偽装の心理 12

翌日、鳴海徹也、河井聡史そして氷山遊の三人は、


全日空ホテルのロビーで落ち合った。


タクシーを拾うと、鳴海は衣澤康祐の実家のある、


糟屋郡新宮町へと向かうよう運転手に伝えた。




1時間足らずして、目的地に着いた。


衣澤康祐の実家は、国道504号線沿いにあった。


周辺は田畑で囲まれており、民家や古びたマンションが散在していて、


人の姿も少なく閑散とした場所にあった。




タクシーを降りると、鳴海は衣澤家を見て少し驚いた。


周囲には古びた家屋が多い中、その家は2階建ての立派な一軒家で、


建てられて間もないように見えたからだ。


築年数は十数年といったところか。敷地面積は百坪以上はありそうだった。


庭には良く手入れされた大きな松の木や、椿が植えられている。


空いた場所には大型のワンボックスカーとクラウンが駐車されていた。


その周りを高さ1メートル半ほどの漆喰の塀が取り囲んでいる。


鳴海はそれらを見ながら、夫婦二人だけで住むには、


広すぎるように感じた。




その漆喰の壁をつたって行くと、石造りの門が見えてきた。


そこには『衣澤』という表札の下に、カメラ付きのインターホンがある。


鳴海はインターホンを押した。


間もなくして中年女性の返事が返ってきた。


おそらく衣澤康祐の母親だろう。


鳴海が昨日の約束を伝えると、


わかりましたという簡潔な答えとともに、玄関へと来るよう言われた。




玄関は重厚な木製の扉だった。


内側から鍵がはずされる音がして、女性の顔が覗かれた。




「衣澤美恵子さんですね?私が鳴海といいます」


鳴海は警察バッジを見せると、


傍にいた河井聡史も慌てて警察バッジを、


スーツの内ポケットから取り出して見せた。


美恵子は小さくうなづくと、氷山遊へと視線を向けた。


その視線に気づいた鳴海が口を開いた。




「この人は、息子さんの件で捜査協力してもらっている・・・」


鳴海が言い終わらないうちに、


氷山遊は名刺を取り出して美恵子に渡した。




「私はこういう者です」


名刺に目を通した美恵子は、少し驚いた表情を浮かべた。




「帝應大学の先生ですか」


美恵子はそう呟くと、鳴海たち三人へと顔を向けて言った。 


「どうぞお上がりください」




通されたリビングルームは、十二畳はある立派なものだった。


ソファ一式とローテーブル、


大きな窓際には、背丈の高いドラセナの鉢植えが置かれていた。


その窓の反対側の壁には、


幅広い台座の上に50インチの液晶テレビが置かれていた。




三人がソファに座ると、一人の小太りで初老の男性が現れた。


グレーのトレーナーに茶色のチノパンという姿だ。


彼は向かいのソファに座ると、自分の名を言った。


「衣澤晴男です」




美恵子が盆に載せた湯呑み茶碗を運んできた。


彼女がそれらをローテーブルに置く間に、衣澤晴男は目で彼女を示し、


「妻の美恵子です」


と言った。


鳴海は彼ら夫婦の名を、福岡県県本部の情報保全課ですでに知っていた。




「奥様にも同席してしていただけますか?」


鳴海がそう言うと、


美恵子は不承不承といった感じで晴男の隣りに座った。




「康祐の葬儀が終わったばかりでね。


  まだ落ち着いてないんですわ。


  いろいろと考えないとならないこともあってね」


晴男は禿げ上がった頭を掻きながら、


面倒くさそうな、苦々しい表情を浮かべながら言った。


彼の言葉を聞いて、氷山遊の視線が光った。


晴男はその視線に気づいたのか、彼女の姿を見た。


彼女の視線の冷たさに鈍感なのか、晴男は相好を崩した。


美人が同席していることに気分を良くしたのだろう。




 「この方は?」


晴男の質問に、隣りの美恵子が先ほど手渡された


氷山遊の名刺を見せた。




「帝應大学?」


晴男はその名を初めて聞いたような口ぶりで言った。


どうやら帝應大学の存在も知らないらしい。




「ええ、彼女は心理学者で、


  今回の件に捜査協力をしてもらっています」


何も言わない氷山遊の代わりに、鳴海が説明した。




「では、手短かにいくつか質問させていただきます」


鳴海はスーツの内ポケットから、一枚の写真を出した。


例のM7銃剣のものだ。現物はまだ真代橋署に保管されていた。




「これに見覚えはありませんか?」


衣澤晴男はそれを手に取り、じっと見つめていたが、


思い出したように口を開いた。




「ああ、これですか。


  確か康祐の誕生日に私たち夫婦がプレゼントしたものです」




「え?プレゼント?」




何て事だ―――。




鳴海は愕然とした。


怒りと驚愕のない交ぜになった意識が、彼の心の中に膨れ上がっていた。




漫画家を目指していた衣澤康祐を


担当していた首都出版の週刊キャピタルの編集者西川は、


彼に対して辛らつな言葉を放っていた事はわかっている。


その時の衣澤康祐の心情はどんなであったか。


漫画業界に疎い鳴海でも、その片鱗ぐらいは容易に想像がつく。


そんな時に、この銃剣が実の両親から送られてきたら、


彼はどんな想いがしたのか―――。




このM7銃剣は、衣澤康祐の兄、孝一が自殺に使ったものだ。


そのような物を次男の誕生日プレゼントとして


送ったというのだろうか?


