第15話 黒の紋様
目覚めてからはみるみる回復したセンだったが、大事を取って結局7日ほどゾラマダに滞在した。
「王の試練といっても、無期限ってわけじゃないんだろ?」
「はい。でも近道した分があるので、それほど時間のロスはしていません」
「そうか、ならいいが」
カラルの返答にザガンは納得した様子。しかしセンは、自分のせいで足止めになったのを気にしてるようだ。
「さあ、行こうよ、早く!」
ピョンピョン飛び上がって健康をアピールしている。大人三人はそれを穏やかな目で見ていた。
「次はどこを目指すんだ?」
ザガンはカラルに訊いた。
「次はソノマを目指します。北方面では最後の都市になります。ソノマから先は村が点々としているだけなので準備はソノマで揃えたほうがいいですね」
「なるほど。ルートは?」
「そうですね……」
カラルはセンを見た。
「いくつかの町を経由することになりますが、大通りを進もうかと思います」
「カラル、ボクを心配してくれるのは嬉しいけど、もっと時間短縮出来る道を行こうよ。他の人がモンスターに襲われるのも防ぎたいし」
思わずセンが口を挟んだ。
「すみません……そうですね、セン様のおっしゃる通りです。では山沿いを通るルートにしましょう。
山沿いといっても道は整備されているので、そんなにきつくはないと思います」
「うん、それで行こう!」
こうして一行はゾラマダを後にした。
しばらくは往来の多い大きな道を進み、途中で山道に入っていった。さすがに人や馬車の数は減ったが、それでもそれなりに人の姿は見える。
山沿いの道を進み人の姿がほとんど見えなくなったころ、クートがザガンに声をかけた。
「ザガンさんよ、ちょっと訊きたいんだがいいか?」
「なんだよ、あらたまって?」
「いや、ゾラマダで飲んでいるときにザザの民と話したんだけどな、あんたのその顔の紋様」
そう言うと、センとカラルもザガンの顔を見た。
浅黒い肌にもクッキリを浮かぶ黒い三本の線。上から大中小と並び、まるで黒い翼のようにも見える。
「顔に紋様を入れるってのはザザの民の特徴らしいが、黒は不吉だから使わないそうだな」
「ああ、そうだな」
「鎧が黒いのは、まあ傭兵って仕事柄のファッションてことでわからなくはないが、紋様ってのは子供の時に入れるんだろ?」
クートはいつもの気楽なしゃべり方で話しているが、妙な緊張感があった。
「そうだな」
「あんたか、親かはわからないが、なんで不吉な黒を選んだんだ?」
センはクートの利き手がいつでも剣の柄を握れる位置にあることに気づいた。
「これは生まれてすぐに親がやったことで、詳しい理由は知らないが、ご先祖様が何かやらかして俺の一族は黒の紋様らしい」
「失礼ですが、もう国はないのですから過去に縛られる必要はないのでは?」
カラルは口を挟んだ。庶民出身だからの意見だった。
「そうだなー、俺に子供が出来たらそうするよ」
口調こそ軽いが、センはザガンの言葉にどこか寂しさを感じた。
「そうか。悪いな、嫌なことを訊いて。これでもエンジェの騎士だから、不安要素は見逃せないんだ」
「いいさ。大人になってからは気にしたことがなかったから忘れていたけど、先に説明しておくべきだったな」
「気にすることないよ! だって、ザガンの紋様かっこいいもん!」
センは叫ぶように言う。
「ははは、ありがとう。セン王子は優しいな」
ザガンは微笑む。センの一言で緊張は一気にほぐれた。
こうして一行は陽が落ちる前に山道を越えて、山間にある村についた。
山間とはいえちゃんと宿屋がある旅人が立ち寄れる村だった。宿屋の一階にあるレストランで食事をしている間に、カラルが部屋をとりにいく、困った顔をして戻って来た。
「カラルちゃん、どうしたんだ? 部屋が空いてなかったのか?」
クートが訊いた。
「部屋がほとんどうまっていて、一応二部屋あるのですが……」
「ん? それがどうしたんだ?」
「空いていたのが二人用のツインの部屋と一人用のシングルの部屋しかなくて……」
「十分じゃん。俺とザガンでツイン、カラルちゃんとセン王子は一緒のベッドでいいだろ?」
「な、な、なんということを!」
「え? カラルちゃんは俺と一緒の方がいい?」
「いいわけないでしょっ!」
「ボクはそれでいいよ。王の試練だからってわがままは言えないから、空いている部屋に泊まろうよ」
センが間に入った。
「セ、セン様」
「ちょっと前までよく一緒に寝ていたからいいでしょ?」
「は、はい、私はもちろん……」
「はは、じゃあザガン、今日はボーイズトークで盛り上がろうぜ」
「すぐに寝る」
「冷てーなー」
昼間とは打って変わって気安いクートだった。しかしセンたちと別れて部屋に入ると。
「なあザガン、あんた……綺麗な体しているな」
黒い革鎧を脱いで体を拭いているザガンの体を、クートはジロジロと見ている。
「おいおい」
「いや、そういう意味じゃねーよ。ただ、傭兵のわりに怪我一つ無いと思ってな」
