第一章 森野めぐみの章
第1話
「おばあちゃんの夢見たの、久しぶりだったなぁ」
一時間目の授業を上の空で聞きながら、森野めぐみは、今朝見た夢を思い出していた。
森野めぐみは、市内の公立高校に通っている。この四月に二年生になったばかりだ。
彼女が夢に見たという祖母は、今から十年ほど前に亡くなっている。
めぐみが小学校に通い始めた頃、突然に。
特に体に悪いところはなかったと記憶しているが、ある朝いつもの時間になっても起きてこない祖母を不審に思い、めぐみが起こしに行ったのだ。
しかし、祖母はすでに亡くなっていた。
眠ったまま息を引き取ったらしい、というのがかかりつけ医の話だ。
穏やかな死に顔だったことを、幼いながらに覚えている。
その祖母が、亡くなる一ヶ月ほど前に、突然めぐみにお守りをくれたのだ。
このお守りを、いつも持っていなさい。
そうすれば、めぐみを危険から守ってくれるから、と。
だから、めぐみはいつも肌身離さずお守りを持っている。
祖母の言いつけは、めぐみにとっては絶対だった。
何故なら、幼いめぐみをいつも危険から守ってくれたのは、祖母だったから。
めぐみは、幼い頃から「この世ならざるもの」が見えてしまう体質ーー霊感を持つ少女だった。
初め、めぐみはそれらが何なのかわからなかった。
蟲のようであり、動物のようであり、また幾何学模様のようでもあった。
中には暗い影のようなものもいた。
厚みがあるもの、紙のように薄いもの。
空中をふわふわと漂うもの、地面を這いずり回るもの。
声が聞こえたこともあった。
そのことを真っ先に話したのが、自分の母方の祖母であった。
当時、めぐみは母親とともに祖父母の住む家ーー母親の実家で暮らしていた。
父親はいない。
めぐみが生まれてすぐに離婚したのだ。だから、めぐみは父親の顔も知らない。
その後母親は実家に戻り、朝早くから夜遅くまで仕事をし、めぐみを育てた。
めぐみは、小学校に入るまで、ずっと祖父母と過ごしていた。それが、後々には幸運だったのだと思う。
ある時、めぐみが「友達」と庭先で遊んでいると、祖母が畑から帰ってきた。
孫の笑い声がしたので庭を覗くと、めぐみが縁側に座って一人で喋っている。
いや。一人ではなかった。
祖母は、めぐみの隣に座る、一つの霊体を霊視した。
そしてその霊体が、めぐみに取り憑き、この家に災いをもたらそうとしていることを直感したのである。
祖母もまた霊感を持っていたが、めぐみとは異なり、その霊感は霊能力と言いかえられるほど強力なものであった。
「めぐみ!」
普段の祖母からは想像できないほど激しい声で、祖母が庭に入ってきた時、めぐみは、さっきまで話をしていた「友達」の姿が急に禍々しいものに変化するのを見た。
その瞬間、祖母の口から裂帛の気合が迸り、凄まじい念がそいつに向かって放たれた。
逃げ出すことも出来なかったのか、そいつはその念に引きちぎられるように散り散りになり、消え入りそうな声を上げて消えていった。
「おばあちゃん!」
めぐみは怖くなって、祖母に駆け寄っていく。
「めぐみ、大丈夫かい? 痛いところないかい?」
もう普段どおりの祖母に戻っている。
めぐみは祖母に抱きつき泣いた。
そんなめぐみを優しく抱きしめながら、祖母は孫の小さな身体をさすってやっていた。霊障がないか、気の滞りがないか確かめながら、暖かい念をめぐみに注いでやっていたのだ。
しばらくして、めぐみは落ち着くと、祖母に自分が見えているもののことを話した。
「いいかい、あいつらが話しかけてきても、答えちゃダメだよ。答えちゃうと、あいつらはすぐに寄ってきて、悪さをするからね」
祖母はそう言って、めぐみの頭を撫でてくれた。
「大丈夫だよ、めぐみ。おばあちゃんが、いつでも守ってやるから」
その後も、めぐみは何度となく霊に関わることになってしまった。
死霊。悪霊。妖怪の類まで。
祖母の言った通りに、話しかけられても無視してやり過ごしてきたが、それでも中にはあまりのしつこさに腹が立って相手をしてしまったこともある。
そんな時でも、祖母はめぐみを守り、霊を祓い、その後、自分の孫に諭すように注意した。
「もう少し自分の感情をコントロールできるようにならないとね」
そう言ってくれたおばあちゃんが亡くなって、もう十年。
最近は自分に霊が絡んでくることも少なくなった。
