第19話 毒の沼

「少し休もう」

 先頭を歩くザガンがそう宣言した。野宿と戦闘が続き、大人三人はともかくセンは明らかに疲弊していた。

「うん……」

 センは素直に従い、寒々しい道ばたの横に座り込んだ。

「セン様、どうぞ私の膝を使ってください」

「うん……ごめん……ありがとう、カラル」

 隣に座ったカラルの太ももに頭を預け、センは目を閉じる。眠っているのか起きているかはわからないが、そのまま動かない。疲れは見えるものの、美しい目鼻立ちのセンの顔をカラルは覗いていた。


「あの宗教、俺は好かん」

 今は亡きセンの父親ハル王は当時国教だったダム教を嫌い、ダム教の熱心な信者だったライラ王妃に対し、いつもそんな言葉を口にしていた。

 そしてついには信仰の自由を盾にダム教から国教を外したのだ。ダム教の信者は多く反発も強かったが、心も体も強きハル王を止めることは誰にもできなかった。

 ダム教のアブド司祭はとても優しくて、魔法だけでなく人として大事なことを色々と教えてもらっていたカラルはダム教が国教から外れたことに心を痛めていた。

 そんなカラルにアブド司祭はこう言った。

「あなたはセン様のためにだけに生きなさい。それがあなたにとって一番大事なことなのだから」

 ダム教のことよりも、魔法のことよりも、センのことを一番にと言ってくれたことがうれしかった。ライラを失った彼女にとって、それに代わる親の信頼をアブド司祭に寄せていた。

 だからこそ、やがてくる王の試練の勉強をアブド司祭から受けていた。長らく国教であり、その司祭であったアブドは王の試練に対する知識も多かった。

 それでも……想像より北の試練は厳しい。容赦なく襲い来るモンスター。厳しい自然。想像外のトラブル。とても四人で耐えられる試練ではなかったが、それでもここまでやってこれた。

 あと一日か二日で最後の村に到着する。旅の期限までの時間は少ないが、それでもまだ間に合う。

 いや、間に合わせて見せる。


 ふっと、何かが体を覆う感覚にカラルは目を覚ます。いつの間にか眠っていたカラルとセンに、ザガンは自分のマントをかけたのだ。

「ザガン様……私はどれくらい眠っていましたか?」

「ん? 小一時間くらいじゃないかな?」

 考えごとをしていたつもりだったが、随分眠っていた。魔力回復が追いつかないまま旅を続けていたので、カラルも疲れが溜まっていたのだ。

「その間……ずっと見守っていてくださったのですか?」

「ああ、まあな」

「ありがとう……ございます」

「気にすんなよ、カラルも少し肩の力抜いた方がいいぜ、あいつみたいに」

 ザガンが指さす方向を見ると、クートは鼻歌を歌いながら呑気に立ち小便をしていた。

「いえ、セン様が王になるまで……私は一時たりとも気が抜けません」

「王になった後はどうするんだ?」

「もちろん、その後も総てを捧げます」

「はは、それはずっと気が抜けないな」

「それで私は満足ですから」

「そうか……」

 その時、何故かザガンは少し寂しそうな表情をした。


 しばしの休憩のあと、再び旅を続ける。早く最後の村に到着したかったからだ。

「ここから道沿いと森を抜けるルートに分かれます。森を抜けるとかなり近道になるのでそちらを選びたいのですが」

 カラルはザガンに訊いた。

「試練の期限は?」

「余裕はありません」

「そうか……」

 ザガンは手を顎につけて考える。道沿いを歩いても、森を通ってもモンスターは襲ってくるだろう。出来れば早く村について、村から先の旅に向けてカラルの魔力を十分に回復させたい。最後は厳しい雪山だ、センにも十分な休息が必要だろう。

