偽装の心理 10

意外な事実を知った鳴海徹也は、


福岡県警本部へトンボ返りした。


無論、衣澤康祐が所持していたM7銃剣を、


彼と同じ苗字の男性が、自殺に使っていたことを調べるためだ。


鳴海は生活安全課へ行き、当時の担当者を呼び出した。


だが、その担当者はすでに転勤になっており、


直接話を聞くことはできなかった。


肩を落としていた鳴海だったが、生活安全課の署員から、


情報保全課には当時のデータが


残っているかもしれないということを教えられた。




その足で鳴海たちは、六階にある情報保全課へ行った。


そこには8人ほどの署員がいた。


鳴海に応対したのは、日下部という


三十代後半くらいの男性署員だった。


鳴海は東京の真代橋署から来たこととを伝えた。


鳴海徹也、河井聡史とともに入ってきた


氷山遊を見て、日下部は目を丸くした。




「この方はどなたですか?」




「帝應大学の準教授をされている学者さんで、


  捜査の協力をしてもらっています」




鳴海が簡潔にそう言うと、日下部は口元をほころばせた。




「氷山遊といいます」


彼女は軽く頭を下げた。




「福岡も美人が多いですが、さすがは東京ですね。


  これほどの美人もなかなかいないですよ」


日下部にそう言われても、


氷山遊は相変わらず無表情のままだった。


愛想笑いさえ浮かべていない。




鳴海は気づかれない程度のため息をつくと、


これまでの経緯をかいつまんで話した。


そして問題のM7銃剣を凶器にした自殺の件を


調べてもらうよう依頼した。




「2、3年前の銃剣による自殺ねえ・・・」


日下部は思案するように顎に手をやりながら、


パソコン画面に向かって呟いていたが、


何かを思い出したように声が裏返った。




「あっ、思い出した。あの事件かもしれない」


手にしたマウスがせわしなく動き、


ひとつのファイルをモニターに映し出した。




「2014年6月2日、福岡市城南区別府のアパートで、


  当時衣澤孝一三十六歳が自殺とありますね。


  鳴海さんが言っていた衣澤康祐の実兄です」




衣澤孝一は衣澤康祐の兄だった―――。これで二人は繋がった。




「よく覚えてますね。自殺なんていくらでもあるのに」


鳴海は少し驚きながら言った。




「ええ、福岡市内で年間300件以上ありますが、


  この件に関しては記憶に残ってるんですよ。


  自殺といったら、大体首吊りか飛び降りが大半なんですが、


  これは銃剣を胸に刺すといった稀まれなものだったので」




「銃剣を胸に刺す・・・」


傍らにいた河井が、その言葉を呟くように繰り返した。


鳴海と河井の視線が、衣澤康祐とその兄孝一との共通点を


見出して交差した。




「それは本当に自殺だったんですか?他殺の疑いは?」


鳴海は念を押すように訊いた。


日下部はモニター画面から目を離さないまま、


自信のこもった声音で言った。




「自殺で間違いありませんよ。


  ドアは施錠され内部からチェーンもかかっていましたし、


  それに窓も施錠されていて、外部から何者かが侵入した形跡も、


  争ったあともないとあります」




「遺書は?」


と鳴海。




「それもなかったようですが、


  まあ自殺と見て間違いないですね」




「でも、刃物で自分を刺すなんてこと


  簡単には出来ないと思うんですが、


  その点は捜査側はどう判断したんですか?」




鳴海の質問に、日下部は確信をこめた口調で答えた。




「捜査員たちも、最初は不審がっていましたが、


  鑑識の結果、その理由がわかったんです。


  衣澤孝一は銃剣を胸に当て、


  両手を添えた形で前に倒れ込んだんです。


  その勢いで銃剣は心臓に深々と刺さったのだと判明しました。


  その形跡が現場の畳にあったんです。


  ちょうど銃剣の柄の先端と一致する凹みが見つかったんです」




柄に両手を添えて―――。




その言葉を聞いた瞬間、


鳴海の脳裏にこびりついていた疑問が氷解した。


おそらく衣澤康祐も同じ方法をとったのだろう。


ただ違うのは衣澤康祐の床はフローリングだったことだ。


フローリングは畳よりはるかに硬い。


その痕跡を見つけるのは、極めて困難であっただろうことは


容易に察しがつく。


鑑識課の長谷川が見逃しても無理はない。


それで銃剣の柄の部分が当たった場所が鑑識の目を欺いたのだ。


銃剣の柄に、衣澤康祐自身の指紋が


明確に付いていなかったことが、これで説明できる。




やはり衣澤康祐は自殺だったのか―――?




「M7銃剣は自殺のために購入したものなんでしょうか?」


と鳴海は訊いた。日下部はモニター画面をスクロールしながら口を開いた。




「いえ、衣澤孝一はミリタリーマニアで、


  軍の放出品を収集するのが趣味だったようです。


  自殺に使われたの銃剣の他にも、


  多数の軍用ナイフが現場から押収されています。


  他にも迷彩服や弾帯用のベストなど」




「自殺に使われたその銃剣は、その後どうなったのでしょうか?」


鳴海は問題の銃剣の行き先が気になっていた。




「事件解決終了後、遺族に返却されたようですね。


  ほかの軍の放出品とともに」


日下部が答えると、氷山遊が始めて言葉を口にした。




「その実家はどこにあるんですか?」


氷山遊の顔を見て、微かに頬を赤らめながら日下部は答えた。




「福岡市の隣りにある、糟屋郡新宮町にあります。


  家族構成は衣澤晴男とその妻、美恵子と記録されてます」


モニターに記されたその実家の住所を、河井が熱心にメモをとった。




それを横目で見ながら、鳴海は脱力感を感じていた。


東京からはるばる福岡まで来て、


結局自殺の裏づけを得ただけだったからだ。


当初考えていた他殺の件は、これで完全に消滅した。




結論からいうと、衣澤康祐は


兄の衣澤孝一を真似て自殺したことになる。




鳴海がメモ帳を内ポケットにしまい込み、


日下部に礼を言うと、その場を辞去した。




情報保全課を出ると、鳴海は力なく言った。




「これで自殺のセンで決まりだな」




「そうかしら?」


不意に隣りにいた氷山遊が、間髪入れずに呟いた。




「学者先生、まだ他殺のセンがあると言うんですか?」


鳴海は苦笑を口元に刻みながら、あきれたように言った。




「これだけ証拠が残ってるんだ。


  衣澤康祐は自殺した。間違いない」


そう言った鳴海を、氷山遊は正面から見据えた。




「実家を尋ねてみましょう。


  そこでこの事件の真相に近づけるわ」


氷山遊の声音には、有無も言わせない力があった。




事件の真相―――?まだ他に何かあるというのか?




訝いぶかる鳴海たちをよそに、


氷山遊はコートを翻し、先立ってエレベーターに向かっていった。


リノリウムの床に、彼女のブーツの靴音だけが、響いていた。

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