「肌が黒いから目立たないだけだ」
「そういうもんかね」
「ああ」
「ふーん、気になるねえ」
「男に気になられても嬉しくないな」
「はは、そうだな」
まだなにか含みのあるクートだった。
一方、センとカラルの部屋では。
「セ、セン様、私は床で寝ますので、どうかベッドへ」
「いいよカラル、このベッド広いんだから、早く寝ようよ」
センは眠そうに目を擦りながらベッドに入る。
「は、はい……」
心臓の音がばれないかカラルは気が気ではなかったが、間もなくセンの寝息が聞こえてようやく落ち着きを取り戻した。
綺麗なセンの寝顔を見ながら、カラルはセンが生まれた日の事を思い出す。
11年前、カラル8歳。ライラ王妃の元へ引き取られて2年、魔法研究所出身のカラルはその才能を認められ、ライラ王妃と懇意にしていたダム教ソーカサス支部アブド司祭に魔法を学んでいた。
同時に従者として簡単な仕事をこなしていた。
「ライラ様、お水をお持ちしました」
ベッドに横たわる身重のライラ王妃の元に水の入った小さな瓶を運ぶカラル。
「ありがとうカラル」
ライラ王妃は優しくカラルに微笑みかける。カラルはライラ王妃に見つめられ、頬を赤くしながら瓶をテーブルに置いた。
「魔法の勉強はどうですか?」
「はい! アブド先生はよく褒めてくれます!」
「そう、良かったわね」
「はい!」
「でも無理はしないでね。あなたはまだ子供なんだから」
「大丈夫です! いっぱい魔法の勉強をしてライラ様のお役に立ちたいのです!」
「うふふ、ありがとう」
ライラは微笑むとカラルの頭を撫でた。カラルは顔を赤くしてそれを受け入れた。
ライラの子供が生まれる。嬉しい反面、ライラに捨てられるのじゃないか。そんな不安がカラルの中にあったが、センが生まれてもライラは変わらずカラルに優しく接した。
だが……。
やせ細った青い顔のライラをカラルは心配そうに見つめる。元々病弱だったライラだが、センの出産で更に体調を悪くしているようだった。
「ふふふ、カラル、心配してくれてありがとう」
「は、はい……」
心配が顔に出ていたことを恥じるカラル。
「オギャァァァッ! オギャァァァアア!」
「あらあら、センのほうは元気があっていいわね」
ベッドの上から乳母に抱かれて泣いているセンを、ライラは愛おしそうに見ていた。乳母がセンをあやしに外に出ると、カラルはライラと久しぶりに二人きりになった。
優しい目でセンを見送ったライラは、表情を少し曇らせてカラルを見た。
「カラル……これから言うことは私のわがまま」
「ライラ様! なんでもおっしゃってください!」
「カラル……もし私になにかあったら、センを見守って欲しいの」
「もちろんです! ライラ様もセン様もどちらも大切なご主人様です!」
「カラル……」
ライラは辛そうな顔をする。その意味が幼いカラルにはまだわからなかった。
ライラはスッと真面目な王女の顔になる。
「カラル」
「はい!」
思わずカラルは背中をのばす。
「あなたにはセンの従者となってもらいます」
「はい!」
「でもそれは奴隷のような関係ではなく、友として、姉として、家族として、どれでもかまいません、センを導く存在としてセンのそばにいてあげて」
未来の王様に対して、捨て子の自分がそうなれるとは思わない。しかし、それでもそれがライラの願いなら。
「わかりました。私はセン様の従者のなり、永遠にセン様のそばにいます」
「カラル……ありがとう」
表情を緩ませたライラの目には涙が浮かんでいた。
それからカラルはセンの従者となるために、魔法以外も勉強した。政治、経済、歴史、地理、宮廷マナーなど、センの為の役に立ちそうなことは何でも学んだ。物心ついたころには、すっかりセンはカラルに懐き、カラルもそんなセンのことが大好きだった。
しかしセンが五歳のとき、ライラが死んだ。
日に日に弱っていることは知っていた。
覚悟は出来ていた。そのつもりだった。
しかしライラが死んだと聞いた瞬間、目の前が真っ暗になった。なにも考えられず、ただ泣きじゃくることしかできなかった。
そんなカラルの手をただ黙ってずっと握ってくれたのがセンだった。
センは涙も流さず、ライラの亡骸ではなく、泣いているカラルと一緒にいた。ライラの葬儀が終わるまで、センはほとんどの時間をカラルと一緒にいて、ただ手を握っていてくれた。
葬儀が終わり、ようやく落ち着いたころ、母親よりもセン自身の哀しみよりも、自分を助けてくれた。
カラルはセンの優しさにようやく気づいた。ライラとの約束で一生支えると誓った。一生助けると誓った。
しかし、助けられたのはカラルのほうだった。
だから……ライラとの約束だけじゃない。本当の本心の気持ちでセンに一生を捧げる。カラルは改めてそう心に誓う。
暗闇の中、微かに見えるセンの寝顔を見ながら、カラルはそんな過去を思い出していた。
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