人も知ってるぜ。『センにいちゃまが死んだら、僕が王様になれるね!』って嬉しそうに言ってたよ」

 ヒムの笑顔とカラルの優しい微笑みが頭の中で渦巻く。

「セン王子!」

 ザガンの叫びに、センは崩れ落ちそうな膝に力を込めて耐えた。

「下がっていろ」

 センは気力をかき集めて走り、木の影に隠れた。


 クートと対峙するザガン。

 一方は端正な顔立ちに実用的だが麗美な騎士の剣を構えるクート。一方は禍々しい黒ずくめの格好にすっかり使い込まれた大剣を構えるザガン。

 傍目に見れば刺客と王子を守る騎士は逆にしか見えないだろう。


「理由は他にもあるな? 試練を終えた今、正直に話して確実に王となるセンの味方になった方が、お前にとって利益があるだろう」

「ふふ、鋭いな。まあちぃっと私的な理由もあってね」

 クートはいつもの片手に剣を持つ構えだが、残った手に攻撃魔法は準備していない。

「ザガン、あんただけなら全力に逃げれば命は助かるだろうに」

「今さらセン王子を見捨てて逃げられる訳ないだろ」

「ふん、やっぱりな。あんた、ただの傭兵じゃないな?」

「……」

 ザガンは答えない。

「まあ、あんたが何者かなんてどうでもいい。ここで死んでくれた方が都合いいしな。流浪の民の正体は敵国の刺客で、セン王子を殺した。そんなあんたを俺が殺す。それですべてうまく収まるのさ」

「うまくいくかな?」

 答えるなりザガンは間合いを詰めて上段から大剣を振り下ろした。

 だが、クートは避けない。大質量のザガンの大剣を、クートは片手で持つ剣で易々と受け止める。

「なっ!」

 ザガンは驚愕しつつ、後ろに飛び退いた。

「ふふふ、あんたの真似をさせてもらったよ」

「真似?」

「ははは、誤魔化すなよ、派手に大剣を振るっているけど正体は魔法だろ?」

 クートは剣をその場で何度か剣を振った。

「さすが魔法大国の出身だけはあるな、剣士に見せかけて本当は魔法の実力者だろ? あの谷の底の光は大きな魔法以外考えられないからな」

「……」

 ザガンは無言。

「ようは浮遊魔法の応用だろ? 大剣の重さを魔法でコントロールして扱っていたのさ。確かに派手な演出だが、普通に攻撃魔法を使った方が便利だと思うぜ」

 そう言ってクートは剣にかけていた魔法を解除すると、左手の平を突き出しザガンに向ける。

「雷撃!」

 バリバリッと雷鳴を轟かせて、クートの左手から放たれた雷撃魔法がザガンを襲う。

 素早く右に飛んだザガンだったが、そこに向かってクートが間合いを詰める。横っ飛びながら大剣を振るうザガン、しかしクートはザガンの剣撃を簡単に飛び越えると、上からザガンの頭を狙って剣を振るう。

 さすがにエンジェの騎士だけあって、その剣速は速い。が、間一髪、ザガンは大剣の柄の部分で剣撃を防いだ。

 再び後ろに飛んで距離を空けるザガン。

「さすがエンジェの騎士だな。しかしそれほどの男が王を裏切り得るものとはなんだ? エンジェの騎士のトップにでもなりたいのか?」

「はっはっは、違う違う、どのみち俺はもう表舞台に立てないんだよ」

「どういうことだ?」

「話しただろ? 俺は人妻に手を出したって」

「それがどうした?」

「だからさ、もしかしたら、その子は俺の子供の可能性があるんだ。その子が北の試練をクリアー出来れば俺の血を受け継いだ者がこの国の王になる」

「なるほど、それが王の試練を終えたセン王子を裏切る理由か」

「セン王子の報償より魅力があるだろ?」

 そしてクートはザガンに斬りかかる。魔法剣士として印象の強いクートだが、剣の腕も超一流だ。

 ザガンは防戦一方。だが、クートは違和感を覚えていた。

 いくら魔法で補助しているにしても、エンジェの騎士の剣戟をここまで防げるものか?

