第17話 赤い絶望
ソノマを出てしばらくすると、すっかり人の姿が減った。この先には小さな村が点在するだけだが、その先の雪山の奥に目的地はあった。
いくつかの村と野宿を過ごして五日目。最初は寒さや疲労を誤魔化すように会話の弾んでいた一行だったが、途中から妙な無言が続いた。ザガンやクートはもちろん、センですら重い空気を感じ取っていた。
なにか、言葉にできないなにか。
それは危険かもしれない。
それは恐怖かもしれない。
それは絶望かもしれない。
よく晴れた寒空。乾いた空気。すっかり人気のないその丘で、それは突然降りてきた。絶望という名の赤い魔獣、
レッドドラゴン。最強クラスのモンスターであるドラゴンの中でも最も凶暴な種類だ。
呆然と見上げる中、最初に声を発したのはクートだった。
「マジかよ……このレベルのモンスターも襲ってくるのかよ」
クートは剣を抜くことすら忘れてつぶやく。ドラゴンは小型のものですら100人規模で討伐に向かう。ましてこのレッドドラゴンは通常より一回りは大きい。最強のエンジェの騎士とはいえ、さすがにドラゴンを相手に余裕を見せる事が出来ない。
「ああ……」
センはボーッと見上げていた。恐怖を通り超して思考停止に陥っていたのだ。カラルはセンを守るように後ろから抱きしめることしかできなかった。
「カラル! 防御魔法! デカイ奴だ!」
誰もが呆然とする中、ザガンだけが冷静だった。
「え?」
「ブレスが来る、防御魔法を急げ!」
「は、はい!」
カラルはザガンの命令にすぐに反応して、強力な防御魔法が四人を包む。魔法が発動した瞬間、レッドドラゴンの巨大な口から放たれた炎のブレスが周囲を焼き尽くす。
「試練の影響か、あのドラゴンに知性は感じられない。つけいる隙はあるだろう。とはいえ……」
ザガンは冷静に観察している。確かに高い知性を持つドラゴン族にしては獣のように吠えているだけだ。だがそれでもドラゴンだ。
「倒せるのはカラルの魔法だけだが、そうなると防御が弱くなる。クート、いけるか?」
「おいおい、エンジェの騎士をあんまり舐めるなよ。王国史上最高の魔法使いさんには敵わないが、少しの間なら防御魔法で守れるぜ」
「よし! 俺が囮になって時間を稼ぐ。カラルはあいつを落とせる最大の攻撃魔法を。クートは二人を守ってくれ」
二人に言い終えると、ザガンは膝を落としてセンに目線を合わせる。
「セン王子、絶望に直面した時、国民は王に目を向ける。王は国民にとって最後の希望だ。だから最後まで諦めるな、最後まで考えるのをやめるな。いいな?」
「う、うん!」
「よし」
ザガンは破顔してセンの頭をなでた。
降り立った巨大なレッドドラゴンに単身向かう黒騎士。
まるで何かの伝説のようだが、現実は物語のように甘くは無かった。ドラゴンは炎も魔法も使わず、尻尾の一振りでザガンを弾き飛ばした。
「チッ、時間稼ぎにもなってねえ」
クートは毒づく。下手すれば死んでいる。そう思える打撃だったがザガンは立ち上がり、まるでダメージを受けていないかのようなスピードでドラゴンに向かって行った。
再び尻尾が振るわれる。だが、ザガンは高くジャンプしてそれを避けた。そして、大剣を高く掲げると、着地と同時に一閃。
レッドドラゴンは詠唱も無しに防御魔法で自身の体を守るが、防御魔法も、そして硬い皮膚もザガンの大剣は切り裂いた。
「グギャアアアアアッッ!」
レッドドラゴンの咆吼。それは痛みではなく、怒りの咆吼だった。
高い知性は消えていても、たかが人間の剣士ごときに傷をつけられた事に怒りを覚えたのだ。