お守りのおかげかな、と思っている。
そのお守りをくれたときの夢を見たのは、今日で三回目。
おばあちゃんが今でも守ってくれているのだと思い嬉しくもあるが、少し憂鬱でもある。
何故なら、その夢を見た日は、何かが起こるのだ。
霊的な何かが。
ふと廊下に眼をやると、影が動いている。
今、廊下から教室の中を覗いているのは、アレは校長先生のはげ頭ではない。
気づいているけれど、気づいていないふりだ。
あの程度の霊なら、それで済む。
あいつは、ときどき登校する生徒たちに紛れ込んで、校舎内に入ってくる。
物珍しそうに授業風景を覗いては、またふらふらと外に出て行く。
別の日には、スーパーや百貨店、図書館などでも見かけたことがあるから、目的もなく徘徊しているらしい。
校舎の外に眼をやると、なんだか鳥のようなものが南に向かって飛んでいく。
頬杖を突きながら窓の外に眼を向けるめぐみの口から思わずため息が洩れた時、
「森野!」
古文担当の教師がヒステリックな声を上げ、睨みつけていた。
今年三五歳になる男の教師だ。旧帝大のどれかを卒業し、教師になったらしいが、あの残念な見た目と性格では、奥さんがいないのも頷ける。
めぐみの成績は中の上。自分ではこんなぐらいでちょうどいいと思っている。
特段、上を目指したいわけではない。高校を卒業したら働くつもりだ。
今の世の中、いい大学を出たところでいい結果が待っているとは限らない。
別に結婚にもそれほど興味があるわけではないから、今は資格を取って、手に職を付け、自立したいし、少しでも母親を楽にさせてやりたいと考えている。
そんなわけで、授業は真面目に受けているつもりだった。ノートはきちんととるし、家に帰れば復習もする。
勉強は嫌いではない。
勉強なんて、社会に出ればなんの役に立つんだよ、と言う輩がいるが、めぐみは充分役に立つと思っている。
だから真面目に勉強をする。だが、今日はしくじった。
つい上の空になっているのを見つけられてしまったらしい。
少し前から、教師はめぐみが自分の授業を聞いていないことに気づいていたのだろう。残念なことに、めぐみにはそのことを、それとなく教えてくれる友達がいない。
あえて作っていない。
人づきあいが苦手というわけではないが、やはり霊感のことが気になってしまう。
もし自分にかかわることで、その人にまで害が及んでしまったら、と思うと臆病にもなるというものだ。
「す、すいません! ちょっとぼーっとしてしまって」
立ち上がりあわてて謝る。
しかし、教師の怒りはそれではおさまらなかった。
眼を吊り上げ、泡を吹く勢いでヒステリーを起こしている。
怒髪天に発する、とはまさにこのことか。などと頭の中で感心している場合ではない。
教師がめぐみに向かって、手にしていたチョークを見事なコントロールで放ったのだ。
チョークは一直線にめぐみの眉間に向かって宙を飛ぶ。
めぐみは「やばい!」と亀のように首をひっこめて躱すと、チョークは窓ガラスに当たって砕けて落ちた。
その瞬間だった。
ぱんっ!
と柏手を打つような音が谺するのを、めぐみは確かに聞いた。
しん、と静まり返る教室。
時が止まったかのように。
めぐみは恐る恐る眼を開けると、教師はまるで憑き物が落ちたかのように少し呆然と突っ立っており、めぐみの顔を見るとばつが悪そうに咳払いをすると、
「こ、これから気を付けるように」
と告げて、なんとか授業を再開したのだった。
めぐみは、椅子に座りなおし、安堵のため息をついた。
まわりから、クスクスと笑う声が聞こえるが、気にしない。
ふと廊下に眼をやる。
さっきまでいたはずの霊がいなくなり、かわりに今は校長の禿頭が廊下を移動していくのが見える。
外に眼をやると、もはや何も浮遊していない。
静かだった。
音が全くないわけではない。音は、普通にある。
しかし、霊的なものの発する気配のようなものが、今は全く消えている。
そういう静けさだった。
やはり、先ほどの柏手を打つような音が、雑多な霊もろともに祓ったのだろうか。
その後は、めぐみも授業に集中し、とくに変わったことも起こらずに、無事に下校の時間となった。
凶魔召喚祭 神月裕二 @kamiduki
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