 その一瞬の戸惑いをついてザガンが反撃する。腹を狙った蹴りをクートが避けると、続けて大剣を横に薙ぐ。準備なしに浮遊魔法は使えないので、最初のように剣でザガンの大剣を受け止めることは出来ない。

 クートは姿勢を下げて斬撃を避け、反撃に移らず後方に飛ぶと、目の前に大剣が下りてきた。反撃していたら体を真っ二つにされていただろう。クートはザガンの大剣のスピードを侮っていなかったのだ。


「ふふ、さすがに本気を出さないと無理か」

 クートは不敵に笑う。

「ほう、オレ相手に随分と舐めた真似をするんだな」

「エンジェの騎士は伊達ではないってことだ」

 そう言うとクートは何かの魔法を唱えて準備を終えると、再びザガンとの間合いを詰めて下段から剣を切り上げた。

 ザガンは大剣を振り落とす。最初に見せた浮遊魔法を応用した魔法を剣にかけているなら鍔迫り合いになる。

 だが、そうはならなかった。剣がふれあった瞬間、クートの剣の表面が爆発しザガンの大剣が弾かれる。

 腕が上がりガラ空きになったザガンの胴をクートの剣が横に薙いだ。

 斬った。クートはそう思ったが、切れたのは黒い革鎧だけだったようで、ザガンに変化はない。

 クートはブツブツと呪文を唱え、大剣を構える隙を与えず斬撃を繰り出す。防戦一方のザガン。無理矢理繰り出した大剣はクートに軽く避けられる。

 クートは避けると同時に大剣に手を添えて魔法を発動した。

 バリバリバリッ。激しい電流が大剣を通じてザガンを襲った。

 さすがのザガンも弾かれて大剣を落とす。強力な電撃魔法を受けても倒れぬザガンの首をクートの剣が向かう。

 ザガンは右手を上げてそれを防ぐ。腕ごと切り裂くはずのクートの剣はしかし、手甲にめり込んで止まった。

 剣速もパワーも十分だった。それがザガンの生身の腕に当たった瞬間、まるで鉄の塊にでも当たったかのような音がした。


 驚愕するクート。その隙をザガンは見逃さない。ザガンの左手がクートの首を掴む。だが、一瞬速くクートは防御魔法を張った。全身を魔法の光が包み、その光は鉄の鎧並みの強度を持つ。

 メキ……。だがザガンの左手はその魔法の鎧ごと潰していく。

「ガッ」

 喉を絞められ、クートの目が見開かれる。その顔は恐怖より困惑の表情だ。ザガンは大剣を魔法で軽くしていたのではない。もともとの腕力で振るっていたのだ。だが、それは人間のものを越えている。

 ならば筋肉増強とでも呼べる魔法か? いや、わざわざ普段から魔力を使って大剣を背負うメリットなんかあるのか? そもそも何故あんな大剣なのだ? インパクトだけの為に、あんな非効率な武器を使う必要があるのか?

 普通サイズの剣ならもっと速く振れる。剣としてならその方が有効だ。確かに大剣なら大型モンスターとも戦えるが、あの崖下で見せた魔法が使えるのなら、魔法剣士として売り込んだほうがずっといい。そもそもザザは魔法大国、剣士など……。

 クートはある伝説を思い出す。

「まさかお前はっ!」

 ゴキッ。だが、それを確かめることもなくクートは首を折られて絶命した。


 不安のなか待つセンは、一つだけの足音に気づき恐る恐る木の陰から覗く。それは全身黒く片手に大剣を持った大きな男。

「ザガン!」

 センは戦いを終えたザガンに駆け寄る。

「もう大丈夫だ」

 ザガンは片膝をつくと、優しい声でそう言ってセンを抱きしめた。

「ザガン! ザガンザガン……うう……うわああああッ」

「大丈夫だ。オレが絶対に城まで送ってやる」

 ザガンは何度もセンを慰めた。

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