偽装の心理 11

福岡県警本部を出た鳴海徹也は、腕時計を見た。


すでに午後9時を回っている。


スマホを取り出すと、県警の情報保全課で知り得た


衣澤康祐の実家の電話番号をタッチした。


明日、衣澤康祐の実家を訪問することを、


事前に伝えていた方がいいだろうと思ったからだ。


数回のコール音の後、年老いた女性の声が返ってきた。




『もしもし、衣澤です』


それは妙に平坦な声に感じられた。




「夜分遅くすみません。


  私、東京真代橋署の鳴海といいます。


  実はお宅の息子さんの件で、伺いたいことがありまして」




『ちょっと待ってください。


  お父さん、警察の人だって・・・』




しばらくの間。そして電話口に出てきたのは


しわがれた男性の声だった。衣澤康祐の父親だ。




『なんですか?康祐のことで何か?』


その声を聞いて、鳴海は違和感を覚えた。


警察からの電話とあれば、


自分の息子の自殺に関することであることは、容易に察しはつくはずだ。


だが、彼の口調にはどこか突き放したような、


この件に関して、面倒くさいような


ニュアンスが含まれているように感じられた。




「急な話で申し訳ございませんが、康祐くんのことで


いくつかお尋ねしたいことがありまして」




『はあ、何なんでしょう?』




「詳しくは明日、そちらに伺ってお訊きしたいのですが、


  ご都合はよろしいでしょうか?」




『まあ、別にいいですけど。


  こっちは年金暮らしなんで、暇だけはありますよ』




「では明日の午前十時頃に伺います」


鳴海はスマホを切った。鳴海はしばらくの間、


液晶画面を見つめていた。


衣澤夫婦には二人の息子しかいない。


孝一と康祐だ。その二人とも自殺を遂げている。


なのに、その両親の声音からは悲痛な思いは感じられなかった。


それは鳴海の心の隅に、澱のようにこびりついた。


彼はやりきれないため息を大きくついた。




すると背後で、腹の鳴る音がした。


鳴海が振り返ると、河井聡史が腹に手を当てて、へこませている。




「鳴海さん、腹が減って死にそうですよ」




「大げさなことを言うな。そういえば、晩飯もまだだったな」


とはいえ、今からホテルに帰っても、


ホテル内のレストランは閉店しているかもしれない。


適当に天神あたりで食事が摂れる所を探した方がいいだろう。




「どこかレストランみたいな所はないかな」


鳴海がそう言った時、氷山遊が隣りでぶっきらぼうに呟いた。




「せっかく博多に来たんだから、屋台がいいわ」




なるほど屋台か。鳴海は視線を走らせると、


天神に面する通りには、いくつもの屋台が並んでいるのを確認した。


そのうちの比較的空いている一軒の屋台に目星をつけた。




「あの店にしよう」


鳴海はその屋台へと足早に向かった。


屋台の看板には『屋台まるちゃん』とあった。


屋台の周りは、半透明の大きなビニールシートに囲まれてあった。


人が通れるほどの隙間があり、それが入り口らしい。


店内に入ると、想像以上に暖かかった。




「いらっしゃい」


五十歳がらみの店主らしい男性が、声を掛けてきた。


頭には手拭いを鉢巻のように巻いている。


氷山遊を挟んで、鳴海と河井が木製のベンチのような長椅子に座った。


鳴海たち三人は、とんこつラーメンを注文した。




「博多に来たら、やっぱりとんこつラーメンですよね」


河井は嬉々とした様子で、声を弾ませていた。


その会話を耳に挟んだのか、店主は麺を湯きりしながら訊いてきた。




「お客さんたち、こっちの人じゃなかと?」




「ええ、東京から来たんです」


と鳴海は答えた。




「ほんなごつね。どうりで垢抜けしとるばい」


店主はそう言うと、豪快に笑いながら氷山遊に視線を向けた。




「お嬢さん、芸能人か何かしてるとね?」




「いいえ、大学で教鞭をとってます」


氷山遊は微かな笑みを浮かべて答えた。




「大学の先生やっとるとね?もったいなか~。そげん美人なのに」


主人はそう言いながら、三人の前にラーメンを出した。




「うめぇ~。博多のラーメン初めて食ったけど、


  絶品だ、これは」


河井が口いっぱいにラーメンを頬張りながら言った。


鳴海は隣りにいる氷山遊に目を向けた。


彼女もおいしそうに麺をすすっていた。


そんな彼女に鳴海は声を掛けた。




「氷山先生、ちょっと訊きたいんだが、


  衣澤康祐の実家に行く目的は、


  凶器の入手先を確認するためだけか?」




「それは鳴海さんの仕事でしょ?私の目的は別にあるの」




「別にある?何だそれは?」


氷山遊は彼の質問には答えず、レンゲでスープを飲んでいる。


鳴海も仕方なく麺を口に運んだ。


横目で彼女の丼を見ると、すでに麺のほとんんどが無くなっていた。


見掛けによらず、早食いらしい。




氷山遊はレンゲを置くと、鳴海の方へ顔を、向けた。


「おそらくこの件には、衣澤康祐さんの両親が起因の一つとして考えられるの」




「衣澤の両親が?」


鳴海の言葉を、屋台の主人の元気な声が打ち消した。




「お嬢さん、替え玉はどうね?まだ食えるっちゃないと?」


主人はニヤニヤと笑いながら、


氷山遊が返事をする前に、彼女の丼に強引に替え玉を入れた。




「これはワシからのサービスったい」




「ありがとうございます」


氷山遊は、笑顔で礼を言った。




「親父さん、じゃあ僕も替え玉」


河井が催促すると、主人は手際よく彼の丼へ麺を追加した。




「はい、百円ね」




「サービスじゃないの?」


河井が口を尖らす。




「男は別ったい」


主人はそう言うと、豪快に笑った。


河井は、ちぇっと舌打ちしていたが、麺を口いっぱいに頬張った。




ラーメンを食べ終えて屋台を出た三人は、


真冬の寒風が吹く中、それぞれにコートの襟を立てた。息が白い。




「氷山先生、あんたさっき衣澤康祐の両親が、


  今回の事件の起因のひとつだって言ったよな?


  オレはそれが何なのかさっぱり見当がつかない。


  わかるように説明してくれ」


鳴海はタクシーを停めるため、


天神のメインストリートへ手を上げながら言った。




「それは明日、行ってみればわかるわ。


  これは私の予想だけど、彼を追いつめたものは


  いくつかあると思うの。


  そのひとつが衣澤康祐さんの両親だと私は見ているわ。


  単なる使われた凶器の入手先ということ以上に、


  重要な意味がそこにある」




衣澤を追いつめたもののひとつ―――?


彼女はやはり、自殺のセンだと言っているのだろうか?


 彼の両親と会うことに重要な意味がある?


 いったい彼女には何が見えているというのだ?




鳴海は訝りながらも、空車のタクシーを停めた。

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