大剣を構えるザガンに顔を向け、その大きな口を開く。口内には赤い炎が見えている。防御魔法が無ければ一瞬で灰になるドラゴンの炎。ザガンはあえてレッドドラゴンに向かって行った。
ボオオオオッと炎が吐き出されるが、すんでの所でザガンはドラゴンの懐に潜り込む。ドラゴンは炎を吐き出しながら飛び上がったが、ザガンはその足に捕まる。片手はドラゴンの足を掴み、浮かび上がった体勢のまま、片手で大剣を振るった。
ザクッ
それでもドラゴンの硬い皮膚を切り裂く。
「ウソだろ……」
その様子を見ていたクートは、さすがに真面目な顔をしてつぶやく。
もちろん並の剣士ではないと思っていた。だが、一歩間違えば即死のドラゴン相手に怯えもせずに向かっていく。剣の強さよりも、そのハートの強さに驚いていた。
センは祈るように手を合わせてザガンを見ていた。まさに絶望としか言い様のない怪物相手に一人立ち向かっている。騎士でも英雄でもない、ただの流浪の傭兵。
そしてセンは思い出す。始王ジオも最初は王族でも騎士でもなかったことに。
レッドドラゴンは今やザガンだけを敵として見ていた。
王の試練の影響で知性はほとんど失っていたが、それでも戦闘能力は群を抜いている。尻尾と攻撃魔法を繰り出しザガンを追い詰めると、口を大きく開けて炎を吐いた。
燃やし尽くした。そう思った。しかしザガンは大剣を盾にして炎を突き破ると、レッドドラゴンの顎を狙った。
レッドドラゴンは危うく飛び上がり距離を取る。
生意気な人間。今のレッドドラゴンにはそれだけしか思えない。憎々しいが、大剣の届かない上空から、疲れ果てるまで攻撃してやる。そう思った。
いくつもの攻撃魔法がザガンに降り注ぐが、ザガンはあまり動かずに避け、大剣で防ぐ。
生意気! 生意気! 生意気!
レッドドラゴンの目が益々怒りに燃える。多少の攻撃は覚悟して、レッドドラゴンはザガンに向かって急降下していく。
「ザガンッ! 避けて!」
センの叫びに反応して、ザガンは飛び避けた。レッドドラゴンの爪がザガンのいた地面を削る。再び飛び上がったレッドドラゴンの上空に巨大な魔方陣が浮かび上がる。カラルは長い詠唱を終えて、最大最強の魔法を発動したのだ。
レッドドラゴンはその魔方陣から逃げるように飛ぶが、魔方陣はレッドドラゴンと一体かのように上空について回る。
そして激しい閃光に続いてレッドドラゴンより大きな剣が落ちてくる。レッドドラゴンはほぼ本能から発した防御魔法の壁を張ったが、巨大な魔法の剣の前では紙にも等しく、防御魔法の壁ごとレッドドラゴンは真っ二つに切り裂かれた。
「すごいすごいすごい! カラルすごいよ」
魔力を使い切ったのか疲れ果てた顔のカラルは疲れた笑顔をセンに向ける。
「カラルは確かにすげーが……」
二人に聞こえないつぶやきをしてクートは鋭い視線を向ける。その先にいるのはザガン。黒い鎧はかなりダメージを受けているようだが、本人は無事のようだ。
みんなが祝福する中、笑顔から一転、カラルの表情が曇る。
「そんな……」
絶望するカラルの目線の先、ザガンの三倍はある巨人がゆっくりとこちらに近づいてくる姿があった。
目の位置に二つ穴があり、そこから煙を出していた。目からだけでない、鼻も耳からも黒い煙が出ている。
「あれはゴーレム……人の手を離れ動いているゴーレムです……」
「なんだよ、野良ゴーレムかよ」
クートは毒づくと剣を抜いて構えた。
「神獣の影響は受けていないはずなので……」
「運が悪かったってことか」
ザガンも大剣を構える。
奇跡的に勝てたレッドドラゴンとの戦いのすぐ後で現れた土の巨人。それが試練の影響を受けた存在ではないというのなら、不運としか言いようがなかった。