「なら森しかないな」

「はい」

 途中の休憩で思っていたより時間を取られたこともあり、誰も反対はしなかった。


 鬱蒼とした冬の森。ザガンは大剣をふるって道を作りながらすすむ。しばらく順調に進んでいたが、先頭のザガンが足を止めた。

「ザガン様?」

「沼……それも毒沼だな」

 ボコボコと泡立つ深い緑色の沼地が広がっていた。通れそうな地面はあるが、いくつも深そうな毒沼が見えている。そこに落ちればただでは済まないだろう。

「渡れなくはなさそうだが……」

 膝ほどまでの草に隠れて沼地の先までは歩けそうだ。周りを見渡しても迂回するには広すぎる。

「私が魔法で補助します」

 そう言うとカラルは全員に魔法をかける。毒沼から湧き出る毒を中和する魔法だ。

「クート、襲撃に備えて攻撃魔法の準備を頼む」

「わかってるって」

 そしてザガンを先頭に、しんがりはクートで沼地を進む。

 慎重に進むザガン。この場所このタイミングはモンスターの襲撃があると半ば確信している。そしてその読み通り、モンスターは襲ってきた。


 ブブブ、ブブブ。無数の羽音。

「チッ、備えろ!」

 ザガンは大剣を構える。すぐに敵の姿が見えた。

 ガフ。

 鷲ほどある大きな蜂のようなモンスターだ。その牙にも尾の針にも猛毒がある。30匹ほどのガフが上空から一行を囲む。

「ここで飛行モンスターか、やっかいだな」

 大剣を構えるザガンだが、足場が悪く、自慢の大剣も届かない。

「でかいわりに、素早いな」

 攻撃魔法を飛ばすクートだが、ほとんど当たらず避けられている。ガフはブンブンと羽音を鳴らせて上空を飛び回り、隙を見せれば急降下をしてくる。

 それに対してザガンやクートが剣を振るうと、深追いせずに再び上空に逃げる。見た目と違い、時間を掛けて相手を弱らせてから捕食するモンスターのようだ。

「ちぃとばかりやっかいな敵だな」

 まだ沼地の真ん中だ、どこに深い沼があるかわからないので、走り抜けるわけにもいかない。

「私がやります」

 カラルが言った。

「しかし、魔力が……」

 ザガンは言いかけたが、この状況ではカラルの魔法に頼るしかない。

「わかった、頼む」

「はいっ」

 カラルは呪文を唱える。何かを察してガフ達は近づいてこない。だが、それもカラルの魔法の前では無駄だった。

 カラルは両手を天に向けると、巨大な火の玉が上空に上がる。火の玉は上空で弾け、無数の小型の火の玉が飛び散りガフを焼き尽くした。


 誰もが天上を見上げていた。この沼の本当の危険を知らなかった。

 ゴゴイ。

 大サソリの様な姿だが、腕の先には針が、尻尾は大きなハサミになっている。沼に潜んで獲物の隙を窺い、針のついた多関節の腕を伸ばす。魔力不足の中、また大きな魔法を使い疲労していたカラルにそれに気づく余裕はなかった。

「ウッ」

 ふくらはぎに鋭い痛みが走る。すぐにクートが反応してゴゴイの腕を切り裂き、ザガンは沼に大剣を突き刺して本体を真っ二つにした。


「カラル!」

 崩れ落ちるカラルにセンが駆け寄る。

「だ、大丈夫です……魔法で治療しますから……」

 手を光らせて傷口に当てるが、顔色はそれと分かるほど青くなり苦しそうだ。ザガンはその姿を見てカラルを抱きかかえる。

「キャッ! ザガン様……」

「いいから楽にしていろ」

「でも……」

「俺よりクートの方がいいか?」

「い、いえ、それは……」

「ええーなんだよー、つれないなー」

 クートは不満を口にするが、その表情は言葉ほど余裕がない。並の毒ならカラルほどの術者なら治療できるだろう。しかし、この毒沼に住むモンスターの毒だ。万全の時ならともかく、いまの疲弊したカラルに治療できるとは思えなかった。

「どこか大きな町に戻って治療したほうがいいんじゃないか?」

「いえ……それでは間に合わなくなります」

 そう言われると、ザガンも反論できない。

「カラル、本当に大丈夫?」

「セン様、私は大丈夫ですよ」

 心配するセンにもカラルは笑顔を見せた。


 無言で、そして足早に最後の村を目指す。ザガンに抱きかかえられているカラルは両目を閉じていたが眠ってはいなかった。額には汗が浮かんでいたが、顔色は青く、唇は紫色をしている。

「ザガン様……お願いします、私に何かあった時はセン様を守って……」

 小声だったのはセンに聞かれないようには、あるいはその力もないのか。

「おいおい、それはあんたの役目だろ?」

「そうです。でも……もしもの時は……」

「まあ、そりゃあ、もしもの時はな」

 ザガンは前を見据えたまま答える。

「ずっと……あなたの事を怪しんでいたけど……今は信じられる」

「はは、ありがたいね。ほら、もう喋るな」

「はい……」

 それから村につくまで、カラルはずっと黙っていた。


 近道の森を抜けて休みを取らずに急いだこともあり、翌朝には村に着くことが出来た。村人に事情を説明すると、すぐにベッドが用意されて治療を受けた。だが、こんな辺鄙な場所にある小さな村で治療できるほどゴゴイの毒は軽くない。