それが事実であれば、理解しがたい非常識なこととしか言いようがない。


鳴海はメモ帳を開いて確認した。


衣澤康祐の誕生日は十二月一日。彼が自殺する二日前だ。




「これは康祐さんの実兄が自殺に使った物だということは、


  ご存知ですよね?」


鳴海は噛んで含めるように言った。




「ええ、勿論知ってますよ」


晴男は眉根を寄せた。


鳴海の質問の意図を計りかねるといった様子だ。




「康祐さんの兄が自殺に使った凶器を、彼に・・・


  それも誕生日に送ったという経緯には、どういった意図があったのですか?」




鳴海の質問に、晴男は怪訝な顔をした。


彼の質問の真意を理解できない様子に見えた。




「深い意味は無いですよ。ただ、捨てるのも何だし、


  そういえば康祐の誕生日が近いなぁと気づいたからですよ。


  それが何か問題なんですか?」


晴男は苦笑を浮かべながら答えた。


鳴海はもうひとつ確認したいことがあった。ある可能性についてだ。




「康祐さんは漫画家を目指して上京していたんですよね。


  彼からその事について何か連絡はありましたか?


  今回の事件が起こる、なるべく近い時期に」


鳴海はこう考えていた。衣澤康祐は自身の日記に、


自分の作品が雑誌に掲載される事、


そしてうまくいけば連載の可能性もあるとも書かれていたこと。


結局、それらはすべて彼の中での虚構だったわけだが、


同じような事を両親に報告した可能性だってある。


それを祝して銃剣を送ったという見方も出来るのではないか?


だとしても無神経なプレゼントであることには間違いはないのだが。




鳴海の質問に、晴男は天井を見上げ、


記憶を探るような素振りを見せながら答えた。


「その前の月の終わり頃だったと思いますが、


  私の方から電話したんですよ。漫画の仕事はできそうなのかって。


  そしたら、まだ仕事はもらえてないって言うじゃないですか。


  上京して三年も経つんですよ。


  私と女房は呆れましてね。しばらく説教したんですよ。


  才能もないのに漫画家になるなんて


  夢見たいなことに、人生を浪費してどうするんだってね」


晴男は引きつるような笑みを浮かべながら、大きくため息をついた。




晴男の言葉に、血色ばんで詰め寄ったのは河合だった。




「自分の兄が自殺に使った凶器を親から送られて、


  康祐さんがどう思ったか、あなたにはわからなかったんですか?」




晴男はきょとんとした顔をした。


彼は河合の言っていることが理解できていない様子だった。


晴男は鼻で笑うようなしぐさをすると、強い口調で言った。




「うちはね、子供の誕生日に


  高価な物をプレゼントできるほど裕福じゃないんですよ。


  この家を見て何か勘違いされてるのかもしれないが、


  私は中卒で学歴もないし、小さな町工場で四十年以上働いてきた。


  給料だってほとんど上がらず、


  余計な物を買うような身分じゃないんですよ。


  だから康祐には手元にあった、あの刃物を送ってやっただけです。


  まあ、孝一の形見分けみたいなものですよ」




それを聞いて、鳴海は疑問を感じた。


「しかし、ご主人、孝一さんは


  三年以上前に亡くなられているんですよね?


  もし形見分けというなら、


  その直後に渡すべきだったんじゃないですか?


  だとしても、自殺に使った凶器を形見分けにしたというのは、


  どう考えても非常識だと思いますが・・・」




晴男は鳴海の言葉に気分を害したようなしかめっ面をして、


湯呑みを煽るように口に運んだ。




重い沈黙が流れた。その空気を破るようにして、


それまで黙って話を聞いていた氷山遊が、口を開いた。




「失礼を承知でお訊きしますが、小さな町工場で働いていて、


  このような立派なお屋敷が建てられたのには


  何か理由があるんですか?


  見たところ、まだ新しいお宅に見えますが」




晴男はうんざりしたような表情を浮かべた。


「親戚や職場の同僚によく訊かれましたよ。


  この家を建てた時にはね。そんな金がどこにあったんだってね。


  そのまま露骨には言ってきませんでしたが、


  そういう意味のことを遠まわしに訊かれました。


  勿論、当時はこんな家を建てるような金なんか、


  ありませんでしたよ。頭金すら無かった。


  奨学金ですよ。孝一の奨学金をこの家の頭金にしたんです」




「奨学金?」


それまで無表情で聞いていた氷山遊が、


片方の眉をわずかに吊り上げた。

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