自らの宿運に青ざめるセン。ザガンは膝を落とし、センの背中を優しく叩いた。
「っ!?」
センはビクッと体を震わせるとザガンを見上げ、そして大きく頷いた。
「みんなっ! 諦めちゃダメだよ!」
大きな声で叫ぶと、センはカラルの前に立ち魔法を唱える。まだ魔力も弱く、知識も少ない。そんな中で使える弱く小さな防御魔法。その姿にカラルは微笑み、クートもニヤリと笑う。
「我らの王子が頑張っているんだ。負けてられねーな」
クートは拳をザガンに伸ばす。
「ああ」
ザガンは自分の拳をクートの拳に合わせた。
「しかし、でかい奴らが連発で来るとはな」
「カラルの魔力に引き寄せられたのかもな」
二人は巨人に向かって歩く。
「クート、カラルはもう魔力がないんだから、お前が活躍してくれよ」
「わかってるよ」
クートは魔法を唱えると、左手が輝く。そして一気に巨人に向かっていった。
巨人は向かってくるクートを無視してカラルに向けて手を振るった。その振るった手の先から無数の岩のような塊がセンとカラルのもとへ飛んでいく。
とてもセンの防御魔法では防げない。カラルはほとんど残っていない魔力を絞り出してなんとか防御魔法を張ると、何とか岩塊を防いだ。
カラルはそう長くはもたない。それは誰の目にも明かだ。
クートは巨人の足下につくと、輝く左手を巨人の右膝に当てる。すると魔法の光は巨人の膝に移った。クートは素早く距離をとって魔法を発動させると、巨人の右膝は爆発した。
「爆裂魔法か。たいしたものだ」
ザガンは感心した。
「これでもエンジェの騎士だからな。それなりに魔法は使えるさ」
軽く言ったクートだが、魔法使い専業に並ぶ技術だ。
右膝が半分吹き飛んだ巨人は横倒しになったが、その傷口は土が埋まっていき修復していく。本来はゴーレムを作った魔法使いのみ回復出来る傷が、この野良ゴーレムは自らの魔力で治していく。時間をかければ魔力切れで倒せるが……。
「ゆっくりやる余裕はないな」
ザガンは大剣を構える。
「同感だ」
クートは片手に剣、片手に魔法を準備する。
まずはザガンが突っ込むと、立ち上がろうとしていた巨人の胸を切るというより大剣を叩きつけた。胸元を抉ると、そこにクートは赤く輝く魔法の球を打ち込む。魔法の球は巨人の抉れた胸に当たると、先ほどではないが爆発してさらに胸を削った。
「うおおおおおおっ!」
ザガンは雄叫びを上げて胸の奥に大剣を突き刺すと、続いてクートがその大剣の柄を足場にして駆け上がる。そして巨人の額に剣を突き刺し、さらに雷撃魔法を剣に流した。
ブホッッ!
弾ける音と共に巨人の頭は吹き飛んだ。二人は見事な連携で野良ゴーレムを倒した。
「カラル! カラル!」
叫ぶセン。二人がセン達のもとにいくと、カラルは気絶していた。
「実際、たいしたもんだぜ」
「そうだな」
クートの言葉にザガンは素直にうなずいた。
カラルが目覚めた時には宿屋の簡素なベッドの上だった。近くの村までザガンが背負ってきたのだ。
「カラル!」
ずっとカラルの側にいたセンは涙目で抱きつく。
「セン様……」
「良かった……カラルずっと目が覚めないから、いなくなったらって思うと……」
「大丈夫ですよ、私はセン様の前からいなくなることなんてないですから」
「カラル! 約束だよ」
二人の会話を部屋の前で聞いていたザガンとクートはお互いニヤリと笑い、静かにその場を離れていった。
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