 カラル自身も治療する魔力も集中力もない。センはうなされるカラルのもとを離れようとはせずベッドの横でずっと見守っている。ザガンとクートは険しい顔で二人の様子を見ていた。

「まるで最初からこうなることが決まっていたかのようだな」

 魔力の消費、少ない時間、上空のモンスターと沼に潜むモンスター。ザガンは吐き捨てるように言った。

「案外そうかもしれないぜ? 神獣はその名の通り神にも等しい力を持っていると言われている。こうなることを総て仕組んでいるのかもしれないな」

 クートはどこかもの悲しそうに答えた。さすがにいつもの陽気さはない。


 夕方になってもカラルは一向に回復する様子がない。ずっと見守っているセンを残して、ザガンとクートは部屋を出た。

 センはカラルの汗を拭き、水を口元に運んでカラルの世話をしていた。王子とその従者ではありえない関係だが、センはそんなことを一考にもしない。

ただただ目の前のカラルの回復を願った。

 そんなセンの努力が実ったのか、カラルは少し顔色が良くなり呼吸も落ち着いてきた。その姿を見てセンは安心したのか、一気に疲れが出てカラルのベッドに顔を預けて眠りについた。


 どれだけ時間が経ったのだろう。窓の外は薄明かりが灯し始める。

 カラルが薄目を開けると、センが椅子に座ったまま、ベッドに頭を預け眠っている。

「セン様……優しい王子様……大好き……」

 カラルは赤い瞳に涙を浮かべる。

 ずっと好きだった。立場の違い、年齢の違い。絶対に叶わないことはわかっていた。それでもセンを、カラルは心の底から愛していた。叶わぬ夢を何度も見ていた。

「セン様……ごめん……なさい……」

 王となり、成長するセンをずっと見ていたかった。

 その隣にずっと一緒にいたかった。

 でもその願いはもう叶わない。

 最後に一つ涙をこぼし、カラルは静かに息を引き取った。


「……あ、ごめん、カラル、ボク眠っちゃっていた」

 センは目を覚まし、カラルの様子を見る。朝日に照らされたカラルは美しいほど白い。だが、そこの生命の息吹は感じられない。

「カラル? カラル? 嘘でしょ……カラル、起きてよ、カラル!」

 カラルの体を何度も揺する。

「カラル! カラルゥゥ!」

 センの叫び声に気づいて、ザガンとクートがやってきた。センは泣き叫ぶ。しかしカラルはもう目を覚ますことはない。

「カラル! カラルゥ……こんな……こんな事なら王の試練なんてッ!」

「セン王子!」

 ザガンの怒鳴り声に、センはビクッと体を震わせて言葉を止める。

「それ以上は言うな。カラルは本気でお前が王様になる事を願っていたんだから」

「うう……ううう……」

 涙の止まらないセンをザガンは片膝を着いてその胸に抱きしめる。

「泣いていい、今はいっぱい泣け」

「カラルゥ……うう……ううう……うわあああああああ」

 センは泣いた。泣いて泣いて、ザガンの胸で泣き続けた。そして涙が涸れ果てると、ようやくザガンの胸から顔を離した。


 ザガンとクートは部屋を出て、センとカラルの二人きりにした。そうして夕刻まで過ごさせる。

 ザガンが控えめにドアを叩いて中に入ると、センはまだ目を赤く腫らしていたけど、その表情には決意が表れていた。

「ザガン、お願いがあるんだ」

「何だ?」

「髪を切ってくれる? せめて髪だけでもカラルと一緒にいたいんだ」

「……そうか、わかった」

 ザガンは短刀でセンの伸びた髪をバッサリと切り、糸で一束にまとめた。カラルの遺体は村人にも手伝ってもらい、村の墓地の端っこに埋められた。


 そして翌日の朝。三人はすっかり旅の準備を整えていた。

「セン王子、これからモンスターの襲撃も過酷になると思うけど、大丈夫か?」

「うん……ザガン、クート、自分の身は自分で守る。だから二人はモンスターに集中して」

 センは凛々しい顔で二人に言った。

「ああ……」

 ザガンは頷く。

「セン王子、俺は確かに不良騎士だ。でも、そんな俺でもあなたに仕えたい。今の王子はそう思わせる魅力を感じるよ」

 クートは真剣な表情でセンに気持ちを伝える。

「ありがとう、クート。さあ、行こう」

 そうして三人は神獣のもとへ、最後の旅に向かった。

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